「この世界の片隅に」を、観ました
気持ちが、感情が、
ごっそりと揺さぶられる・・・
そんな映画でした。
今までの反戦映画のように、ただただ戦争の悲惨さを描くものではなく、
あくまでごく普通の人々の日常を
それはそれは丹念に描いていき
そしてその日常に“戦争”が組み込まれてしまうという・・・
でも、日常は続くのです。腹は、減るのです。
そして、大事なシーンで不安な程にまで長く、長く、
シネカリグラフィー(シネカリ)が使われているのです。
それは一切の、音も色彩もない世界・・・
場面を転換する“スイッチ”としては、これ以上ない方法ではなかったかと思います・・・
それまでの淡くも鮮やかな情景は、主人公のすずさんから見た、ある種のおとぎ話のように、現実のようで現実でもないような“淡い世界”・・・そこには「ぼーっとしている」と自称しているすずさんの目が捉えた、善に溢れた世界。
全ての事象を“楽しいこと”に変換できる能力は、右手からの“絵を描くこと”に最終的には集約され、その過程においては、いや、生きる過程においても、楽しいことに変換できる“生きる力”だったんだなと。
食材がどんどん質素なものにせざるを得なくとも、米をふやかし、野草を鍋へ投入する際にも、あごにまな板をかけて、ヴァイオリニストの様相でそれをする。
そんな彼女ならではの”生きる力“ですら、情け容赦なく奪ってしまう”戦争“。
恐ろしいのは、ありとあらゆる手段で、広く全ての下界にいる人間を“効率良く”殺傷しようとする爆弾の数と種類の多さ・・・。
機銃射撃もあり、更に“時限爆弾”に“炸裂弾”・・・
そして、あまりにも多くの空襲警報に対して、「どうせまた誤報だろう」と、慣れっこになってしまう(というか、そうとしか思いたくない状況ではあったかと)ごくごく一般の人々。
街並みの描写が
人々の描写が
丁寧であればあるほど、自分自身が「今、そこにいる」かのように、70年前の人々の生活を実体験しているかのような気持ちになればなるほど
登場人物に感情移入し
だからこそ、そんな状況だからこそ、
人が人を労わる、愛する
その“気持ち”が染みてくるのではないかと
そしてそんな気持ちがまた、すずさんが今まで持っていた“力”と引き換えに、
心が剥き出しになったからこそ分かり合えた
だから、こんなにもわやくちゃな文章になってしまうほどにまで、
“魂が、揺さぶられた”んだと
いい映画です
なんの予備知識も一切入れずに
映画館へ足を運んでいただきたい
そしてこの映画を、一人でも多くの人が見、
同じように何かを得ていただけたらと
切に切に
そう、思うのです。