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2017-12-22

若者と老人〜『アテネのタイモン』(ネタバレあり)

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 彩の国シェイクスピアシリーズ第33弾『アテネのタイモン』を見てきた。吉田鋼太郎演出・主演をつとめ、蜷川なき後最初シリーズ上演である。先月、これに関する事前勉強会で講演したので、けっこうテクストなど読み直して見に行った。あまりモダナイズはしないストレートな上演だが、ゴージャスで非常に正攻法な感じで面白かった。

 セットや美術はけっこう蜷川を思わせるところもあるもので、前半は大がかりなタイモンの屋敷入り口、後半は森だ。ところどころ見受けられるショッキングな演出も少々蜷川リスペクトで、借金の赤い書類が飛び散るところや、タイモン(吉田鋼太郎)が突然、泥棒殺害するところなどは蜷川っぽいように思った。屋敷燃える演出などもけっこう豪華な特殊効果を使っていて見映えがする。 

 この上演の一番の勝因は、アペマンタス(藤原竜也)とアルシバイアディーズ(柿澤勇人)が若いことだと思う。この2人は非常に性格が違っているが、どちらもアテネの腐敗ぶりに不満を抱いている若者だ。藤原アペマンタスはボロボロの毛皮に身を包んでおり、哲学者というよりはパンク詩人みたいな感じ(そのままハムレットでも通りそう)である。アルシバイアディーズは清廉だがカっとなりやすい軍人だ。変人扱いのアペマンタスと、アテネでは軍人として高い評価を受けているアルシバイアディーズは正反対とも言える性格だが、タイモンのことを真面目に考えていたと言えるのは、執事フレイヴィアス(横田栄司)などの召使いたち以外はこの2人の若者だけで、タイモンはなんだかんだでこの性格の違う2人の若者からある種の親身な敬意を勝ち得ていた。このプロダクションタイモンは、才能ある若者を引き立てるのが好きな老人で、本人にもちょっと子どもっぽいところがある。タイモンが隠棲してからアペマンタスに「オレの格好を真似るな!」と言われるところや、子ども同士みたいにツバのとばしあいをするところは、タイモンには実はちょっと大人げないところがあることを示している。さらタイモンが泥棒を殺してしまうところは、カっとなりやすいアルシバイアディーズとの共通点を暗示しているとも言える。そういうちょっと子どもっぽくて若者に慕われているタイモンが、アテネ既得権益にまみれた暮らしをする大人たちから真の意味では好かれていなかったというのは当たり前なのかもしれない。

2017-06-26

ストラトフォード(3)現代を諷刺する〜『アテネのタイモン』

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 ストラトフォードフェスティバルでスティーヴン・ウィメット演出アテネのタイモン』を見た。全体的に大変面白かったと思う。テクストを読むとさっぱり面白くないのだが、この芝居は上演を見るたびに興味が湧く。

 真ん中に長方形舞台があり、四方に客席があるトム・パターソン劇場で上演され、現代ソファなどが置かれたシンプルモダンなセットである。後半はこれが撤去され、奈落に岩などが配置されて人嫌いになったタイモンのすみかになる。シャープな照明でアクションを強調している。

 前にロンドンナショナル・シアターで見た時もそう思ったが、この芝居は諷刺劇なので舞台現代にしたほうが断然うまくいく。タイモン(ジョゼフ・ジーグラー)は金持ちだが、おそらく遺産をもらっている有閑階級で、今まで働いたことがなく世間を知らずに年をとっていった感じのおじいさんだ。アルシバイアディーズは(ナショナルの上演ではモブ名目上のトップみたいな感じだったが)このプロダクションでは完全に軍人で、後半でタイモンに金を渡される娼婦たち軍服を着ている。ほとんど男の世界で、タイモンが金を借りに行く相手ウォールストリート金持ちみたいに美女をはべらせているし、ホモソーシャルミソジニーに充ち満ちた世界舞台である。翌日、学会であったトークセッションでも言及されていたのだが、おそらくこの上演においては均質な男ばかりの世界であることが社会全体の腐敗につながっている。しかもこの男の世界は実に冷たくシビア世界で、金の切れ目がホモソーシャルの切れ目であり、思いやりとか絆などが入り込む隙はない。

 後半はタイモンがどんどんリア王みたいになって荒野で荒れ狂う。いろいろな人が尋ねてくるのだが、わざわざ尋ねてくるアペマンタスがテクストよりはかなり優しい人という印象だ。召使いフレイヴィアスもタイモンに忠実なのだが、タイモンはこういう連中の優しさにも動かされず、社会には復帰できない。前半は辛辣諷刺だが、後半はかなり悲劇的だと思った。

2012-08-22

ナショナルシアター『アテネのタイモン』〜I predict a riot!オキュパイvs資本

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 ナショナルシアターで『アテネのタイモン』を見てきた。これ、シェイクスピアの中でも私が二番目くらいに低評価な戯曲だったのだが、公演を見て全く意見が変わった。これはミドルトンか誰かとの共作であろうと言われていて、都市喜劇ふうの(ミドルトンふうとも言えるかも)設定にシェイクスピアふうの悲劇的人物がいきなり現れるギャップがなんか私はあまり好きじゃなかったのだが、この公演を見てこれってこんなに面白い戯曲だったんだ…と思った。この芝居を褒めたマルクスは正しい。

 ナショナルシアターの公演はたいていそうなのだが、ニコラス・ハイトナー演出のこのプロダクションもすごいモダナイズしてあって、話は美術館かなんかにTimon Roomという部屋ができる時のセレモニーみたいな場面から始まる(これだけで「オッ」と目を引かれる)。タイモンはスーツを着た芸術パトロンだし、タイモンの友だち面をしておきながらあとでタイモンが困窮した時借金を拒否する連中もこぎれいなオフィスを持ってる議員だったりソーホーのポッシュなクラブにたむろすエリートたちだったり、最近の景気を如実に反映している。

 しかしながらこのプロダクションが一番すごいのは、去年のロンドン暴動とオキュパイロンドン参加者たちをアルシバイアディーズの反乱軍にしているところ。最初からエリート層の暮らしているところの裏にオキュパイ運動のテントがあったりセットも凝っていたのだが、第一部終結部のタイモンの最後の宴(この宴もきったなくてすごいのだが)から逃げてきた金持ちたちをバットとか棒みたいな武器で武装したフードの若者たち(mobとしか言いようがないのだが、ロンドン暴動でもありオキュパイでもあるような)が襲うところはあまりの不穏さに胃が痛くなった(若干のフラッシュバックが)。金がなくなった途端に上流階級から排斥され、廃墟とゴミ捨て場の中間みたいなところにショッピングカートを持って引きこもったホームレスタイモンのところにアルシバイアディーズの反乱軍がやってくるところは17世紀のモブでもあり、ロンドン暴動でもあり、オキュパイでもあり…タイモンが毒づきながら金を与える娼婦たちがこの演出では軍隊(というか軍隊というよりモブなのだが)の一員としてジーパンで戦闘意欲満々の若い女性たちとして描かれているあたりは非常にモダンで原作のミソジニー的なトーンを薄めているし、この貧しい若者たちの不満を象徴的に表しているようで良かった。タイモンがアテネをぶっ壊せ的なことを言いながらアルシバイアディーズのモブに金をばらまく場面はこのモブの「とにかく困窮していて不満があるのにそれを言語化できない、不満のためなら何でもする理念なき反乱軍」の不穏な感じが非常によく出ていて良い。

 芝居全体の構成からいうと、気前の良さを美徳としていたのに金がなくなっただけで排斥され、人を呪うことしかできなくなってしまったタイモンと、もともと貧しく不正に扱われていて金持ちたちに対する激しい怒りを持っているがそれをうまく言語化できずに暴徒になるアルシバイアディーズの反乱軍は同じ状況、つまり資本による支配を全く逆の方向から描いていると思う。上から下に転落したタイモンは悲劇的なキャラクターとして確立されているが(サイモン・ラッセル・ビールの演技がまるでリア王のようだった)、あらかじめ全てを奪われてそこから上昇を目指すモブは一人一人の顔が不明で全体として社会の不満を具現するものとして描かれている(アルシバイアディーズがリーダーであるという点でちょっと最近のモブと違う、というレビューもいくつか見たのだが、このプロダクションにおけるアルシバイアディーズってたぶんモブにとってはオキュパイにとってのアノニマスのマスクみたいな単なる団結の道具にすぎないんじゃないだろうか…)。

 あと、個人的にはオキュパイ運動とロンドン暴動を結びつけているところを評価する。これは批判もあると思うが、先日書いたとおり私は「理念ある運動」と「言語化されない不満の暴力的発露」を完全に分けることは問題の解決にならないと思っているので、両方を取り入れて消化したハイトナーの大胆な演出技術はすごい評価できると思った。


 まあそういうわけでこのプロダクション現代における資本の支配とそれに対する不満をおそろしくリアルに描き出したとても良い公演だったと思う。なんかいろいろなものを思わせる公演だったのだが、何に似てるかって言えばカイザー・チーフスの曲に一番雰囲気が似てるかも。


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