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ななめのための。

2018-12-03

正‐情念小説としての『刀と傘 明治京洛推理帖』個人解説




 まだあまり情報が出せないのですが、来年1月の第三回文学フリマ京都にサークル「ストレンジ・フィクションズ」として参加させていただくことになりました。座長は名馬であれば馬のうちのネマノ氏さん(nemanoc(@nemanoc)さん | Twitter)です。追記などでさらに情報を加えられたらと思います。
 サッシ名は「異色作家短篇集リミックス」という小説競作がメインの創作誌なのですが、そちらで「伊吹亜門小特集(仮)」というのを組む予定です。


 さしあたり、その本誌の頒布に先立って、先月11月30日に発売された『刀と傘 明治京洛推理帖』を勝手に解説する文章を以下に書きました。本誌に載るかはわかりません。載ったらいいですね。たぶん2018年12月現在、世界で最も伊吹亜門について詳しく書いた文章になっていますので、ご興味ありましたらご一読いただけると幸いです。

 また一部作品について踏み込んで語っている部分がありますので、未読で気にする方は、いったん踏みとどまっていただければと思います。




以下本文





『刀と傘 明治京洛推理帖』(東京創元社)巻末に記された著者紹介によれば、伊吹亜門は「一九九一年愛知県生まれ。同志社大学卒。在学中は同志社ミステリ研究会に所属」とある。二〇一五年、当時若干二十四歳の若さで第十二回ミステリーズ!新人賞を授賞し、去る二〇一八年十一月にはじめての単書を上梓した。そこに収められた五つの短編は、そのどれもが幕末から明治に起きた歴史上の事実とフィクションを組み合わせた趣向の魅力だけでなく、本格ミステリという謎解きの枠組みを最大限に活かした、どこか哀しい余韻を残す佳品ばかりになっている。

 では、この才能豊かな作者はいったいどこからやって来たのか。本解説では伊吹亜門の来歴を探るとともに、その作品群に通底する魅力について語っていく。



 伊吹亜門という名がはじめて公的な場に現れたのは、おそらく二〇一一年に発行された同志社ミステリ研究会の機関誌『CHAMELEON vol.27』であろう。そこでは独立した作品はまだ載っておらず、一回生によるシェアワールド連作企画の一部と同大学の出身作家レビューという企画に寄稿しているのみだった。またこのときのペンネームは現在知られている伊吹亜門ではなく、伊吹亞門(ママ)だった。

 とはいえ、注目に値すべきはそのレビューだ。有栖川有栖『絶叫城殺人事件』(新潮文庫)という短編集に関する紹介・概評という向きであるが、その一千字にも満たない文章のうち半分近くを「雪華楼殺人事件」という一編に費やしている。「傑作中の傑作」としてそこに用いられたトリックについて語ったのち、伊吹はこうも記している。「そんな素晴らしいトリックさえ霞んでしまうくらい美しく、そして哀しい幕切れこそが真骨頂である」と。

 詳細について触れることは避けるものの「雪華楼殺人事件」は登場人物たちの心情の機微こそがその根幹を成している作品だ。つまり、まだプロとして筆を執る以前の伊吹は、すでにこの時点でのちの自作品に現れるようなモチーフ、すなわち「登場人物たちの心情の機微」そして「哀しい幕切れ」というものに並々ならぬ関心を抱いていたということになる。

 また、そののちも伊吹門は同サークル内で散発的に作品を発表している。現在われわれが読むことのできるものに関していえば、同志社ミステリ研究会のHP内*1で公開されている『かくれおん傑作選 二〇一二年度前期・後期』に収録された数作の掌編がそれにあたる。とはいったものの、作品それぞれの出来は巻末のコメントで本人自身が述べている通り「学生の書き散らした拙い小咄」の域は出ていない。

 ただ、それらにも見逃せない点はある。そのうちの一編「名前のない美術館」の作中では、G・K・チェスタトン『ブラウン神父の童心』(創元推理文庫)の収録作「折れた剣」に登場する有名な警句をアレンジしたものが用いられている。単純に見えた物事を逆説的に捉え、そこに隠れた裏の事象を見せるのがブラウン神父の得意とするところであるが、伊吹の作品ではその警句が登場人物の隠れた真意を引き出すために機能している。

 こうした登場人物の心を掘り下げていくような推理のアプローチは、現在の伊吹亜門作品にも多く見られることに疑いを差しはさむものはいないだろう。加えて述べておくと、この警句は形を変え『刀と傘』の冒頭を飾る「佐賀から来た男」にも登場している。作者のミステリに対する目配せは、このときから変わっていない。



 さて、こうしたミステリへの関心と登場人物の心情を描くことへの強い情熱は、二〇一五年に新人賞を授賞した「監獄舎の殺人」によって結実し、世間に広く知れ渡ることになる。のであるが、これより遡ること一年半ほど前、そこに登場するキャラクターや描写の雛形とでも呼ぶべき作品がひっそりと世に出ていたことにも触れなければならないだろう。

 それは二〇一三年発行の『CAMELEON vol.29』に収録された「明治探偵浪漫譚・外伝 亜風亭事件」のことで、A4サイズの会誌四〇ページ分にもおよぶ力作だ。このくらいの文量となると短編というより、中編サイズの作品といえる。

 あらすじは以下の通り。舞台は慶応元年(一八六五年)、前年に起きた第一次長州征伐は休戦協定で終わり、威信の回復をし損ねた幕府が再びの長州征伐をおこなおうと画策していた時期の京都。尾張藩公用方の鹿野師光は公家に対し絶大な影響力を誇っていた元大垣藩士の不二門小弐に接触し、朝廷内の風潮を征長反対に傾けようと画策していた。しかし不二門は無数の札によって目張りされた料亭の一室で殺され、その計画も潰えてしまう。当然ながら師光は謀殺を主張するものの、その下手人が密室から消えてしまっている以上、自害と考えるほかない状況だった――。というもの。

 まず目を引くのは「尾張藩公用方(ママ)・鹿野師光報告書」という文章が最初に付され、不可解な謎の詳細を端的に語るスタイル。これは『刀と傘』のうち四作と同じだ。またそれだけでなく、登場する鹿野師光なる人物描写も「黒縮緬の羽織に鶏卵鞘の大小から一目で武家と分かるものの、その身丈は五尺程である。黒管笠を目深に被り、真夏の風に袂を膨らませながらちょこちょこと歩くその姿は、どこか森鴉を思わせた」とあり、いくつかの変更点はあるものの、それが「佐賀から来た男」冒頭部と重なっていることは明白だ。

 記述されている時系列にも注目したい。『刀と傘』は慶応三年からの出来事を描いた連作であるから、「亜風亭事件」は江藤新平と出会う以前の鹿野師光が遭遇した事件、いわゆるプレストーリーとでもいうべき立ち位置にある。結果的にではあるが、文字通りの「外伝」になっているわけだ。仮に、デビュー以前の作者がこれを意図的に狙っていたとするのであれば、さすがに脱帽するほかないだろう。

 では、ミステリ的な趣向についてはどうだろうか。メインの謎は前述した通りの密室。といっても舞台は完全に近代化する以前の日本であるから、その謎を練り上げた作者の苦労がうかがえる。加えて、「なぜ犯人がわざわざ密室を構成しなければならなかったのか?」という必然性にまで手堅く言及されており、やはりここにもミステリを書こうという心意気が感じられる。終盤の謎解きの場面では、最後の一ピースをはめることにより、探偵役が「なぜ他殺だと考えたのか?」ということへの論理的な種明かし(サプライズ)を用意してみせ、学生が書いた作品としては、かなり手慣れた印象がある。さすがに『刀と傘』収録作の水準には及ばないものの、作者が描こうとしているミステリ像のようなものが、その端々に見える出来になっている。

 そしてなにより、作中に流れている時代の殺伐とした空気感や、登場人物たちが抱くやりきれなさといったものは現在の伊吹作品にかなり近い。ゆえに「亜風亭事件」は鹿野師光というキャラクターにとってはもちろん、伊吹亜門という作家自身にとってもプリクエルと呼ぶべき作品といえる。



 ところで『刀と傘』に収められた作品を読んでいると、その謎の構成やメロドラマティックにさえ感じられる物語描写に、オーバーラップして見えてくるひとりの作家がいる。姓は連城、名は三紀彦。第三回幻影城新人賞でミステリ作家としてのデビューを飾り、その大胆な仕掛けと抒情性に満ちた作品群がいまなお多くのファンを抱えている直木賞作家だ。

 連城三紀彦『戻り川心中』(ハルキ文庫)の解説で巽昌章はその作品について、シナリオ作家志望だったという作者の経歴に重ね合わせ、次のように述べている。

「つまり、作者は一方で私たちをひきこまずにいないような劇的な場面を差し出しながら、それを包むひとまわり大きな真相を用意し、「カメラを引く」ことによってそれをあらわにしてみせるのだ」と。またとりわけその「花葬」シリーズと呼ばれる連作については、読者の抱く「心の働き」を利用して背負い投げをくわされるという意味で「反―情念小説」とでもいうべき存在だと規定している。

 とはいえ、筆者がここで述べたいのは、伊吹亜門の作品が連城作品とまったく同じ傾向にあるということではない。むしろ伊吹作品においては、あたかもその「カメラ」の取り扱いが、連城作品とはネガとポジが反転したかのような様相を呈しているのだ

 わかりやすいのは、『刀と傘』で唯一の倒叙ものである「桜」だろう。冒頭から臨場感たっぷりに描かれるのは、ひとりの女性が自身の練った一世一代の計画に従い、三名もの人間を確実に殺していくその様子だ。読者はそこから目を離せないどころか、物語が進むにつれ焦点を結んでいく彼女の過去に向け、ページと視線を進めていくことになる。

 そして謎解きの段階に差し掛かったとき、カメラは決して引くことはなく、むしろその焦点を合わせた一瞬にだけ、ようやくかすむように見えるひと握りの真意を拾ってみせている。その点にこそ、伊吹作品の特色はある。

 つまり伊吹作品は、連城作品と並べて語るのであれば「心の働き」にどこまでもフォーカスした「正―情念小説」といってよいつくりをしているのだ。

 だからこそ読者は、登場人物たちが抱くそのやるせなく哀しい想いに共感し、胸を打たれる。もちろん作中を彩る花のイメージがそこにいた登場人物の人生を象徴しつつ、謎解きの鍵として機能していることは言うまでもない。

 連城作品との構造的類似は、『刀と傘』に収録されたほかの作品にも見出すことができる。では改めて、前述した「佐賀から来た男」を例に取ってみよう。

 この作品の謎は犯人あて、つまりフーダニットの趣向が取られているが、一読すれば明らかなように、その本領は犯人が指摘されたのちに語られる登場人物の動機、すなわちホワイダニットにある。そしてそこでは、なぜ維新志士は怪死を遂げたのか、という謎に対して両面からのアプローチが取られている。すなわち、被害者の想いと加害者の想い、それぞれに対するカメラのフォーカスだ。

 探偵役のおこなう推理によって読者の目の前に映し出されるのは、被害者に訪れた状況の「外部」に置かれた「ひとまわり大きな真相」だ。それに直面したがゆえにその人物は死ななければならなくなったのであるし、犯人もまた、被害者を殺さなければならなくなってしまう。そしてここでもカメラは引くことなく、その先にある一瞬の心の機微を切り取ってみせている。

 またここで強調しておきたいのは、この「ひとまわり大きな真相」に当事者が直面するという事件の構図が、連城三紀彦の「花葬」シリーズの一編「菊の塵」に酷似しているという点である。とりわけ「佐賀から来た男」における被害者の取った行動は、それを映し取ったかのようでさえある。

 作者がそれを意識的におこなってみせたかどうかはさておき、この類似は作品間の影響関係を語るうえでは見逃せないだろう。よくよく考えてみると、「菊の塵」に見える犯人像と「桜」の犯人像とがどこか重なって見えてくる気がするが、これは言い過ぎかもしれない。ともあれ、未読の方はぜひこのふたつの傑作を読み比べてほしい。



 最後にもうひとつ伊吹作品の特色について述べるのであれば、それは「時代」を切り取った小説であるがゆえに、避けられない運命が登場人物たちを待ち受けているということにあるだろう。

 とはいってもここで、ミステリーズ!新人賞の選評で法月綸太郎が述べたのと同じように「山田風太郎明治物」を引き合いに出したいわけではない。作品タイトルに「明治」が入るのはおそらくそこへの目配せだと思っていいだろうが、それ以上にはっきりと見える部分がほかにあるからだ。

 つまり『刀と傘』は、江藤新平や鹿野師光といった人々が奔走する、いわば彼らの「青春時代」を切り取った小説としても読めるということだ。

 収録作を順に読んでいくにつれ次第にテーマとして浮かびあがってくるのは、このふたりの探偵役、江藤新平と鹿野師光のあいだに横たわる、避けがたい断絶の予感だ。彼らはふたりともそれぞれの信じる正義があり、そのために時代を、事件を駆け抜けていく。けれども、その立場ゆえにふたりは対峙しなくてはならなくなる。

 この構図はどこか、思春期の少年少女たちが否応なく遭遇する、人間関係における煩悶によく似ている。青春を駆けていく彼らの絆は、過ごしていく時間とともに強く結びつき、深まっていく。けれどもそのどちらか一方にとって許せないものに出会ったとき、そのつながりはいとも簡単に破綻してしまう。そして互いの胸中には、それでも共鳴し合っていた時期が幾度となくよみがえる。だからこそ苦しいし、どうにもならないことをより自覚しなければならなくなる。『刀と傘』において、このどうにもならなさは時代という避けられない運命として物語の糸を引くと同時に、ふたりの探偵役に対して牙を剥くことになる。

 だから、最終話を読み終えた読者の胸に去来するのは、青春のほろ苦さに似た感触といっていい。その味はおそらく、奇しくも伊吹亜門の選考に携わった米澤穂信の作品に通じてもいる。『さよなら妖精』(創元推理文庫)で描かれた、あのどうにもならない切なさをそこに重ねて浮かべてもいいだろう。

 あるいは、そのもの哀しい犯罪たちに、連城三紀彦が描いてみせた抒情的でありながらも妄執的ですらある情念の在りようを見て取ってもいい。「花葬」シリーズの末尾を飾る「夕萩心中」には、次のような一節がある。

 情死事件というのは、現世では愛を成就できない男女が来世に夢を託した結果起きる事件である。さまざまな事情で結ばれることのない二人が、死を最後の絆としてたがいの心を結ぼうとするものである。



『刀と傘』という五つの連作で映し出されたドラマとは、あたかも人々がひそかに結んだ「最後の絆」が推理によって鮮やかに解かれるさまであり、そこに切り取られた、ままならない「青春時代」の一瞬にほかならない。

 ゆえにその点において、伊吹亜門は連城三紀彦の後継者であり、同時に米澤穂信のような優れた青春ミステリの後継者でもあるといえる。


 そしてそのカメラが新しい場面を撮りはじめるのは、そう遠くないはずだ。

夕萩心中 (光文社文庫)

夕萩心中 (光文社文庫)

さよなら妖精 (創元推理文庫)

さよなら妖精 (創元推理文庫)