ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Kent Haruf の "Plainsong" と Tom Bailey の "The Grace That Keeps This World"

 ブッカー賞の季節がようやく終わり、これでアメリカの小説もじっくり読めるようになった。さる10月10日には全米図書賞の最終候補作が発表され、http://www.nationalbook.org/nba2007.html どうやら Denis Johnson の "Tree of Smoke" が本命視されているようだが、ぼくはどの候補作も未読だし、そもそもこの賞とは相性が悪く、04年の受賞作、Lily Tuck の "The News from Paraguay" を読んで大いに失望して以来、「食わず嫌い」になっている。99年に Kent Haruf の "Plainsong" が選ばれなかったことも、未だに残念でならない。あれこそ、いかにもアメリカ的な小説だと思うのだが、彼らにしてみれば余りにも当たり前の話なのだろうか。

Plainsong (Vintage Contemporaries)

Plainsong (Vintage Contemporaries)

[☆☆☆☆★] 99年度全米図書賞の最終候補作。日本では無名に近いハルフだが、アメリカでは本書で一躍脚光を浴びるようになった気鋭の作家だ。私見を述べれば、この本こそ栄冠に輝くべきではなかったか。舞台はコロラドの大草原のただ中にある小さな町で、主な登場人物は、高校教師とその幼い息子二人、教え子の女子生徒と、妊娠した彼女の世話をする牧場経営者兄弟。話の流れは大別して二つあり、一つは教師の息子たちが遭遇するさまざまな事件で、トム・ソーヤーとハックルベリー・フィンの冒険を連想させる。もう一つは、女子高校生が妊娠してから出産するまでの紆余曲折で、どちらにしても、例えば教師夫婦の別居や娘と交際相手の確執など、どこにでもあるような小さな出来事の連続だ。しかしながら、どの場面にも例外なく迫力、説得力があり、各人物の肉声、真情がひしひしと伝わってくる。高尚な思想や壮大な歴史とはおよそ無縁の世界で、小説がまさに「小さな説」であることを実感させる物語だが、この小さな物語が与える感動は決して小さくない。小さな町の人々の小さな歌ながら、その余韻はいつまでも読者の心中で響きつづけることだろう。それは結局、本書が生きている人間の生きた物語に他ならないからだ。評者の知る限り、こんな作品が現時点ではまだ日本に紹介されていないとは実に残念だ。英語的には、難易度の高い口語表現も散見されるが、総じて読みやすい標準的なものだと思う。

 …例によって昔のレビューだが、こういうローカル・ピースにはアメリカ人気質が如実に示されているし、それぞれの地方の特色もよく分かり、出不精のぼくには旅行代わりになってありがたい。前置きが少々長くなったが、胃痛をこらえながら昨日、ようやく Tom Bailey の "The Grace That Keeps This World" を読みおえた。

The Grace That Keeps This World: A Novel

The Grace That Keeps This World: A Novel

[☆☆☆★★] 読了後、静かに伝わってくる悲しみに胸を打たれた。アディロンダックの山中、湖畔の町で林業を営む一家の物語で、親子の愛情と対立を核に、しみじみとした情感豊かなローカル・ピースである。晩秋、去りゆく雁の鳴き声で妻が目を覚ますプロローグがとても印象的だ。ここでまず、鹿狩りの初日に起きた悲劇が暗示された後、悲劇に至るまでのプロセスが一人称、三人称とりまぜ、各人物の視点から描かれるという構成で、それぞれの立場や性格が的確に示されるとともに、一家のみならずコミュニティ全体の特徴もうかびあがる。伝統的な技法に基づくオーソドックスな小説なので、新しい文学的な興奮は得られないが、頑固一徹の父親が息子に深い愛情を抱きながら、それを素直に表現できなかったり、青春まっただ中の息子のほうも反抗しつつ親を思いやったり、あるいは長年連れ添った夫婦のやりとりなど、随所にほろりとさせられる場面があって目が離せない。二人の息子の恋物語も展開、結末ともに定番ながら読ませる。英語は口語表現が多く、語彙レヴェルは比較的高い。

 …これまた「小さな説」の物語だが、同じ田舎町の話でも、今回ブッカー賞を惜しくも逃した "Darkmans" のような大作を読んだ後の口直しにはもってこいだ。ど田舎育ちのぼくはこの種の小説をずいぶん買いこんだまま、大半が積ん読状態。ときどき手にとるたびに思うのだが、日本にはどうしてこんな地方小説が少ないのだろう。アメリカの場合、それこそ小さな町の数だけありそうな気がするほどなのに、これも文化の差だろうか。大手の出版社が東京に集中しているせいか。
 ともあれ、アディロンダック山地が舞台の小説を読むのはなんと、Russel Banks の "The Sweet Hereafter" 以来で、ずいぶん懐かしかった。

Sweet Hereafter: A Novel

Sweet Hereafter: A Novel

 ラッセル・バンクスの『この世を離れて』と較べると、トム・ベイリーの作品は人物関係や性格および心理描写もやや類型的だし、その悲劇もスクールバス事故と違って規模が小さい。が、ぼくの大好きな「レイクサイド・サーガ」なので、ケチをつけるのはそれくらいにしておこう。空と湖が濃い紫色に染まる日没時の描写など喩えようもなく美しいし、(勝手な想像だが)ブラッド・ピットばりの美青年が「夜ばい」をする場面や、積雪30センチ以上の初雪の日を予想する賭の話など、ローカル・ピースならではのエピソードも豊富でなかなか楽しい。やがて雪が降りしきるなか、鹿狩りの初日に起こった悲劇…そこに巻きこまれた人々の胸中を思うと、単細胞のぼくは言葉を失ってしまう。これも邦訳が出ることは期待できそうにない「埋もれた」佳品の一つだが、代わりにせめて、『この世を離れて』をハヤカワepi文庫で復刊してもらいたいものだ。
この世を離れて (Hayakawa novels)

この世を離れて (Hayakawa novels)