【震災を振り返る】絆パッカー車

今日で東日本大震災から5年になります。
 
あの時、私たちは仙台港センターを津波で大きな被害を受け、いつ復旧できるのだろうかと途方に暮れた瞬間もありました。
 
しかし、わずか5か月余りで復旧できたのは奇跡的でもあり、ご協力いただいたお客様、同業者、取引先、そして社員の力のすばらしさでもありました。
 
その復旧に大きな勇気と力を与えてくれたのが、岐阜県の同業者であるジャパンクリーンサービス様を中心にした「絆プロジェクト」から送られた、「応援メッセージ入りパッカー車(通称、絆パッカー車)」でした。

  
今日は絆パッカー車を中心に、震災後のことを振り返ってみたいと思います。
 
 
 
 
当社は震災で、仙台港付近にある「仙台港資源化センター」が津波被害に遭い、操業できない状態となりました。

 
同時に収集運搬社車両も5台ほど津波で流され、大きな打撃をうけることになりました。


 
同業者のネットワークを通じて、中古の車両を一時期貸していただくか、譲っていただけないかと発信したところ、多方面から車輌提供のお話をいただきました。
 
その中でも真っ先に連絡をいただいたのが、岐阜県にある「株式会社ジャパンクリーンサービス」様でした。
 
4月20日前後に車両を届け、社員2名を1か月間ほど派遣して協力してくださるということと、岐阜県の子供たちの応援メッセージを預かっているのでそれも持参するということで私たちはその日を待ち望んでいました。
 
待ちに待った4月21日、当社に到着した車両を見て誰もが驚きました。
 
 
なんと車両に岐阜県の小学校4校の生徒さんが書いてくれた応援メッセージが貼られていたのです!




 
さらに「絆」「望」「朝日」など、ひらがなでデザインされた「めっせー字」やイラストが車両にぎっしりとプリントされていました。
 




 

震災から一か月足らずでこのようなことができるのかと、私たちは本当に驚き、感動しました。
 
そして何よりも「よし、この車両で一日でも早く復旧・復興に向けてがんばろう」という勇気をもらいました。
 

「絆プロジェクト」のメンバー企業 
 
 
小学生からの応援メッセージの現物は、多賀城市の各小学校に寄贈され、多賀城市の子供たちを勇気づけることができました。


 
 
多賀城市から委託を受け、4月22日から私たちはこのパッカー車で震災廃棄物の回収を始めました。


 
 
来る日も来る日も、大量のがれきを相手に回収をし続けました。


 
回収中に「絆パッカー車」が信号で止まっていると、子供さんたちが驚いたり手を振ってくれたりしました。
 
また、当社の近隣に住む方も元気になれるよう、敷地のフェンスには車両に貼ってあるものと同様の横断幕も飾りました。

 
 
これらの活動は、テレビ局や新聞社にも取材され、私たちは地域に元気を取り戻したいという気持ちをアピールしました。
 
そして改めて私たちの仕事が地域にとって大切な仕事であり、欠かせないということを感じ、誇りを持つことができました。


 
 
 
7月には絆プロジェクトのメンバーが仙台を訪れ、被災した小学校の先生方と交流を深めることができました。


 
 
 
そして8月1日には、震災がれきの収集と並行し行われていた仙台港センターの復旧もなしとげることができました。
 

 
 
私たちがこれほど早く復旧できたのは、多方面からのご協力をいただいたことも当然ですが、絆パッカー車が大いに社員に活力を与えてくれたおかげだと感じます。
  
絆パッカー車は震災廃棄物の処分が終わった以降も、ジャパンクリーンサービス様のご厚意で当社に譲っていただき、現在も当社の廃棄物回収車両として街中を走っています。
 
 
 
 
震災から早くも5年経ちましたが、被災地全体から見ればまだ5年とも言えます。
 
完全な復興には先はまだ長いのかもしれませんが、あの時あった人との絆、援助への感謝の気持ちを忘れず、これからも一歩ずつ前に進み、地域を明るくしていきたいですね。