アレックス・ローゼンバーグ『科学哲学』

科学哲学はやはり面白いなあ
科学哲学の面白さは、問題意識が哲学の中では比較的分かりやすい点にあるのではないか。
分析哲学の入門書を読むと、普通は、フレーゲの明けの明星と宵の明星がどうの、という話から始まる。あれは面白いけれど、最初に突然読まされたら、何でそんな話してんのってなると思う。
形而上学や美学については、改めて言うまでもない。
その点、倫理学は分かりやすいかもしれないが、個人的には(哲学の他の分野と比較すると)あまり興味関心が湧かない分野である。とはいえ、倫理学が興味の中心にある人というのは(学生とかだと特に)多いのかなあという感じはする。


閑話休題
科学哲学の中で、分かりやすい問題関心というと、科学と疑似科学の線引き問題だろうか。
このテーマを中心においた科学哲学入門というと、伊勢田哲治疑似科学と科学の哲学』がある。
この本は、また違うテーマを中心に置いている。
科学を経験主義で正当化できるか、だ。
科学というのは、人間が世界についての知識を得る方法として、大変うまく成功している方法のように思える。
では、なんでうまくいっているのか、ということについて考えるのが科学哲学だ、と。
あと、うまくいっている理由が分かれば、他の分野(社会科学とか)にとっても役に立つかもしれない、と。
経験主義とは何か。
科学が与えてくれる説明とか理論とかは、実験結果や観察結果といったものによってテストされて、正しいかどうか分かるという考え。
科学にとって、実験や観察というのは中心的なものだと思われるから、この考え方が正しいと科学を理解する上ではありがたい。
この考え方は当然正しいように思えるのだが、実はかなり色々な困難を抱えていることがわかる。


この本は、かなり丁寧に書かれていると思う。
それでいて、普通の科学哲学入門書ではあまり取り扱われていないような話題も触れられている。
触れられている、なんてものでなく、それこそ丁寧に論じられている。
個人的には、ベイズ主義の話が初めて分かったような気がしたのがよかった。


そういえば、科学哲学の常として、例として出てくるのはやはり物理学多めなのだけど
著者のローゼンバーグが、社会科学の哲学、生物学の哲学を専門としているので、生物学や社会科学が例に出てくることもある。特に、ダーウィン自然選択説については、結構論じられていたりする。社会科学の方はあまり論じられてはいないけど、例として列挙される用語の中に経済学用語が混じってたりはする。


各章は、冒頭に概要、末尾にまとめがついている超親切設計。
章末には問題がついているが、これは訳者あとがきで、真剣に取り組むと論文が書けてしまうほどと言われているくらいハード


科学哲学にとって、科学史は大事
この本読んでいる途中で気になったので、読んだのがH.バターフィールド『近代科学の誕生』 - logical cypher scape

第1章 どうして科学哲学なのか
第2章 説明・因果・法則
第3章 科学的説明とその問題点
第4章 科学理論の構造とその形而上学
第5章 科学における理論化の認識論
第6章 歴史からの異論とポスト実証主義
第7章 科学の特徴への意義と哲学の根本的な問い

第1章 どうして科学哲学なのか

科学と哲学の関係について
科学の中にある哲学的な議論。従来、哲学的な議論の中に、科学が関わってきたもの。
また、科学では扱うことの出来ない、哲学ならではの問いとか(規範的な問いとか)。
哲学の問いは疑似問題で科学の問いこそが考えるべき問題だと考える人にとっても、そう考える時点で、もう哲学になってるとか。


この章で面白いのは、科学と西ヨーロッパの関係についても一節さいていること。
科学は、ヨーロッパでのみ、あるいはヨーロッパで初めて現れた
また、世界のあらゆる地域が受け入れられた唯一のヨーロッパ文明・文化が科学である。
これはすごい科学の特徴なのではないか、という問題提起。

第2章 説明・因果・法則

まず、論理実証主義(論理経験主義)の紹介。
科学的説明と一般法則と因果の関係について
科学的説明は、一般法則を含んでいる。何でか、それは因果についての説明だから。でも、論理実証主義は、因果について触れずに、科学的説明とは何かを説明したい。
自然法則と偶然に成立している一般化は区別したい。あと、自然法則と論理的に必然な言明も違う。となると、法則って一体何?→論理実証主義が回避したい形而上学に踏み込む必要が出てくる
ヘンペルのD-Nモデルの紹介とその反例
D-Nモデルに対して、科学的説明についての「実用論的アプローチ」というのがある。ファン・フラーセンとか。
実用論的アプローチは、よい説明とは何か教えてくれるけど、科学的説明が何かは分からない

第3章 科学的説明とその問題点

科学的説明とはどういう説明なのか。
この問いに答える2つの路線がある
(1)因果構造に求める(サーモン)
(2)統合をもたらすことに求める(フリードマン、キャッチャー)
サーモンの因果構造説に対しては、因果って何的な問題がつきまとう
その中でも、確率についての問題を取り上げているのが面白い。さらに、知識の限界を反映した確率と量子力学的な確率の2つにわけて扱っている。量子力学的な確率を「傾向性」として捉える議論


後半は、因果的説明に対する不満を取り上げる
1つは、因果的説明は満足いく説明ではなく、目的による説明が満足できる説明だというもの
これに対しては、目的を、「欲求/信念」という原因による行動の説明とか、ダーウィン自然選択説とかによって、因果的過程で説明できるようにする路線を検討する。
もう1つは、自然法則は必然的真理じゃないといけないという不満
ライプニッツは、自然法則は実は論理的必然性を持つんだと考えていた→神が必要
カントは、アプリオリな総合的真理を求めていた→自然法則はアプリオリじゃない

第4章 科学理論の構造とその形而上学

理論とは一体何か
まず、構文論的(公理的)アプローチ・見解ないし仮説−演繹主義と呼ばれる立場が紹介される
理論は、公理的体系となっている仮説の集合である。
公理となっている仮説(経験的に証明できない)から演繹される帰結が経験的にテストされることで、理論もテストされる。
公理は、他の体系では定理になっていることもある
→より基礎的な理論によって説明されるようになる=還元=科学の進歩
理論の中には、観察や実験で直接確かめられない部分(公理)がある。これをどのように経験主義的に正当化するか。
(1)理論語は、実は観察語の省略である
→これでは、理論語の説明能力が説明できない
(2)理論に対する体系的な寄与によって経験的内容が与えられる(非明示的定義)(部分的解釈)


実在主義と道具主義


次に、意味論的アプローチ・見解が紹介される
こちらは、構文論的アプローチには出てこなかったが、科学ではよくでてくる「モデル」を使って、理論を考える。
モデルとは、定義によって真となるものであり
意味論的アプローチによる理論は、世界に存在する事物が複数のモデルに当てはまっているという仮説の集合


最後に、ダーウィン自然選択説を例にして、構文論的アプローチと意味論的アプローチが比較される
自然選択説を、公理的体系として理論化しようとすると、すごく一般的で抽象的な言明しか抽出できなくて、あんまり内容があるようなものにならない
モデルの集合として理論化すると、そういう問題を避けられる。

第5章 科学における理論化の認識論

ヒュームの帰納の問題をどうしよう、という章
理論と観察の関係も難しいけど、観察可能なものに限っても問題はある。
どういう証拠ががあれば、確証したり反証したりできるのか
補助仮説を修正すると反証から仮説をいくらでも守れる問題
ヘンペルのカラス(ただし本書で出てくる例はハクチョウ)
グルーのパラドックス


ポパー反証主義
ポパー帰納は使わない。演繹を核において、科学者はそれの反証を探していると考える
やや余談だけど、ポパーダーウィン説も反証不可能だと言ったことがあるせいで、創造論者が進化論も創造論も平等に学校で教えろという主張をするときの権威付けに使われてしまったりしているらしい。あと、ダーウィン自身は、何が進化論の反証になるかちゃんと述べている。
実際の科学史を見ると、ポパーがいうようには科学は行われていない。
それでポパーは「験証」という概念を持ってくる。でも、これは仮説間の比較ができないので、やはり実際の科学者の態度としてはとりにくい


証拠が仮説を確証するかどうかは、確率の問題だと考える
ベイズの定理!
この本のなかでは、尤度って言葉は一切出てこないけど、これ読んでやっと尤度が何か分かった気がする
証拠が与えられる前の、仮説が真である確率(事前確率)をベイズの定理にぶちこんで計算すると、証拠が与えられた時に仮説が真である条件付き確率が出てくる。
これで、証拠が与えられるごとに、その仮説が真である確率が上がったり下がったりする
問題は事前確率なんだけど、これをベイズ主義者は「主観的確率」で割り当てる。最初に割り当てる確率は、テキトーでもなんでもいい。でも、ベイズの定理を通して計算していって、その確率を「更新」していけば、いずれ収束するから、全然それで構わない、と。
ベイズ主義の問題点も紹介されている
・古い証拠の問題
・そもそも、ヒュームの帰納の問題はベイズ主義でも解決できていないんじゃないか問題
・観察不可能なものである理論についての言明は、確率が低めに割り当てられるから、これを採用する理由が与えられない問題


最後に、過少決定について論じられ、実はどの理論が正しいのかって経験的に決められないんじゃないかとなって、6章へ続く

第6章 歴史からの異論とポスト実証主義

クーンのパラダイム転換の話
クーンを支持する議論とされる、クワインの議論
→分析的真理と偶然的真理の区別を放棄して、改訂しやすいかどうかの相対的な違いにしてしまう
自然主義
ラカトシュの研究プログラム論の問題点の指摘

第7章 科学の特徴への意義と哲学の根本的な問い

クーンとクワインから、認識論的相対主義が出てくるのは、わりと当然のこと。この章では、相対主義とそれに対する対応が紹介される
ファイヤアーベントとか「ストロングプログラム」とかポストモダニズムとかソーカル事件とか
この章で独特なのは、フェミニズム科学哲学についての節
フェミニズム科学哲学が、経験主義・自然主義と親和的であることを述べている
フェミニズム科学哲学は、何が科学において重要な問題かという判断が、従来、男性に偏ってきていたことを指摘している。

章末の問題

いくつか紹介。
一字一句正確に引用はしてない。

  • 次の主張を擁護するか批判するかせよ「科学は西洋が世界に果たした唯一の貢献であるという主張は、自民族中心主義的で、無知であり、科学の特徴を理解することとは無関係である」
  • 法則が反事実的条件分を支持することは、法則のもつ必然性のしるしにすぎない。では、この必然性は何からなるのだろうか。物理的必然性といったものが存在しないのであれば、なぜ法則が説明を与えることになるのだろうか。
  • ダーウィン自然選択説は、自然界には目的は存在しないことを示しているのか、目的は存在しているが、それは完全に因果過程であることを示しているのか
  • 道具主義には科学の成功を説明する義務があるか。あるとすれば、どのように説明するか。もしないとすれば、なぜか
  • 次の主張を批判的に論ぜよ「多くの科学者は、認識論には一切かかわらなくても科学を首尾良く遂行している。ゆえに、科学には公式の認識論があり、それは経験主義であるというのは誤った考えである」
  • ロックを科学的実在主義の父、バークリーを道具主義創始者と呼ぶことがどうして正しいのか。科学の成功についての最善の説明への推論を擁護する議論に、バークリーならどのように答えるか。
  • 主観的確率、相対頻度、確率的な傾向性という3種の確率概念が全て使われるような事例を、できれば科学のなかから挙げよ(ヒント:天気予報)。
  • 自然主義は論点先取か。
  • 科学が男性に支配されてきたというフェミニストの批判は、科学が公平無私で客観的であるという主張と折り合いがつけられるか。
  • 科学は真理の探究であり、偏見、不公平、特殊な関心によって歪曲されないことを保証してくれる説明は与えられるか。

こんな問題が、各章につき5,6個ずつある


そういえば、やはり科学哲学の入門書を書いたことのあるオカーシャって、ローゼンバーグの教え子のようだ。

科学哲学―なぜ科学が哲学の問題になるのか (現代哲学への招待 Basics)

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  • 作者: アレックスローゼンバーグ,Alex Rosenberg,東克明,森元良太,渡部鉄兵
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