フェイスブックと距離感覚


ツイッターフェイスブックってとかく比較されるけど、同じ物差しで測れるものではないので単純な優劣などないわけです。ええ、言うまでもなくツイッターフェイスブックは使い分けです。もちろん片方しか使わない人もいるでしょうけれど。


自分自身とそれぞれのサービスの関係を見直してみると、ツイッターというのはぼくにとって「ネット世界」あるいはネット越しの「リアル世界」との接点。実際にはフォローする/されるという関係を通して人と人がつながっているわけですが、その結びつきのゆるさゆえ、あるいはリツイートという強烈な伝播の仕組みのために、個々のユーザーが際立って見えるというよりはツイッターというサービス全体がある種の集合体のように感じられます。一方フェイスブックは人対人の結びつきがよりはっきりしており、基本的には相互作用の連続で成立しているような世界であって、リアル世界の友人関係を拡張した場と言えます。ツイッター=世界との接点、フェイスブック=人とのつながり。


ツイッター上で知人同士の会話を中心にやり取りしている方々はむしろフェイスブックの方が居心地がいいはずなので、実名のところさえ気にならなければもっともっとフェイスブックへ人が流れてもおかしくはないと思っています。そういう意味ではフェイスブック人口はまだまだ増えるでしょう。(欧米並みの爆発的普及となるかどうかは正直わかりませんが)


距離感とか間合いとか、そういったものは両者でまったく性格が異なります。ネットとフェイスブックによって、ぼくたちは24時間知人とつながっていられます。実際には、デイトレーダーよろしく一日中ずーっとフェイスブックを眺めているような変わり者でなければ「常時」接続しているわけではありませんが、知人がどこにいるのか、何をしているのか、何が気になったのか、といった情報をリアルタイムに近い形で容易に手に入れられるようになったのです。より正確に言えば、自分が「手に入れる」という片方向ではなく、相手も自分の行動や思いを受け取っているのですが。この、フェイスブック時代の「知人との距離感」を楽しいと感じるかどうかが、フェイスブックへの没頭度合いの温度差として表れてくるんだと思います。


ぼくがこのエントリーを書いたのは、フェイスブックがじわりじわりと「ネットでのホームポジション」的な存在になりつつあると言われる中で、本当にそういう世界になってしまうんだろうかということを日々ぼんやりと考えている、ということを書き残しておきたかったからです。(特に結論めいたものがあるわけではありません、ごめんなさい) リアル世界では物理的な制約によって適度な距離感が保たれていた「人間関係」が、ネットとフェイスブックによってぎゅーっと縮められたわけですが、人間という生き物はそういう関係性にあっさり対応してしまうんだろうかという点に、デジタル紀元前生まれの者として乗りきれない何かを感じている、そんな日々を送っているのです。なんとなく、今ぐらいがちょうどいい*1んじゃないのかなー、と。

*1:人と人の結びつきを強めていくインフラとしての発展はほどほどに、今後はそのソーシャルグラフを活用した別の何かをフェイスブック自身ではなく利用/開発者側が開拓していく時代とでも言いましょうか。ゲームとかソーシャルアプリっていうものとも違う方向性。。。それって何だ?なんですが。。。