きみはアニメ映画『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』の部屋を見たか?

 タイトルの通りです。

 電撃文庫『青ブタ』公式情報によれば、シリーズが完結するとのことで、めでたいね。アニメ化も最後までするのかな。待ってるね。

dengekibunko.jp

 

【注】本記事には、青春ブタ野郎シリーズ『おでかけシスター』『ランドセルガール』までの一部ネタバレがあります。

 

 

青春ブタ野郎シリーズ』の小物描写について

 わたしは原作もとても好きで、テレビシリーズも『ゆめみる少女~』も楽しく見たのだが、正直映像化という点でもっとも驚いたのは『おでかけシスターの夢を見ない』だった。

 いいな、と思ったのは、原作では描写されなかった咲太くんの表情もそうだが、とりわけ印象的だったのは、彼彼女らの周囲を彩る小物の描写にほかならない。

 と、一気に本筋に入ってもよいのだが、もうすこしだらっとした話をしよう。どういうことかといえば、青ブタシリーズは大学生編がすでにあることもあり、受験や進路選択に対して、物語内でしっかりと描く必要がある作品であり、それにそった美術が用意されている素晴らしい作品でもある。

 たとえばわかりやすいのは『おでかけシスター』の一場面。ファミレスの控え室で咲太くんが隙間時間の勉強をしているシーンだ。

咲太くんが読んでいる英単語帳はおそらく『ターゲット』の類似品。

 デザインは現実とは違うものの「1400」というデカい数字からして『ターゲット』シリーズが意識されているのは明白だろう。ちなみに続編の『ランドセルガール』になるとこの数字が『1900』になる。本格的に咲太くんも受験生である。加えていっておくと、作者の鴨志田一が脚本を担当している受験青春アニメ『Just Because!』でも「1900」の文字は登場する。

 ほかにも、彼の部屋には「チャート式」らしきもの(記載されているのはビュート式?)など、定番アイテムが並んでいる。『おでかけシスター』作中は一年の冬なので、大学受験の準備モードへと入っていく段階である。

説明会から帰ってきたときの咲太くんの机。

参考書以外にも彼の私物はそれなりにあるのがわかる。

梓川花楓/かえでの部屋について

 さて本題である。テレビシリーズの「おるすばん妹」編において、翔子さんが朗読したかえでの日記によって語られたように、藤沢のマンションにかえでが引っ越してきたときに、彼女が自主的に持ってきたものはほとんどない。

 咲太にうながされ、唯一かえでが藤沢の家に持っていくことを選んだのは花楓の「本と本棚」だけだった。

 だからここにはいくつかの推論が混じるのだが、おそらく「学校」を想起させるものを「かえで」は本能的に持っていこうとはしなかったのではないだろうか。

 かえではかつて自分を傷つけたネットや電話を嫌っていたように、同年代の制服姿に対しても過敏な反応を見せていた。となれば、そうした学校を想起される物品の類は目に入るだけで恐怖や混乱のスイッチとなりうる。また、彼女が主に時間を過ごすのはリビングで、学校とは関係のないパンダのDVDなどを見ていたことが描写されていた。

 彼女は自分の安全を確保するために、一度、勉強とは離れていた。

 だからこそ逆説的にではあるが、『おでかけシスター』編においては彼女の、花楓の部屋に追加されるものがひとつ要請されることになる。

 それはなにか。

 端的にいえば、勉強用の机一式である。

テレビシリーズでは、彼女の部屋には「勉強机」は存在していなかった。

 ちょっと思い出すのに時間がかかるかもしれないが、テレビシリーズ第7話「青春はパラドックス」において、双葉理央から子供状態の翔子ちゃんとともにかえでが勉強を教わるシーンがある。

 しかしそれがおこなわれるのはもっぱらリビングであり、参考書などが開かれるのはもちろん大きなテーブルの上だった。

 これはのちにのどかや麻衣先輩から教わるときも同様である。

 かえで/花楓は周囲に見守られるようにして勉強を教えられ、遅れながらも知識を身につけていた。しかし『おでかけシスター』において彼女が「受験」という選択肢を能動的に考えたとき、彼女は周囲の援助を受けつつも、それだけでは足りないことに気づかされる。

 だから彼女は「ひとり」で戦う必要にかられることになる。

 時間的にも、空間的にも。

 よって勉強用の机は、彼女の小さな戦場として、即席のものとして現われる。

もともと机を置くスペースがなかったことがクローゼットによって説明される。

 もちろん一見してわかるように、これは決して快適な環境ではない。

 机の天板の面積は小さいし、ノートを広げただけでスペースは埋まり、教科書や参考書の類はブックスタンドを置かなければじゅうぶんに見ることさえかなわない。椅子もそうだ。高いものではない。きっと咲太くんが気を利かせて近所で(バイト代を使うかなにかして)プレゼントしてやったのではないだろうか。容易に想像が浮かぶ。

 ただわたしは、この、小さな戦場を見るだけで泣きそうになる。

 なぜなら原作を発売当時読んでいたとしても、わたしはこの部分にいっさい想像をはたらかせていなかったからだ。

 ときおりインターネットでは勉強ができる環境があるかどうか、といった子供の生育環境のトピックが話題になることがあるが、「学校」という空気の苦しい場所から逃げてきたかえで/花楓たちのことを、すくなくともわたし個人は考えられていなかった。

 逃げる、というのは、それまであたりまえにあったものを捨てて、置いて、孤独になるということではなかったか。寄る辺なくなるということではなかったか。以前と違っている学習環境は決して十全ではない。休み時間に質問する教師もいなければ、一緒にはげましあう友達もいない。ただただ夜は、ひとりだけの時間が長い。

 もちろん『おでかけシスター』は作劇上、美術上、必要最低限の描写をほどこしたにすぎない。しかし、その選択に立ち向かい、努力した花楓は、たしかにすごいのだ。彼女の小さな机を見てしまったからには、そう思わずにはいられない。

 頑張ったんだよ。とわたしは声を大にして言いたい。

『おでかけシスター』終盤で花楓が出会う広川卯月は、自分なりに、置いてきたものがあったとしても、そことはべつの道を歩けばいいことを教えてくれた。必要のないつながりを求めなかった先達として、彼女は花楓の視界を広げてくれる存在となる。

 それは「空気」という見えない暴力に絶えずさらされていた花楓にとって、ひとつの解放になったのだった。

「おでかけ」は峰ヶ原高校の前で終わるが、それは目的地が変わったにすぎない。

 続編の『ランドセルガール』になると、花楓は麻衣先輩から進学先の学校のリモート授業に使えるようにと、ノートPCをプレゼントされている。かつてあれほどまでに電話やネットなどをトラウマ的に嫌っていた彼女が手にしたのは、もう一度、遠くのだれかとつながるためのツールだった。

 おそらく藤沢にある彼女の部屋はいまでも狭い。小さな机も、折りたたみの椅子もきっとそのまま残されていることだろう。

 けれど、そこはもうどこにもつながっていない場所ではない。

 梓川花楓は、あの小さな場所から、もうどこにだって行くことができる。

 

 

エンディング:17歳とベルリンの壁「透き通る群像」


www.youtube.com

『千年女優』をあと何度も観直すためのいくつかのメモ。

 ???「千年女優を見たことがない? 初恋を経験したことがないならそれでいいけど」

 

【※】本記事はアニメ映画『千年女優』のネタバレを多数含みます。未見の方はご注意ください。

タイトルコール。ビデオの巻き戻しから入るのが示唆的である。

 2月に再上映がなされていたために映画館ではじめてみて(DVDなどではたくさんみていた)、いやいや~、映画ってほんとうにいいものですね~~というノリで「『千年女優』を誤読する。」ブログを書きたかったのだが、いろいろあって予定がはちゃめちゃになったり、体調が崩れたり、そうしているうちにテンションが落ちたり、論旨がまとまらなかったりしたので、メモのまま放流します。誤読の責任は取りません。よしなに。

 

ラストの台詞について

 多くの人が(たぶん)指摘しているように、千代子の結論はどこか自己充足的であり、他者を必要としないまま終わってしまう。これに対して過去さまざまな考え(時には穿った見方)が星の数ほどもたらされたと思うのだが、まあぶっちゃけ深く考えなくていいんじゃないですか。

 というといろんな人が怒りそうなものだけれど、この台詞はあえて外部からの結論(解釈)をもたらさないように構築されているとしたらどうでしょうか。意図的なブラックボックス。ということであれば。

 

移動のモチーフについて

 メタフィクション的境界侵犯(!)による地震のあとに流れるOPでは、車、電車、自転車、船、飛行機、宇宙船、と移動のモチーフとこれから語られるストーリーがザッピング的に、現実/フィクションの境目なくシームレスにつながれ、描かれる。

OP、焼け野原のシーンの次にこの絵。日本の戦後復興・発展を想起させる繋ぎ方(実際はつながっているわけではないのだが)。

 そして最終的に、千代子の隠居する家へむかうというストーリーになっている。最初からぜんぶ描かれているといれば、たしかにぜんぶ描かれており、物語のラストにおいては、千代子が冒頭の作中映画で乗っていた宇宙船(スペースシャトル)のシーンに戻っていくだけである。その傍証として、千代子とともに、鶴のモチーフがいくつも描かれていることが言及できる。

 

鶴のモチーフについて

DVDの特典冊子には日の丸をおもわせるワンポイント(よく見ると鶴)がある。

 千代子の家に着くと、部屋にはすでに劇中にくり返し登場する、鶴のモチーフが映り込んでいる。「鶴 千年女優」でグーグル検索をしたら「鶴は千年、亀は万年」という解釈がいちばん上にサジェストされ、それはまあゴロ遊び的な部分ではもちろん妥当なのであるが(なにしろ名前も千代子なのだし)、つくっている側がモチーフの源流として気づかせたかったのは、おそらくヤマトタケル伝説のほうでしょう。

 要するに、死んだら白鳥=鶴になって故郷に飛び立ったよっていうあれである。

www.shirotori-jinja.jp

日本武尊ヤマトタケルノミコト)は人皇(ジンコウ)十二代 景行(ケイコウ)天皇の皇子に在らせられ、勅命に依りて九州中国を、その後東国を征定し、帰途の途次とじ近江国伊吹山にて病に触れさせ給ひ尾張国を経て伊勢国能褒野のぼのに至り病あつく、終に亡くなる。実に、景行天皇四十一年なり、天皇その功をたたえ、武部を定め群臣に命じその地に山陵を造り厚く葬る。群臣入棺しまつりしに、神霊白鶴に化し西方に飛び去る

 ここで敷衍して考えておきたいのは、『千年女優』という作品が「はじめに帰る」というメタ的な円環構造を持っていることだろう。

 もちろん冒頭とラストのシーンが作中作によってつながっているのは、映像編集のなせるわざ(トリックにほかならない)なのだが、これをメタ的なフィクションとして成立させてしまうのはむろん、ラストの千代子の台詞によって観客がいきなり置いていかれるという突き放し状態があるからだ。わたしたちはあの台詞によってぽかんと口を開け、気づけば二度目の視聴に入っていやしないだろうか?

 いや、果たしてそうだろうか? 正確には違うかもしれない。たとえばあなたはまだ一回だけしか『千年女優』を見ていないかもしれない。

 とはいえ、作中にあたかも謎解きのように置かれた伏線やモチーフの数々をまるで宝探しのようにちりばめられ、それらを見つけることに快楽をおぼえせられたのちに、あの台詞が来ることによって、じつは千代子の台詞には隠された理由があったかもしれない、と一瞬たりとも考えた、くらいはないだろうか? すくなくとも、「えっ、それでいいのか?」と彼女の結論を疑問に思ったことは?

 いや、そうではない。

 それはきっと意図的なものなのだ。

 わたしたちは千代子の台詞によって、『千年女優』に描かれた映像を複数回にわたり見ることを、しらずしらずのうちに約束されていたのではないか。

何度でもいうが、作品タイトルは「巻き戻し」とともに現われるのである。

 

フィクション論?的な「かのように」の映画として

 わたし個人はこのアニメについて、謎解きについてはぶっちゃけ結論はないよ派なので、とくに言うつもりはないが、『千年女優』という作品の持つイメージの源泉にはいくつか思うところがある。それは「停止」と「運動」である。

 千代子は「鍵の君」を求めるとき、いつだって走ることになる。これが『千年女優』の持つ映像の快楽であるのはまあ見ていればわかるので言うことはないが、じゃあその根本はどこにあるかといえば「錯覚」ではないか。

 映像における「錯覚」というのはもちろん、24fps的な連続再生、つまり、止まっているものが連続で見せられると生きているかのように見えるアレである。

 とりわけ象徴的に思えるのは、中盤『あやかしの城』に登場するあやかしの姿だ。彼女はのちに千代子自身の似姿としてあらわれる。彼女および彼女が繰っている糸車は黒澤明蜘蛛巣城』という作品リファレンスとして見るだけでなく、映画のための装置≒映写機のように思うことはできやしないか。

「我はそなたが憎い。憎くてたまらん。そして愛おしい…」激重感情キャラ。

  いや、まあ、たんに糸は運命のメタファーなのかもしれませんが。

 でもほかのカットでも見てわかるように、このあやかし、ただ糸をくるくる回しているだけで、撚っているわけではなそう。なので映写機かな、と感じたというくらいの雑な感覚といえばそうですので雑にそう思ってください。とはいえ、錯覚という部分についてはそれなりに意図的ではないかとも感じるところはある。

あやかしが去ったあとの城の壁。どこか人の姿に見える。これも錯覚。

 なにしろこの木目というのはじつに周到な表現で、隠居したあとの千代子はそうしたものたちと長らく一緒に過ごしていたことが容易に想像できるからである。

源也たちが千代子の家を訪れたとき、しっかりと映るのは家具の木目なので。

後半、終盤、源也が訊ねる。「なぜ突然に、姿を隠されたんです?」

 というのも後半、劇中最も、少女から遠い見た目の、深いしわを湛えた千代子のカットがあるのだけれども、彼女はその理由は答えない。代わりにその次に映るのが木目だからである。彼女と木目は並んだかたちで示される。

その次のカット。雷鳴とともに一瞬だけ映る異様なカットである。

 年輪というのは伐採された木であり、死んでいる断面にほかならない。しかし材木としては日々呼吸し、使われ、生きているのであって。そういう二重性のなかにこそ千代子はいたのではないか、と思わせる。映画もまた然り、と考えてしまうのはさすがに言い過ぎであるだろうか。とはいえ、である。

 わたしたちは千代子という人間を最後まで知ることはできない。

 しかし役者としての藤原千代子を見ることはできる。

 その結論として源也は五十回以上おなじ映画を観てしまうのだし、「あの方は歳をとらん!」と言ってしまうのではないか。これはギャグだが、しかし複数にわたっておなじ映画を観ているわたし(たち)は彼をほんとうに笑えるのだろうか?

 

映像にしかない「錯覚」の物語として

 もったいぶらず、さっさと結論に移ろう。『千年女優』という作品は本質的に映像作品でしかありえない。それはひとりの人生を恋の錯覚という枠組みに無理やり落とし込む技法として、アニメーション的な重ね絵による錯覚を採用する詐術にどこまでも自覚的な作品であるからだ。

 わたしたちは動いているものに注意を抱き、あまつさえそれに快楽を抱いてしまう。千代子が魅力的なキャラクターであるのは、彼女が最後まで(恋のために)走りつづけるキャラクターであるからである。

映画の歴史からしてそうですよね(ろくろ)

 そしてその詐術というのは観客との共依存的な関係によっていつまでも保持される。要するにわたしたちは、何度も『千年女優』というアニメ映画を再生し、見ることによって、彼女自身の、そして作品自身の円環構造に加担することになる。そしてなによりその構造を維持するためのキーとして、最初にも言ったように、千代子の自己充足的な、謎めいた台詞が必要なのである。

 なぜならそこには結論はなく、運動だけがあるからだ。

「だって私、あの人を追いかけてる私が好きなんだもの」

 くり返そう。

 わたしたちは千代子という人間を最後まで知ることはできない。

 しかし役者としての藤原千代子を見ることはできる。

「だって私、『千年女優』を見ている私が――」

 というと、たくさんの人に怒られるかもしれないが、藤原千代子というあたかもフィクショナルな存在を延命させてしまう方法は、わたしたちがこの映画を見つづけてしまうこと以外に残されていない。

 わたしたちが『千年女優』をVHSやDVD、ブルーレイその他の再生メディアで見つづければ見つづけるほどに、彼女は長い時間を生き、くり返し恋をすることになる。そしてそのあいだ、彼女は死なないし、「歳をとらない」。運動だけがそこにある。プロジェクト・ゴーズ・オン。

 つまり『千年女優』というアニメ映画は劇場では終わらないのだ。観客が意図的に、自主的にその映像を再生することによって完成する。映画でありながら、テープやディスクでこそ完成することが意図されたフィクションなのではないか。そしてそれは何度も指摘したように、物語の一番最初に示唆されている。

本作は映画的な映画でありながら、ビデオ的表現によってはじまっている。

「鍵の君」の完成されなかった絵。十四日目の月。開ける先のない鍵。中断されたドキュメンタリー。考えてみれば、本作においては、ひとつもちゃんと終わったものがないのだった。わたしたち観客はいつだって欠けたものを満たそうとして、終わらない映画を再生しつづける。運動以外にはなにもない映画なのに。あるいはだからかもしれない。

 まあ、とはいえそろそろ冷静になったほうがいい気がするので、作中冒頭にあった台詞で締めることにしましょう。

「行けば二度と戻ってこられないんだぞ!」

 ところで『千年女優』を見たそこのあなた。あなたはどうにか現実世界に戻ってこれた側ですか。それとも残念ながら戻ってこれなかった側ですか。おや、それを確認するためにおすすめのツールがここにひとつありますね。『千年女優』のブルーレイディスクっていうんですけど、どうかおひとつ再生してみてはいかがでしょうか。

 わたしはこのブログを書いて、ようやく『千年女優』との折り合いがつけられた気がします。次はきみの番だ。

千年女優 [Blu-ray]

 

 注:今敏のブログは読んでいません。これから読むか……。

konstone.s-kon.net

 

中西鼎『君が花火に変わるまで』感想。

 タイトルの通りです。中西鼎『君が花火に変わるまで』読みました。

 

 

 幼い頃に難病にかかっていたはずの子と高校で再会し、「付き合って」と言われる「ぼく」。しかし彼女の行動の裏には秘密があり――。というメディアワークス流難病ものプロットをやりつつ、作者らしいほの暗いテーゼが全面に出た本でした。

 ストーリーらしいストーリーは、前述の通り難病ものプロットで、ミステリアスなヒロインとのちょっと浮いた、それこそ映画っぽいきざな言い回しの会話を楽しむ部分と初恋のほろ苦い回想とがサンドイッチされていく構成になっており、エンタメというよりはかなりしっとり寄りなのですが、その裏に感じられる主人公たちのどうしようもない卑屈さや厭世観、そして充満するタナトスがあり、それこそすでに終わることが予感される花火のような感触ばかりが想起され、本編の核も実際そこにつながっていくことがわかります。

 なかでも印象的だったのは、序盤から中盤にかけて、高校生で完全に陰キャと化していた主人公がヒロインと付き合うことで文化祭委員をやる(ある意味遅れてきた青春を謳歌する)シークエンスです。その打ち上げのさい、クラスメイトに感謝されるシーンがとりわけ鮮烈でした。

「俺、ハルと村瀬が頑張ってくれたから今年の文化祭楽しかったよ」
 その言葉がぼくは嬉しかった。自分でも驚くほどに嬉しかったのだ。ぼくはまるで人間としての強度が上げられていないのだろう。誰かの言葉がこんなにも胸に響くなんて。
 砂浜が花火の光できらきらと光っている。一生忘れないと思いながらも、たぶんすぐに忘れてしまう秋の夜の光景だった。

 なぜ印象的だったかというと(ここには「人間強度」©西尾維新のワードが出てきてつい笑ってしまうところではあるのですが)、後半の段落では、一瞬で消えて行くことになるであろう、さりげない時間を花火というモチーフに仮託し、わざわざ「忘れてしまう」という言葉まで使うことで、じつは出来事と語り手とのあいだにさらりと距離を生ませているからです。

 本作を通読すると、むしろこの距離が生まれることじたいが(記憶というフォルダのなかにしまわれ、忘却されることじたいが)重要なのだとわかります。

 主人公はこの風景を見たのち、理由のない悲しみに襲われ、自分をコントロールできなくなって泣いてしまいます。もちろんそれは後半の秘密が明かされるくだりによってほんとうの意味がわかるのですが、しかしそれはたとえば難病ものに伴いがちな矛盾点「だれかの死によって生かされていることの自己啓発的な側面」への意識的なカウンターでもあります。

 わたしたちは燃えていくうつくしい命を見て、いっとき感動はしても、いずれはその感情をたぶん忘れてしまいます。その消費の構造がどうしようもなく「悲しい」ことに気づいているからこそ、「ぼく」は泣くのです。だとすれば「消費」に抵抗する唯一の行為は、いつまでも憶えていることなります。ですが、当然ながら記述者の「ぼく」はその不可能性にも気づいています。

 書くという行為は忘却に抗う方法のひとつです。しかし完璧な手段ではありません。であればあえて「忘れてしまう」と書くことは、すくなくとも「忘れない」と約束するよりは誠実でしょうか。結論は出ませんが、そのことに対する自覚と抗いとが作中には残されている気がしました。

 浜辺で打ち上げ花火をしたときに最後に残るのは、おそらくもう輝くことのないゴミでしょう。ではそのゴミを浜辺に置いたままにしてしまうのか、ビニール袋に入れて家にまで持ち帰ることができるかどうか。もしかすると本作はその程度に要約できてしまう話なのかもしれません。なにしろわたしたちが失われる光に惹かれるのはどうしようもない文化的な/生物学的な習性でしかありませんし、それじたいは肯定も否定もできません。

 それでもあの花火はなんか綺麗だったな、と細部までは思い出せずとも、なんとなく生活の底に眠らせながら、明日のゴミ出しをちゃんとしようと朝起きて、日々を肯定する。そんな本作は、いわゆる難病ものでありながら、やがて失われていく美しいものを見に行くとする、レクイエム・フォー・イノセンスのすぐれた一例なのだと思います。

 

 以下、余談。

 扶由花が見たいと言っていた映画は、有名が監督が撮っているとかで、ニュースでも時たま見るものだった。

 一九七〇年代の田舎の島を舞台にした映画で、ボーイスカウトのキャンプに参加した十二歳の男の子と、島に住む同じく十二歳の女の子が駆け落ちをする。二人と二人を追う大人たちの群像劇が描かれる。子役の体当たりの演技がよく宣伝されていて、海辺でキスを交わすシーンがある。

 どう考えてもウェス・アンダーソン『ムーライズ・キングダム』じゃねえか! さすがに趣味がよすぎるでしょ。デートでウェス・アンダーソンを観に行く高校生をぼくは心から応援したい。

 


www.youtube.com

 

 

エンディング:ART-SCHOOL「Moonrise kingdom」


www.youtube.com

 

2023年のお仕事、書いたもの、その他告知。

 みなさま、今年も残りすくなくなってきました。いかがおすごしでしょうか。

 タイトルの通りです。2023年の年末まとめ記事はおそらくこれで最後になるかと思います。今年もいろいろ水面下で動いているのですが、かたちになったりならなかったりという感じでヒーヒーいうとります。

 来年こそはたくさんよいお知らせをしたいですね。というわけで年末の読書に以下の文章はいかがでしょうか。無料で読める作品もあります。

 

 

『百合小説コレクション wiz』著者紹介テキスト作成協力

 書籍そのものにクレジットはありませんが、執筆者のみなさまの主要百合作品を紹介するテキストをつくるお手伝いをしました。地味な仕事かもしれませんが、この本で執筆者の方を知った、という人も多かったとか(個人調べ)。ささやかなガイドになっていれば幸いです。

 

『京都SFアンソロジー:ここに浮かぶ景色』「春と灰」

 公募枠での参加になります。織戸久貴名義で商業のお仕事はこれまでもしていたのですが小説での商業デビュー作はこちらになります(昨年『ユリイカ』に書いたとき、「小説家」として紹介されており冷や汗をかきましたが、事実が追いつきました)。京都の南部にある国立国会図書館関西館周辺を舞台としており、街がひとつ滅んでおります。京都はなんぼ滅んでもええですからね。よければご一読ください。

 

第2回星々短編小説コンテスト一次選考通過作「彼女のチケット」

www.hoshiboshi2020.com

saitonaname.hatenablog.com

 ほしおさなえ先生主催のサークルの公募です。ひさしぶりに〈日常の謎〉を書いたところ知人には好感触でした。映画嫌いを公言していた人が、なぜチケットの半券を処分せずに遺品として残していたのか? こういう話はたくさん書きたいですね。

 

カモガワ奇想短編グランプリ優秀賞「下鴨納涼アンソロジーバトルコンテスト」

note.combooth.pm

 今年いちばん真面目にふざけて書いた小説です。タイトルの通り下鴨納涼古本市で最強のアンソロジーを競う大会が開かれます。出落ちです。意外にも好評をいただくことが多くありがたいかぎりです。こういう系統のお話は賞がなければ書くこともなかったと思いますので、カモガワ編集室のみなさまや主催の鯨井久志さんには感謝するばかりです。また、本作が収録されている『カモガワGブックスvol.4』には池澤夏樹編・世界文学全集レビューでも参加しております。こちらもよしなに。

 

『鳩のおとむらい 鳩ほがらかアンソロジー』「ジョナサン」

booth.pm

 藤井佯さん主催の超豪華アンソロジー。2000字という縛りでしたが、例によってミステリを書きました。学校がクソだと思ったので学校に火をつけることにしました。みんなもクライムミステリをやっていきましょう。一冊を通して読むと、いかにひとつのお題に対してさまざまなアプローチが可能であるかの見本市にもなっており、オススメです。在庫はだいぶすくなくなっているそうですので、気になった方はぜひ。

 

お蔵だしラノベミステリ①「ミスディレクションは割り切れない」

note.com

 探偵志望の女子高生とひねくれたミステリオタクのボーイミーツガールです。やっていることは〈日常の謎〉ですが、ディスカッションものが好きだったので、一生ディスカッションをしています。クイーン『フォックス家の殺人』が好きな人におすすめです。

 

お蔵だしミステリ②「淡い密室」

note.com

 何年か前のミステリーズ!新人賞で二次通過したものをすこし書き直した作品です。『ロス・マクドナルド・トリビュート』にも収録しました。恩田陸「ある映画の記憶」のようなミステリが書きたくて、過去と自分とが対峙することになるミステリになっています。ロスマク度は低めですが、暗い青春ものが好きな人におすすめです。

 

 

〈ストレンジ・フィクションズ〉関係

 今年秋の大阪文フリ新刊です。すでに在庫わずかのため通販はおこなっておりませんが、来年一月の京都文フリにて残りを放出します。よければお買い求めください。

 

・『声百合アンソロジー まだ火のつかぬ言葉のように』

strange-fictions.booth.pm

 自分は「ミメーシスの花嫁たち」という小説を寄稿しました。同作は今年の林芙美子文学賞で一次選考を通過しています。百合と太平洋戦争について書きました。もしかしたらまだ書き足りない部分があったので、来年以降余裕があればリライトするかもしれません。

第10回林芙美子文学賞 応募状況と一次選考結果 : 北九州市立文学館

 表紙は『私は君を泣かせたい』の文尾文先生に担当していただきました。素敵なイラストを仕上げていただいてほんとうにうれしい……。

 

・『百合小説アーカイヴ(仮)』

strange-fictions.booth.pm

 およそ110年ぶんの文学作品から百合と思われる短編62作をピックアップしたレビュー本です。言及数であれば100作を超えているとおもいます。突貫でつくったため、後悔も多い本ではありますが、いつか完全版とよべるものにしたいですね。いつになるのかはまったくわかりませんが……。

 そして今回、推薦文というかたちで坂崎かおるさん、南木義隆さんに短文を依頼させていただきました。BOOTHの商品紹介でも読めますので、ぜひ。

 表紙は『まちカドまぞくアンソロジー』に寄稿し(はしば名義)、現在、『陰キャだった俺の青春リベンジ 天使すぎるあの娘と歩むReライフ』のコミカライズを担当している伊勢海老ボイル先生に担当していただきました。むかしからイラストを頼みたかった方だったので、うれしくてなりません。

 

『あのそよアンソロジー 迷惑星(まどいぼし)』「あの灯にはわたしにないものを」

 冬コミの二次創作にBang Dream! MyGO!!!!!の二次創作百合を寄稿しています。千早愛音さんと長崎そよさんのカップリング”あのそよ”です。しっとり重めの短編です。

 以下で通販予約もはじまっております。

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=2264286

 

 そのほかの公募にもいくつか出してもいるのですが、結果は伴っていないのでお察しください。来年はせめてよい結果につなげたいと思います。おそらくまた告知のできるものもありますので、とりあえずは一月の文学フリマ京都8でお会いしましょう。きっと新刊が出るはず……よろしくお願いします。

c.bunfree.net

 

エンディング:「眠れない」


www.youtube.com

『記憶ミステリアンソロジー:だれかがいた庭』について

須藤佑実『夢の端々』より。

 幼いころのことだ。だれかが数分前までいたような、あるいはずっと前に歩み去ったような庭を見たことがある。

 そこには見知らぬ――しかし不思議と親しみさえ覚えることができる――人々の息づかいが感じられ、優しい風と緑に包まれ、柔らかな日差しが差し込んでいた。そして不思議と、かつて自分もこの小さな庭を訪れていたような気がしていた。あるいはそれは、自分が思い出せない遠い過去に、物語で訪れた場所であったのかもしれない。

 記憶をめぐる小説には、しばしばこうした、しずかな予兆と確信とが横たわっている。むろんそれは大切ななにかとの〈再会〉へと向かっていくことになるのだが、掴み所がないまま、最後まで正しい意識の方向を見出せないこともある。

 けれども語り手は/読者は/あなたはそっと、たしかに思い出すのだ。

 

 ――わたしはこの場所を知っている、と。

 

 さて、前置きはこのくらいにして、具体的なアンソロジーの方向性を語ろう。

 かつて竹本健治は謎解き探偵小説に似ているが、一般的にそのジャンルに期待されるような「論理的な解明」で「割り切れた解決」に至るとは限らない作品を〈疑似推理小説(ミステロイド)〉と呼んだ。もちろんそこで竹本が意識していたのは、変格探偵小説やその先に向かうアンチミステリ、メタミステリ、あるいは奇書の類であったかもしれないが、この『だれかがいた庭』として編んだ作品群は、そうした「記憶の割り切れなさ」に部分的には触れつつも、もうすこしべつのベクトルを持っている。

 わたしはそれを〈人生の謎〉と仮に呼ぶようにしている。

 本アンソロジーに集めたのは、そうした謎がほどかれたり、固く結ばれたり、崩れたりする瞬間を描いた作品たちだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

・そんなミステリアンソロジーは2023年12月現在、存在しない。

・でもあったらうれしいよね。

・あらゆる読者は自分だけの架空のアンソロジーを編みたい欲求を持っている。

・したがって編んでみた。

・ミステリといっておきながら本格ミステリ的な謎解きはほとんどない。

・あるいは〈人生の謎〉とでもいうべきものたちが残っている。

・せーのっ、北村薫先生に感謝。

 

《マイ・アンソロジー》を作るのは、難しいことではありません。そして、《アンソロジー》は、作った《自分》の《今》を語ります。

北村薫『自分だけの一冊―北村薫のアンソロジー教室―』(新潮新書

 

『記憶ミステリアンソロジー:だれかがいた庭』収録作品一覧

鮎川信夫「偶然の目」

三浦哲郎「拳銃」

・酒井田寛太郎「自画像・メロス」

堀江敏幸イラクサの庭」

恩田陸「ある映画の記憶」

石川博品「平家さんって幽霊じゃね?」

林京子「道」

奥泉光「石の来歴」

・内海隆一郎「小さな手袋」

魚住陽子「奇術師の家」

北村薫「しりとり」

 

 

鮎川信夫「偶然の目」

www.kosho.or.jp

 作者の名前としては〈荒地派〉の詩人、そしてエラリー・クイーンの訳者としてのほうが有名であろう。本作が収録されている作品集『厭世』はウィキペディアでは〈エッセイ・評論〉のなかにリストアップされているが、阿部昭『新編-散文の基本』(中公文庫)によれば、阿部は本作を短編作品として認識していたようだ。

 最初の行は、シンプルに「私の最も古い記憶といえば、」とはじまる。しかしすぐにぎょっとする。なぜならそのつづきが「関東大震災の時のものである。」と結ばれるからだ。満三歳の年齢であった作者は、家で被災した瞬間を語っていく。もちろんそこには想像で補われた部分もあろうと思われるが、しかしそれは生き延びた記憶でもある。「関東大震災は全壊家屋五十%を越えた地区がいくつも」あった。ゆえにタイトルの通り、「偶然の目」によって生きたことが語られる。

 当時、家にいたのは、母、自分、そして妹。自分の記憶には、「誰かに抱きかかえられて外に連れ出され」た、とあるのだが、しかし妹は乳飲み子であるから、自分が抱きかかえられたはずがない。では、その抱きかかえてくれた人物とは何者であり、そこに必然はあったのだろうか。震災という出来事の「語り」が重要になっている現代であればこそ、この一編の持っている重みは大きくなるのではないだろうか。

 

 

三浦哲郎「拳銃」

 言わずと知れた、短編の名手、といっていいだろう。それもほんとうに短い文章のなかで、人生のほんの小さな出来事を切り取ることにかけての達人が三浦哲郎だ。とはいえ、本作はそうした三浦作品のなかでも特に犯罪性を帯びている一作でもある。

 八十三にもなるおふくろからある日、手紙が届く。『近々こつらへ来る用はないでしか。また一つ相談事がありまし。ちょっと寄ってくれれば助かりまし』と田舎訛で書かれている。そしてじっさいにおふくろと会ってみると、その相談事というのは、生前、父が持っていた一挺の拳銃のことだった。

 父親は、生前軍人でもなかったし、やくざでもなかった。小さな田舎商人にすぎなかった。その父親が形見として、一挺の拳銃と五十発の実弾入りの箱を残していた。もちろん警察に伝えなければ違法である。しかしそれを見ながら考えているうちに、「私」はかつて「一瞬のうちに父親のすべてがわかったような気がした」ことを思い出し、時間を越えて父と子の関係の糸がしずかに結ばれていく。

 なお、本作には「河鹿」という続編もあるが、まずはこの「拳銃」という作品単体の短さそのものを味わっていただきたい。

 

 

酒井田寛太郎「自画像・メロス」

 白鳥真冬は曾祖父である上村宗次郎の一周忌に合わせて遺品整理をしている。政治家の家系である真冬であるが、それは主に父方のほうであり、母方の家系はみな穏やかな性格をしていた。とはいえ絵画を趣味にしていた曾祖父もかつては消防士であり、〈英雄〉とさえ呼ばれていたという。真冬は箪笥の薄闇のなかから一枚の遺書を見つける。そこにはただ一言、「メロスを捨ててくれ」とだけ書かれていた。

 ジャーナリズム研究会の工藤啓介はその話を聞いて当然、太宰治の小説「走れメロス」を思い出す、しかし、さすがにその小説を捨てろ、というのは遺書としては些細すぎる。であれば残るのは、彼の趣味であった油絵『自画像・メロス』という存在だけだった。しかし〈英雄〉とまで呼ばれた人物が、なぜその勇敢な物語を自画像として描いたものを捨てろといったのか。真冬と啓介は絵画の残されている箱根へと小さな旅をはじめる。

『ジャナ研の憂鬱な事件簿』は全五巻のライトノベル。シリーズで扱われているのはタイトルのとおり憂鬱な事件ばかりだが、いくつもの出来事の謎を解いていくうちに、主人公たちは次第に「真実を明かすことが人を救うことになるのか」という探偵の業へと踏み込んでいくことになる。けれどそうした陰鬱さのなかであっても、ひとかけらでも意味があることをこの短編は描いている。とりわけ、本作の最後の一文は、そうした他者との関わりに、光を見出そうとした言葉によって結ばれる。

 

 

堀江敏幸イラクサの庭」

 架空の地域・雪沼を舞台とした連作のなかの一編。料理教室を営んでいた小留地(おるち)先生が亡くなり、受講生であり、のちに先生の助手にもなっていた実山さんは、先生の最期の言葉をうまく聞き取れなかったことを悔やんでいた。

 初七日が過ぎ、実山さんは知人とその話をする。どうも「コリザ」と聞こえたように思うのだが、具体的には察しがつかない。「コリーダ」や「狐狸」などと周囲はその言葉を推測するが、それらは正しい答えとも思われない。やがて実山さんは先生が雪沼にやってきたころからの出来事を想起してゆく。

 前述の「拳銃」や「自画像・メロス」と同様に、本作もまた、死者の横顔に触れていく物語である。けれどもここでは推理小説らしい演繹の手続きはなされない。ただ、小留地(おるち)先生の過去を思い出し、そっと雲間から光が差していく様子が描かれる。実山さんはいつもイラクサのスープを飲むことができなかったが、しかし先生が何度もつくっていく姿を見て、知っていた。ゆえに最後にはささやかな答えにたどり着く。だからこそ、その謎がほどける瞬間、小さな〈奇跡〉が起きるのだ。

 

 

恩田陸「ある映画の記憶」

 記憶の中では、その映画は白黒である。潮が満ちてくる海辺の岩で、母と子が会話をしている。不穏な潮騒。母親は、幼い息子に言い聞かせる。決して後ろを振り返ってはいけません。言いつけの通り、息子は陸に向かって歩き、やがて振り返る。そこには荒々しい波があるばかり。ずいぶんと経って、その映画を『青幻記』というものだと知った。

 伯父の葬儀の帰り道、ふと幼いころに一緒にその映画をTVで見ていたことを思い出し、母に尋ねる。今ここで、確認しておかねばならないという気がしていた。すると母は答えた。「悦子さんが亡くなった時のことを思い出したんじゃなくて?」意外にも返ってきたのは、夏休みの終わりに亡くなった叔母さんの名前だった。

 叔母の死には奇妙なところがあったという。しかし証言を突き合わせるとあくまで事故死なのだった。幼い頃の記憶に親類の死が重なることは往々にしてあるように思われるが、物語を通して鮮やかに立ちのぼってくる情景と謎解きによって、どこまでも記憶は暗闇のなかへと反響してゆく。

 なお、本作は二〇二三年に『密室ミステリーアンソロジー 密室大全』(朝日文庫)にも収録された。また作中に登場する『青幻記』の原作は一色次郎によるもので、第三回太宰治賞を受賞した。同賞の最終候補には金井美恵子『愛の生活』がノミネートされていた。

 

 

石川博品「平家さんって幽霊じゃね?」

 平家さん幽霊説を言い出したのは俺じゃない。なにしろ平家さんは俺と及川がつきあうきっかけになったのだから。けれど俺のいるカルトゲーム研究会にやってきた転校生・曽禰みるくは平家式子(のりこ)が幽霊だという。そんなはずはない。平家さんはド金髪で、スカート超短くて、カバンいっつも空っぽで、飴かガムのにおいさせてて、遅刻・早退・脱走の常習犯で、校則違反のバイク通学してて――要するにDQNなのだから。

 記憶というのはべつに忘れ去られたり、思い出されたりするだけのものではない。であれば怪談というのはまさしく「生きている記憶」そのものではないだろうか。

 本作で登場するキャラクター・平家さんの名字はもちろん平家物語から来ている。平家さんは擬古文調でしゃべり、その発話にはカギ括弧がつかず、一字下げで記述される。さらに彼女はヒッピホップを愛好している(おそらくラップ音と関連している)。というとかなりのギャグ路線に見えるかもしれないが、この小説は怪談という形式を通して、わたしたちと記憶の距離を常に試しているのである。たぶん。おそらくは。

 

 

林京子「道」

 長崎に着いた私は、予定まで少し時間があることに気づく。二、三日後に予定していた母校の訪問を先に済ませてしまえば、これから訪ねていく田中先生との話も具体的になるのではないか。原子爆弾で死亡したN先生と、T先生の墓が長崎市内にある、と同級生が連絡をくれたのは、こうして長崎に発つ三日前のことだった。

 N先生とT先生は、私たちN高女三年生の学徒動員について兵器工場に出向した三人の教師のうちふたりである。兵器工場で即死したのがT先生だが、N先生は九日以後、一月ばかり生きていたという。そして三人目のK先生の場合は、即死、の噂だけで、細部の消息は知れない。私も、もう身軽になりたい。確かめた死の一つ一つを、八月九日から剝ぎとって、私もあの日から抜け出したいと思っていた。

 戦争、とくに極限状況である原爆投下時の記憶をたどろうとする作品である。先生たちの死にざまは、証言のあいだで揺れ動き、正しく一致することがない。ただ、生きている人々のあいだに名前だけが漂っている。「それぞれが確かな話である。それでいて問い詰めていけば確かな話は二つに、三つに、わかれ」ていく。街の道は時代とともに塗りつぶされ、ただのその上に、賑わいが生まれ、人々たちがまた生きていく。

 

 

奥泉光「石の来歴」

 河原の石ひとつにも宇宙の全過程が刻印されている。太平洋戦争中の昭和十九年師走半ば、フィリピンはレイテ島北部の天然洞窟のなかで、栄養不良とアメーバ赤痢に悩まされていた真名瀬は、ひとりの上等兵からおもむろにその講釈を受けた。やがて引き揚げて秩父で商売をはじめたあと、彼はふと独学で石を集め、分類をはじめるようになる。

 とはいえ、彼は自分に石の話をしたあの上等兵の顔をいつまで経っても思い出せなかった。あの饒舌な語りだけが浮遊している。のちに長男の裕晶が生まれ、真名瀬は彼に地質学を教え込む。とはいえ結局肝心なことを伝えようとするとき、口をついて出るのはいつも上等兵から聞いた言葉だった。しかしあるとき、その長男が死に絶えてしまう。

 主人公は、暗い戦争の記憶を抱えている。戦うことのできなくなった同胞が、大尉によって目の前で殺されるのも見ていたはずだ。では彼はPTSDの症状に悩まされていただろうか。傍目にはそう見えない。しかしなにかを説明するための言葉に、くり返し立ち返りつづける。であればこれは人の生死に〈意味〉を求める自然な成り行きなのだろうか。しかしすべての記憶は、因果は、真実は確定しない。にもかかわらず言葉はくり返される。河原の石ひとつにも宇宙の全過程が刻印されている。ここで語られる記憶という存在は、まるで奥の見えない、どこまでも真っ暗な洞窟のようでさえある。

 なお、本作は奥泉光自身が編集に携わっている叢書『コレクション 戦争×文学13 死者たちの語り』(集英社)にも収録されている。

 

 

内海隆一郎「小さな手袋」

 私の家から歩いて五分ほどのところに、武蔵野の面影を残した雑木林がある。六年前、私の次女はそこで年老いた〈妖精〉に出会った。そのとき、シホは小学三年生だった。

 けれども〈妖精〉は、じつは林に隣接している病院の入院患者だった。脳卒中のリハビリのために、おばあさんはいつも雑木林で編み物をしているのだという。だがそのころ妻の父も脳卒中で倒れていた。やがて私たちは列車に乗り、シホははじめて身内の不幸を経験する。そのころ、娘のなかで何かが変化したのを私は目撃したように思った。そしてあたかも自然に、彼女の足はあの雑木林から遠のいていった。

 わたしたちがつい忘れがちなのは、子供にとって、ほんの短いだけの時間がどれほどまでに濃密であり、しかし主観的には長いものであるかということだ。子供はめまぐるしい速度で変化を経験し、そして周囲を残酷なまでに置き去りにする。しかし、それでも子供は自らの残酷さに触れることで、また進んでいく。

 この小説とわたしがはじめて出会ったのは、中学二年の国語の授業でのことだ。もし、いまこの文章を読んでいるあなたも「小さな手袋」のことを思い出すことができたなら、それもまた記憶のもたらす柔らかい手触りのひとつになっていくことだろう。

 

 

魚住陽子「奇術師の家」

 私と母は義姉の夏子の紹介で東京に呼び出され、築三十年の、取り壊すことが決まっている三笠さんの家に住んでいる。それはいつ大きな発作に襲われるかもしれない心臓病の母の面倒を見るために仕方ない選択だった。そうして東京の勤め先も世話してもらっている。しかしある日、仕事から家に帰ってきた母は、「荷物の整理」をしていると言う。それは三笠さんの物だから、と私が指摘すると、落ち着き払った声で母は答えた。

「この家にあるお道具も荷物も、三笠さんの物なんかじゃありませんよ。この家の物はみんな柱の傷まで鬼頭さんのものですよ」「鬼頭さんはね、外国に武者修行に行っていたの」「鬼頭さんはね、奇術の修行に行っていたの」

 淡々とした日常のなかに、知らない記憶が混じってゆく。喫茶店で出会う、「鬼頭さん」を知っているという老婦人。納戸や物置きから母が発掘してくる器や美術品。やがて起きる小さな事件。そして母は、かつてあったものを次第に虚空に見出すようになっていく。しかし気づくと私たちは、まるで魔法にかかってしまったかのように、母の見たものを一緒に目撃する。けれどもそのまぼろしは一瞬のうちに消えていく。なぜならほんとうにすぐれた奇術は、だれにもその種を明かさないのだから。

 作者は長いあいだ忘れ去られていたが、近年『小川洋子の陶酔短篇箱』(河出文庫)で紹介されて以来、再評価がはじまっている。惜しくも二〇二一年に亡くなってしまったものの、二〇二三年末には、生前発表されなかった唯一の長編『半貴石の女たち』が刊行された。

 

 

北村薫「しりとり」

 向井美菜子さんは、わたしとよく仕事をする編集者の一人である。あるとき、彼女のご主人が亡くなる前に、ちょっとした謎かけをした話を振られる。ベッドで、和菓子の黄身しぐれを食べるとき、〈何か書くものあるか〉といったという。

 ご主人はペンをもらうと、紙の上に、〈しりとりや〉と書いた。つづいて〈駅に〉〈かな〉と書く。そして最後に〈駅に〉と〈かな〉のあいだにしぐれを置いた。結局その謎は解けなかった。わたしは思い当たることはありませんか、と訊ねる。向井さんはご主人と出会ったときの思い出をそっと語りはじめる。

 ほんの、文庫で二十ページほどの小品である。それこそ手のひらの上に乗ってしまうような、和菓子のようにささいなものだ。けれどもこの謎解きは、その小ささゆえに人の心に届くものになっている。

 わたしたちはあと何回、このような〈人生の謎〉に出会うことができるだろうか。だれかの横顔を思い出せるだろうか。そう思いをはせながら、最後の頁を閉じてほしい。

 

 

 ずいぶんと時間が経ってから、ふとあなたは本棚からそれらの古い短編群を取り出してみるかもしれない。淡い記憶をたしかめるように、あるいは忘れたなにかともう一度向き合ってみるために。だからこのアンソロジーはそのとき、ようやく嘘と魔法とが同居する、不思議の庭になっている。

 そこできっと、あなたは思い出すことだろう。

 そのほんの手のひらほどの、小さな庭のなかに、親しいだれかがいたことを。

 

 

お知らせ:文学フリマ京都8

c.bunfree.net

 まだ詳細は未定ですが、文学フリマ京都8に〈ストレンジ・フィクションズ〉で参加します。今回のブログ記事の内容をはじめとしたストフィクメンバーによる〈架空アンソロジー〉特集やお蔵だし創作物を集めた『ストフィク4』が出る予定です。たぶん。

 なにとぞよしなに。

 

関連記事

saitonaname.hatenablog.com

織戸久貴「下鴨納涼アンソロジーバトルコンテスト」掲載

hanfpen.booth.pm

エンディング:arne「記憶遡行」


www.youtube.com

 

今年映画館で観た映画たち2023。

 メリークリスマス、ミスターローレンス(北野武のドアップ)。

 タイトルの通りです。年末まとめ記事です。今年はテンションが上がらなかった(映画館までたどり着いては「今日は気分じゃないな……」となって帰宅)ばかりしていたので少なめです。なんなら人間への興味をだんだんと失いアニメしか観なくなっていく過程がドキュメンタリーちっくに語ることのできるラインナップになりました。

 また今年はU-nextポイントを5000くらい無駄にしたので、死んだポイントのために、いま祈りたいと思います。合掌。それではやっていきましょう。

 

 

1.かがみの孤城

movies.shochiku.co.jp

 辻村深月ジュブナイルファンタジー、一年という長い時間をかけて物語をつくっていたのは好感が持てた。あの暴力的なシーンの昭和っぽいギターはほんとうにダサいのでそこだけはどうにかすべきだったと思う。それ以外はよい。

 

2.ラストエンペラー

www.youtube.com 劇場で、2K?で観た。オリエンタリズム満載なので現在はおそらく撮れない脚本の映画なのだが、ラストの映像のマジックは最高なのでよかった。

 

3.恋のいばら

https://koinoibara.com/

 カスみたいな男は消えればよいという態度のGood映画。全体的に粗いところはあるが、ラストの百合オタクが見た夢みたいな映像があるので総じてプラスといってよい。

 

4.アイカツ! 10th STORY 未来へのSTARWAY

www.aikatsu.net

 アニメキャラクターの卒業映画というかたちでこういう時間操作をされるとは思わず。以下、ネタバレ感想(オタクすぎる……

アイカツ10thメモ - Google ドキュメント

 

5.エゴイスト

egoist-movie.com

 後半の果物買いに行くシーンのリアリティがよかった。にしても主人公めちゃくちゃいい家に住んでんな……とは思うが、ファッション雑誌の編集者だもんな……。にしてもこの映画、鈴木亮平のキャラデザがいい……。

 

6.別れる決心

happinet-phantom.com

 プロットはおおむね想像通りなのだが、ビジュアルだけですべてを持っていくことができるパワーがさすが。リファレンス的に『氷の微笑』をみるべきか迷う。

 

7.フェイブルマンズ

www.universalpictures.jp

 感想はブログに書いた。

saitonaname.hatenablog.com

 

8.Winny

winny-movie.com 自分は東出昌大という俳優の持っているヴィジュアルにおける奇妙なほどの人間味のなさに惹かれている部分があるため、とにかくこの人でノワール映画を撮ってほしいんだけどね。映画じたいは東出と三浦の友情。主張についてはまあ、毀誉褒貶、というあたりにすべきではありますが。

 

9.メグレと若い女の死

unpfilm.com フレンチ~な感じの映画だった。といっても途中疲れており、気絶――。

 

10.シン・仮面ライダー

www.shin-kamen-rider.jp 池松壮亮映画としてはまだまだというところだと思う。序盤の不穏さはよかったが、浜辺美波の目をCG処理して左右にブレさせたりなど、ところどころで役者を素材と捉えているところがあり不安になるなどした。

 

 

11.グリッドマン ユニバース

ssss-movie.net 告白待ち状態の女の子を描いただけでももういいんじゃないでしょうか。あと必殺技叫びすぎてなに言ってるのかわかんないのもよかった。オタクが好きそうな肌色多めコスプレで登場した新条アカネを見て、かなりスッと心が冷めてしまったところはあるけれど……。

 

12.ガール・ピクチャー

unpfilm.com 現代ティーンエイジャー映画の最新版としてかなりよかった。とはいえ、むかしはこういう映画を「キュート」みたいな言い方して紹介する文化もあったが、そろそろ滅ぶんだろうなとも感じた。ストーリーが三等分されているところがあって、もうすこし尺はほしいっちゃほしいけれども、このノリはぜんぜん嫌いではない。

 

13.世界の終わりから

sekainoowarikara-movie.jp セカイ系が還ってきてびっくりした……。え、なに、いいんですか、こんなもの見せてもらって……という感じ。従来のセカイ系では無力な少年視点がベーシックな語りとして採用されるが、こちらは世界や不幸を背負う少女のほうの語りとしてリミックスされており、それが味になっている。というかね、あれですよ、あれ、護衛をしてくれるスタイリッシュなかっこいいお姉さんと世界を守っている仕事の合間に「気になってる男子っていないの、たとえばあの子とか……」「違いますから!!!あいつはただの幼馴染で……」みたいな会話シーンあるじゃないですか、が好きなら見たほうがいいです(早口ろくろ成形

 

14.若き仕立屋の恋 Long version

theater-list.com 様式美映画。でも『恋する惑星』が完璧すぎるだけ。

 

15.マリウポリ 7日間の記録

www.odessa-e.co.jp きっつい。とにかくきっつい。どんどん街が破壊されていくのが定点カメラでわかってしまう。たった七日間であるのに。

 

16.青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない

ao-buta.com 梓川咲太という少年がいかに花楓のことを大切に思っているかが客観的に描写されるという点で、すぐれた映像化である。

 

17.君たちはどう生きるか

www.ghibli.jp 最初の60分がいちばんおもしろかったね。

 

18.特別編 響け!ユーフォニアム アンサンブルコンテスト

ensemble.anime-eupho.com キャラクターの何気ない成長を描くといったことができるシリーズというのは幸福だと思う。そしてこれは幸福な作品である証拠になっている。

 

19.骨/オオカミの家

www.zaziefilms.com バッドドリームとして完成されすぎている。正直「骨」だけでもすごすぎる。

 

20.アリスとテレスのまぼろし工場

maboroshi.movie ブチ切れてしまった。以下、ネタバレ感想。

saitonaname.hatenablog.com

 

21.ガールズ&パンツァー 最終章 第4話

girls-und-panzer-finale.jp これやったら映像的におもしろいけど予算がものすごい速度で溶けるよな……って思いながら観てたらほんとにやったのでドン引きした。

 

22.駒田蒸留所へようこそ

gaga.ne.jp 可も無く不可も無く。お仕事をよいというのと時間外労働がよいというのは別だってどうして描かれないのか不思議なのと、『マッサン』の存在をだれも口にできない謎の世界になってしまっている点は惜しい。

 

23.劇場版 ポールプリンセス!!

poleprincess.jp 女児アニメ。演算やばそうっていうのと人間の間接すごい、という気持ちになれる。ストーリーは大してない。ポールがあるがゆえのカメラワークに期待したところはあったけれど、そこはまだ研究中という印象だった。

 

24.鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

www.kitaro-tanjo.com ぜんぶオタクが好きそうなやつで出来ててここまでちゃんと組み上げることができるのか、とふつうに楽しく観てしまった。序盤の格子越しの視線(村人の視線に思える)のカットが切り替わると祠だったことがわかり、この場所には人間以外の視線が存在しているとわかるあたりでもう痺れてしまった。

 

25.青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない

ao-buta.com 正気では観れなかった。咲太くんというけっこうマイナスを抱えつづけた少年の話をするときに、ヒロインが一巻のリフレインをしてくれるのは、うれしい!!!

 

26.映画 窓ぎわのトットちゃん

tottochan-movie.jp 今年いちばんグロテスクに戦意高揚を描いているアニメだった。あそこにで少年たちが全員マスクしているのも、人間が人間でなくなっている印象にも見えていて、かなりダメージを受けた。にしても建物疎開でぶっ壊れるトットちゃんの家の作画がよすぎる。

 

27.Ryuichi Sakamoto: CODA

cineric.jp 開幕からしてよかったので、たぶんこの映画の経験は近いうち小説に使うかもしれない。

 

 

 とりあえず27作。年内にあと3作みて追記して、30作にしたいです。

 

エンディング:クレナズム『ふたりの傷跡』


www.youtube.com

印象に残った百合漫画2023

 タイトルの通りです。じつは同様の企画記事を2019年にもやっていたのですがその後3年にわたって続けることができませんでした。どうしてでしょうか。答え:だめ人間なので。

 人気作品?と思われるものは省きつつ、新作や今年に入って自分が読むようになった作品(新作ではない)も列挙していきます。よろしくお願いします。

saitonaname.hatenablog.com

 

 はも『マグロちゃんは食べられたい!』

 フォロワーに教えてもらったなかで今年いちばんのインパクトをもった4コマまんが。マグロを釣ったらそれが人間になって「運命」「食べられたい」と言い寄ってくる異形の百合まんがです。あきらかにタブーに接触しているコンセプトからしてクレイジーなのですが、じつは登場人物全員ナチュラルにクレイジーではないのか、ということがわかってくるのがむしろ素晴らしいです。

魚が好きすぎて、学校に七輪を持ち込んでいるコマ。

得能正太郎『IDOL×IDOL STORY!』

 アイカツ!やプリティシリーズなどのオタクである得能せんせいがアイドルもの、しかもオーディション形式のスタイルで連載をやるということで、どこまでその世界のバトルロイヤル的な歪さを昇華できるか不安だったのですが、蓋を開けてみればアツいスポ根友情ストーリーとなっており、しっかり前述のアニメのバイブスを受け継いでおり感動できます。物語は途中から船の上になり、これってヴィーナスアークでは……

どきっとする百合要素も適宜入ります。ありがとう……。

U-temo『私だけの痛みをください』

 短編。だれかにガツンとぶたれたい衝動に侵食された女が女に殴られるのをお願いするまんが。狂っているのに、絶妙なおもしろさと爽やかさのバランス感覚で駆け抜けていく。おすすめ。

 

柴崎しょうじ『ラブライブ! School idol diary セカンドシーズン01 ~秋の学園祭♪~』

 これもフォロワーに教えてもらったもの。アニメ本編しか見ていなかったのだが、その本編を圧倒的に超える濃密さでほのうみが展開される。天才か……。

劇場版か?

南高春告『転生王女と天才令嬢の魔法革命』

 今年みた百合アニメでいちばん感動したので、コミカライズも読んだ。アニメのほうは美麗なキャラクターと渡航っぽい言い回しでドライブ感があったが、こちらは顔の崩し方が絶妙でGood。本格的におもしろくなるのはこれからですね。

 

沼ちよこ『ないしょのおふたりさま』

 グルメ百合漫画があふれている昨今ですが、おべんとうをテーマにしつつおこなわれるやりとりは新鮮で素晴らしい。餌付け百合ですね。黒瀬さんが留年しているのも佳い(しみじみと)。

この構図は発明だと思います。

 

赤樫『たびみまん』

 二巻完結。滋賀を舞台にした小旅行百合です。県民であればかなり見たことある風景が多くて嬉しくなるんじゃないでしょうか。ひさびさに滋賀に行きたくなったな、エッシャー展あるし……。

www.sagawa-artmuseum.or.jp

 

くずしろ『雨夜の月』

 某イベントで河出書房新社の石川さん(『百合小説コレクションwiz』の編集担当)が紹介していたので一気読みしたもの。一巻では手話における「結婚」が男女を前提としたものであることに触れている。健常者では、わざわざ興味を持たなければと気づけないことをふたりの関係の進展とともに誠実に扱っている作品だと思いました。

 

星期一回收日『ネコと海の彼方』

台湾の百合小説『奇譚花物語』のコミカライズを担当した星期一回收日せんせいの作品。小学校でぱっとしない少女が、前に座っていた女の子と漫画を通して交流していた思い出に触れていく。切ないガールミーツガール。

圧倒的な説得力(画力)を持って髪に触れていく出会いのシーン。

 

冬虫カイコ『みなそこにて』

 三巻完結。冬虫カイコ先生がこんなに不穏なホラー百合まんがを描けてしまうなんて初期短編集のときにだれが想像しただろうか。全ページから漂ってくる不穏さ、アンバランスさ、そしてしっとりとした水の感触。母親が妊娠したため、そのあいだおばあちゃんの家がある村で世話になるのだが、そこには人魚の言い伝えがあって……。

このあきらかに日常のどこかがぶっ壊れている感じなど、最高だと思う。

 

宮原郁、Ru『夏とレモンとオーバーレイ』

 第3回の百合文芸小説コンテストの百合姫賞コミカライズ作品。自分の葬式で遺書を読み上げてほしいと売れない声優の主人公は頼まれる。今年自分は『声百合アンソロジー』というのをサークルで企画していたんですが、こういうのをやればよかったな、と読んで歯がみするなどしました。

声百合アンソロジー まだ火のつかぬ言葉のように - ストレンジ・フィクションズ - BOOTH

 

くわばらたもつ『ぜんぶ壊して地獄で愛して』

 ポストきたかわになるか否か――。

 

佐倉おりこ『すいんぐ!!』

 五巻完結。ゴルフ部活もの。とにかく佐倉おりこ先生の描くキャラクターは愛嬌があって健気で応援したくなります。メロンブックス等で百合編が出ているので売り切れる前に買いましょう。つばさ文庫で表紙とコミカライズを担当している『四つ子ぐらし』も素晴らしいワークスです。

 

蓬餅『百合にはさまる男は死ねばいい!?』

 タイトルがもったいないくらいに素晴らしい青春漫画です。吹奏楽を通してふたり一緒に吹くことと男女恋愛のあいだを取り合うのが序盤の展開ですが、次第に惹かれてあっていくふたりの距離が絶妙な温度感で描かれます。とくにそれぞれの内面が語られることで、なぜその距離があるのかがわかる瞬間の説得力。

佳い(しみじみと)。

 

とこみち『見上げるあなたと星空を』

 一巻完結の百合4コマ。たまたまセールで見かけて緑の表紙がいいな、と思い購入。天文部の生徒と先生だけの他愛ない会話のなかにはさまれる詩情がうつくしい。この静けさはたぶん(ほとんど)四コマだからできていると思えるので、そういう意味で、いまとなっては希有なまんがかもしれません。

淡々としつつも差し出される言葉に青春らしさがある。

 

蟹『あの頃の青い星』

 タイトルは知っていたがそういえば読んでいなかった、と今年6巻が出たタイミングで一気読み。え、これ無料で読めてしまっていいんですか。ゼロ年代~10年代の百合漫画の精神を継承しつつ、ゆるやかな日常のなかで交差していく関係がいい。

 

幌田『またぞろ』

 三巻完結。これについてはブログを書いたので。

saitonaname.hatenablog.com

深海紺『恋より青く』

 前作『春とみどり』がめちゃくちゃ好きだったので当然読む。違う学校の、電車のなかだけで会うようになるふたり、という出会いのコンセプトがいい。深海先生らしい淡い感情の積み重ねをどこまでも読みたい(感想)。

 

郷本『破滅の恋人』

 放課後の帰り道、知らない怪しげなお姉さんに出会うまんが。実験百合まんが、といってもいいくらいにコマ割りが変則的で、もはや感触としてはバンドデシネに近い。これが楽園で連載されているのはうれしい、けどあとどれだけ待てば二巻出るんですか????

描き込み、というよりは一枚の絵としての置き方の良さ。

そしてありすの心象風景がそのまま絵になったり、視線の切り替えがさりげない。

 

梶川岳『パパのセクシードール』

 2023年ナンバーワン百合SF。父親のセクサロイドに恋人と母親とその他の愛情すべてをベットしていくさまがすさまじく、こういうのがいいです(率直な感想)

 

カボちゃ『三角形の壊し方』

 付き合っていたふたりの片方が神隠し?にあい、7年後に再会する。片方は当時のままの姿で。しかし彼女たちの関係はもともと三人でできていたものだったーー(ここで内蔵がぐちゃぐちゃに破壊される)。

 

 

紫のあ『この恋を星には願わない』

 もともと富士見L文庫の表紙で認知していた作家さんだったが、とにかくコマ割りが映像的ですばらしい(こいつさっきからすばらしいしか語彙がないな)。女女男の幼馴染み三角関係百合であるが、次第にキャラたちの立場を加速させていきながら、感情の持っている繊細さは決してないがしろにされないどころか、どんどん重くなっていく。

こうして向かい合っていたふたりが、

次第に壁を隔てたようになってしまう。

 

 というわけで22作ほど紹介しました。みなさんもよい百合ライフを。

 

 それと年末のコミケ、青華団さん主催の『あのそよアンソロジー』(バンドリMyGO!!!!!二次創作)に小説で参加する予定です。スペースは「日曜日 西地区 “こ” ブロック 28b」とのことです。一緒に『売春百合アンソロジー』も頒布されるとのこと。

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=2264286
 メロンブックスでも予約受付がはじまっています。

 

これは自作のイメージ図(本文には載りません)

 なにとぞよろしくお願いします。


www.youtube.com