ミュンスター再洗礼派研究日誌 このページをアンテナに追加

2007-08-31

[] トーク・セッション歴史学の現在(いま)」9月6日ジュンク堂仙台00:27  トーク・セッション「歴史学の現在(いま)」9月6日ジュンク堂仙台店を含むブックマーク

東北大学小田中直樹先生が、無料のトーク・セッションを行うようです。

トーク・セッション歴史学の現在(いま)」

* 講師:小田中直樹

* 主催:ジュンク堂書店仙台店 

* 協賛:歴史書懇話会

* 場所:ジュンク堂書店仙台店喫茶コーナー

* 日時:9月6日(木) 18:00〜19:30

* 入場無料(定員30名)、整理券不要

小田中直樹[本業以外]ネタ帳


小田中先生と言えば、『歴史学アポリア』や『歴史学ってなんだ』など、歴史学の現代的な意義についても言及されている方ですので、興味深い話が聞けるのではないかと思います。

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2007-08-25

[] 田舎者が東京さ行く。 02:20  田舎者が東京さ行く。を含むブックマーク

この日、東大駒場で、東北の大学の院生と東京の大学の院生が合同で行う研究会が開かれました。東北と東京各二名ずつが発表をしたのですが、大変興味深く拝聴させていただきました。

その後の懇親会では、東北という田舎から大勢がやって来たということで、何故か全員が自分の田舎について自己紹介することになりました。それを聞いて思ったのは、ほとんどの人は、余り東京大都会が好きではなく、どちらかというもっと静かなところに住みたいと思っていることでした。東京に対する憧れは、情報網や交通網が発達した現在では、あんまりないのでしょうね。

個人的には、懇親会では、ドイツ近世都市や、フランス近世史、そして自由心霊派や鞭打ち苦行者についての話が沢山できたので面白かったです。

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2007-08-18

[][] ケルンの大モスク建設計画をめぐり論争勃発 22:52  ケルンの大モスク建設計画をめぐり論争勃発を含むブックマーク

8月6日 AFPドイツ西部の都市ケルン(Cologne)に欧州最大のモスクイスラム礼拝所)を建設する計画が持ち上がり、キリスト教関係者と極右の一部から「イスラム系住民がその強大さを誇示するためのもの」と強い反対の声が上がっている。

(中略)

 問題のモスクは、市内のエーレンフェルト(Ehrenfeld)地区に建設される予定。2000人の信者を収容できる大規模なもので、高さ55メートルの2本のミナレット(尖塔)と、34.5メートルのガラスでできた丸天井が設けられるという。建設費は個人からの寄付金、および金融機関からの融資でまかなわれる。着工は2007年中の予定。

AFPBB News

このモスクは、どうも以前ご紹介したカトリック司祭が資金援助をしようとしているモスクのようです。ドイツでは、モスクが沢山あるのですが、一見してモスクと分かるような立派なものはほとんどないようです。ドイツ内での人口比を考えれば、大都市には大きなモスクがあっても、おかしくはないのですが、この辺の感情的な問題は難しいですね。

[][] 人類の格差を考察した『銃・病原菌・鉄』の著者に聞く(上)(下) 22:52  人類の格差を考察した『銃・病原菌・鉄』の著者に聞く(上)(下)を含むブックマーク

Wired で、ジャレド・ダイアモンドのインタビューがありました。


WN:現在、さまざまな角度から研究をまとめていく研究者が増えているようですが。

ダイアモンド氏:一部の分野ではそうしたことを試みている学者もいる。ただし、私が『銃・病原菌・鉄』で行なったほどに横断的な論議はまれではないかと思う。私の専門家としての基礎は、科学者として歴史に関心を向けているというところにある。そのため、遺伝学や生理学、動物行動学、各種言語に関する研究という分野の専門知識を習得してきた。

 歴史家は、公文書館に行って記録文書を調べる訓練は受けているが、豚のDNA鑑定の仕方は習っていない。だが、豚のDNAは人類の歴史の理解には重要なのだ。

これは、言うは易く行うのは難しの典型ですね。複数の専門知識を習得するのは、これだけ各専門分野の研究が高度化した現在、極めて難しいと思います。私も、本当はもっと他の社会科学自然科学の方法論や知識を身に付けなければと思っているのですが、能力も努力も足りず、全然できていません。

しかし、歴史学は、他の専門分野にもっと貢献しないとまずいなあと思いますし、逆に他の他の専門分野から学ばなければならない、あるいは相互の知識を接合しないとならないとも思います。各専門分野の知識がバラバラに散在したままでは、群盲象を評すになりますので、誰かが総合しないとならないと思いますが、そのような作業は凡人ではなく、天才にやっていただくほかないのかもしれませんね。

一般法則論者一般法則論者 2007/08/20 02:10  それが何か分からなくてもただ信じることだけが許される神の法ではなくて、私たちが生きているこの世界を唯一絶対普遍に造り支配している、その真偽を学問的に科学的に客観的に検証可能な自然法則を発見し、この自覚的で意図的な利用法を発見・発明した西洋が、また、これを直ぐに理解できた日本民族が、自らの手で近代化に成功できた、ということでは無いでしょうか・・・。
 http://blog.goo.ne.jp/i-will-get-you/
 いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

saisenreihasaisenreiha 2007/08/20 16:59 コメントありがとうございます。私は、『銃・病原菌・鉄』を読んでいないので、何とも言えませんが、彼の主張によれば、近代化の成功は、地理的条件と周囲の環境のおかげなので、「自らの手」だけとは言えないことになるのではないでしょうか。コメントのご主旨を理解できたか心許ないので、返答になっているのかどうか分かりませんが。

kimucokimuco 2007/08/23 19:03 わたしはこの本を読みましたが、saisenreihaさんのおっしゃるように、著者の結論は、西洋人が素晴らしいから、という原因ではなく、運が良かったからに過ぎない、という〆だったような記憶があります。だからこそ、例に関してまったく注釈が付いていなくても比較的「客観的」な議論に思えました。

saisenreihasaisenreiha 2007/08/23 21:17 インタビューでは、はっきり運が良かったからと述べていますね。でも、あの本註が付いてないんですか?類書のクロスビーの『ヨーロッパ帝国主義の謎』には、註が付いていましたが。

kimucokimuco 2007/08/23 22:04 註はまったく付いていませんよ。なので何カ所かで「?」と思うところもありました。歴史に関していえば若干詰めが甘い印象も。ただ、あまりにも広範な分野に及んでの内容なので、バランスは良かった感じがしました。知的「読み物」としては素晴らしかったです。

saisenreihasaisenreiha 2007/08/23 23:59 註が付いていないと聞くと、読書欲はかなり下がりますね。でも、大変面白いようなので、そのうち読みたいなと思います。

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2007-08-14

[] 南三陸志津川海の旅 00:29  南三陸志津川海の旅を含むブックマーク

焼け付くような陽差しと真っ青な空が眩しい夏真っ盛り、私は日々家に籠もる生活を続けているわけですが、夏が終わる前にどうしても一度海を見に行きたかったので、本日は宮城県北部は志津川に行って参りました。

志津川駅へは、気仙沼線仙台から直通快速が出ているのですが、本日はお盆なので大変混み合っていました。ちなみに仙台から気仙沼を直接結ぶ列車は、悲しいほど本数が少なく、地方のもの悲しさを感じました。

仙台から約1時間20分で、志津川駅に着くと、とりあえず町を少し歩いてみました。特徴としては、町の中心に水路があり、そこに船が沢山留まっていること、道が狭いこと、個人商店が多いこと、店の看板がどれもかなり色褪せていることなどが挙げられます。志津川は、海沿いの町ですが、海のすぐ近くに山が連なっているので、人が住める平野が少なく、人口が集積できない町であると言えます。そのため、車で移動するにせよ商圏にそれほど人口がおらず、大規模店が成り立たない、そのため収益に敏感なチェーン店などの大手資本は進出をしないのではないかと何となく思いました。発展途上国には搾取される富もないので、大資本にはただ無視されるだけだと言われることもありますが、これは国内の人口が集まらない地方にも言えることなのかもしれません。

また、志津川は、地震の際に共に大きな津波被害を受けたということで、チリと友好関係を結んでいるそうで、海辺の松原公園にモアイ像とコンドルの像が建っていました。ちなみに、志津川は、津波には非常に気を配っているようで、海沿いには、ずっと津波を防ぐための高い防御壁が連なっており、水路には巨大な水門がついていました。

志津川は、湾の真ん中にあるので、私は外洋を見るために、神割崎という岬に行きました。志津川には本数は少ないのですが、乗り合いバスがあり、そのバスで神割崎まで連れていってもらいました。これはバスといっても普通のバンで、お客さんも私ともう一人のおばあさんしかいないなど、完全に採算割れな感じのバスでした。地方に来ると、人口が少なすぎて、公共交通機関は採算が取れず、ほとんど全てが廃止され、だいたい車で移動するしかないものです。しかし、このような公共交通機関が曲がりなりに維持されていることは、大変ありがたいことだと思います。

神割崎は、大昔に浜に打ち上げられた鯨がどちらの村に属するかをめぐって、隣り合った村同士が揉めていたとき、岬の岩が真っ二つに割れ、村境の問題が解決したという伝説にちなんでつけられたそうです。こんな感じで、巨大な岩と岩の間が裂けているのですが、波が打ち寄せるとき、狭い隙間を通って波の高さが増幅されていたので、海が荒れたときには、さぞかし恐ろしいことになるのだろうと思いました。

この岬は、キャンプ場になっており、沢山のテントが張られ、主に家族連れの人々と若者たちがたむろっていました。私は、キャンプ場にある神割崎レストランで昼食を取ったのですが、大変込み合っていました。

私は、せっかくなので海の幸を食べようと、茹でホヤと神割崎ラーメンという蟹、ホタテ、カキ、各種海藻、エビの入ったラーメンを食べてみました。ホヤは、宮城では有名な食材で、赤くボコボコした外見をしている生き物なのですが、私は今日初めて食べてみました。私は、茹でホヤを持ってこられたとき、どのように食べて良いのか分からなかったので、相席していたご老人に食べ方を尋ねたのですが、グロい外皮を剥いて、中味を食べるとのことでした。食感は貝に近かったですが、妙に苦い味がしたのが印象的でした。

昼食を食べると、目的の海を眺めようと、岬を歩き回りました。岬の上からだと、松林があるので、木が邪魔をして、余り良く景色が見えないのですが、少々危険を犯して、眼前を遮るものがない見晴らしスポットを見つけたので、そこでのんびり海を眺めていました。

本日の目的は、何も考えないで、ぼーっと海を眺めることですので、特に何をすることもなく、波が岩に打ち寄せ、砕け、白い飛沫を上げるする様や、海底を透過している緑がかった水面がゆらゆらと揺れている様や、白みがかった青空が視界一杯に広がっている様や、遠ざかる毎に波が小さく見え紋様のように揺らめく沖合の広大な海面や、斜めに層を成している黒みがかった岩の威容や、岩や海底の高さやかたちによって渦を巻いたり、流れる方向を変えたり、窪んだり、隆起したりする水の流れなどを、延々と眺めていました。

視界一杯に広がる広大な風景、岩や松林など自然物の複雑なかたち、絶えずかたちを変えていく波や水面の動きの複雑さを眺めるは、大変脳に気持ちの良いものでした。やはり、日々単純なかたちばかり見ていると、脳に刺激がなく、だんだん鬱積がたまってくるのだろうと思います。やはり、たまには、このような複雑なかたちを眺め、脳をリフレッシュさせることが必要なのだと思います。

こうして、心ゆくまで太平洋の漠々たる風景を堪能した後は、再び志津川に戻りました。次の電車の出発まで2時間近くあったので、志津川近辺の海をさらに見て回りました。志津川には大きな港があり、そこには市場が付随しています。港には沢山の小型船が停泊しており、そのうちいくつかはイカ釣り漁船でした。さすがイカ釣り漁船だけあって、大きな電灯が沢山吊されていました。港では、多数の釣り人が、釣りを楽しんでいました。

港の近くには、カキを加工する加工所や釣具屋などがありました。個人的には、ホタテの殻が1メートルを優に越す高さに積み上がっていたことに驚きました。

港の先には、公園と海水浴場があり、その間に歩いて渡れる荒島という小さな島がありました。この荒島の入り口には鳥居があり、島の中心には神社がありました。この島は無人島で、観光化されていないので、木々が生い茂り見晴らしも全く良くないのですが、ちょうど夕暮れ時だったので、木々の間から斜めに差し込むオレンジ色の光が森を照らす様は大変綺麗でした。

荒島の脇には岩場があったので少し眺めたのですが、濡れた岩に反射する光や、オレンジ色の空を背景に逆光になった鳥居を眺めながら、岩に打ち寄せ波が砕ける音に耳を澄まし、涼やかな潮風を浴びるのは気持ちの良いことでした。

こうして、山の向こうに沈んでいくまだ少し高い夕日が、水蒸気でけぶる空と、もやで霞む対岸の山々を薄オレンジ色や薄紅色に染めていく中、海鳥が飛び交う様や家族連れの子供が走り回る様を眺めながら、のんびり駅へと向かいました。もう心ゆくまで海の風景を堪能して、本当に贅沢極まりないという気分でした。

ちなみに、腹が減ったので乗換駅の小牛田キオスクで買った、カボチャ豆入りのみちのくせんべいが大変うまかったです。ドイツのパンに良く入っているかぼちゃ豆が、非常にサクサクして、風味が良く、ささやかな贅沢気分を味わうことが出来ました。

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2007-08-13

[] XD-GW7150 を買った! 23:03  XD-GW7150 を買った!を含むブックマーク

ずっとほしかったカシオ電子辞書XD-GW7150 をついに買ってしまいました。この電子辞書は、なんと独和辞典の最高峰小学館の『独和大辞典』を収録しているのです。これまでの電子辞書に収録されていた独和辞典は、『クラウン独和辞典』だったので、紙版の小学館の『独和大辞典』を引く機会も多く、面倒だったのですが、これからは専門用語辞典を除けば、紙の辞書を引く必要がなくなりました。

英和辞典も、『ジーニアス英和大辞典』なので、大分グレードアップしましたし、液晶もかなり見やすくなっています。まだ使い込んでいませんが、高い金を出しただけのことはあると思います。

kimucokimuco 2007/08/14 08:43 ちょっと特殊な時点が付いてる電子辞書って、他の機種に比べて割高になるのはなぜなんでしょうかね。わたしもリーダース英和辞書が付いている機種を購入したのですが、ジーニャスだけの辞書の2倍〜3倍近い値段に一瞬躊躇した覚えがあります。使い勝手は素晴らしいのですが。

saisenreihasaisenreiha 2007/08/14 22:56 今度買った辞書は、Amazonだと値引率が高かったので、前の電子辞書とそれほど値段は変わらなかった気がします。でも、リーダースってそんなに高いんですか。あと、英語関係だと、種類も沢山あって、かなりお得な気がするのですが、ドイツ語電子辞書は、CASIO のEx-word しかないので、選択の余地がないんですよね。別に、文句があるわけではないですが(笑)

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2007-08-09

[][] 構造構成主義 02:45  構造構成主義を含むブックマーク

現在、西條剛央さんの「研究以前のモンダイ」という連載が、ネット上で行われています。

 「本質」というと難解なものと思われるかもしれませんが,本来,物事の本質(エッセンス)というのはシンプルなものであり,きちんと考えれば誰もが了解できるものであり,それゆえ「言われてみれば当たり前」と感じられるようなものなのです。そうした視点から,本連載では量的・質的といった分類を超えた,あらゆる研究営為に共通する原理的な方法論,ひいては科学性を明らかにしたいと思います。そのように明示された「思考の様式」は,テーマや対象に関わらず有効に機能するツールとして,あなたの研究活動にとても役立つものとなるでしょう。

 「そんな大風呂敷を広げて大丈夫?」と思われるかもしれませんが,実はその大風呂敷をまとめることを可能にする「魔法」があるのです。その「魔法」とは,この連載の通奏低音をなす「構造構成主義」です。

私は、「構造構成主義」という理論がどんなものか良く知りませんが、量的・質的調査を超える方法論には関心があるので、連載を楽しみにしようと思っています。

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2007-08-08

[][] 貧者の名誉と尊厳 03:10  貧者の名誉と尊厳を含むブックマーク

先日「貧者の尊厳」という日記を書いたところ、id:sumita-mさんからトラックバックを頂きました。自分の研究関係の日記に言及を頂くというのは、おそらくこのブログ始まって以来の出来事なので、嬉しく思うと共に、恐縮しております。


非常に示唆に富む文章だと思う。ただ、「名誉(honor)」と「尊厳(dignity)」という2つの概念をほぼ交換可能なものとして使っているのはどうかなと思う。というのも、ピーター・バーガーはこの2つの概念を近代社会と前近代社会(伝統社会)を分かつメルクマールとして使用しているからである。

(中略)

ここでの引用に付け加えれば、重要なのは、個人を「役割」に結びつけることによって、より宗教的に言えば様々な守護聖人を介して神へと結びつけることによって、居場所を与えていたコスモロジーが、それを支えるplausibility structureとともに、機能しなくなった、或いは壊れてしまったということなのだろう。

このように、sumita-mさんから、私の文章中の「名誉」と「尊厳」の用法についてのご指摘がありました。ご指摘によれば、ピーター・バーガーは、「名誉」という概念は、自らのアイデンティティーを制度化された役割の中に見つけていた前近代の人々によって共有されていたものであり、「尊厳」という概念は、自らのアイデンティティを制度化された役割から解放されることによって見つけられると考える近代人に共有されているものであるので、この二つの用語は、使い分けた方が良いということだと思います。

私は、バーガーのこの論については全く知らなかったので、この間の文章では、「名誉」と「尊厳」を共に社会的承認を得るためのリソースとして、置き換え可能なものとして扱いました。ブログ記事ですし、余り考えなしに書いたのですが、では歴史学におけるこの二つの単語はどのように使い分けられたのかと疑問に思いましたので、少し調べてみました。


Würde (dignitas, honor, status)soll hier weniger aufgefaßt werden als die dem Menschen aufgrund bestimter ethischer Werte zukommende Bedeutung: vielmehr ist der aus Herkunft, Amt, Alter oder besonderer Eignung resultierende Rang eines Menschen gemeint. Diese Art von Würde war in einer ranggeordneten Gesellschaft, wie sie das Mittel Alter darstellt, fundamental. Sie weist eine große Nähe zu dem auf, was in der Mädiavistik unter Ehre ("honor") einer Person oder Institution zusammengefaßt wird.

Lexikon des Mittelalters, Bd. IX, München 1998, S. 370f.

この文章は、ミュンスター大学の碩学G. Althoff 氏が書いたものですが、このように中世では「名誉 honor」と「尊厳 dignitas」の意味には余り違いがなかったようです。バーガーの使っている単語の意味はかなり特殊なので、そのような意味を含意させたい場合は、やはり予め説明する必要があるでしょう。逆に言えば、それ以外の場合には、バーガー的な意味で使われていないと考えられるだろうと思います。


ここで、saisenreihaさんの言葉を、バーガーを踏まえつつ、言い換えてみると、「名誉」の基盤である「役割」或いは場所を失った「貧者」たちは「再洗礼派」において「名誉」の「残骸」とともに「尊厳」を見出したといえないだろうか。

これは面白い解釈だと思いました。では、これを実証するために何が必要でしょうか。とりあえず、思いつくままに挙げていきます。

  • バーガーのテーゼの妥当性の検証:バーガーの「名誉という概念の衰退について」をざっと読んだところ、バーガーは、自説の根拠をほとんど示していません。たとえば、J. K. キャンベル、ノルベルト・エリアス、『ドン・キホーテ』などの例を出して説明しているものの、彼のテーゼがどのような歴史的事実に基づいて主張されているのかは明確ではありません。そのため、彼のテーゼは、この論文単独では、まだ検証されていない仮説に留まっています。そのため、心性史などの研究成果を参照し、彼のテーゼが実証できるかどうかを検証する必要があります。
  • 変化の時代の検証:実際に前近代から、近代にかけて変化が起こったとして、その変化はいつ頃起こったかが問題になります。バーガーは変化の時期を明言していないので、やはり歴史学の研究を参照する必要があります。
  • 特定の地域における変化の時期:心性の変化は、地域ごとに異なりますので、ミュンスターでいつ頃変化が起こったかを検証する必要があります。
  • 特定の社会階層における変化の時期:心性の変化は、社会階層ごとに異なりますので、貧困層がいつ頃名誉から尊厳へと意識を変えたのを検証しなければなりません。
  • 貧困層に名誉意識があったかの検証:通常名誉は、上層民に対して使われますが、貧困層・下層民が、上層民と同じ様な名誉意識を持っていたかどうかを検証する必要があります。たとえば、中世には乞食の職業団体があったようですが、これが彼らの名誉意識とどのように関わっていたかなど。また、貧困層の中にも、困窮した親方、職人徒弟、日雇い労働者、賤民、乞食・浮浪者など様々な人々がいたので、彼らの名誉意識を個別に見ていく必要があると思われます。

ざっと、思いつくだけでこれくらいはあるので、実際には実証はより一層困難であろうと思います。基本的に、貧困層の心性の研究は、最も史料的条件が悪く、最も実証が困難な類の研究ですので、どうしても茨の道になりますね。


「名誉」は集団的、「尊厳」は個人的だと考えた場合、貧民というのは、名誉を持つことが難しい人々だと思われます。というのは、貧民というのは、親族共同体、都市共同体、職業共同体などの様々な共同体に所属していないことが多い人たちだからです。以前貧困と孤独の結びつきについて書いたことがありましたが、貧困と孤独が結びつきやすいのは、中世でも現代も変わりません。また、バーガーが述べるように名誉や尊厳がアイデンティティーと関わるとしたら、集団に所属できないことが多い貧民は、名誉ではなく、尊厳によってアイデンティティを構築するしかないということになるでしょう。

もっとも、乞食や浮浪者など、全くどの共同体にも属さなかった人々は、それほど多くはなかったでしょうし、乞食や浮浪者同士の連帯もあったでしょうから、彼らもそのような仲間集団を基盤にアイデンティティを築いていたのかも知れませんが。*1

とりとめもなく書いてしまいましたが、バーガーの言う名誉から尊厳への歴史的変化は、今後気にしていきたいと思っています。

*1:たとえば、盗賊や放浪者、乞食、彼らと関わる宿屋の主人や娼婦などが使ったというロートヴェルシュ語などはその現れとも考えられるかも知れません。ベルント・レック、中谷博幸他訳『歴史のアウトサイダー』昭和堂、2001年、183-185頁

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2007-08-03

[][] 南山大学宗教文化研究所「科学・こころ・宗教00:16  南山大学宗教文化研究所「科学・こころ・宗教」を含むブックマーク

pensie_log」さん経由で、南山大学宗教文化研究所の「科学・こころ・宗教」というプロジェクトを知りました。

プロジェクトの趣旨 Focus

現代日本社会において、科学は多大な影響と役割をはたしている。しかし、人間は理性と合理性のみによって生きているのではない。ある意味で「科学中心」の現代社会において、人間の『ソフト』な面(こころ、感性、感情、精神、霊性、価値観、倫理)はどのように扱われるべきであろうか。また、このようなソフトな面に関して、広い意味での宗教倫理や道徳は伝統的に大きな役割を果たしてきたはずである。今日、このテーマについて何がいえるのであろうか。現代人にとって「科学」と「宗教」の世界観は矛盾して対立しているのか、あるいは相互に補うべきものなのか。各分野で活躍している科学者と科学論・科学思想史の研究者を囲んで、一年にわたる一連の懇話会で議論を深め、最後にシンポジウムを開催し、その成果を総括したい。

プロジェクトの目的 Aims

  • 科学と宗教の対話に携わろうとする科学者研究者たちのネットワークを確立すること
  • 日本における正当な意義深い試みとして、科学と宗教の対話を促進すること
  • 科学と宗教の対話が日本においても重要な認識や問題であると確認し、日本での討議がこの問題に関する世界での議論に貢献できると明らかにすること

以前、ネット上で科学と宗教をめぐる論争が起こったこともあるようですが、おそらくは、各々が自分の限られた知識や偏向した視点で、個人的な意見を開陳するよりは、この研究所の文献リストで紹介されているような様々な文献に目を通し、これまでの研究史を知る方が、論争を行う上で有益であろうと思います。研究史を調べるところから研究が始まるというのは、専攻に限らず、全ての研究者に共有されている基本原則であろうと思います。特に、科学と宗教の関係のような、膨大な研究蓄積があるであろう問題を扱おうという場合には、なおさらだと思われます。

自分よりも遙かに長い時間と労力をかけてその問題に取り組み、成果を認められたその道の専門家の意見を、とりあえず虚心坦懐に聞いてみることは、どの問題を検討する際でも重要だろうと思います。

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2007-08-01

[][] ヴェーバー宗教社会学に関するテクストが無料で読める。 03:38  ヴェーバーの宗教社会学に関するテクストが無料で読める。を含むブックマーク

マックス・ヴェーバーの『プロ倫』などの宗教社会学の著作がインターネットで公開されていました。ドイツ語と英語両方あります。

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