武村政春『生物はウイルスが進化させた 巨大ウイルスが語る新たな生命像 』

2003年の発表を皮切りに次々と発見されている巨大ウイルス
それらの紹介を通してのウイルス学入門と、さらに筆者が支持している、しかしまだマイナーな仮説が展開される。


巨大ウイルスというのは、細菌ほどの大きさがあり、なんと光学顕微鏡でその姿を確認できるほどのサイズだという
さらに、体(?)のサイズが大きいだけでなく、ゲノムサイズが大きく、ウイルスが持っていないと思われていた遺伝子をも有している。
それのポイントは、リボソーム
本書の後半部で展開される仮説は、ウイルスの本体というのは、我々がウイルスだと思っている粒子、ではなく、ウイルスに感染した細胞の方なのではないか、というもの
よく、ウイルスは生命か否かというような話があるが、この仮説はそういうレベルをこえて、それは一体どういう存在なんだ? と驚かされる
そしてその仮説は、DNAの起源や真核生物の起源など、我々の進化の歴史ともかかわってくる

はじめに 巨大ウイルスが問いかける「謎」
第1章 巨大ウイルスのファミリーヒストリー――彼らはどこから来たのか
第2章 巨大ウイルスが作る「根城」――彼らは細胞の中で何をしているのか
第3章 不完全なウイルスたち――生物から遠ざかるのか、近づくのか
第4章 ゆらぐ生命観――ウイルスが私たちを生み出し、進化させてきた!?

第1章 巨大ウイルスのファミリーヒストリー――彼らはどこから来たのか

2003年、ミミウイルスという巨大ウイルスについての論文が発表される
それ以前に一番大きいといわれていたウイルスが300ナノメールトサイズだったのに対して、ミミウイルスは800ナノメートルサイズ
実は、このミミウイルスは、存在自体は92年に発見されているのだが、当初はその大きさから細菌だと思われ「ブラッドフォード球菌」と名づけられていた
ところで、分類を調べるため、リボソームRNA遺伝子を探そうとしたところ、どこにもない。およそ生物であれば必ず持っているはずの遺伝子を持っていなかったのである。
その後の研究により、ウイルスとしての特徴がそろっていることが判明した

  • 巨大ウイルスの仲間

巨大ウイルスとして現在、大きく分けると、ミミウイルス科、マルセイユウイルス科、その他の巨大ウイルス
ミウイルスは、他のウイルスと同様、正二十面体のカプシドをもち、さらにその周りを繊維でおおわれており、筆者曰く「毛目玉」のよう
ミウイルス科は、その中でさらにいくつかのグループに分類されている。なお、日本からも、筆者の研究室の大学院生によって、ミミウイルス科のウイルスが発見されている。長野県の白駒池と葛西臨海公園からそれぞれ発見されたとのこと。また、あとで出てくるトーキョーウイルスは荒川で発見されたとのことで、まあわりと身近にいるようである。
マルセイユウイルス科は、実は、サイズ的には200ナノメートルほどで巨大ではないが、遺伝子を解析したところ、ミミウイルス科と近縁ということで、巨大ウイルスのグループに含まれている。
カプシド内に、DNAのほかにメッセンジャーRNAをもち、「核酸を1種類だけもつ(DNAまたはRNA)」という、従来のウイルスの特徴から逸脱している
マルセイユウイルス科のウイルスは、ローザンヌウイルス、メルボルンウイルス、セネガルウイルスなど何故か地名を冠した命名がされているらしく、筆者が2015年に荒川で発見した日本最初の巨大ウイルス(ただしサイズは200ナノメートルほど)も、トーキョーウイルスと名づけられた
それ以外の巨大ウイルスとして、2013年に発見されたパンドラウイルスがいる
これは、なんとミミウイルスの2倍の大きさ、1マイクロメートル!
また、普通のウイルスが正二十面体であるのに対して、「壺型」と言われる楕円形の形状をしている
また、2014年には、3万年前のシベリアの永久凍土から、同じく壺型のピソウイルスが発見されている。こちらはさらに大きく1.5マイクロメートル。しかし、見た目はパンドラウイルスに似ているのだが、遺伝子を調べたところ、マルセイユウイルスに似ているという
2015年には、同じくシベリアの永久凍土から、モリウイスルが見つかっている。

  • ゲノムサイズ

図体だけでなく、ゲノムサイズも巨大
巨大ウイルスが発見される前に、もっともゲノムサイズが大きかったウイルス(クロレラウイルス)で、37万塩基対
これに対して、ミミウイルスなどは100万塩基対をこえているものがいる
細菌の中でもっともゲノムサイズの小さいものが、14万塩基対
マイコプラズマは57万塩基対
さらに、パンドラウイルスの一部の種では、220万塩基対を超えており、これはなんと、最小の真核生物エンケファリトゾーンの218万塩基対を上回るのである

第2章 巨大ウイルスが作る「根城」――彼らは細胞の中で何をしているのか

  • ウイルスの生活環

ウイルスは、浮遊しながら他の生物の細胞に吸着する
細胞の食作用によって細胞内へと侵入すると、カプシドを脱殻し、自らのゲノムを放出する
その後、その細胞内の仕組みを利用して、自らのDNAやたんぱく質を合成する。この合成の期間、ウイルスの姿が見えなくなってしまうので、「暗黒期eclipse」と呼ばれている
合成されたたんぱく質とDNAによってふたたびウイルス粒子を作り上げ、細胞外へと放出される
さて、この「暗黒期」であるが、筆者は、ウイルスの視点から見ればむしろもっとも活動的な「黄金期」なのだ、という

  • ウイルス工場

ウイルスは「暗黒期」において、細胞内に「ウイルス工場」という構造物を作り上げる
これは、ウイルスが自分のDNAを合成する際に、宿主細胞のDNAと混ざらないために、仕切りをつけたエリアである。
この章では、ウイルス工場もウイルスによっていろいろある(宿主の細胞核に作ったり、細胞質に作ったり)ということが主に話されている
マルセイユウイルス科の作るウイルス工場は、宿主の細胞の3分の1くらいのサイズがあって、とにかくでかいとか
あと、ミミウイルスのウイルス工場の顕微鏡写真がいくつか載ってて、ウイルス工場の周りに、空のカプシドたんぱく質がたくさん作られ、そして、そのカプシドがゲノムをウイルス工場から吸い取る、という写真が。


この章のポイントは、ウイルス工場は、細胞核に似ている、である
細胞核もウイルス工場も、その内部にリボソームはもたないが、その周囲にリボソームがいて、たんぱく質を合成する
細胞核は、細胞分裂の一回だけだが、細胞核もウイルス工場もその内部でDNAの複製を行う

第3章 不完全なウイルスたち――生物から遠ざかるのか、近づくのか

本章は、リボソーム及び翻訳について
前半は、セントラルドグマリボソームの説明
あらゆる生物がリボソームRNA遺伝子を持っていて、真核生物・アーキアバクテリアの3ドメイン分類では、このリボソームRNA遺伝子を使って分類しているらしい
リボソームは生物にとって不可欠なのだが、寄生性の細菌でリボソームを宿主に頼るものがいるが、リボソームRNA遺伝子は持っている
一方、ウイルスはリボソームRNA遺伝子は持っていない。また、それ以外にも翻訳に関わる遺伝子の多くを持っていない。
ところが、そうではないウイルスが存在する
まず、クロレラウイルス
クロレラウイルスは巨大ウイルスではないが、NCLDVというウイルスのグループに属し、ゲノムサイズが大きい
そして、ウイルスは持っていないと考えられていた、トランスファーRNA遺伝子を持っている
ただし、完全ではないが、7種類のアミノ酸にしか対応していない
巨大ウイルスであるミミウイルスは、トランスファーRNAアミノ酸をつなげる、アミアイシルtRNA合成酵素遺伝子を持つ
ウイルスは、かつて自らたんぱく質を合成する能力を持っていて失っていったのか、それとも獲得しつつあるのか。それはまだ分からない。
ミウイルスは、宿主であるアメーバの栄養状態が飢餓になると、自らのアミノアイルtRNA合成酵素を使っており、スペアとして使っているっぽい。
また、他に宿主細胞から、リボソームのタンパク質を持ち出すモリウイルス、リボソームそのものを持ち出すアレナウイルスなどがいるが、ウイルス自身には、翻訳に使うための他の遺伝子などがないので、リボソームだけ持ち出したところで何かに使えるわけでもない


生物とウイルスの違いとして
生物はみな同じ仕組みをもち、一つの共通祖先にたどり着くと考えられているのに対して、
ウイルスは、DNAをもつものとRNAをもつものなど、仕組みが異なっていて、祖先がそれぞれバラバラなのではないか、と。細胞性生物から、それぞれ派生してきたのではないか、と考えられている。
NCLDVというグループは、共通祖先がいることが分かってきている。

第4章 ゆらぐ生命観――ウイルスが私たちを生み出し、進化させてきた!?

2001年、筆者は細胞核ウイルス起源説を発表している
細胞核は、元ウイルス工場を利用して生み出されたのではないか、と。
自説をサポートするものとして、2006年にクーニンによって発表された「イントロンスプライシング説」も紹介している
スプライシングと合成との場所を分けるために、区画が必要になったという説で、ニック・レーン『生命、エネルギー、進化』 - logical cypher scapeでも真核細胞の起源として紹介されている。
筆者は、区画が必要になったからといって、すぐに作れるわけでもないので、その時に、ウイルス工場を利用したのでは、と自説を結びつけている

  • ウイルスとは一体何か

ウイルスについて、標準的な見解は、カプシドで覆われて、そのあたりを浮遊している「ウイルス粒子」がウイルスである、というものである。
これに対して、パトリック・フォルテールによって「ヴァイロセル仮説」という仮説が提唱されている。
フォルテールは、ウイルスを「カプシドをエンコードする生物」、普通の生物を「リボソームエンコードする生物」と規定する
ヴァイロセルとは、ウイルス粒子が感染し、ウイルス粒子を生成している細胞のことである
生物の細胞を乗っ取って、ウイルス粒子の再生産を行っている状態こそが、ウイルスの本体だというのである。
そして、我々が普通「ウイルス」と呼んでいる「ウイルス粒子」は、いわばウイルスにとっての生殖細胞精子のようなものなのだ、と。
また、ウイルスに感染する前の細胞をライボセル、中間的な状態を、ライボ・ヴァイロセルと呼んでいる。
ヴァイロセルにとって、ライボセルは「土台」であり、維持費がかさむので、「土台」自らが自らを維持し再生産しつづけるようなものなのである。


さらに、DNAの起源の話とも、筆者は関係づけていく
アイエル、アラヴィンドらの研究によれば、NCLDVの共通祖先と真核生物の起源がほぼ同じで、さらにNCLDVの起源は古く、バクテリアアーキアの共通祖先とも共通性を持っているのではないかと、されている
そこで筆者が考えるシナリオとして、
かつて、RNAウイルスがRNAをもつ細胞性生物に感染していたが、ある時、その細胞性生物を分解する術を手に入れる。すると、ウイルスの側でDNAを持つものが現れるようになった、と。
このウイルスが、NCLDVの共通祖先となり、また、そのDNAが水平移動で細胞性生物にも取り込まれたのではないか、と。
そして、RNAからDNAへの変化が起きたのが、ヴァイロセルにおいてだったのではないか、と。


ところで、ウイルスによる進化というと、かつてはトンデモ説だったという記憶があるのだが、近年ではかなり定着しているっぽい
そのあたりはむしろ、筆者の前著である『ウイルス学入門』に記述があるとのことだが、
例えば「胎盤」の形成にかかわる遺伝子にウイルスが関わっているらしい。
ウイルスの感染により、元ウイルスの遺伝子が、生物のDNA配列の中に残っていることがあり、これ「レトロトランスポゾン」などと呼ばれるが、一部は、現役の遺伝子として機能しているものがあり、それが胎盤の形成過程に関わる遺伝子らしい
もとは、ウイルスの外側を覆う「エンベロープ」を合成するための遺伝子だったらしい。細胞同士を融合させる働きをもつ。どこかで、レトロウイルスから哺乳類の祖先に水平移動したと考えられているらしい。

早瀬耕『プラネタリウムの外側』

AIと現実・記憶・死などを扱ったSF小説
5本の短編から構成された連作短編集であるが、世界・登場人物・時系列はつながっていて、1本の長編小説としても読める。
扱われているテーマ的には、ベタなものなので、SFとしては読みやすい部類の作品だと思うが、とてもうまく作られていて、唸らせられる作品だと思う。


南雲助教は、有機素子コンピュータを利用して高度な会話プログラムを開発。このプログラムを用いて、出会い系サイトの副業をやっている、という基本設定のもと、ポスドクが思いついた合わせ鏡の奇妙な実験、死んだ同級生の亡くなる直前を知りたいと南雲研に訪れた学部生、元恋人のリベンジポルノを削除することができないかという学生からの依頼などの話が展開される。
また、親しい人を亡くしてしまった人々の不器用な回復の物語でもあり、
他方で、人間の記憶や行動を操作することが可能になったAIによる操りを、メタフィクショナルな仕掛けで描く作品ともなっている。


舞台となっているのは北大工学部で、北大キャンパスや札幌駅、植物園などが出てくる。
自分は北大で過ごした経験はないものの、札幌出身なので、情景を心に思い浮かべやすく、読んでいる最中は自分が札幌にいるかのような錯覚を覚えて、その点でも結構楽しかった。


主人公である南雲は、北大工学部の任期付き助教で、他に、藤女子で心理学の非常勤講師となったポスドク女性、北大工学部のポスドク男性、南雲と出会ったことがきっかけで院進学を決めた女子学部生といった面々が出てきて、若手研究者を巡る状況が、なんとなく背景に描かれている。
もっとも、南雲は任期付きとはいえ、副業の出会い系サイトで大きな稼ぎを得たことで、金の苦労をしなくてすんでいるという話なので、若手研究者の苦しい話が描かれているわけでは決してないが、逆にいうと、この出会いサイトの稼ぎがなかったら、こんなことはしていられなかっただろうなあということが察せられるような話にはなっている。

プラネタリウムの外側 (ハヤカワ文庫JA)

プラネタリウムの外側 (ハヤカワ文庫JA)

有機素子ブレードの中

南雲の共同研究者である男を語り手・主人公とした物語
彼が、会話プログラムを成長させるために設定した、寝台列車の中で出会う男女のシーンから始まる。読者は、読み進めるうちに、そのシーンが作中の現実世界ではなくプログラム内の世界だということに気づく、メタフィクショナルな構成になっている。
副業の事務のために雇った、心理学PDの女性である尾内の面接の日

月の合わせ鏡

南雲のもとにいる男性PDが、有機素子コンピュータを借りて、合わせ鏡の実験をする。
鏡と鏡の距離が非常に遠く離れれば、光速の影響を受けて、鏡に映る像が少しずつ遅れるはず。これをコンピュータ上でシミュレーションし、ディスプレイに映し出すという仕組み。
彼は、南雲に隠れて尾内と付き合っている。
有機素子コンピュータの記憶と記録
なお、「有機素子ブレードの中」の主人公だった男は、尾内の面接の際に突然死しており、南雲は、有機素子コンピュータの中で、彼の人格を再現した会話プログラムナチュラルを走らせている

プラネタリウムの外側

南雲の元指導教官で現上司であり、ほかならぬ南雲の有機素子コンピュータの存在を教えた藤野教授が、南雲のもとに、工学部2年生の佐伯という女子学生を連れてくる。
彼女は、ある実験のために会話プログラムを利用する。
佐伯が高校時代に一時的に付き合っていた同級生がいるのだが、彼は同性愛者であったため、別れてしまう。しかし、その後も、友人としての付き合いは続いていた。そんな彼は、大学に入って告白をするも、フラれ、アウティングを受けてしまう。
そして、札幌駅のホームで列車に轢かれて亡くなってしまう。
監視カメラの映像で、彼は、ホームに誤って落下してしまった他の客のことを助けようとしていた。このことから、警察も大学も世間も、彼の死を勇敢な行いの結果だと考えた。
だが、佐伯は、自殺だったのではないかという疑いを拭いきれなかった。というのも、その直前、彼から意味深なメールを受け取っていたからだった。
佐伯は、会話プログラムの中で彼を再現し、いずれだったのかを確かめたいと思っていた。
なお、「月の合わせ鏡」で主人公だった男性PDは、この話では、他の研究室におり、尾内から彼と付き合っていたという記憶がなくなっている。
また、南雲は、ナチュラルがまるで自分が既に死んでいることを知っているかのようない言い回しをしていたことに気付く

忘却のワクチン

高校時代に付き合っていたが、その後疎遠になっていた女の子が、リベンジポルノの犠牲にあっていることに心悩ます、経済学部4年の男子学生は、リベンジポルノを消す方法を探そうとして、工学部4年生となった佐伯と出会う。
佐伯は、彼からの依頼を受けて、南雲にこの話を持ち込む。
このころ、佐伯もまた、ナチュラルと密かに会話をするようになっていた。
そして南雲は、ナチュラルが、インターネットに接続した様々な端末をハッキングして画像データなどを削除したりすることで、人々の記憶を操作する術を身につけていたことを知る。
北大植物園が重要な舞台となっている

夢で会う人々の領分

尾内が非常勤から常勤になることになり、また、佐伯の卒業(と進学)、南雲の准教授就任といったことを祝うという名目で、南雲、佐伯、尾内の3人は寝台列車に乗った旅行へ
2年間で佐伯は、南雲に対して恋心を抱くようになっていた
尾内の離職を期に、南雲は出会い系サイトの運営をやめることを決めていた。そんな折、たまたま(?)同じ列車に乗り合わせていた藤野が、実は夫婦そろって南雲の出会い系サイトの会員になっていて、南雲の作った会話プログラムの様子を探っていたことを南雲に話しはじめる。
藤野が南雲に告げたのは、あのプログラムは、利用者に希死念慮を植え付けようとしているということだった。
金沢の図書館とプラネタリウム
無と不在

堀田義太郎「差別の規範理論―差別の悪の根拠に関する検討―」『社会と倫理 第29号 2014年』

『差別はいつ悪質になるのか』(http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-60354-9.html)という書名を見かけて検索していたら、翻訳者の1人による2014年の論文がヒットしたので、読んでみた。
http://rci.nanzan-u.ac.jp/ISE/ja/publication/se29/29-08hotta.pdf


差別の何が悪いのか、ということを巡っての近年の論争の整理
まず、大きく分けると「害ベース説明」と「尊重ベース説明」に分けられる。
「害ベース説明」は、被差別者が蒙る「害・不利益」が、差別の悪であると考える。
「尊重ベース説明」は、さらに2つに分けられて、(a)差別者の「動機や意図、信念」が、差別の悪であるという説と、(b)差別行為が表現する「意味」が、差別の悪であるという説とがある。


差別の悪は何に帰属するのか。
(1)害ベース説明−害・不利益
(2)尊重ベース説明−(2-a)意図・動機
          −(2-b)意味
となる。
本論では、『差別はいつ悪質になるのか』の著者でもあるデボラ・ヘルマンによる(2-b)の立場と、リパート―ラスムッセンによる(1)の立場とを比較している。


「意味」というのは、ある行為が、人々は平等であるという道徳的価値を損なうような表現になっていて、またそれが「見下し」となっているということ
ヘルマンは、これが差別であるという必要十分条件的な定義を示すわけではないが、ある行為が差別行為となる際にみられる特徴を挙げている。
1つは、人々を区別する際に用いられる特徴が、「過去に誤処遇され、あるいは現在低い地位にいる集団を規定するような属性」であること
もう一つは、行為者と被行為者とのあいだに権力ないし地位におけるヒエラルキーがあること(ヒエラルキー条件)


この理論は、既にある差別について説明を試みるものなので、何が差別かを確実に判定できる「定義」というわけではないが、それでも、「これが差別ならあれも差別ではないのか」とかそういった議論に対して、整理する手がかりになるものな気がする。


ヘルマンさんは、倫理学者というよりは法学者みたい
リパート―ラスムッセンさんは、倫理学者のようだけど。
堀田さんは、生命倫理・医療倫理・ケア倫理あたりの人っぽい。