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2018-07-26

これは現代政治につながるポピュリズムの話ではなかった〜『エビータ』

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 ハロルド・プリンスの『エビータ』をシアターオーブで見てきた。「アルゼンチン聖母」ことエバ・ペロンの生涯を描いた有名作で、マドンナ主演の映画版は見たことがあったのだが、舞台で見るのは初めてである

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 それで、見ていて思ったのだが、『エビータ』のエバ・ペロン典型的ポピュリズム政治リーダーであり、ポピュリズム跋扈する現代政治につながる話…なのかもと思って見に行ったのだが、見ているうちに全然そうじゃないことに気付いた。というのも、このプロダクションエビータ(エマキングストン)はとにかくポピュリズム政治家として賢く、何もかもよく考え計算して動いていて、行き当たりばったりな現代政治家、とくにその日の気分で政治してる…のかしてないのかもわからんみたいなドナルド・トランプとかとは雲泥の差がある。さらに本作のエビータは、鋼の強さと狡猾な野心を持ったヒロインで、決して高潔政治家というわけではないのだが、貧しい庶出子という恵まれない出自から使えるものをなんでも使ってのし上がりつつ、アルゼンチン社会にはびこるミソジニーと戦い、一方で人に愛されたいという不安も心の奥底に抱えていてそれが権力への執着に結びついているという奥行きのあるキャラクターとして描かれている。はっきり言って現在世界をひどい状態に追い込んでいる政治家どもに奥行きを感じることは無理だと思うので、ポピュリストである意味では悪徳政治家的なところもある女性を、良い人物ではないが同情できるところや魅力もある深みのある人物として提示するというこの作品はあまり現代の政情にダイレクトにつなげられる話ではない。演出もたぶんそれをわかっていて、ヒロインを複雑な人物として提示している。狂言回しのチェ(ラミン・カリルー、とても良かった)はエビータを相対化する役割を担っているが、ヒロインを完全な悪として糾弾するというよりは、エビータの魅力に気付きつつその行動の問題点を皮肉ると言った感じで、ミソジニー的にエビータを卑しい娼婦だと糾弾する軍人たちや上流階級に比べると、かなりエビータ能力じたいに関しては公平な見方をしていると思える。そういう描き方もあって、エビータは良い人ではないのに魅力のある人物になっている。

 ちなみに最近、Jack ViertelのThe Secret Life of the American Musical: How Broadway Shows Are Builtという本を読んだのだが、"You Must Love Me"がなんで後からこの作品に付け加えられたのか、この本を読んだおかげで大変よくわかった。なんでも伝統的なブロードウェイ式のミュージカル(『エビータ』はイギリス作品だけど)では、極めて強い人物主人公にしている場合、その人物がまだ示していない意外なポイント、つまりは弱点を初めて観客に開示する歌が必要で、それによって主人公が観客に近い人物であることがわかり、観客の同情を引くことができるらしい。例えば『ガイズ&ドールズ』で、百戦錬磨ショーガールであるアデレードが、第2幕の"Adelaide's Second Lament"で、もう自分はネイサン結婚できないんじゃないか不安になるところや、『ヘアスプレー』の常に強く正しいトレイシーが、"Good Morning Baltimore (Reprise)"で弱気になるところがそうだ。"You Must Love Me"は、それまで一切弱みを魅せなかったエビータが観客に向かって「わたしを愛して」と歌いかける楽曲で、まさにこの効果を狙って挿入されている。

2018-05-11

面白かったが、上演中に珍しいトラブルが…『1789 バスティーユの恋人たち』

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 『1789 バスティーユの恋人たち』を見てきた。再演だが、初演時は見に行かなかったので初めて見た。ダブルキャストなのだが、私が見たのはロナン小池徹平、オランプが神田沙也加マリー・アントワネット凰稀かなめだった。

 お話フランス革命の中、父を殺され、革命燃える田舎から出てきた貧しい青年ナンと、マリー・アントワネットに仕えるオランプの許されぬ恋を描いた物語である。かなりセットが凝っており、上方に設置された窓のような部分が客席側に傾いて、その上に人が乗ったりすることもできるようになっている。貧しい田舎農家の息子であるナン革命に加わるに際して、インテリプチブルジョワの革命家たちとなかなか考えをすり合わせるのが難しいという描写があるあたり、あまり革命単純化しないよう現代的な関心に合わせて深みを出そうとしているところも見受けられる。ドラマティックな話で、小池ナン神田オランプはとても可愛らしいカップルだし、豪華絢爛なミュージカルだ。ただ、いくら神田オランプが可愛いし後でちゃんと救出してくれたからと言って、自分逮捕される原因を作ったウソ証言をした女性と恋に落ちるロナンちょっと人が良すぎる気もしたが…

 途中で珍しいトラブルがあった。ロナン革命家たちと印刷所を初めて訪れた時、新聞をひったくって読もうとするところがあるのだが、この場面で小池ナン新聞を引っ張ったところ、見事にベリっと破れてしまった。場内大爆笑になっていた。あれはなんか革命家連中のアドリブカバーできればよかったと思うのだが、けっこうみんな戸惑っていたように見えた。


 

2018-04-23

視覚的には凄いが、話が個人的に…『メリー・ポピンズ』

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 シアターオーブで『メリー・ポピンズ』を見てきた。

 スーパーナニーのメリー・ポピンズの活躍を描く作品で、映画でおなじみの歌がふんだんに使われており、さらに視覚効果がかなりすごい。メリー・ポピンズが文字通り劇場を飛び回るし、天井でのダンスシーンもある。凝った照明や作り込んだセットなども、見ているだけで楽しい。

 ただ、これは完全に個人的な趣味なのだが、どうも世界観があまりピンとこなかった…メリー・ポピンズはけっこうつんけんした人なのだがとにかくカリスマがあり、次々と不思議なことを起こして人々を幸せにするのだが、自分が行ったことについて一切説明をしないし、身元を保証したり、他人を安心させたりするようなことも全くしない。ものすごい自信と能力に満ち溢れていて、ちょっと超人すぎる。なんだか、一般家庭に突然スティーヴ・ジョブズみたいな人がやって来て、現実歪曲空間を作って人々の認識を変え、イノベーションを起こして去って行くみたいな話だと思った。

2018-03-25

まったく原作を知らずに見たが、大変面白かった〜『ポーの一族』

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 東京宝塚劇場で『ポーの一族』を見てきた。原作はまったく読んだことがなかったので(漫画とか絵巻物とか、絵で話が展開するものが全体的に苦手で…)、吸血鬼の話だということ以外全然知らなかったのだが、大変面白かった。

 18世紀から20世紀まで、非常に長いスパンで繰り広げられる壮大なスケールの話だ。枠に入っているので直線的に全ての話が進むわけではないのだが、一番古い話は18世紀のイギリス田舎、スコッティ村で始まる。主人公のエドガー(明日海りお)は妹のメリーベル(華優希)とともに孤児としてポーツネル家に引き取られるが、ポーツネル家はバンパネラと呼ばれる不老不死の吸血鬼の一族だった。一族の若旦那様であるフランク・ポーツネル男爵がシーラ(仙名彩世)と結婚するに際してポーの一族の会合が開かれ、眠っていた大老ポーも目覚めて、シーラをバンパネラに加えることが決まる。エドガーはメリーベルに普通の人生を送らせたいと思い、自分は大人になったらバンパネラになるからメリーベルだけは助けてほしいと頼み、メリーベルはロンドンに養子に出される。しかしながらバンパネラに反感を持った村人が屋敷を襲撃してきたため、一族を守るため、エドガーは十代半ばの若さでバンパネラにさせられることになる。結局、ロンドンで出生の秘密を知って恋に破れたメリーベルもバンパネラとなり、エドガーとメリーベルはフランクとシーラの夫妻の子どもとして暮らすことになるが、年をとらない一族の暮らしぶりが怪しまれないよう、各地を転々とする。

 19世紀になって、ブラックプールのホテルに滞在したポーツネル一家はさまざまな人々と知り合い、エドガーとメリーベルは同年代のアラン(柚香光)と親しくなる。シーラとフランクは知り合った医師夫妻を一族に加えようとするが、反対に自分たちがバンパネラであることを見破られ、襲撃されてエドガー以外全員が消滅してしまう(バンパネラは病気で死んだりすることはないが、胸を貫かれると消滅する)。エドガーは家族を消したクリフォード医師を殺害し、天涯孤独になってしまう。一方、アランは家族とうまくいっておらず、寡婦となった母が伯父と親しくしているのを見て、口論の末、伯父ともみ合いになってうっかり階段から相手を突き落としてしまう。伯父を殺してしまったと思ったアランは(実際は一命をとりとめていた)、もう家にはいられないと思い、エドガーとともにバンパネラとして生きる決意を固める。

 セットから衣装まで作り込みがすごくて、とくにブラックプールのホテルのセットなどはたいへん綺麗に作られている。出てくる役者たちもとにかくみんな美しく華やかで、いかにも不死者らしく浮き世離れしている。これは原作がそうだからなのだろうが、19世紀のところでは心霊主義が流行ってブラヴァツキー夫人も登場するなど、時代ごとの流行にあわせて吸血鬼への偏見を描いているあたり、時代考証もとてもしっかりしている。

 お話もいろいろ考えさせられるところがあるもので、主人公であるエドガーが妹と自分の身を守るため、十代で運命を受け入れざるを得なくなるところは大変悲劇的だ。まだ子どもなのに、養親の都合で人間ではないものに変えられてしまうというのは一種の虐待なのだが、一方でまだ若々しいが一応大人で、自分からバンパネラになる気が満々だったシーラにはそれが全く理解されてないらしいところがつらい。シーラは野心と才能のある若い女性だが、これまでつらい人生を生きてきたので、むしろバンパネラとなってこれまでの女性抑圧から逃れたいと思っているらしいフシがあり、だからエドガーがバンパネラにされたことを恨んでいるのがよく理解できていないようなのだ(シーラにとってはたぶんバンパネラになることが抑圧からの解放だから)。このあたりの感情の齟齬などがけっこう細やかに描かれており、これまで見た宝塚の舞台の中でもとくに演出などが繊細だったと思う。

 しかし、あまり他の作品をけなしたりはしたくないのだが、このクオリティとスケールの吸血鬼ものが流通してるんなら、『トワイライト』みたいな英語圏の吸血鬼コンテンツが日本の市場に食い込めないのは当たり前だと思ってしまった。実は今年、英文学の吸血鬼ものについて学会発表をする予定でいろいろ調べていて(『ポーの一族』を見てみたいと思ったのも、壮大な吸血鬼の大河ロマンらしいという話を聞いたからで、生協の共同購入の抽選に申し込んだら運良くあたった)、『トワイライト』も映画を見始めたところなのだが、少なくともスケールの大きさではたぶん『ポーの一族』に太刀打ちできないと思う。

2018-03-21

突然の農業フェア克明描写〜『マディソン郡の橋』

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 シアタークリエで『マディソン郡の橋』を見てきた。

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 全体的にはフランチェスカ(涼風真世)とロバート(山口祐一郎)の不倫を切なく綴ったロマンスもので、いろいろなジャンルをミックスした感じの音楽なども良かった。とくに涼風は、イタリアからやって来て努力してアメリカに馴染んだところ、自分が経験した過去の世界とのつながりをロバートに見い出して恋に落ちてしまうフランチェスカの心境を生き生きと表現していて良かったと思う。ただ、日本語の台本ではフランチェスカにイタリア訛りがあるというがよくわからないので、このへんはちょっと工夫が必要かと思った。あと、昔本を読んだ時はよくわかっていなかったのだが、これは60年代のカウンターカルチャーがまだ完全には到達していないアメリカの田舎町というのが社会的背景としてあることがこの舞台ではよくわかった。

 ただ、見ていてそれ以上に気になってしまったのが、アイオワ州の町の様子とか、農業フェアの場面などがやたら克明に描かれていることである。フランチェスカが近所の人たちのことを詳しくロバートに説明したりする場面とかは要らないのではと思ったし、あと農業フェアについてこんなに時間をかけて説明する必要はあるんだろうか…かぶりもので家畜の真似をする役者が出てきたりするあたりは笑いを誘うが、歌を使って克明描写するところは不要な気がした。アメリカのお客さんはやっぱり農業フェアとかに興味があるのかもしれないとは思うが、フランチェスカとロバートのロマンスと同じくらい、農業フェアに行っているバドと子供たちの葛藤にもたくさん時間が割かれているので、ちょっと配分のバランスが悪いように思う。もっとロマンスだけの話でもいいのではという気がする。