Hatena::ブログ(Diary)

日々単調

2011-10-26

書評再開につき

就職活動や、資格試験を終えて少々だらけ切った私を立て直すためにも、書評ブログを再開させようと思う。そんなに本ばかり読んでも居られないので、書評でなく日々思ったことなどをその都度綴って、自分を振り返ってみようと思う。

最近の私はというと、韓国ブームである。コーヒープリンス1号店に始まり、東方神姫、少女時代ヒョンビンとはまって、韓国にも2度ほど旅行した。そして、就活の終った今、有り余るエネルギーを韓国語の勉強に費やそうと、韓国語講師を探しており、11月から早速勉強しようとしているところである。

韓国ブームばかりをプッシュすると馬鹿っぽく思われるかもしれないので、メインである本に関することにも少し触れる。最近は人に対する妬み・嫉妬などのすさんだ感情からか、林真理子さんのエッセイなどにとても共感して、せっせと読んでいる。人って、周りから良く思われたくてあまり嫉妬とか出さないようにしているけれど、人間は本来嫉妬にまみれたものであって、それを遠慮せずぶちまけている林真理子さんのエッセイは読んでいて非情にすがすがしい。ハッピーな気分の時には、"うふふ、あはは"な恋愛小説やほのぼの小説を読むのもいいけれど、すさんだ気分の時には似たオーラを放つ作品に同化したいから、少しネガティブな作品に惹かれる。ネガティブと言っても、林真理子さんのエッセイはネガティブを笑い飛ばすような明るさがあって別の魅力があるのだけれど。ともかく、女の本音を代弁していて面白い。

話は変わって、最近の私は一人でいることが多い。少し前までは一人の人に割と依存していたので、友人と付き合っていなくても平気だったのだけれど、その一人の人にも裏切られてしまったので、いきなり孤独にさらされてしまう形になってしまって、時々寂しすぎて辛い夜がある。かといって、下手な人間関係で無駄なお金を使うことも馬鹿らしいので、たまにある誘いも断っているのだけれど、誘いを断り続けると誰からも誘われなくなってしまう。まあ、付き合いたいと心の底から思う人がいなければ、無理して付き合う事もないし、今は人のめぐりが悪い時期だと割り切って自分を高めることに時間を費やすことが一番賢い方法だ。

一人の時間をつぶすために、先週までは資格試験の勉強をしていた。出版会社の試験勉強以来久しぶりにガチに勉強して、それなりに充実していた気がする。残りのモラトリアムも、TOEICやハングルの勉強に費やすつもり。後はバイトして、フランスに旅行したり、服や化粧品をしこたま買ったりしたい。今週はバイトが無いので、本読んだり、イ・ジュンギの出てるドラマや映画が見たい。

2010-12-18

『団欒』/乃南アサ

本書を読み終えた後、私はなぜ父と母、そしてたった一人の兄弟である兄のことを家族として受け入れ、好きになることが出来たのだろうと不思議に思った。

解説で有吉玉青さんも述べているように、父と母は互いに好き合って結びついたわけだから一緒にいる理由はまだわかるが、それ以外の家族のつながりは単に血がつながっているだけに過ぎないのである。だが、人々はそのことについて深く考えずに、家族という名の絆を信じこみ、ことあるごとに「家族なんだから」と言いたがる。それは、ある意味では少し不気味な光景だ。

「ママは何でも知っている」では、恋人の加奈の家に婿として迎えられた優次が、その家族の異常な仲の良さに葛藤する。彼女の家では、歯ブラシは家族共有で、いくつになっても家族で一緒に風呂に入り、極めつけには夫婦間の性生活についてまで家族にあけすけに話す。優次がたまに反論して見ても、「家族なんだから」の一言で片づけられてしまう。大した理屈もない安直な一言で済んでしまう家族という絆が不思議で仕方がない。

また、「ルール」と「団欒」では、この家族と言う不可解な絆によって、とんでもない団結力が生まれる。息子が急に潔癖になったのをきっかけに、母と娘まで潔癖になって家の中を清潔極まりなく大改造を始め出す「ルール」。そして、家族間で家の中を清潔に保つためのルールを立てるが、このルールを守るのが一番厳しいのが父である。家族のために働いて疲れて帰宅してそのまま寝てしまうと、翌朝娘からは汚いとののしられ、息子には白い目で見られる。こんな不憫な父親がどこにいるであろうか。いや、最近の家庭ではどこも父を汚いもの扱いしたがるか。そして、父に聞こえるくらい大きな声で、「父を隔離しよう」などと相談事をする。「家族だから家族内のルールくらい守れ」と言われれば、それまでかもしれないが、なぜ単に血がつながっているに過ぎない息子のわがままに付き合う必要があるのであろう。しかし、優しい父は心身共にぼろぼろになるまで家庭内ルールに付き合ってしまう。

息子が恋人を誤って殺してしまった、そこから物語が始まる『団欒』。そう告げられて父がまっさきに考えたことは、自分の保身であった。父と同様、母は今後日の当らない場所で暮らしていくことになるであろう自分の身を心配し、妹は兄が犯罪者ということで将来結婚できなくなると自分の不幸を嘆く。そして当の兄は、恋人の死を悲しむのではなく、自分が家族から軽蔑されることを一番に恐れている。利害が一致して、死体を始末することになるが、家族という絆によって、このような非情な団結力が生まれるから恐ろしい。

これら三つの物語は、家族の不気味さを鋭く突いている。そんな中で、曙光を見せてくれるのが「出前家族」だ。意地悪な息子夫婦と三世帯住宅で暮らす實は、ある日突然現れたレンタル家族の優しさに触れ、レンタル家族を本物の家族と信じ込むようになってしまう。家族である自分に不当な扱いをする本物の家族よりは、嘘の家族でも暖かい家族の方がいいと言うのである。この實の主張こそが、「家族」というつながりに明確な答えを出している。私たちが、「家族なんだから」の一言で様々な事を片づけてしまうことができるのは、それまでにお互いに助け合って共に生きてきたことで絆がいつの間にか育っていたからなのである。そう、「家族」という名の絆は、生まれた時から存在するものではなく、生まれてから一緒に育てていくものなのである。単に血のつながりがあるだけで、家族の絆を主張している家族などは、本当の家族とは言えないのだ。

団欒 (新潮文庫)

団欒 (新潮文庫)

2010-12-14

『Tiny Stories』/山田詠美

本作は『文学界』で連載されていた短編小説のアソートであり、そのコンセプトは「すべて違う文体、違うイメージで」とのことだ。目次を開くと、1から5まである『GIと遊んだ日』という短編にはさまれて、さらに16の短編小説が並んでいる。16の作品はまるで飴玉かチョコレートのアソートのように、タイトルはばらんばらんだ。その様子はタイトルごとに鮮やかな違った色がついているかのようである。

どれから読もうか迷いつつも、まずは順当に1話目の『マーヴィン・ゲイが死んだ日』、続いて2話目の『電信柱さん』。前者は『僕は勉強ができない』を連想させるような一家のほのぼの話である。後者は一風変わって、本来生命を持たない電信柱にも感情があり、電信柱の視点で話が展開されている童話のような作品だ。短編集だと、こうも順序通りに読むことに飽きてしまったので、カラフルなパレットの中から、いかにもハッピーになれそうなピンク色を連想させる『LOVE 4 SALE』を選んでみたり、一体どういう話なのかと謎だらけな『にゃんにゃじじい』を唐突に選んで読んでみたりした。短編集だとこんな読み方が楽しめるのもいいところである。

そして、数あるタイトルの中でも注目したいのが、過激なタイトルで一際目立っていた『クリトリスにバターを』である。本タイトルは、もともとは村上龍氏がデビュー作『限りなく透明に近いブルー』につけようとしていたが、あまりに卑猥すぎるとの理由から却下された幻のタイトルなのだ。実はこの『クリトリスにバターを』と続く『420、加えてライトバルブの覚え書き』が視点を変えたセット作になっている。作中に出てくるカルピスバターという言葉を聞いた詠美さんの知人が村上龍氏の幻のタイトルを思いだしたことから、このタイトルをつけたという。

全体的に、著者の少し前の短編集である『色彩の息子』を思い起こさせる本であった。愛や幸せを追究したがゆえにちょっぴり残酷な結末を迎えるという物語が多い。ただ、『色彩の息子』と異なる点は、要所要所に散りばめられた『GIと遊んだ話』が唯一著者の体験を交えてピュアに描かれており、そこだけ残酷さが微塵も感じられない点であろう。

5つある中で最も気に入っているのが1つ目のGIにまつわる話だ。明日の船で横須賀を出るという恋人のカーティスとの別れを惜しむべく、多美子は最後の晩に最高のセックスをしに出掛ける。そこで何とも不思議な純和風の連れ込み宿を見つける。多美子は部屋に通されるやいなや妙な気配を感じる。女の淫靡な視線を。なんと、そこはかつて羅紗緬が西洋人と目交っていた場所であったのだ。だが、カーティスはそんな気配に全く気付かず、むしろ部屋の佇まいや朱色の寝巻にすっかり気分を高揚させ、多美子を愛することに懸命になっている。翌日カーティスは船で日本を出た。その後も多美子はその宿が気になり、別な男と連れだって繰り出すも、まるで狐につままれたかのように一向にその宿を見つけられない。後にハワイに停泊しているカーティスから手紙が届く。手紙には「また、きっと、いつか。ぼくたちの西瓜小屋で。」と書かれていた。それを読んで多美子は、「もしかしたら、カーティスと一緒でなければあの宿は見つけられないのかもしれない。」と考え、またカーティスとあの宿で愛し合える日を待ち望むも、それは叶わなかった。カーティスは本当の戦争に行ってしまったのである。少し切ない話であった。

5つのGIの物語には、共通してヴェトナム戦争湾岸戦争の話題が出てくる。著者が過去に知り合ったアメリカの軍人たちから聞いた戦争についての話がどうしても気になって、ぜひ文章で残さなければと思ったからであるという。これまで知り合ったGI達から聞いた話を鮮明に思い出し、それらをつなぎ合わせて戦争に関わった人々の感情についてよく書いている。山田詠美と言ったら、黒人との恋愛物が多い印象が強く、素敵な恋愛模様が毎回描かれているが、本作ではどちらかと言うと戦争の方が大きく取り上げられている。著者らしい恋愛物短編集かと思いきや、自由奔放に散っている16の短編を仕切るように立っている5つのGIにまつわる物語には、このような深い著者の思いが託されているのだ。

タイニーストーリーズ

タイニーストーリーズ

2010-11-28

『泥棒猫ヒナコの事件簿 あなたの恋人、強奪します。』/永嶋恵美

別れさせ屋」という言葉を聞いて、去年の春に起きた「別れさせ屋殺人事件」を思い出した。夫に仕組まれた別れさせ屋によって、一人の女性が命を落とした事件の真相は何とも切なかった。単にだますつもりが、ミイラ取りがミイラ取りになってしまった被告。不謹慎かもしれないが、一見ロマンチックな事件にも思えた。

日本調査業協会によると、「別れさせ屋」は全国に約250存在していると言う。探偵業者同様に素行調査をし、さらに疑似恋愛する主役が現れ、脇役の工作員を使いシナリオを演じる。事件を機に、協会は人の生活の平穏を害し、個人の権利利益を侵害するなどとして、「別れさせ工作をしてはならない」と自主規制しているが、非公式の業者がほとんどであるため完全規制は難しいのが現状だ。加えて、需要があるのだからそういった業者がなくならないのは、仕方のないことなのだろう。

普通の人なら、大金を払ってまで「別れさせ屋」を雇うことは馬鹿らしいと考える。しかし、中には大金を払ってまで誰かに依頼しなければ、別れられない不幸な人間という者がいるのである。そんな不幸な人間が大勢本作には登場する。

『あなたの恋人、友だちのカレシ、強奪して差し上げます。』という奇妙な文面の女性専用広告に導かれて、登場人物たちは泥棒猫の皆実雛子に仕事を依頼する。「DVの彼氏と別れたいため」「親友に彼氏を横取りされて、その腹いせのため」「変な男につかまった姉の目を覚ますため」と事情は様々である。料金は、基本料金が10万円、オプションが入ってくると20万を超すこともある。料金は高いが、プロの雛子の手にかかれば単に問題を解決するだけではなく、依頼者の心のケアまでついてくる。雛子の人を分析する能力が非常に長けていて、雛子の前では依頼者の本心や嘘などは見え透いており、依頼者含め別れのシナリオは雛子の手中にある。手のひらで転がされているかのように、まんまと操られるターゲットは滑稽でもあり、時に哀れにもなる。

雛子の経営する業者は、現実に起きた事件のような悪徳業者ではなく、正義のための別れさせ屋であるところが本作のすがすがしいところである。現実的に考えれば、かなり怪しい広告であることは間違いないが、そこは小説と言うことで楽天的に考えよう。ただし、6つ目のストーリーは少々犯罪の臭いがあるので、意外な展開が待っているので、心の準備をして読むことを勧める。

泥棒猫ヒナコの事件簿 あなたの恋人、強奪します。 (徳間文庫)

泥棒猫ヒナコの事件簿 あなたの恋人、強奪します。 (徳間文庫)

2010-10-12

『痴人の愛』/谷崎潤一郎

本作は谷崎潤一郎の作品の中でも、特に彼の西洋への憧憬が色濃く現れている。

 私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私たち夫婦の間柄について、できるだけ正直に、ざっくばらんに、有りのままの事実を書いてみようと思います。

これが『痴人の愛』の書き出しである。ここから、主人公である河合譲治の、西洋美を追求するあまりの破滅のストーリーが幕を開ける。

譲治は独身で、生まれてこのかた女と交際したこともなく、平凡な日々を送っていた。電機会社の技師として仕事をし、物欲というものが生まれつきなかったため、別段お金に困るということもなかった。だが、ある日、偶々入ったカフェエで給仕をしていたナオミと出会ってひと目惚れをし、譲治の人生は転落の一途を辿ることになる。ナオミは十五の歳であった。それに対し譲治は二十九歳。二人が交際をするにはあまりにも歳が離れすぎていたが、譲治にとってはこの世に女はナオミ以外に考えられなかった。というのも、譲治は強い西洋嗜好の持ち主であったからだ。音楽や身なり、暮らしまでも西洋の真似をしていた譲治にとって、ただ一つだけ足りないものは、西洋風の妻であった。ナオミは混血児のようないでたちをしていた。手足は同世代の寸胴な女たちとは違い、まっすぐに伸びており、目鼻立ちもくっきりとしていた。そして何より、色白い肌の持ち主であった。貧しい家庭環境にあったナオミは、お金があれば英語と音楽の勉強がしたいと譲治に言う。そこで譲治は、ナオミを引き取って学校に行かせてやり、自分好みの西洋風の女に育て上げて結婚してしようと目論むのだ。

 これで私たち夫婦の記録は終りとします。これを読んで、馬鹿馬鹿しいと思う人は笑ってください。教訓になると思う人は、いい見せしめにして下さい。私自身は、ナオミに惚れているのですから、どう思われても仕方がありません。ナオミは今年二十三で私は三十六になります。

という文で締めくくられている。締めの文章から、譲治の自虐的な一面がうかがえる。譲治の容姿は、お世辞にも美形とは言い難かった。肌の色はどす黒く、背丈は低く、そして猿のような顔つきをしていた。家でナオミと二人でいる時は自分の容姿のことを考えることもないのだが、ナオミと連れだってダンスホールなどに行く時には、いつも気後れしていた。そして、その気後れからナオミに常に気を使い、譲治が気を使えば気を使うほどナオミはつけ上がった。ナオミに必要以上に肥しを与え過ぎたために、気品のある女性を通り越して、淫婦に成長させてしまった。その妖艶なナオミの姿は、谷崎の初期の代表作でもある『刺青』の女郎蜘蛛の刺青が象徴する「悪」と「美」との不思議な諧和を思わせる。

「馬鹿馬鹿しいと思う人は笑ってください」や「ナオミに惚れているのですから、どう思われても仕方ありません」という自分を評している点から、自分を客観視して評価しており、ナオミに溺れつつも一定の理性は保てていることが分かる。自分でも愚かな行為をしているとも思いつつ、これが自分の生き方であるとある種開き直って見せている。作者である谷崎は、譲治を通して、自身の西洋崇拝ととことん美を追求することの陶酔の喜びを描きたかったのではないだろうか。谷崎は『刺青』の中で、「『愚』と云う貴い徳を持って」と書いている。谷崎にとっては、内面ではなく、外面の美のみを追求する愚かな行為は、非難されるものではなく、貴い徳であったのだ。

痴人の愛 (新潮文庫)

痴人の愛 (新潮文庫)