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2016-11-01

舞台的すぎて盛り上がりに欠ける〜『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』(ネタバレあり)

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 マイケルグランデージ監督ジョン・ローガン脚本映画ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』を見た。実話をもとにした作品である

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 1920年代末のニューヨークスクリブナー社の名編集者ヘミングウェイフィッツジェラルド担当であるマックス・パーキンズ(コリン・ファース)のところに、無名作家トムことトマスウルフ(ジュード・ロウ)が原稿を持ち込んでくる。新人の才能を見込んだマックスは、とにかくたくさん書くトムに小説カットさせデビューにこぎ着ける。トムはベストセラー作家となり、批評家からも高い評価を受けるが、天才肌で奇矯な性格のトムは親友であるはずのマックスとなかなかうまくいかず、ケンカ別れした末に脳腫瘍で急死してしまう。

 全体的にグランデージとローガンがいつも舞台でやっていることを映画に持ち込んでしまった感じで、ちょっと映画としては不自然だったり、盛り上がりに欠けるところが多いかなと思った。ローガンは『ピーターアリス』や『レッド』などで芸術史を扱ったお芝居は得意だと思うのだが、そのノリをそのまま舞台に持ってきて、グランデージが舞台のノリで演出してしまったような印象を受けた。完全につまらないというわけではないのだが、展開が飛ばし気味で説得力のないところがあり、舞台ならそれでもOKな気がするが映像にすると強引に見える。とくにトムと内縁の妻である舞台衣装デザイナーアリーン(ニコール・キッドマン)の関係描写に丁寧さが無く、アリーンがトムの酷さに呆れて暴れたり自殺を企てたりするわりには別れずに一緒にいたりするあたり、ちょっとなんでだかよくわからないし、パーキンズの妻ルイーズ(ローラ・リニー)がアリーンに前の夫のところに戻ってはと言うあたりも唐突だ(名前のある女性登場人物が女だけでちゃんと話すのはこの場面だけなのだが、基本的に互いの夫の話なのでベクデルテストパスしない)。

 一番舞台的にすぎると思ったのはマックス帽子を使った演出であるマックスは常に帽子をかぶっていて、自宅で食事をしている時にも帽子を脱がない。ところが最後、トムから死後に手紙が届いた時だけ帽子を脱ぐ。これは舞台でやるとけっこう効いてくる演出だと思うのだが、映画でやると自宅の場面のリアリティなんかが違うので、マックス帽子がたいへん目立ってしまって違和感がある(たぶん舞台だとリアリティラインが違うのでそこまで気にならないのではと思う)。最後にそれを脱ぐという演出が、映像だといささかわざとらしい。

2016-03-29

アッシュランド(5)アッシュランド・コンテンポラリー・シアター『RED』

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 オレゴンシェイクスピアフェスティバルに含まれてはいないのだが、フェス会場のすぐ近くの公民館みたいなところで、地元劇団アッシュランド・コンテンポラリー・シアタージョン・ローガンの『RED』をやるというので行ってきた。

 この芝居は以前に新国立で見たことがあったのだが、演出ちょっと違いがあった。新国立のバージョンではアトリエのセットに絵画がたくさんあって、登場人物であるマーク・ロスコ助手ケンがその絵を見ながら話すという場面がけっこうあった覚えがあるのだが、このアッシュランド演出ではアトリエセットの規模が小さく(一応、奥に一枚大きいカンバスがあるが)、設定では観客席のほうにもう一枚絵があることになっていて、ロスコとケンが観客のほうを見て「この絵は…」みたいな話をしたりする。箱が小さいこともあり、そのせいでかなり親密感があって、この演出はとても良かったと思う。

 しかしながら、話じたいは前回見た時同様、そんなに興味をそそられなかったなぁ…これはやはり個人的問題で、私が抽象表現主義シリアス美学にあまり興味が無いということがあるのだろうと思う。展開される芸術論がちょっと趣味に合わないというか…こういう芸術を高く評価する人がいるのはわかるし、2人の人間の会話だけでずっとテンションを保たせる戯曲じたいはとてもよくできていると思うが、私はそんなに好きではない。

 あと、この芝居は一時間半程度しかないのだが、一度休憩が入る。これがかなり間延びする。一時間半だったらスピード感をもって突っ走り、休憩を入れないほうがいいのではと思う。

2015-12-18

穿孔と浸透〜『007 スペクター』(ネタバレあり)

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 サム・メンデス監督ジョン・ローガン脚本007 スペクター』を見てきた。

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 話はまあいろいろあるのだが、全体的にオーウェルの『1984』風な監視社会に対する反感(MI6のトップの連中が「そのレベルの情報管理はちょっと…」と引くあたり、英国っぽい)が根強い作品で、巨大犯罪組織「スペクター」のボスで情報を一手に操るオーベルハウザー(クリストフ・ヴァルツ)にジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)が戦いを挑むが、実はこの2人はかつていろいろな因縁が…というようなものである


 全体的に、メンデスもローガンもクレイグも『スカイフォール』でやりたいこと全部やっちゃってもうネタ切れだったのでは…と思うところが多い作品である。ちゃんとしたスタッフがちゃんと作っているので別に飽きずに最後まで面白く見られるのだが、モニカ・ベルッチが本当にちょっとしか出てこなくて出す意味ないんじゃないかとか、レア・セドゥやクリストフ・ヴァルツの個性もそこまで生きてないとか、キャラクターの掘り下げはかなりいい加減である(ちなみに『スカイフォール』はベクデルテストパスしているが、『スペクター』はパスしない)。さらにサム・メンデスの舞台っぽいところがあまり良くない形で出ている気がする。最初にいきなりメキシコのビルが崩れるところは、よくお芝居であるいきなりセットを崩す演出みたいな感じなのだが、舞台だとけっこう生きるんだけど映画でいきなりやっちゃうと作用機序がよくわからなくてリアリティが感じられなくなる。あと、目つぶしのモチーフは去年メンデスが舞台演出した『リア王から持ってきたんじゃないかと思う。


 ただ、一箇所いいところがあるとしたら穿孔と浸透のモチーフにこだわりがあるところであるネタバレになるのだが、ボンドが二回、ある種の親密性で結ばれた相手に針を打たれる場面があり、その穿孔・浸透過程の違いで真の友と敵が分かれるようになっている。

 まず、序盤でQが基地でボンドの腕にトラッキング用のチップを埋め込むところがあり、これはチップによってボンドがどこにいるかいつでも情報がわかるようになるというものである(このチップを刺す場面でQがボンドに'prick'だというところ、「ひと刺し」という他に俗語で「男性器」という意味があってスラッシャー爆釣なので注意である)。しかしながらQはボンドの親しい味方であるため、このトラッキングで得た情報をボンドのためによかれと思ってボスに伝えない。ここでは、相手の内部に浸透していてもそこから得た情報をむやみに他人に伝えないのが真の友である、ということが示されていると思う。

 一方でボンドは後半、オーベルハウザーに針刺し拷問を受ける(ここはかなり痛そうだ)。オーベルハウザーは実は子ども時代、ボンドの義兄弟のように育っていたというあまりちゃんと掘り下げられていないバックグラウンドがあるのだが、穿孔と浸透によって得た情報をむやみに他人に伝えないQと異なり、オーベルハウザーは人の情報を管理することで権力を得たいと考え、さらにボンドを針で穿孔することで拷問し、ボンドの肉体と内面両方を破壊しようとする。この暴力的な穿孔と浸透はある種の歪んだ親密性の表現だと思うのだが、序盤のQの穿孔表現とは明確に分けられていると思う。このへんをもうちょっと深く掘り下げてオーベルハウザーのキャラを立てていればいくぶん面白かったと思うのだが…

 

 

2015-09-15

個人的に、抽象表現主義が嫌いだとキツい〜新国立『RED』

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 新国立で小川絵梨子演出RED』を見てきた。この作品は『スカイフォール』の脚本家で、芝居としては『ピーターアリス』などを書いたジョン・ローガン戯曲であるマーク・ロスコについての芝居なのだが、ロスコ役は田中哲司、助手ケン役は小栗旬である

 内容としては、ロスコが(今では「シーグラム壁画」と呼ばれている)シーグラムビルに入るフォー・シーズンズ用の壁画を依頼され、助手としてケンを雇って仕事をしていく様子を描くものである。セットはロスコのアトリエで、壁にはカンバスや棚、右手に作業台(レコードもかけられる)があり、それ以外は木の床だ。演出は小川絵梨子ということで、ちょっと去年の『ロンサム・ウェスト』を思わせるところもある。で、私の体調が絶不調だったせいもあるかもしれないが、そんなに悪い戯曲だとは思わなかったし、演技も良かったんだけど、どうもそれ以上の感想が湧かなかった…同じジョン・ローガンなら『ピーターアリス』のほうが心に迫るものがあったのだが、『RED』はわりと根底にある美学的な探求にちょっとまり興味をそそられなかった。これはたぶん完全に個人的問題で、私が抽象表現主義絵画に興味がないというかむしろ好きじゃ無いほうだということがあると思うので、もともとロスコなどが好きな人が見たらあのあたりの絵画的探求についてもっと面白く、背景も理解して見られるのかもしれない。

2013-04-09

現実よりはフィクションに生きることが安全だという厳しい現実〜ベン・ウィショー&ジュディ・デンチがアリスとピーターパンのモデルを演じる『ピーターとアリス』(少しネタバレあり)

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 ベン・ウィショーとジュディ・デンチが『スカイフォール』の脚本であるジョン・ローガンと再び組んだお芝居、『ピーターとアリス』(Peter and Alice)をノエル・カワード座で見てきた。

 これはJ・M・バリーの『ピーターパン』のモデルになったピーター・ルウェイン・デイヴィスとルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』のアリスのモデルとなったアリス・リデルの邂逅(実際に起こった出会いをもとにしているらしい)を描いたものである。まあ一言で言うと若いピーターと老いたアリスがそれぞれの「世界で最も有名な児童文学の主人公になる」という特異な経験を交換しあう話、ということになるのかもしれないが、すごく面白いけど実につらい話だった。

 と、いうのも、アリスピーターもバリーとキャロルという作家と出会ったことでその後の人生を変えられてしまったというか、子供にしては強烈すぎる体験をし(2人とも性的虐待はされていなかったがそれぞれ作家と異常に精神的に親密になってしまった、ということを示す場面がいくつかある)、さらに不滅の名作の中に永遠の子供として保存されてしまってそこから抜け出すことができないという苦痛を抱えているので、全体的にトーンがとても暗いというかシリアスなのである。もちろん笑うところもたくさんあるのだが、これはオスカー・ワイルドが言う「自然は芸術を模倣する」という警句の一番ダークな側面をとらえた話なんじゃないかな…この芝居が言っているのはフィクションの力というのはあまりにも大きくて人の人生を変えてしまう力すら持っている、そしてそれは決してばら色の未来を描くものではない、ということであるしかしながらフィクションがなければ人は生きていけない。この話はフィクションがないと生きられない人間の業の物語である

 セットは古い本屋さんという感じで、ファンタジーと現実のあわいが微妙になるあたりを本がとじたり開いたりするのを模した動きのあるセット変換で見せていてとても良い。全体的に台詞が多すぎてちょっとごちゃごちゃしている感じもあり、とくに長台詞が多すぎるのが問題だと思うのだが、とにかくベン・ウィショーとジュディ・デンチの演技がうまく、台詞回しも自然なので見ている間は長い台詞もそれほど気にならない。とくに私がよかったと思うのはピーターの兄でバリーのお気に入りだったマイケルがおそらくはゲイの恋人と心中し、そのことをピーターがずっと引きずっていて…ということをフラッシュバックのように描くシークエンスで、ここは台詞がこみいった他の箇所に比べると抑えた感じで役者陣も息が合っていて非常に胸に迫るものを感じた。

 で、この芝居は最後、バリーの書いた夢の世界に生きることを拒んで現実と向き合って生きようとしたピーター自殺し、キャロルの描いたフィクションの夢を選んだアリスが平和に天寿を全うした、ということを語る台詞で終わる。ここまで見て、いやこれは実につらい話だ、厳しい現実もフィクションの夢の世界もどうせつらいけどまだ後者を追うほうがより耐えやすいという剥き出しのつらい「現実」を提示する話なんだな…と全くつらくなってしまった。アリスピーターに「物語に生きましょう」と手をさしのべてピーターが拒絶する場面のある意味アンチクライマックス的な哀しさったらない。しかし、物語のほうがマシだと思ったアリス・リデルは生き延びた一方、物語に柔軟に適応することを拒んだピーターは死んだ。これは小説の中でひたすら迷惑を被りまくってもしぶとくサヴァイヴァルした、不思議の国と鏡の国のアリスと同じ結末だと思う。この「より耐えやすいフィクションを選ぶ」っていう最後が何に近いかっていったらジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「男たちの知らない女」とか、あるいはSF映画の『リキッド・スカイ』なんかに近いと思う。女性はサヴァイヴァルするためにより耐えやすい悲惨を選んできたし、アリスもそうしたのだ、という…そしてたぶん、今でもアリスはたくさんいる。