Hatena::ブログ(Diary)

日々の記録 Twitter

2016-08-28

私のカメラ遍歴

昨日、Macユーザーに戻って10年経ったということを思い出しているうちに、これまで自分が使ってきたdigital gadgetをまとめ直したのだが、合わせてカメラやビデオカメラもまとめておこうかと思い立った。

35mmフィルムカメラ

Nikon F401(1989-1998):たしか高校を卒業するときに親に買ってもらい、大学で山登りをしていた時もいつも持っていた。1995年くらいからはPhoto CDを作るようになり、神戸の震災直後の写真もこれで撮った。社会人になってからも使い続け、海外出張にも持って行っていた。Olympus C900Zを使い出すまでは現役で使っていた。結局、このカメラの使用期間が一番長い。

デジタルスチルカメラ

Casio QV-10(1996-1998):35万画素、今見れば「う〜ん」という感じの画素だが、現像しないでも映像が手元に残るというのは感動した。それでもF401+PhotoCDを使っていたということは、画質には満足していなかったということでもある。

Olympus C900Z (1998-1999):レンズバリアを開くとレンズが出てくるタイプのカメラ。ようやく許せるレベルの画素のデジカメが出たという感じがした。Casioが作り出したデジカメ市場、それを初期に発展させたのはオリンパスだと思う。エジプトの紅海で水中撮影していたら水没させてしまった。

Olympus C2000Z(1999-2002)、Olympus C3000Z(2000-2003):子供たちが生まれ、エジプト、パラオ、ベトナムの仕事をしていた時はこのあたりのカメラを使っていた。C2000は海外の仕事用、C3000は自宅用という感じか。

Canon Power Shot S45(2002-2006):ブラジルでの仕事に使った後は自宅で使っていた。C900Zと同じくレンズレンズが出てくるタイプのカメラだが、いい意味でも悪い意味でもしっかりした作りで大きさの割に重かった記憶がある。だから海外にはあまり持っていかなくなったかな。

Canon Power Shot A70(2003-2005):Power Shot S45が重かったので、その代わりに軽さ、手軽さということで使い始めたのがこのカメラ。中国、インドで使っていた。単三アルカリ電池が使えたのも手軽という感じだった。

Canon IXY Digital 55(2005-2008):画質とカメラの持ち運びやすさのバランスが取れていて、海外出張で使っていた。インドネシア、モンゴル、カタール、ベトナム、バングラデシュ。

Canon IXY Digital 900 IS(2006-2009):IXY Digital 55より一回り大きく、性能もちょっと良かったと思う。こちらはもっぱら家庭で使っていた。

Casio EX-V8(2007-2008):デジタルビデオよりももっと手軽に動画を撮れないか、というのとレンズが張り出さないのがいいと思ってこのカメラを買ったはず。でもあまり使わなかった。

Canon Power Shot TX1(2008-2009):これもデジタルビデオよりももっと手軽に動画を撮れないか、ということで購入した。デザインもビデオカメラっぽかった。でもこのカメラもあまり使わなかった。

Ricoh CX1(2009-2010):主に自分が使うカメラ。CanonのIXYシリーズに飽きが来てしまった感じでRicohのこのカメラに乗り換えた。ラオスや中国の仕事に持って行ったが、自分が飽きたのはコンデジなんだなということも分かった。

Canon IXY Digital 920 IS(2009-2011):IXY Digital 900 ISの後継機。もっぱら家族が使うカメラ。

Ricoh GXR(2010-2013):子供が大きくなってきて家族でスナップを取るような機会が減ってきた。子供達が自分で写真を撮るようにもなってきたし。そろそろ写真を撮ること自体を楽しむようになっていいのではないかと思ってRawも撮れてレンズの交換もでき、持ち運びのしやすいこのカメラに乗り換えた。レンズは最初は標準のS10(24-72mm)を使っていたけれど、その次には土管と言われたA16(24-85mm)に移行し、最後はA12 28mmとA12 50mmを使い分けていた。数回レンズ内にホコリが入ってしまうトラブルがあった。本体もレンズ(A12 28mmとA12 50mm)はまだ手元にある。

Canon IXY 220F(2012-):IXY Digital 920 ISの後継機。これももっぱら家族が使っている。最近はスマートフォンのカメラでいいやという感じになってきていて、それゆえにまだ使っている。

Ricoh GR (2014-):GXRを使っているうちにだんだん単焦点カメラでいいじゃないかという感じになってきて、もっといいレンズ、もっと軽いカメラにしたいなと思ってGRに乗り換えた。今も現役。GR IIが出ているけれど、まだしばらくはこれでいいかなと思っている。

デジタルビデオカメラ

Victor GR-DVX9 (2000-2005)

長女が生まれた時に買ったデジタルビデオ。まだPCに繋いで取り出して編集するということはあまり考えていなかったが、iLink(Firewire)ポートは付いていた。

Canon IXY DV M5 (2005-)

GR-DVX9のデザインが直線的で古臭く、子供の行事に撮影するのが恥ずかしくなってきたので買い換えたという感じ。結局、DVというフォーマットに好きになれなかった。撮り溜めたビデオ映像は一応キャプチャしているが、念のためにまだビデオテープがとってある関係で今だに手元にある。

数学ガールの秘密ノート 丸い三角関数

「数学ガールの秘密ノート」シリーズは重たい読書が続くときの息抜き(と言ったら著者に失礼だろうか)にいい。それだけわかりやすい文章で書かれているということだと思う。

先月、何冊か飛ばして「微分を追いかけて」を読んだので、順番に戻ってこの本を読んだ。なぜ「丸い」三角関数なのかと思ったけれど、なるほどという感じ。三角関数は確かに習ったけれど、とっかかりのところでこういう丁寧な話をした記憶はなく、いきなり加法定理の暗記に行っていた気がする。

「数学をできあがったものとしてみるか、自由にいじれるおもちゃとしてみるか」、とか、「何も書いていないノートに自分で数学を再現すると、数学は自由にいじれるおもちゃになる」というくだりがあるけれど、自分はやっぱりできあがったものとしてみていて、定理の暗記に行ってしまっていたんだろうなと思う。

それから、テトラちゃんの「定義で理由を求めてしまう」話は、ついこの間読んだ「科学の発見」で自然法則に理由を求めてしまう話と似ているような気がする。数学に苦手意識を持つ人は、上に書いた「できあがったもの」という意識や、こういう思考を持ってしまっているのかもしれない。

「ポリアのリスト」は数学の問題を解く以外にも使えそうに思うので、抜き書きしておく。

  • 未知のものは何か。
  • 与えられているもの(データ)は何か。
  • 図をかけ。適当な記号を導入せよ。
  • 前にそれを見たことがないか。
  • 似た問題を知っているか。

善意で貧困はなくせるか

前回のナミビア出張の6月初めから読み出して、8が卯末にようやく読み終えた。数年前に買った自炊したPDFを読んでいたが、もう読み終えるという頃にKindle斑が出ていることに気づいて、買いなおして読了。

この本の終わりに解説を書いている澤田先生は、この本と、バナジー=デュフロ「貧乏人の経済学」、それから「最底辺のポートフォリオ」が「開発経済学の一般向け入門書」の新三部作だとしている*1

この本では「貧乏人の経済学」と同じようにランダム化比較試験(RTC)を使った途上国での様々な分野のプロジェクトの「実験」やそこから導かれたことが書かれているけれど、「途上国の人々にプロジェクトを売り込む」という視点、「どうすれば善意を超えて行動することができるかそうすれば最善の方法を見つけることができるか」。というより実務者的な視点が強いように感じる。そのために必要な二面戦略として著者が挙げているのが、第1は「問題を理解すること」で、その理解のための道具として行動経済学や従来の経済学の考え方が出てくる。そして第2は「厳密な評価」で、ここでRTCが出てくる。

解説の澤田先生は、この本から提示された方法についての2つの課題を書いている。一つは日本の援助の強調する「自助努力」と著者の「貧困を解決したいなら、それがどういうことなのかを、抽象的な言葉ではなく現実として知る必要がある。どんな匂い、どんな味、どんな手触りかを知る必要がある」と主張している部分。最近自分も、途上国の人たちが目的を知らずして「自助努力」できるのか、と思った経験もあった。もう一つはRTCの方法論にも様々な批判がある点。RTCがインプットとアウトプットの因果関係のみに注目し、両者の間にある「内部構造」を直接観察しない「ブラックボックス・アプローチ」であるため、外的妥当性も一般均衡効果も議論することが難しいとしている。

本書の最後に描かれている7つのアイデアをまとめておく。著者が言うように、このリストが置き換えられたり、長くなってくことを望みたい。

  • マイクロクレジットではなく)マイクロ貯蓄
  • お知らせメールで貯蓄を促す(低コストで貯蓄行動を促す)
  • 前払いで肥料を売る(キャッシュがあるときに売る)
  • 寄生虫駆除(就学期間の長期化に効果)
  • 少人数グループでの補習授業(学校制度の枠外のプログラム)
  • 塩素ディスペンサーできれいな水を(各家庭に配るより水源に設備を設置)
  • コミットメント装置

*1:旧三部作は、サックスの「貧困の終焉」、イースタリー「エコノミスト 南の貧困と戦う」、コリアー「最底辺の10億人」とのこと。

2016-08-27

Macユーザーに復帰して10年だったか

古いブログを整理していたら、2006年の7月5日にMacBook(Early 2006, MacBook1,1)を購入していたみたいだ*1。大学院時代の1993年春に中古のMacintosh SE/30を買い、それから1994年にPowerBook 520を買って1997年くらいまで使っていた。

その後、当時IMBのThinkPadを使う時代が10年近く続いたけれど、2006年にMacBook(Early 2006、ポリカーボネートの黒だった)、その後、2010年からMacBook Airを使うようになって今に至っている。

現在のPowerBook(Mid 2012, MacBookAir5,2)は今年末には4年購入して4年。そろそろ新しい機種に乗り換えたいんだけど...。

*1:ブログ記事自体はどうということもないものだったので消してしまった。消してからちょっと後悔したが。

2016-08-26

クリエイターが知っておくべき権利や法律を教わってきました。著作権のことをきちんと知りたい人のための本

8月3日にKindle Unlimitedのサービスが始まった。とりあえずお試しをしてみて、何か読んでみようかと思って手に取った1冊。著者がKindle Unlimitedでどんな本が読めるかという情報を早くから出していたのが手に取った理由。

筆者が、芸術・文化法や著作権法などを専門とする福井健策弁護士に問いかけをする形で著作権や

商標、意匠などの「産業財産権」の説明をしている。数年前に議論になった「非実在青少年」の青少年健全育成条例については以下のように説明されている。

青少年健全育成条例は、2010年の改正案で『18歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という)』と書かれている部分が大問題になりました。『非実在青少年』とはいったい何だ、『認識されるもの』というのは誰がどう決めるのか、と問題視された部分は修正され、『作品に表現した芸術性、社会性などの趣旨をくみ取り、慎重に運用すること』という付帯決議がつきました。

タイトルは「クリエイターが知っておくべき」であるが、SNSを含むネット・ユーザーは一読しておくといいのではないかと思う。特に、引用の4つのルール((1)他人の著作物を引用する必然性がある (2)自分の著作物と引用部分が明瞭に区別されている (3)主従関係が明確である(自分の著作物が主体) (4)出所が明示されている)とか、投稿サービスの利用規約に書かれていること(著作権の譲渡や利用許諾)、自分の作ったものなどが無断転載されて削除を要求する方法とか。

2016-08-25

科学の発見

8月初めにジンバブエで読み始め、ナミビアに移ってきて読了。

この本は科学的な研究方法の発見に関する本。著者は1979年にノーベル物理学賞を受賞した、素粒子物理学の第一人者で「標準モデル」の名付け親。そのような研究者としても著名な筆者が、現代の科学的な方法の視点から古代ギリシャからニュートンの時代までの、自然科学の中でも物理学・天文学を中心とした歴史を振り返っている。

この本では現在の評価の視点で過去の科学的方法を評価する「ウィッグ史観」のアプローチが取られており、歴史学の方法としては掟破りということで原著が出版された時点で論争を巻き起こした。これに対して筆者は、

政治や宗教とは異なり、科学的知識は蓄積されていくものである。アリストテレスよりニュートンの方が、またニュートンよりアインシュタインの方が、世界をよりよく理解していたことは、解釈の問題ではなく、 明白な事実である。このような進歩をもたらした方法がどのようにして確立したかを理解するためには、過去の科学を現在の基準で評価して、進歩に貢献した思考法は何であったか、発展を妨げた思考法は何であったのかを反省する必要がある

と反論している。「勝者が自らを正当化するための歴史」という歴史学の中で考えられるものとは本質的に異なる、という考え方を示している。

筆者による科学革命以前の化学的の方法に関する批判やコメントは、自然の現象を解明する時に目的を求めたこと、実際と考えたことの隙間を埋めるための「ファイン・チューニング」をしたこと、実験をしなかったことや実験をしてもその結果の不確実性の検証をしなかったこと。筆者はこのような批判やコメントが解決されてきたプロセスとしての「科学革命」を高く評価していて、コペルニクス、ケプラー、ニュートンなどを高く評価し、一般的に哲学者としては評価されているデカルトやベーコンは科学者としては低い評価をしている。

ニュートンが万有引力の法則に基づいての理論に拒絶反応を示したデカルトの信奉者とライプニッツを、「数多くの観測結果を見事に説明する理論を考えもなしに否定してはならない」教訓であるとしている。それに繋がる話として、1920年代の量子力学の誕生の際、決定論の放棄(任意の位置と時間におけるその強さによって、その位置と時間に惑星や粒子が発見されるという確率の波の展開)の考えを受け入れられなかったマックス・プランク、エルヴィン・シュレーディンガー、ルイ・ド・ブロイ、アルバート・アインシュタインなど量子力学の考案者のことを書いている。宗教だけでなく、その時々の常識のようなものが科学的方法を貫くことの妨げになるということかもしれないなと思った。

2016-08-12

日本人の叡智

以前に自炊したまま、ずっと放ったままにしていた本を出張先で読んだ。夜寝る前などの時間にちびちび読んで、一週間ほどで読了。

江戸時代初期から平成の時代までの98人の一言から、その言葉の意味すること、その人となりを2ページごとにまとめている。もともと、朝日新聞土曜版に連載されていたもので、そのきっかけは著者が古書を読む中で心に残った知った人物や言葉に触れた思いを残していきたいと思ったことだそう。

「あとがき」を見ると2011年3月23日の日付で、連載の終了は決まっていたが、東日本震災の影響で突然の終了となってしまったとのこと。当時茨城大学にいた著者の震災体験とその後の放射線被害の恐れの中での蔵書や古書の整理の記述が生々しい。

全体を眺めると、江戸時代には歴史の授業で習うような人よりも今まで聞いたことのなかった人の名前が並ぶが、時代を経るに従って知っている人の名前が多く並ぶようになってくる。後世に今の時代の普通の人たちの言葉が残るようなことはあるのだろうか、と思った。


日本人の叡智 (新潮新書)

日本人の叡智 (新潮新書)