saitoonの日記・世界一周旅行・写真

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2014-10-10 日本人に関する危惧

最近、電車で子供がおばあちゃんから席を譲ってもらったのを見た。

親もその子供も、お礼も言わずに「ここ空いたから座って」と言って座った。

母親は、どう対応すればいいかわからず、おばあちゃんには返答出来ずにいた。

母親は、たまたま席が空いた、という“設定”にしていた。

 

一言のお礼がなぜ言えないのかと思う。

彼女が悪いのではないとも思う。お礼をはっきりするという文化が実は日本に欠けている。

 

西洋に行くと分かるが、軽くあたっただけできちんと謝ってくる。

「ありがとうございます」とか「すいません」という言葉の使い方を教えない国になったのだろうか。

既に、日本人は恥ずかしがり屋というレベルの話ではない。

 

無口で、何を考えているのか解らない人間と仲良くしたい人間は少ない。

2014-10-08 日本が行ったアジアの大量虐殺

アジアから日本を見る

アジアを回れば、日本が大量虐殺をした事実はそこそこ目にする。

にも関わらず日本ではあまり事実を広められていない。

 

敗戦ではなく終戦と言う言葉も、事実をぼかす何だかなと思ったりする。

 

10万人虐殺が事実かは不明だが、3000人の虐殺だったら良いという話ではない。

虐殺というのは違う考えや価値の人間を殺して口を封じる手法である。

 

日本軍が使った特攻隊であり、人間魚雷という武器は、マインドコントロールまで行っているものであり、それが狂気と捉えられるのは理解出来る。

イスラム過激派が「聖戦」で使う「人の壁」と変わらない。

 

つまり、世界から当時の日本を見ると、現代のテロ国家と同じに見えていたと考えられる。

そして、その記憶がある人がいる限り、日本はちょっと前までテロ国家だったという事実は動かしようがないと思う。

2014-10-07 集団自衛権のない家2

国の交渉には国の交渉レベルのスケールでしか動けない。

そのレベルで集団自衛権は納得できると書いた。

日本は特殊で、会社や国のためという発想がまかり通る国ではある。

これが全体主義につながる。

ヨーロッパや北米に行けば、全体の前にまず個人の幸福と意見がある。そしてどうしても納得出来ない場合、移住もそう難しくはない。

これは南米でも同じだし、中国ですら個人の尊重の仕方は日本より大きい。

その特殊な日本においてすら、外交という国全体として一つの意見がまとまるという事はない。

それにも関わらず、意見が通らないと文句を言うのは、無茶な話である。はじめから、国民全員一致という事は考えられない。

 

だから、多数決という妥協策に至る。いずれにしても、日本の場合多くの海外の国と比べても、少数側の立場も考えた策は同時に打たれている。

 

国民の生活・福祉という個人に影響する話まで詳細に総理が行えるものではない。それを補完するのが、それぞれの大臣であり、官僚であり、役人なはず。

個々人の幸福論は、現実的には市町村が実働官庁であるし、動いていないし、国民全体としてしか動ける訳がない。

 

そして世界が問題としているのは、戦争犯罪者に認定された人を靖国神社に合祀した事である。

日本にはまだ、テロ国家を支持している有力者がいるという現実に対して用心している。

2014-10-05 集団自衛権のない家

住んでいる町が、治安の良くない場所の農村だとしよう。

たちの悪い輩が、たまにやってきて作物を盗んでいく。

 

対策として、農家が共同体を作って防衛を行う事を決めた。

約束は、共同体仲間の畑が荒らさせそうになったら全員で追い払う事。

だけど共同体仲間の一人だけ、助けてもらうけど助けには行けないと言う。そんな人を仲間と認めるだろうか。

でも金は出せると言う。

 

どうだろう。

ああそうか、という気にならないだろうか。

 

これを国家レベルにすれば、現在の日本になる。

そして国家レベルでは安全を守るために、国同士の約束として、相互に犠牲を払う契約がある。

個人的には、そういう理由で集団自衛権は可。

2014-10-04 ITが豊かにするはずの未来に関して3

10倍速い処理速度のコンピューターと、

5倍速い移動手段という快適な仕事環境を手に入れたのに、

なぜ仕事は10倍効率的にならないのか。

5倍速く仕事ができないのか。

簡単な話である。

人間の処理速度がまったく変わっていない。

正確にいえば、人間の処理速度は2000年以上変わっていない。

 

それは、文学を読めば分かる。

紀元前6世紀のトロイの滅亡が書かれたイーリアス。

ローマ帝国中期、ユリウス・カエサルのガリア戦記。

この時代の文学でも、表現、修飾語、想像力は現代のコンピューターゲームよりも高いのではないかと思える。

既に、機械は使う人間の日常生活を越えて、既に価値を生み出す時期は過ぎてしまっているのかもしれない。