ミュンスター再洗礼派研究日誌 このページをアンテナに追加

2005-06-23

[]ドイツで、広島原爆について発表する。 10:57 ドイツで、広島の原爆について発表する。 - ミュンスター再洗礼派研究日誌 を含むブックマーク

私の知り合いが、ミュンスターの外国人学生のための団体の会長をやっているのですが、彼から頼まれて、8月に広島原爆投下について、口頭発表をやることになりました。この団体は、今年は広島長崎原爆投下から60年という事で、核兵器に反対するための小さなシンポジウムを開きたいそうで、日本人で、さらに歴史学を学んでいる学生である私に広島原爆についての発表をしてほしいとのことでした。

とは言っても、私は歴史学の学生といっても、近世ドイツが専門で、日本の現代についての知識は、一般の人とほとんど変わらない程度しか持ち合わせていません。だいたい、私は、ドイツ語だって怪しい外国人なわけで、そんな大役を引き受けて良いものだろうかと思ったのですが、何分ミュンスターには日本人学生はほとんどおらず、歴史学の学生といえば、私しかいないということで引き受けることになりました。

今日は、この発表について話し合うということで、彼らの集まりに出かけました。私は、てっきり学生ばかりが来るものだと思っていたのですが、その場に集まっていたのは、高齢の方ばかりでした。外見からして、フラワーチルドレンの時代から運動を続けている筋金入りではないかという雰囲気を漂わせている方も混じっており、ヤバイところに来てしまったのではと思わないことはなかったです。ただ、彼らの多くは、ドクター付きで名前を呼ばれていたので、博士号を持っているインテリのようです。

彼らは、どうも核に反対する市民運動家のようで、この日の集まりも、学生団体の集まりではありませんでした。彼らは広島原爆が投下された日である8月6日に、市庁舎の前で演説をやるそうで、私はそこで演説をやってくれと頼まれてしまいました。

しかし、市庁舎と言えば、街のど真ん中にあり、人通りの多いところです。そんなところで演説をするなんて、自分には荷が重すぎると思ったので、何度も「無理です」と断ろうとしたのですが、押しが強い相手の頼みをなかなか断れない意志薄弱な日本人の私は、結局相手に押し切られ、演説することになってしまいました。まあ、数分の短いものなのですが、当日の緊張と心労を考えると気が重いです。

その後、他のメンバーもやってきて、本格的に会議が始まり、当日どうするかということが話し合われていました。私は、何分事情が全然分からないので、黙ってそれを聞いていたのですが、そのうち当日の演説の話になり、私にも話が振られました。

彼らは私に、当日何について話したいんですかと、あたかも私が自発的に演説を申し出たようなたずね方をしたので、私は、自分が広島原爆について特別な知識を持っているわけではないことを先ず説明し、それでも良いのかと確認を取り、彼らが何のために私に演説を依頼したのか、私はどういうテーマについて、どこに重点を置いて当日話せば良いのかを聞き返しました。結局、8月6日のイベントは、核兵器の危険性についてアピールすることが目的だが、演説の内容は、私が話したいことを話せば良いと言うことでした。

その後は、参加者の方々が、広島原爆の被害や、その後の広島復興、はたまた日本の原爆核兵器に対する態度などの質問を次々に私に投げかけてきました。最後の方には、自衛隊イラク派兵の武装や、日本とアメリカの軍事同盟、アメリカの日本への核持ち込み疑惑など、際どい質問も出てきて冷や冷やしました。

私はこれまで、自分は余り自国政府に対する愛情がない人間だと思っていたのですが、いざ外国人から自国政府の政策に聞かれると、なるべく誤解を招かず、悪い印象を与えないように、自然と官僚的答弁が口から出たのには、少々驚きました。このような場では、自分が日本の見解を代弁するという意識が自然と生じるもののようです。

その後、知り合いの方から、同日の夜に、シンポジウムをやりたいという提案があり、日時や時間、あるいは私以外の誰が発表するかを話し合っていました。さすがに彼らは、どこでどのような企画を打てば、どの程度動員できるかなどをある程度読めるノウハウがあるようで、彼らの細かなアドバイスは、聞いていて面白かったです。しかし、驚いたのは、その知り合いが私に発表を頼んだのは、何週間も前なのに、まだ具体的には、何も決まっていなかったことです。

しかし、その議論の中で、3人ほどが発表した後、聴衆と発表者で議論をやるという話が出てきました。この議論についても私は聞いていなかったので、自分はドイツ語がそんなに出来ないので無理だと言うと、質問が分からなかったら、聴き直せば大丈夫だと呑気なことを言っていました。知り合いは、通訳を付けるとか、冗談めかして言っていたのですが、やはりヨーロッパ系外国人には、アジア人学生のドイツ語に対する不安が分からないのだろうと思いました。

始まってから2時間ほど経って、ようやく会議は終わったのですが、その後何人かで飲み屋に行って、歓談をしていました。私は、隣に座った、年齢不評な感じの方と話していたのですが、その人は、非常に変わった人で、こちらがどう対応して良いのか判断に困るようなことを連発して話していました。ただ、そういう話を聞く機会は、普通は先ずないので、とても面白かったです。


[]日本人が、広島について外国人に語る価値のあることは何だろうか? 10:57 日本人が、広島について外国人に語る価値のあることは何だろうか? - ミュンスター再洗礼派研究日誌 を含むブックマーク

私は、本来は自分の研究で手一杯で、余計なことに手を出す余裕なんてないので、今回の発表も、正直なところ余り引き受けたくありませんでした。にもかかわらず、引き受けたのは、相手の強引な説得に根負けしたからと言うところもありますがが、それよりもやはり、心の底で、これは引き受けないとならない依頼だと思ったからです。

私は個人的に広島という地とは、縁浅からぬ関係がありますし、西洋史を専門にしているとは言え、歴史学を学ぶ者です。そのため、ミュンスターにいる数少ない日本人学生の中でも、私が一番今回の発表の条件に合っているのは確かです。

ドイツでも、英語やドイツ語で、広島原爆についての文献は沢山見つかり、色々と調査はできると思いますが、当然の事ながら、日本語の文献や情報となると、質量共に桁違いになるはずです。また、実際に原爆の被害にあった被爆者が、まだ日本には生きているわけですし、原爆ドームや記念館を実際に訪れる機会もあります。やはり、日本人の広島に対する感覚は、ドイツ人とは、根本的に異なるところがあるだろうと思います。

そのため、おそらく日本人でないと分からないこと、伝えられないことは、非常に沢山あると思います。だったら、せっかくそれを伝えることが出来る機会があるのだから、誰かがそれを伝えるべきだろうと思います。そして、今回は、それを伝える役目が、自分に回ってきたのだと思います。ならば、その役目を引き受けるのは、異国で暮らす日本人である私の責務であり、同時にドイツ、そしておそらくは日本に対するささやかな恩返しになるのではないかと思います。

もちろん、彼らが私に期待しているのは、おそらくは発表の内容そのものというよりは、私が実際に原爆を落とされた日本という国から来たということの方ではないかと思わないことはありません。それでも、やるからにはドイツ人に有益な情報、視点、論点を贈与できるような発表にしたいと思っています。

しかし、悲しいかな、私はこの分野に通じていないので、今原爆関係で、日本でどのような議論が行われているのか、どのような論点が焦点になっているかをほとんど知りません。しかし、ここ最近、日本において、戦争、軍隊に関する価値感が、急速に変わっているようなので、おそらく原爆問題に関する考え方も、従来とはかなり変わってきているのではないかと思います。ただ、私は、しばらく日本にいなかったので、そういうことが皮膚感覚としては、もう分からなくなっています。

私は、ここしばらくネット上で、原爆関係について色々なサイトを見てみたのですが、もしかすると、この辺が勘所なのではないかと感じたのは、こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』という漫画の評判をネットのあちこちで見たことです。あれから60年が経ち、すでに風化したように見える原爆が、未だに現代に残す仄かな傷跡のようなものについてなら、私にも何か語れるのではないかと思わないことはありません。

幸い資料の購入費は向こうが負担してくれるそうなので、私は日本から何冊か文献を取り寄せるつもりです。そこで、原爆関係で、必読の文献があったら、みなさんに是非教えてほしいのです。また、今の日本で原爆を扱うときに、重要になる論点や視点は何かについても、ご教示をお願いできればと思います。異国にいると、実際に文献を手にとって判断が出来ないので辛いところですが、良い発表ができるように、(研究に重大な影響が出ない範囲で)精一杯準備に取り組もうと考えているので、情報提供の方、よろしくお願いいたします。

un socioun socio 2005/06/24 02:51  こんにちは。お久しぶりです。なかなかおもしろそうな集まりに呼ばれたようですね(^_^.)。私は専門が社会学なので、日本関連の研究をしている友人も多く、日本研究に関してそれなりの知識もあったつもりなのですが、留学期間中にはそうした知識を披露する場もなかったので、お話のような機会に恵まれたことは、むしろ幸運なのではないかと感じてしまいます。いや……、外野の意見ですね(;^_^A アセアセ…。いずれにしても、語学に関しては、誰か添削をしてくれる人をつけるようお願いすればそれほど問題もないと推察します。是非、頑張ってください(^_^.)。

saisenreihasaisenreiha 2005/06/26 00:42 集まりは、私はこれまで市民団体の会合に出席したことがなかったので、面白かったです。やたらキャラの濃い人が多かったです。海外で、日本のことを紹介するのは、ちょっと緊張します。みんな、私の話した内容を、「日本人」の意見だと解釈するでしょうから。言葉にかんしては、発表そのものは原稿読んでれば、いずれ終わるので良いのですが、その後の質疑応答はかなり心配です。まだ、普通のドイツ人の早口のドイツ語は、余り良く分からないので。しかし、なるようになると思って、準備するつもりです。また、何か興味深い文献などあれば、紹介よろしくお願いします。

2005-06-09

[]発表が終わりました。 08:21 発表が終わりました。 - ミュンスター再洗礼派研究日誌 を含むブックマーク

先週の木曜に体調が悪くなってからなかなか回復せず、準備が思うように出来なかったせいで、どうなることかと思いましたが、なんとか無事間に合いました。

今回の発表は、再洗礼派の結婚、家族、男女関係をテーマにしたものでした。発表の時間自体は短いのですが、口頭発表後に事前に配った当時の史料を元にしてみんなで議論しなければならないので、この議論に関して少々心配していました。一応今回は二人組で発表ということで、事前にパートナーに議論は全部任せると言っていたのですが、正直パートナーが作ったレジュメが、かなり不安を誘う出来だったために、自分がかなり補足しないと駄目かもしれないと少々心配でした。

発表が始まるのは今週からということで、どんな感じで進むのか良く分からなかったのですが、我々の前のグル−プの発表を聞くと、史料に基づく議論の部分では、先生はほとんど口を出さず、発表者が司会役を務めていました。彼女達は、史料について他のゼミ生に質問し、他の学生の理解を促したり、重要な部分ではさらに詳しくコメントを付け加えるなど、自分たちでその場を仕切っていました。

それを見て、こんな仕切は外国人には絶対無理だと青ざめながら、それでも同じようなことができるようにと急いで質問を考え、質疑応答のシミュレーションをしていると、我々の出番がやって来ました。

発表部分は、原稿を読むだけなので特に問題はないと言いたいところですが、原稿を読んでいる途中に、その場で補足説明を入れたりすると、若干ドイツ語がアワアワした感じになってしまうので困ります。

そして、パートナーの発表も終わり、いよいよ問題の議論部分と相成りました。史料を選んだのは私と言うことで、仕方がないから、私が色々質問をしたりして、司会をしようと思っていたら、パートナーが勝手に色々喋ってくれて、他の学生も活発に発言してくれたので、私は何回かちょっと補足的なコメントをしただけで済みました。

ゼミで発言するときは、学生は結構興奮しており、普段にも増してもの凄い早口で、テンション高く、たまにアワアワしながら発言することが常です。このような状況だと、私の聞き取り能力では、議論の流れを追うだけで精一杯で、細かい部分まで理解するのはとても無理です。超高速で飛び交うコメントの嵐に口を挟むのは、なおさら無理です。

そのため、ここはコメントした方が良いかなというようなところも、申し訳ないと思いつつ、ほとんどスルーしてしまいました。幸いなことに、私のことを気遣ってのことかは分かりませんが、先生もかなりコメントして、フォローしてくださったので、私はまるで他人事のように議論を眺めていることができました。

こうして、半ば傍観者のような感じで発表は終わったのですが、上手く行ったのかそうでないのか良く分からず、なんとも手応えのない発表でした。しかし、ドイツ人同士の超高速ドイツ語による議論に参加するのは語学能力的に無理なので、これは仕方のないところです。

何はともあれ、発表が終わった後は、友人といっしょに晩ご飯を食べ、「ああ、終わった〜」という感じで、気晴らしをしました。しかし、旅と発表の準備で、ずいぶんと自分の研究が滞ってしまったので、また明日から研究に勤しもうと思う次第です。

pfaelzerweinpfaelzerwein 2005/06/09 20:30 初めまして。unsociologueさんの所から回ってきました。ミュンスターと言えば仕事で滞在したミュンスターランドや古水城、川の周辺の自転車の波が思い出されます。ケンブリッジを思い出しました。アルトビーアなどを夜遅くまで飲み歩く雰囲気が良いですね。危うく再洗礼派の話題をスルーしてしまうところでしたが、元来勉強不足で知識がないので今後は注意してみます。

saisenreihasaisenreiha 2005/06/10 22:36 どうも、はじめまして。水城は、結構辺鄙なところにあるので、車で行かれたのでしょうか。私はケンブリッジは知りませんが、ミュンスターも大学町なので、似ているのかもしれませんね。

ミュンスターといえば、再洗礼派の指導者が処刑された後吊された、ランベルティ教会の尖塔に掛かっている三つの鉄の檻が有名なので、もしまたいらっしゃる機会があれば、ぜひ御覧になってみて下さい。

SbunakaSbunaka 2005/06/16 19:06 はじめまして。一生懸命な若い研究者の文章を読ませていただいて、幸福感を共感させていただきました。語学能力に不安を感じながらの発表というのは、私も経験していますが、定年に到るまで不安を克服できませんでした。私は信者ではありませんが、今、スペインのカトリック教会のミサで時々うたわせてもらっています。スペインではカトリック教会は歴史的遺産だけではなく、現役バリバリの、例えば、現社会民主主義政権に対抗する強力な政治的活動機関でもありますし、大衆音楽の思想的感情的枠組みとしても活きている宗教だということなども感じさせます。学校教育の担い手として大きな影響力を持っていますし、上層に属するための最も重要な文化資本です。そういうことで私は偶々ではありますが、スペイン語文化圏の社会を理解するためにも、この宗教を理解したいと願っています。日本に帰ったら、英語や日本語のキリスト教文化研究者の成果を学ばせていただこうと楽しみにしていますが、いろいろな想いがミュンスター派の研究をなさっておもちだとおもいますが、現代社会との関わりで、何か特別な動機をおもちでしょうか? 何か御座いましたら、また、いつか日記にでも書いて披露してください。

saisenreihasaisenreiha 2005/06/17 22:23 はじめまして。拙い文章を読んでいただき、ありがとうございます。スペインは、まだカトリックの力がとても強いのですね。ドイツでは、カトリック、プロテスタントにかかわらず、教会の力は着実に弱まっていると聞いています。私も、キリスト教の一宗派について研究しているため、キリスト教全般も理解しようとはしていますが、やはり難しいなと思います。

ミュンスター再洗礼派の研究と、現代社会への視覚には、直接的な関係はないので、歴史学者の方々に怒られてしまいそうですが、私の研究は、おそらく非常に遠回り、あるいは間接的なかたちで、私の現代社会に対するものの見方に影響を与えていると思います。言うならば、オウム真理教などの、迫害される方からの視点といえるでしょうか。

また、そのようなある時代の社会において決して許容されなかった存在が、たとえば数百年を隔てた、全く異なる条件の下に成り立っている後代において、どのように評価されるのかということについては、自覚的にならざるを得ないところがあると思います。研究については、また様々な側面から、色々と書いていくと思いますので、またご意見をいただければ幸いです。

2005-04-29

[]怠けることの大切さ 09:02 怠けることの大切さ - ミュンスター再洗礼派研究日誌 を含むブックマーク

最近少々疲れがたまっているのは感じていたのですが、今日は文献を読もうとしても頭に入らず、肩も凝っているし、身体もだるいということで、余り根を詰めて勉強するのは止めて、だらだらとしていました。

個人的にある程度長い間留学をするときに必要なものは、un sociologue さんが書いていたように、困ったときに相談できる人を見つけることと、もう一つ無理をし過ぎないことだと思います。


こちらに長期留学をする人は、色々と面倒なハードルを超えて来ているわけですから、基本的にモチベーションは高く、余り怠ける心配はない人が多いのではないかと思います。むしろ問題なのは、がんばりすぎてしまうこと、無理をしすぎて、心身共に疲弊しきってしまうことではないかと思います。

個人的には、海外で生活、そして研究していると、自分が思っている以上に、知らず知らずのうちに身体や心に負担が掛かっているように感じます。日本と同じ事をやっても、疲れ方が全然違うように感じます。

それは、当然といえば当然で、そもそも母国語以外を使って毎日過ごすということ自体が、不自然で疲れる行為なわけですし、大学で授業に出ても、ネイティブスピーカーの中、一人だけ外国人で、大きなハンデがあるわけですから、その分どうしても疲れます。

研究でも、生活でも、上手く行かない時が必ずありますし、他のドイツ人やヨーロッパ人と自分を比較してしまって、自分の語学能力の無さに落ち込むこともあります。普通に生きる上で、気がつかないうちに小さな無理を重ね続けるというのが、海外での生活ではないかと思います。

そのため、そういう自然と負荷がかかる状況の中で、必死でがんばっていると、必然的に身体や心に負担を掛けすぎることになり、そのうち我慢の限界が来ることになります。人間の身体は上手くできたもので、体や心が限界が近づいたときには、身体が妙に疲れたり、精神的に落ち込む時間が長くなったりして、それ以上無理をしないように警告をしてくれます。

もちろん、こういう時には勉強など手に付かない状態になります。この時、自分はなんて怠け者なのだと自分を責めたり、もっとがんばらなければと、無理して勉強したりすると、さらに身体や心に負担をかけ続けることになります。そして、ますます物事が上手く行かなくなり、さらに焦ったり、落ち込んだりして、より自分に負担を掛けてしまうようになります。そして最後には、無理のしすぎに身体や精神が耐えきれずに、壊れてしまうわけです。

おそらく、長期留学で最も怖いのは、このパターンだと思います。私も自分でこれに近いことを経験しましたし、人づてに来た話では、外国人の博士課程の学生が、この悪循環に落ち込み、抜け出せなくなってしまい、燃え尽きて駄目になるというのは、良くあるパターンだということです。

だから、おそらく大半の(特に研究目的の)留学生にとって最も重要なのは、怠けないようにがんばることよりも、むしろ適度になまけて、自分を追いつめ過ぎないことだと思います。勉強が嫌になって一週間休んだところで、長い目で見れば、大きな影響はありませんが、身体や心が悲鳴を上げるのを無視して、燃え尽きてしまった場合には、下手すればその人の人生を左右するほどの災禍になりかねないからです。

無理し過ぎることの危険性は、私も十分に分かったので、それ以来、疲れたり、気が滅入りがちなときは、休憩したり、遊んだりして、回復を待つことにしています。長い目で見れば、そちらの方が、遙かに効率的だろうと思いますし、何よりも自分が楽です。たとえ目の前にやることがたまっていても、それを見ない振りして怠けるというのも、研究を続ける上で、非常に重要な技術ではないかと思います。


というわけで、今日は少々勉強をさぼって、友達とDVD を見たりしていました。大分回復したので、また明日から研究に勤しもうと思います。