ミュンスター再洗礼派研究日誌 このページをアンテナに追加

2007-03-09

[]『講座 日本のキリスト教芸術 2美術・建築03:41 『講座 日本のキリスト教芸術 2美術・建築』 - ミュンスター再洗礼派研究日誌 を含むブックマーク

Id:antonian さんが、『講座 日本のキリスト教芸術 2美術・建築』という本を紹介していました。

いやはや、内容を読んだが、正直がっかりである。というのも日本のキリスト教芸術がやはり貧弱だったということを自覚せざるを得なかったわけだが、建築もなのだが特に美術たるや惨々たるモノである。言及のしようもないくらいすごく少ない。美術史を書こうにも書くネタがない。自ずと同じ作品を各書き手が書き綴る羽目になっている。

私はまだこの本を見ていないので、後で書店で探してみたいと思っています。私は日本のキリスト教芸術は全然知りませんが、昨年弘前市で見た聖公会弘前昇天教会は、小さいながらもかなり綺麗な教会でした。仙台市内にある教会は、かなり新しそうなコンクリート造りの建物のような気がします。ドイツでは気軽に教会に入れるので、教会めぐりをしていましたが、日本だと入って良いものやら良く分からない小さな教会が多いので、全然日本の教会は見て回っていません。

しかし、カトリックというとプロテスタントとは異なり、美術に力を入れているというイメージがあったので、案外そうでもないようで驚きました。聖画像やステンドグラスは、教会につきものだと思っていたのですが、必ずしもそうではないということなのでしょう。

2007-02-02

[]アイオーンとしてのバロック 02:35 アイオーンとしてのバロック - ミュンスター再洗礼派研究日誌 を含むブックマーク

昔は、古本屋に行くのが何よりの楽しみで、とりとめもなく本屋を渡り歩き、脈絡もなく本を啄んでいたものでしたが、いつしか古本屋に行くのは楽しいことではなくなってしまいました。自分の研究で、山のように読ま「なければならない」文献が積み上げられ、いつしか、自分の研究とは関係ない本を読む時間的、精神的余裕が消え去ったからです。古本屋めぐりは、無為の極致のようなもので、そこで買う本を読むことも、全くの無為な行為だと言えるでしょう。しかし、無為だったから楽しかったのであり、研究で使う重要文献を、インターネットで検索し、通販で購入するという大変合理的で、機能主義的に言えば大変素晴らしい行為は、楽しくも何ともないというのは偽らざる気持ちではあります。

さて、本日は古本市を訪問し、沢山の面白そうな本を見て回ったのですが、自分はたとえ買ったとしても、これらの本を読むことはできないのだと悲しくなってきました。それでも、本日は、何とか研究の合間に読もうとエウヘーニオ・ドールスの不朽の名著『バロック論』(美術出版社、1974年、第3版)を購入しました。この本は、箱入りで、表紙が少々毛のついた布地で覆われ、灰色の表紙に、金字で孔雀のような文様が刻印されているという、なかなか凝った装丁の一冊です。このような丁寧な作りの本を手に取ることは、それだけで心躍るものです。

さて、中味を少々読んでみると、大変文学的な表現によって書かれており、文体そのものが美学的であるように思いました。日頃自分が読んだり、書いたりしている無味乾燥とした文章とは、完全に異質の文体だと思いました。ドールスは、バロックを古典主義と対置し、歴史の中に繰り返し登場する常数、すなわちアイオーンであると見なしました。そのため、ドールスにとって、バロックとは17世紀から18世紀にかけて流行した特定の美術様式であると同時に、人間の歴史の中で繰り返し登場する普遍的な常数の一つだと考えました。古典主義とバロックは互いに反発し合いながら、歴史の過程で姿を変えつつ、何度も姿を表すのです。

この本を読んだところで、全くの無為なのですが、その無為なことは、数十年後の自分にとっては無為ではないかも知れないからこそ、無為に本を読むことは、これほど楽しいものなのでしょう。

2006-09-18

[]岡村淳監督「第三世界の環境都市ブラジル・クリチバの挑戦」と「緑の砂漠か緑の再生か ブラジルのユーカリ植林と日本」 03:14 岡村淳監督「第三世界の環境都市ブラジル・クリチバの挑戦」と「緑の砂漠か緑の再生か ブラジルのユーカリ植林と日本」 - ミュンスター再洗礼派研究日誌 を含むブックマーク

仙台国際センターで、仙台国際センターまつりが行われたので、行ってきました。このまつりでは、色々な国の店が出たり、ワークショップがあったり、イベントがあったりしました。その中で、ドキュメンタリーの上映会があったので、行ってきました。

私が見てきたのは、岡村淳監督第三世界の環境都市ブラジル・クリチバの挑戦」と「緑の砂漠か緑の再生か ブラジルのユーカリ植林と日本」というドキュメンタリーです。上映会は、1000人以上入るのではという大ホールで行われたので、非常に人が疎らに見えました。


「クリチバの挑戦」は、秀逸な都市設計で名高いブラジル南部の大都市クリチバを扱ったドキュメンタリーです。上映されたのは、家庭用のビデオで録画されたと思われる、CM入りのビデオ映像でした。内容は、クリチバのバス網、針金オペラ座、市の環境局の取り組み、スラムの子供達のための環境学校の紹介でした。このドキュメンタリーが制作された1996年当時、市の環境局長は、日本人の方で、彼らが汚染された湖での釣り大会や、有毒のクモ、違法な木の伐採、ゴミのリサイクルなどの問題に対処する様子が描かれていました。

この市では、「ゴミはゴミじゃない」をスローガンに、環境保護の大切さを子供に知らしめるために、葉っぱファミリーというキャラクターを使い、環境学校などで劇を行っていました。環境学校は、スラムなどに住む貧しい子供達が通えるように作られた学校で、職業教育も行っていました。


上映が終わった後、この作品を撮った岡村淳監督が壇上に上がり、制作の裏話をお話ししていました。このドキュメンタリーは、一人でカメラを回して撮ったそうで、ヤラセを一切やっていないそうです。ここでのヤラセというのは、文脈的には、ドキュメンタリーで普通行われる再現映像のことだろうと思います。つまり、子供が学校に来る場面を撮りたいときに、その子供に頼んで、カメラを設置してから、打ち合わせ通りに学校に歩いてくる場面を撮るというようなことは、行わなかったということです。

このドキュメンタリーは、朝日ニュースターのために制作したそうです。岡村さんは、元々日本テレビでドキュメンタリーを作っていたそうですが、テレビ局でドキュメンタリーを作る際には、スポンサー筋から色々と口出しされたのだそうです。あるスポンサーの方は、自分はクモが嫌いだから、クモが出てくる場面は削れなどと、無茶苦茶な要求をしたそうです。

そのため、岡村さんは、現在はブラジルに住みながら、テレビ局のためではなく、自分の作りたいものを作っていると言うことです。


次に上映された「緑の砂漠か緑の再生か ブラジルのユーカリ植林と日本」は、日本とブラジルの合弁会社が、紙の製造のために、ユーカリを植林したという内容です。ユーカリは、通常の木よりも成長が早く、短期間でパルプになるので、合弁会社は、ユーカリを植林したそうです。しかし、ユーカリは葉に毒性があり、ユーカリの森には生物が非常に少ないそうです。また、ユーカリは水を大量に吸うので、ユーカリの植林地周辺では、湖や小川の水量が減り、枯れてしまうこともあったそうです。製紙会社がユーカリ植林の有用性を大量の宣伝費で訴える一方、ユーカリ植林の危険性を指摘するNPOの声は、なかなか広がらなかったようです。

このドキュメンタリーは、製紙会社の怒りを買ったらしく、この作品がどこかで上映される予定を聞きつけた製紙会社が、岡村さんはペテン師で、この作品の内容はデタラメなので、上映をしない方が良いというような文書を送ってくるのだそうです。

私には、ユーカリ植林の是非は分かりませんが、企業が、このようなドキュメンタリー作品の公開に、圧力を掛けてくるという話は、驚きでした。


この上映会は、どうもある若者が計画したもので、岡村さんは、自分で当時の番組プロデューサーから上映許可を得て、マスターではない、ビデオを借りて上映したそうです。岡村さんは、東京仙台の交通費の半額しか約束されておらず、後は、カンパで賄うと言っていました。どうも、仙台市は、上映会をやるに際して、お金を出していないようで、そんな無茶苦茶な話があるのだろうかと驚きました。

上映会の後、岡村監督を囲んでの懇談会が行われたようなのですが、私は腹が減って、ご飯を食べに行ったので、参加できませんでした。色々とお面白い話が聞けたでしょうから、大変残念に思いました。

岡村淳岡村淳 2006/09/27 01:13 拙作を細かくご覧いただきまして、ありがとうございました。
私は無事ブラジルに戻りました。
仙台で直接お話ができずに残念でした。
またの機会を楽しみにしています。

saisenreihasaisenreiha 2006/09/27 02:09 わざわざコメントを書いていただき、ありがとうございます。こちらこそ、興味深い内容のドキュメンタリーを拝見させていただき、ありがとうございました。また、仙台で新作の上映会が開かれる際には、また拝見させていただこうと思います。

岡村淳岡村淳 2006/09/27 13:28 差し支えありませんでしたら、拙サイトに御稿をリンクさせていただいてかまいませんでしょうか?
次回は仙台で、ブラジル奥地での解放の神学系の日本人神父の活動を記録した拙作を上映できるかもしれません。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20040913000270.cfm

saisenreihasaisenreiha 2006/09/27 14:23 このブログは、リンクフリーですので、もちろんリンクは御自由にお貼り下さい。私は、解放の神学にも関心があるので、機会があれば、次回もぜひ拝見させていただきたく思います。

岡村淳岡村淳 2006/09/27 20:31 ご快諾ありがとうございます。
さっそくアップさせていただきました。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000066/20060927002240.cfm?j=1
解放の神学を最前線の現場から捉えた作品をいくつか手がけています。
仙台で上映がかなうよう根回しに努めましょう。

saisenreihasaisenreiha 2006/09/27 21:31 リンクありがとうございます。仙台で、開放の神学についての作品が拝見できることを、楽しみにしています。

2006-09-03

[]埴谷雄高『死霊』一章−三章 01:04 埴谷雄高『死霊』一章−三章 - ミュンスター再洗礼派研究日誌 を含むブックマーク

死霊(1) (講談社文芸文庫)

死霊(1) (講談社文芸文庫)


この味気ない生活にも、何か癒しが必要だろうということで、埴谷雄高の『死霊』を読んでいます。内容は良く分かりませんが、別に分かる必要もないので、余り深く考えずに堪能しています。近年、無味乾燥で形式の決まった社会科学の論文ぐらいしか読んでいないので、哲学書やこのような文学書を読むと、その色々なものをすっ飛ばしていく早さと大胆さと、因果の縺れ、絡み合いのうねうねさ加減に感心させられます。

以前第五章までは読んでいたはずですが、内容を全く忘れていたので、最初から読み直しています。見事なまでにほとんど全く覚えておらず、始めて読むのといっしょです。

内容は、現在の世の中では絶滅しているようにも思えるような、極度に物思いに沈んだ青年達が、観念論を戦わせるというものです。物語は、あるようなないような感じです。非常に勿体ぶった台詞や描写が多いので、少々滑稽に感じられるというところがないわけではありませんが、やはり、このような滋味と含蓄溢れる、荒唐無稽な文章を読むことは、大いに癒しになるし、感覚の毛穴を閉じないようにするために必要なことだと思います。せっかくの虚構なのだから、これぐらいやってくれても、やりすぎと言うことはないでしょう。やはり、このぐらい味わいがあると、文学を読むという行為も豊饒なものだと思います。埴谷雄高カッコイイ!まだ、半分しか読んでいないので、先を読むのが楽しみです。

aa 2006/09/03 22:54 2005年シドニー大会のウェブサイト http://www.cishsydney2005.org/ はもう消失しているよう。CISH(フランス語の略字)本体のウェブサイトは以下ですね。http://www.cish.org/index.htm

saisenreihasaisenreiha 2006/09/04 00:13 やはり、もう消えていましたか。次は、2010年のアムステルダムですね。今度は、何が主要テーマになるでしょうか。

猫屋猫屋 2006/09/04 08:36 ふむ。
埴谷雄高カッコイイ!と思って高校の頃読んでおりました。(途中までだけど)。ぷぷい。

saisenreihasaisenreiha 2006/09/04 19:17 高校生の時に、途中まで読んだというのが生々しいですね。ちょっ。

猫屋猫屋 2006/09/05 02:38 だって、あの頃はまだそこまでしか出版されてなかったんですよお。あんまり年寄りをいじめないでください。あと埴谷のオノマトペで覚えてるのないから、とっさにスメルジャコフ。

saisenreihasaisenreiha 2006/09/05 03:12 終わったのが、97年ですからね。実は私が途中までしか読んでなかったのも、まだ埴谷雄高が途中までしか書いてなかったからです。でも、埴谷雄高は、10代に背伸びをして読むという印象があるのですが、どうでしょうか?あと、スメルジャコフと言えば、かのロシア分離派でしたよね。

saisenreihasaisenreiha 2006/09/05 03:13 違った。97年は埴谷の亡くなった年で、9章が書かれたのは95年でした。

猫屋猫屋 2006/09/05 05:06 私が高校生だったのは70年代で、日本を出たのが1984年です。いまだにわけの分からない文章を読むのが好きなのは変わっていない。はは。スメルジャコフはドストエフスキーの、たしかカラマーゾフの登場人物です。死霊にスメルジャコフの分身ともいえる人物が登場する、名は忘れました。臭うようにいやなやつです。

saisenreihasaisenreiha 2006/09/05 17:48 私も、いまだにああいう文章を読むのは大好きです(笑)スメルジャコフは、江川卓さんの謎解き本によれば、ロシアの分離派の信者だったのではないかということでした。19世紀ロシアは、宗教運動も面白そうなんですよね。『死霊』のスメルジャコフ的な人物というのは、醜悪な容貌をした首猛夫のことでしょうか。4章まで読んだ限りでは、主人公の三輪与志より目立っていて、陰の主人公みたいになってますね。

猫屋猫屋 2006/09/05 19:07 そうそう、首猛夫。白痴のムイシュキン(あるいはカラマゾフのアリョーシャ、どっちだか忘れた)がモデルだったような気もする三輪与志をまるっきり食っちゃってます。しかし、埴谷雄高という人の一生もまた壮絶です。ああゆう凄い人もいたんですね。語られない“日本史”つか。

うちのアパートの2階にモスクワ生まれのオバサン、いやマダムがいて、会うたびに彼女はアタクシの腕をとって、顔をすぐそばまで寄せてきて、等々と議論を始める。ロシア・日本の近似性とフランスコキオロシが主題ですが、なんだかマンマドストエフスキー(そして埴谷)作品での対話みたいな立ち話が延々と小一時間続きます。すごいですよお。(人のところで長話スンマセン、、)

saisenreihasaisenreiha 2006/09/06 00:30 埴谷雄高について、以前教育テレビで全5回ぐらいのインタビュー番組がやっていたのですが、世の中にはまあスゲー爺さんがいるもんだと感心させられました。DVD出ればよいのに。

ロシア人のおばさんと、ロシアの話をするなんて面白そうですね。彼女の考えるロシア的特性とは、果たして何なのでしょうか。日本人は、日本論がやたらと好きと言われますが、海外に出て、日本的特質を力説していた人は、余り見かけませんでした。

猫屋猫屋 2006/09/06 08:01 >インタヴュー。あ、それ見たい。イトイさんとこかなんかで、自宅の写真みてうなったことはあるんですが。吉本と対談、だったかな。

saisenreihasaisenreiha 2006/09/06 17:44 埴谷雄高のインタビュー番組ビデオは出てるんですが、DVDではd出てないみたいです。http://www.nhk-ep.com/view/270.html