ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Yaa Gyasi の “Homegoing” (2)

 この一週間、超多忙でろくに本も読めなかった。電車やバスの中で読もうとするとコトリ。寝床で『海街diary』を読みはじめてもコトリ(吉田秋生は昔から好きだ)。
 ましてブログの更新などできやしない。「ブログはヒマな人がやるもの」と、ぼくがブログを書いていることを知らない同僚にたまたま言われ、大いにナットク。
 閑話休題。ロンドン時間で7月27日、いよいよ今年のブッカー賞のロングリストが発表される。その前にもう一冊だけ有資格候補作を読んでおこうと、Louise Erdrich の "LaRose" に取りかかったのだが、上のような事情であえなく挫折。宮仕えと早くオサラバしたいものだ。
 さて、本ブログの休止中、ブッカー賞の選考基準が変更され、旧大英帝国以外の作家の新作もノミネートされるようになった。これについては、あちらのファンのあいだでも賛否両論あるようだが、ぼくは保守派。ある国や民族、文化圏の文化、それも T. S. Eliot の言う「ひとつの国民の生き方」としての文化から生み出された芸術が文学だと考えるからだ。
 もちろん、ひとつの文化圏にとどまらず、普遍的な価値をもつ作品ほど芸術性が高いことは言うまでもないが、始まりはまず作家自身の生き方。それが自分の生まれ育った家や地方、ひいては国や民族全体の生き方と無関係のはずがない。
 そういう文脈で考えると、ブッカー賞の選考基準の変更はグローバル化の証左であると同時に、ひょっとしたら、イギリスの国力衰退を物語るひとつの兆しなのかもしれない。
 などと珍しく大風呂敷を広げてしまったのは、この Yaa Gyasi の "Homegoing" がまさしく文化の所産と呼ぶべき作品だったことにもよる。大英帝国文化圏のものではない。アメリカ文化、ガーナ文化である。
 テーマ的には1992年のブッカー賞受賞作、Barry Unsworth の "Sacred Hunger" と重なる部分がある。どちらも黒人奴隷の問題を扱った歴史小説だからだ。とくれば、"Sacred Hunger" にかぎらず、同様のテーマの作品とどうしても比較せざるをえない。その結果、「大変な力作である」ことを認めつつ、評価としては☆☆☆★★★。
 詳しい理由を書く余裕はないが、ひとことで言えば、"Sacred Hunger" を読んだときのような感動は得られなかった。以下、同書のレビューを再録しておこう。

Sacred Hunger (Norton Paperback Fiction)

Sacred Hunger (Norton Paperback Fiction)

[☆☆☆☆★] 現代文学ではめずらしく、道徳の問題をみごとにドラマ化した大力作である。18世紀のイギリスによる三角貿易を背景に、利潤の追求を「聖なる欲」、つまり、あらゆる手段を正当化するものと見なすのがリヴァプールの実業家、エラスムスだ。彼はこの正義感に駆られ、一家に大損失をもたらした自分のいとこ、パリスを断罪しようとする。が一方、正義感の裏側に私怨がひそんでいることを気に病み、正義の虚妄を知っている。こういう道徳的煩悶は、小説を深化させるものとして大いに称揚したい。そのエラスムス以上にもだえ苦しむのがパリスである。彼は船医として乗りこんだ奴隷船で、黒人奴隷たちへの非情な仕打ちに義憤を覚え、船長と対決。奴隷を解放し、やがてフロリダで、白人と黒人が平等の立場で自由に暮らす地上の楽園を建設する。人間は自然状態では善であり、自由で平等に生きる権利があると主張する乗客も登場するが、パリス自身は、奴隷の解放が流血の惨事を招いたことを思い悩み、そもそも自分には正義を訴える資格がないものと絶望している。にもかかわらず悪を座視できずに立ち上がり、それゆえ道徳的ジレンマにおちいったところに彼の偉大さがある。そういう人物が主人公であればこそ、本書はすぐれた文学作品となっているのだ。「地上の楽園」の住人にも価値観の相違があり、権力を志向し権力に追従する動きがあるというエピソードも、人間性にかんする作者の深い洞察を物語っている。以上が本書の最大の問題点だが、そこにいたるまで長大なイントロがつづく。エラスムスが恋に落ちる一方、パリスのほうは嵐に遭遇し、奴隷売買の実態や、奴隷船の劣悪な環境、船員同士の争いなどを目撃。なんのケレン味もない、ごくオーソドックスな展開だ。その流れに身をひたすように読んでいると、やがて凄まじい迫力で山場がいくつも訪れる。内容的にも分量的にも、まさに骨太の歴史小説である。文体は緻密にして重厚。時代を反映した古めかしい表現が多く、とりわけブロークンな会話が厄介で、語彙レヴェルも高い。
(写真は、先日の北海道旅行で撮影した小樽、日和山灯台