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嘘くさいぞ私は このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-02-21 わたくしNOBODY、あなたNICEBODY

[] 「痛飲」という言葉を使いたい 14:30  「痛飲」という言葉を使いたいを含むブックマーク  「痛飲」という言葉を使いたいのブックマークコメント

 怒られることが減っていくと、人間はどんどん傲慢になっていくのだろう。自分は一生傲慢にならない、と昔は、学生の頃は、思っていたのだが、たぶん違うと思う。

 私は小説の感想が書けない。書けないのだ。言えない。それがずっとコンプレックスなんである。面白いか、面白くないか、うまいか、うまくないか、は言えるだろうけど、それが私にとってなんであるかを書くことができないのだ。

 かつて、ワードで書いて、何度か見返して、手を入れて、それをブログにアップしていたことがあった。修飾語の順番とかもいちいち気にして、あるいは、割とあっさりと文章を削ることもあった。そうしないと文章がよくならないのは分かっているのだが、なかなかできないことだ、と今思う。しかし、本当に大事なのは、そういうことなのだ。正しい思考というのは、その過程のすべてを書くことではないのだった。「言わない」ことが既に重要な判断を含んでいる。今その真逆のことをして、いろいろ後悔するような失言がいっぱいある。反射的に言葉を返すときでも、「言わない」という判断をしたりしなかったり、しかもそれを分からないようにしなくてはならないのだった。爪先立ちのように。

 少しずつリハビリをしていきたい。と、ふと思った。

木下木下 2009/02/23 02:19 こんにちは。

何もかもすべてわからないと、何も表現できないんだ ── というふうに考えなくていいのじゃないかと、私は思います。偽悪的になる必要もなく、偽善的になる必要もないでしょう。いまこの手許に確実にあるもの ── 絶対に譲れないもの ── だけについて表現しようとすればいいだろうに、私は思います。
でも、いつしか ── 歳をとると ── 、ひとはやらざるをえないことしかできないんだ、という認識が勝つようになる日が来ると思います。私には作家も ── 作家と呼ばれているひとの全部じゃないですよ。ほんものの作家だけです ── そのように仕事をしているだろうとしか思えません。私は作家じゃありませんが、私のやっていることも、そうせざるをえないからやっているというにすぎません。もっと適任の優秀なひとがいくらもいるだろうに、そのひとたちが何もしないから私がやらざるをえないんだ、というふうに。それはとても孤独な作業なんですが、しかたがないんです。他にどうしようもないから。
もっとも、若いひとにこんなことをいくらいってもわかってはもらえないんですが。
私がいまのあなたの年齢のときには、そろそろ最初に勤めた会社を辞めようとしていたんですね。で、アルジェリアのオランに行こうとしていました。オランがカミュの『ペスト』の舞台だからです。実際、行きましたが。そのころ、ずっと日記を書きつづけていました。いま読み返して読めないことはないんですが、私の書いていたのは、書かざるをえないから書いたというようなものではなかったんですね。私には、自分がそのとき何を書かざるをえなかったのかがまったくわかっていませんでした。そういうことがわかったのは、ずっと後年になってからなんです。それでも、読み返せば ── 読み返す勇気もほとんどありませんが ── ただひたすら自分がいまと違って若かったなあと感じることは確かです。その後、自分は何と多くのものを失ってしまったんだろう、と思うのも本当です。
いろいろあって、私はいま四十六歳です。いま私はせざるをえないことしかできない状態で毎日を過しています。カート・ヴォネガットに倣えば«so it goes»ですね。
自分を「嘘くさい」なんていわなくてもいいんですよ。「俺は真実だけしか口にしないぞ」でもいいのじゃないでしょうか。
どんどん冒険してください。

saintmaybesaintmaybe 2009/02/24 06:57 コメントありがとうございます。
木下さんのブログを少しだけ読んで、比べるのはおこがましいことなのを承知の上で言うと、書くことに対する緊張感のなさが、その怠惰が、致命的なことのように思われたのでした。今のブログは緊張感を持って何かを書くことに疲れて(いや、音を上げて)しまったところから始まっていて、そこで真逆のことをしてみよう、つまり会話をするときも一瞬考えてそれは言わないほうがいいと思ってやめてしまうようなことも、すべて筆のすべるがままに書いてみたらどうなるだろう、それはいろいろ推敲しながら書くよりもそのときの気持ちが書けるのではないか、というところから始まりました。
ただ、しばらくして、それは思考の怠惰みたいなもので、人と何気なく話すときから言葉を選ぶことと格闘しないと馬鹿になっちゃうんじゃないかと思うようになって、しかし思いながら、惰性に筆をすべらせていたのですが、まさに今の自分と真逆に思えるものを読ませてもらったので、そのままその焦りを書いてみました。
最初のルールに縛られずに、ときには、“ちゃんと考えながら”そのとき書きたいと思われることを書いてもいいのかなと思いました。そういう正しい手順を踏めば、つまり、分かるものを書く必要がないのは何となく分かっているのですが、分かろうとしながら書かなくてはならない(もちろん時と場合によって、でいいと思うのですが)、と思ったのでした。

ちなみに「嘘くさいぞ私は」というのは、いい加減で嘘くさいけど決して嘘じゃないんだよ、という意味が最初込められていたのですが、「嘘くさい=嘘」というケースのほうが多いし、まあなんだかよく分からなくなっているのですが、元ネタの「古くさいぞ私は」というフレーズがとても好きだし、いいかという感じです。
こういうふうに言葉をいただける先輩に出会えるのはとても嬉しいことだなと思います(しつこいけど、嘘じゃないです、社交辞令じゃないです)。ありがとうございます。