まずキンドルから始めよう

電子書籍の端末は、画面が液晶ではなく電子ペ−パ−で作られており、まるで印刷されたかのような画面は読みやすく眼が疲れません。
紙の書籍を読んでいるような感じは、白黒なら電子ペ−パ−となります。その本命は昨年暮れに発売されたアマゾンのキンドルシリ−ズで、白黒で本を読むことに特化するなら「キンドルホワイトペ−パ−」となります。日頃からアマゾンを利用して紙の本を購読していた私がこの電子書籍端末に半年触れてなにを感じたかを書いてみようと思う。電子書籍の最大のメリットといえば、重たい本を持ち歩かなくてもいい、まとめてたくさんの本を持ち歩けることで、そのことは端末に対応する電子書籍ストアをどこを選ぶかになるが、アマゾンの会員なら、これまでのIDとパスワ−ドでそのまま移行でき身構える必要はない。特にキンドルの端末は、専用機の端末からアンドロイド/アップルの端末器まで、場所も選ばず同期して読書出来るのがなんといってもありがたい。
液晶は、その画面から発せられる強い光、特に青い光が眼を疲れさせますが、電子ペ−パ−はそもそも光りません。それが災いして暗闇ではまったく読めないことに対し、キンドルは前から紙を照らすような「フロンライト」が付帯されています。キンドルホワイトペ−パ−は、実測で217gで、一般的なタブレット端末が500gもあることを考えると軽く長時間の読書に疲れない重さになっています。端末から直接ストアに通信できるのですが、個人的には「WIFI」よりドコモの電話3G回線を使うモデルをお勧め致します。しかもその通信料金はアマゾンが負担してくれますので、購入者の購入動機を前向きにしてくれます。アマゾンのキンドル発売前におおあわてで出てきた楽天KOBOとソニ−のReaderの動向を調べた見よう。まず楽天Koboの評判が芳しくないのはハ−ドウエアのせいではなく、アマゾンという黒船におそれふためいた楽天というサ−ビス会社の失敗だ。
詳細を提示しない派手な宣伝で電子書籍初心者をかき集めたのに、初心者に不親切なサ−ビスをスタ−トさせてしまった。コンテンツ数もなかなか出揃わないのを適当に水増ししてごまかすなど日頃敬愛する三木谷社長の仕事としてはいただけない。ソニ−のREADERはキンドルが発売される2ケ月前に出てきたが、その端末ハ−ド機器は、これがソニ−製品と首をかしげるようなお粗末なもので、何期も赤字会社でブライドもなくし、技術レベルも並以下になってしまったようだ。私も昔のソニ−に敬意を表して購入したが、キンドルとの比較でお蔵入りになり使っていない。
同じ6インチの白黒電子ペ−パ−方式で、ソニ−よりも格段に優れているのは凸版印刷系の「Booklive!」で、電子書籍数が業界最大の10万冊近くあり、しかもキンドルと同じくアンドロイドやアップルの端末に提供されているアプリもよく出来ていますので、同期出来ます。
又、昨年の暮れに「リディオ」という端末を出し、中高年層をタ-ゲットにして、使いやすい工夫がなされています。キンドルに比べると夜間でも快適に読めるようなライトがついていないことぐらいで、価格も安く充分に実用に耐えるシステムになっています。
電子ペ−パ−としては、その発売に時間をかけ、端末カバ−迄「ipad」レベルに追いつこうとしたキンドル電子書籍端末の本命として選択さていただいたが、本好きの貴方に対して押さえるべきアドバイスを考えて見ます。1.電子書籍端末として、1個だけ選択するとしたら、又この手のタプレットを初めて触れるなら、キンドルではなく「ipadmini」がベストです。キンドルもブックライブもこのipad上に優れた電子ピュアアプリとしてはいっていますが、それ以外のweb通信、Eメ−ル、ゲ−ム、電話機能及びその他の楽しいソフトが盛りだくさんあり、様々なアクションでエンジヨイすることが出来ます。2.モノクロ本の読書に限れば、電子ペ−パ方式となるが、コミックから写真付き書籍、写真集、雑誌を読みたいなら、やはりカラ−でなければならない。書籍画面のレイアウトでその背景色をいろいろ変えたいのなら液晶のカラ−になります。
つまりこのキンドルホワイトペ−パ−はセカンド的にもつ専用タプライトが本来の役割だ。旅行や出張など外に出かけるなら本好きは1個の端末よりは2〜3台持っていた方が、電池で動くものの弱点をカバ−してくれる。「ipohe」も表示画面」が小さくて、電子書籍端末としてどうだという意見もあるが、キンドルの画面はその画面に最適なレイアウトで、コンパクトな画面で焦点がはっきりして非常にスピ−ドをあげて読むことが出来ます。
キンドルホワイトペ−パ−が出て、確実にアマゾンからの紙の本を買わなくなってしまった。それに引き換え電子端末の方には80アイテムの書籍がはいっていて、いろんな場所で読書している。但しアマゾンのキンドル本は数が少なく、例えば私の好きな宇佐見真理の「髪結い伊三次捕り物余話」は文春文庫であったが、黒木亮などは、今の所6冊しかなく全部読んでしまった。まだ電子化の途上中で、本好きの一作者完読などという芸当はまだ出来ない。

音楽と私のつきあい方

メインのスピ−カはスリウエイ、スリ−スピ−カ−方式の三菱のダイアト−ンで、私が30代の始めに購入したものだ。このスペ−カ−を、今は亡き父からもらったアキュ−ズのアンプで鳴らしていたが、40代後半から自営業に転じてからまったく操作することはなくなった。
70代前後でやっと自分の時間がとれるようになったので、まずそのアンプを更新することにした。
今年に入ってから、パイオニアのUSB−DAC機能を備えた2チャンネルデジタルプリメインアンプを入手すると同時にその入力系もパソコン音楽の取り入れも含めて新しいものを追加させていただいた。iphone時代の音楽を聴くための人並みのステレオ再生システムが整った。早速CDを聞いてみると、それまでと違って透明度の高く、端正なト−ンが基調となり、馬力感のある低音域から輪郭のはっきりした中高音域迄音楽表現が出来る様になった。しかも入力のCDプレ−ヤ−がオンキヨ−に加えネットワ−クオ−ディオプレ−ヤCD−N500(ヤマハ)のCD取り込みが音が違い、楽しいものになった。聞き手のその日の気分で選択するが、新しいヤマハの方がほどよい厚みに引き締まった中音域と伸びやかな高音域を再現している。又ネットワ−ク再生ではハイレゾ音源を意識してレンジが広く、音の純度を損なうことのない正確な温源が再現されておりそれぞれの音源の特性を生かした音を充分に聴くことが出来る。音楽が好きで手持ちレコ−ドも何千枚ももち、FMチュ−ナ−とテ−ププレ−ヤ−の3系統が精一杯の入力系であった父の時代から考えると、音の純度がさらに追求され、豊かな音源がある私の時代まで父に長生きしていただきたかったと思う。
時代はまずパソコンから音楽を聴くというデジタル化が進み、iphoneという優れた情報端末器が生まれてから、豊かな音源環境が押し寄せ、インタネット、無線RUNそしてWI−FIで新しい音源環境の主役が決まった。
パソコンのオ−ディオ化が進んでCDが16ピット/44.1KHZサンプリングなら、ハイレゾ音源は24ピット/88.2KHZサンプリングというCDを超えた低温から高温まで幅広い音域が記録可能になった。
その事はより臨場感と伸びのある音質が確保され、しかもインタネットでハイレゾ音楽がダウンロ−ド販売されると、自由に、違う音源でハ−ドデスクに保存した数千曲の楽曲を一元的に管理することが可能になった。
私の4代目のiphoneは5千曲以上の音楽が取り込まれており、そのジヤンルはまずジャズからクラシック、歌謡曲(演歌)迄幅広く収集しているが、これをD/Cコンパレ−タ内蔵のCDプレ−ヤ−のUSBで接続し、CDプレ−ヤ−内のデジタルアナログコンバ−タ−によりアナログに変換させ、先に示したアンプから良質な音楽を聴いている。勿論昔のレコ−ドプレ−ヤ−も健在で昔懐かしい入力系として使っている。
このプレ−ヤ−は父からもらったものをだましだまし使っているが、いくら当時のヤマハの名機でもオ−バ−ホ−ルが必要となります。
プレ−ヤ−のMCカ−トリッジを交換して駆動させますが、昔のアキュ−ズアンプより格段に優れた音が空間に広がり、やはりアナログの最も人間的な入力ソ−スで、持っているレコ−ドの範囲内で、楽しんでいます。
それからMAC用音楽再生アプリで最も高い人気を獲得してしているアプリといえば「Audivana Plus」で八千円程度の価格でWebから入手出来る。アイチュ−ンズの連動機能やDSDネイテプ再生など非常に優れたソフトで、私もMACAIRからプリメインアンプのUSB端子ヘつないで聴いている。
聞く音としてはCDよりも格段と音域が高い音で、艶があり、余韻がいい。是非MACを持っている人にはお勧めしたい。自分の持っているアイチュ−ンズの音楽財産が別な音源として聴くことが出来ます。
私が父の背中をみて覚えた音楽のつきあいは、今高校生の孫が、時々家にきて、自分のiphoneの音楽をこのステレオ再生で聴き、私に色々と諮問をしています。それは「直系」という言葉が好きだった父へのなによりのプレゼントではないかと思っています。

名古屋のルーツをたどる旅

深み行く秋となり、からりと晴れ渡りどこ迄も高い空の下、恒例の大学の同窓会が名古屋で開かれたので、その概況をお伝えします。
大学に入ったとき、マンモス大学の道案内としてクラス編成がおこなわれ、そのクラスがいい幹事に恵まれ、長きに渡り交流をつづけていた。今回の一泊をともなう旅の集いは名古屋で開催することとなった。
名古屋在住のエリート銀行マンであったS君が今回の旅の運営企画をほとんど準備していただき、同じ地域にすむ幹事役として私も紹介されたが、恥ずかしかった。
第一日目は名古屋駅に参集した同窓生を小型バスにのせ、熱田の森にある「七里の渡し」からスタートすることになる。
なぜ名古屋のルーツのスタートが「七里の渡し」からなのかをS君からお聞きし、丁度昼時なので近くの蓬莱軒で名古屋名物「ひつまぶし」をたべることになった。
「ひつまぶし」とはうなぎの蒲焼きを細かく刻んでおひつにまぶした料理で、一杯めは普通のうな丼として、二杯目は薬味をくわえて、三杯めはお茶づけとして三様の味が楽しめことが特徴です。
食後伊勢神宮についで権威のある、熱田大神を御祭神とする熱田神宮に参拝致します。
お参りは「二拝二拍手一拝」が基本でそれぞれの思いを胸に作法通り行ないます。
参拝した後バスは名古屋市内を走り抜け、トヨタ自動車が自動車を学び、人と車のかかわりをときあかすためつくった「トヨタ博物館」に向かいます。
トヨタ博物館」は自動車文化、技術の変遷をわからせるため世界中の代表的な車を集めて、展示してあります。
トヨタ自動車は世界に通用する車をつくることで、愛知県の代表的なもの作りの拠点であり、名古屋ルーツの近未来にに向けての拠り所といえます。
宿は、日本ライン河畔にある名鉄犬山ホテルで、敷地内に国宝茶室如庵の遺跡があることで名が知れ渡っている。
ただ、ホテルとしては、昔のよき時代の宴会主体の造りで、訪れる人に快適な空間を提供してるいるとは思えない。
私は変形股関節炎であぐらを書いて座ることが出ないので、お座敷での宴会はご遠慮させていただく事が多く、又人生の半分以上ベットで生活しているため、和室ぎらいになってしまいました。
夜の帳の幕があいて、各々が自己紹介をしたら、にぎやかなおしやべりがとどめなくつづき、アルコールはビールから日本酒、焼酎迄種類を問わず飲み放題との幹事裁きであるが若い時のように飲めないし飲もうとは思わない。
ただいつも思うが、こうやって眼の逢った人と何かをお話するのだが、殆どその話を覚えていない。しかし仕事の世界ではないので、話が素通りしていっても、だれにもとがめられないことはなく、わりと横着な気持ちで過ごしているようです。
次の日も小春日和で冬に近い、つかの間の秋を感じさせる一日で、終日陽光がさんざんと降り注ぎ、快適でした。
朝食後早速「如庵」をみせていただいたが、どうもこの手の茶室は中がせまく、この中に正座し膝を突き合わせて「権力の店開き」としての茶室接待にどのような意味があるのか理解に苦しみます。
二日目午前中の最大イベントは国宝四城の一つで木曽川の南岸にそそり立つ犬山城天守閣にのぼることだ。
城内の階段はかなりの急勾配で、70歳以上の年寄りには危険な道行きだが、天守閣最上階の絶景は、戦国時代の武将が何故お城を築いて殿様になりたかったかは、よくわかる。
しかし最上階の赤い絨毯は場末のキャバレーであるまいし、品位にかけます。
犬山城で一汗かいてバスで連れていかれた先は大男茎形(おおおわせがた)を奉納する田県神社で、おおらかな気持ちにならないと、唖然とするが[恋愛][子宝][安産]の神様とすると納得がいきます。さてこの旅の終わりは「博物館 明治村」だ。
名古屋に30年以上いても訪れた事はなかったが、昼前にはいって、4時過ぎ迄歩きましたので、ろくな観光地がない愛知県で自信を持っておすすめの観光スポットであると言い切ることができます。
まず明治時代の洋食屋の佇まいの「浪漫亭」で昼食をとるが、オムレツが有名で女性客が好むようだ。
アプローチは正門からではなく北門から入り逆走して5丁目から1丁目にいくコースを選び、昔の帝国ホテル中央玄関からスタートする。
そぞろ歩き4丁目の手前で私が面白いと思ったのは「明治村簡易郵便局」で、手紙をお預かりし、10年後に明治村から本人へ発送する「はあとふるレタ−」という仕組みです。
しかし私のような老人ではこの後10年を考えたら、ちょっと積極的にレタ−を書こうとは思わなかった。
いろいろと明治時代の建造物が集められているので、かなり早く歩いても1時間で閲覧することは難しい。5丁目から1丁目を歩いてやはり私の「お気に入り」は白亜の教会「聖サビエル天主堂」だ。近世初頭頃日本に渡来し、キリスト教の伝来に努めた聖フランシスコザビエルを記念して、明治23年に京都の地に献堂された教会堂で、日本人の手で造られたものである。
中は外光を通して美しい陰影をみせるステンドグラスの窓があり、オオアケ−ド、鋼板の聖画、説教壇、告解室など見るべきものが多い。
丁度私達が覗いてみたら女性ソプラノ歌手によるコンサ−トが開催されていた。ソプラノの高い澄み切った音色が荘厳な雰囲気の建物の隅々まで響き渡っています。讃美歌を歌っていたが、自分の中学時代にきいたものもあり、心穏やかに余韻を愉しむ事が出来ます。
この明治村のクラス会は、忘れっぽい老人でも心に残るでしょう。この旅を立案した幹事のS君と名古屋に集まった同窓の皆さんに感謝して、明治村の話は終わりと致しましよう。

東北大震災から1年経ちました

カタルーニア国際賞のスピーチで村上春樹さんは語ります。原子力発電を推進する人々の主張した「現実をみなさい」という現実とは、ただ表面的な「便宜」に過ぎなかった。
それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。しかし我々の足取りを「効率」や「便宜」という名前を持つ厄災の犬達に追いつかせてはなりません。
我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。
それから丁度1年目の3/11に東日本大震災追悼式典が国立劇場で開かれました。
天皇皇后陛下ご参列の中、岩手、宮城、福島3県の遺族ら約150人が出席し、地震が発生した午後2時46分に1分間の黙とうがささげられました。
天皇陛下は心臓手術後の初めての公務となり、犠牲者に哀悼の意を表し「この大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心がけ育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。
今後人々が安心して生活できる国土が築かれて行くことを一同共に願い、御霊への哀悼の言葉といたします」と述べられました
お言葉が慈愛に満ちたお気持ちが溢れ、極めて明瞭で、その意志は凄烈に人々の心になだれ込んでいきます。
それに引き換え、この後式辞を述べた国の統治機構の代表として野田という男の言葉は、自分の肉声ではなく、不明瞭でしらじらしい印象しか受けないお粗末なものでした。
この地獄絵図の大震災は、この国の政治屋代議士および高級官僚の「程度の悪さ」が露呈され、その言質は欺瞞と不正のみで、絶対に彼らの言動に惑わせられないようにしなければならないと感じたのは私一人だけでしょうか。
4月に入ると関西電力大飯原発の運転再開をこの国の「死の商人」というべき売国奴「野田」以下3名の政治家は「妥当」と判断した。特に枝野という大臣はころころと言質を変え、まったく信用できない。
大阪市橋下徹市長は『あれほどの事故を見た後に「原発」をおそれない人は「よほどあくどい犯罪者か、感情の薄い人』といっているが、福島第一原発事故A級戦犯原子力保安院がまことにしややかな言動で「安全性」をチエックし、それを追認しょうとする連中がゾンビのごとくむらがっています。なんともやりきれない原発再開の動きは、東京電力と官僚と政治家三者ので嘘と欺瞞のデマゴギーにより、福島原発事故が勃発したことと同じで、ほとぼりのさめないうちに、又ゾンビ集団となり、強行しょうとしています。
これは何とも国民を愚弄したその場限りの政治決着を連発しつづけ、それは間違いなく次の選挙でかってに自由民主党以上に大敗することは自明な政治屋集団「民主党」の最後のあえぎかとも考えられます、
後ろであやつるやくざ弁護士上がりの仙石氏が、徳島で「落選すること」は間違いない事実で、民主王国の愛知も民主党は誰一人当選することはないでしょう。
彼らは当選して初めて生きられる「吸血鬼」であるため、人間としてあつかえないことを私たちは肝に命じて忘てはならない。
この原発再開が確定するかは未だわからないが、東北大震災及び福島原発の犠牲者の皆さんの遺言をしかと受け止め、鷲の鋭い眼光にもまさらない複眼で注視しつづけることが必要だ。

君死にたもうことなかれ

夏に日差しが強く東北大震災の被災者の事を考えて、少しは弱めて欲しいとは思いますが、そんなことはお構いなしにギラギラと照りつける夏の盛りが続いています。
そしてアメリカに原子爆弾を長崎と広島に投下されて、この世の地獄をみた日本人に津波と福島源発の破壊から又この世の地獄を再現されて未だ数ヶ月しか経っていません。人間の持ちうる五感のどれにたいしても閉ざしてしまう根底からの価値観の喪失は、仕事をしていても、心からその喜びを歌う事ができず、ただ時間が無念にを通り過ぎていきます。
緩慢な日常連鎖の中で、おそれていた訃報が届いたのは7月12日の朝でした。朝から日差しが強く早朝ウオーキング程度の運動でも、汗が滴り落ちたその日に、かみさんの兄である恭史さんがなくなった。癌に冒された胃の2/3摘出手術から始まり、胃の全摘出など闘病生活も5年経過していた。昨年から自宅で、抗がん剤をのみながら、食べられないいらだちと、転移した癌がもたらす苦痛にたたかっていられたことと思う。庭の一輪のボタンの花があざやかな彩りを見せた5月の始めに私達夫婦はお見舞いに武豊まで出かけた。いつもの角を回って、未だ新築の香りがする義兄の玄関に黒ずくめの人が立っていました。
始め誰かがわからず、ちかずいていくと、顔のほほが垂直になるほど痩せた恭史さんが出迎えて頂いたのだとわかった。
昼前にいったものだからお寿司をごちそうになりましたが、普通の寿司の1/3以下で作られたお寿司を数個たべたら、もういらないといっていたのを思い出します。とりとめのないお話をして2階にあがり、彼が成人式を迎えた時の彼をとりまく家族の声が、録音されたものを聴かして頂いた。彼の丁寧な説明で、若いときの躍動するはちきれんばかりの思いを共有することができた。私は彼と同学年で、30代前半の頃でしょうか、妹と結婚して東京にいた私に九州へ転勤の話がありました。
それに対し妻の父から自分の会社に来るようにとの話がありましたが、なかなか承諾しない私に恭司さんから電話があり、それで行くことにした。彼はよく名古屋の繁華街に連れ出し、お酒を飲ませてくれたものだ。すでに結婚していたにもかかわらず彼は自分の貯金を使ってやられたた様で、申し訳ないと思いながら、しかしよく遊んだものだ。彼の父はファミリーを大事にする人で子供、孫、そして配偶者迄物心両面で気を遣って頂いたが、その生き方を彼も受け継いで、小うるさい程世話好きで純な人だった。《君死にたもうことなかれ》は与謝野晶子反戦歌で旅順にいる弟にあてた有名な詩歌ですが、私はあなたの早すぎる死を悼み、あれだけみんなの世話をおやきになった貴方にお返しをしたかったと行っておきかったのです。少なくとも貴方のお父さんが生きた歳迄いきていただきかったとおもいます。残念です。
それは大切な人に死をもたらした意味を見つけること、作家柳田邦男さんはそこに、『残された者が生きる上でに支えが残っている』といっています『人ひとりが生きているということは、自分の存在だけではない、誰でも無駄な命、人生を送っているわけではない、喪失体験後の鋭敏な感覚の中で気付くことだ』と語ります。
大切な人を失ったことの意味を自分でみつける心の旅をしなければいけないと思うのです。それはそれぞれの人が、それぞれの恭史さんとの思い出を物語りにして、その物語の中で人間は生きていけるとものべていられます。
そうすると、私も貴方との物語をはぐくんで、ある時期人生を共にしたファミリーの訃報を聞く喪失感を克服するよう努力をするべきだと考えています。
私が今その意味で物語に1ページにいれたいことは、奈良にいき、仏像にあって、その対話を書いてみたいと思います。どうしても何事も本から入る私は、すでにIPAD2に奈良の資料をいれこんでいます。かみさんが病院から帰ってきて、しばらくしたら実行したいとおもっています。
素敵な家族にかこまれた貴方の最後のお顔は、これまでお会いしたことがない《いい》お顔でした。
合掌

耐震工事で角膜ヘルベスになった

今我が家は4月中旬から、家の中のそれぞれの場所にあった家財道具を移動させ、建坪70坪もある居室空間の壁紙や押し入れの中のべ二ア板をはがしています。その後に5寸角の木材と金属棒をトラス構造方式でたすき掛けに組み付け、最後に耐震合板の打ち付けで終了する耐震工事を始めています。
昨年の秋に、耐震用グッズを揃えることに余念のないかみさんが、『古い構造基準で設計された十分な耐震性能を保有していない既存建物に対し、現行の耐震基準により、その耐震性を再評価るもので、特に昭和56年以降に建築された家屋が対象となる』耐震診断を受けることにした。市役所に電話で依頼したら、10日間程間があいて、耐震診断士の方が派遣されてきた。
家の経年変化した構造を床下に潜ったり、天井に登ったりしながら、家の隅々までしっかりと調査いただき、数日後国の耐震基準に基づいた診断書を届けてくれた。その判定値は0.67との事で、この値は震度7.00以上の地震で全壊もしくは半壊の危険性ありとの診断になります。早速かみさんと相談、今後の老後の生活を考えると、10年程度は二人とも生きながられるなら、地震で命を落とさない様に、この診断に沿って耐震工事をやることにした。それから市役所から60万、それに木造住宅の耐震工事に対する国の補助制度が期内限定で新設され、来年度3月期迄に改修工事を完了すれば上限30万円が、市の補助制度に上乗せられる事も朗報だ。
工事時期になり、我が家も1階と2階で54ヵ所のポイントに、10文字に角材と金具で補強し、耐熱合板をかぶせる補強工事がすすめられています。元々建て売り住宅で購入したものを、その後住みながら3回いろいろな業者を選んで増改築をおこなって来ました。今回は4回目となり、日曜日を除く毎日大工さんを家の中に入れ仕事をしていただきながら、4月から地域自冶会の財務担当役員になって、公私とも多忙な生活をしていたかみさんが、ストレスで『角膜ヘルベス』という病気になってしまい、このプロブを書いている時、彼女はウイルスを撃退させるのに点滴治療が必要で近くの総合病院に入院してしまった。
角膜ヘルベスは普通神経内に潜伏していますが、発熱・感冒・ストレス・紫外線などの誘因に、よく活性化され、神経が下降して角膜に炎症を起すものです。
角膜ヘルベスは治りにくく、いったん軽快しても再発しやすい特徴があります。
再発を繰り返していると角膜に濁りが残り、視力が低下していきます。かみさんの発病原因は、何事もまじめに取り組む彼女の性格が輪をかけてストレスを誘発したもので、既に2ケ月以上経過した耐震工事がすみやかに完了すれば、精神的な負担は軽減されます。この耐震工事は、完了すれば1.02以上の評価基準となり、国の耐震基準をクリア出来、又実際の作業をこの眼で確認しましたので、安心して暮らせる『この世のすみか』となることを確信しています。
さらに『この世のすみか』のかみさんは、太陽光発電も昨年申し込み、この設置作業も耐震工事と併行しておこなわれ、先週末に完成した。定格容量4.0KWの単結晶シリコン型でモジュ−ルの変換効率は16.9%とサンヨ−に次いで高く、月々の我が家の電気料金は売電により支払う必要はないようです。東北大震災の悲惨な被災者の映像がいつまでも私をとらえ、何かをやる時に判断の基準にしていますが、この我が家の試みは自分の身は自分で守れという基本原則に立ち返った判断だと想います。

お墓を作りました。

不思議な力で私たちを救ってくれる絶対的な存在がいるかいないかで、前者が大乗仏教であり、後者が釈迦の教えです。大乗仏教は、キリスト教イスラム教に近い。釈迦の仏教はこの世には、我々を救ってくれる絶対者はいないという前提の上に成り立っている。誰も救ってくれないこの世界で、生をまっとうするには自分の力で自分を向上させていくしかないというのが基本姿勢である。別の人は、仏教とはお釈迦さまに対する自分の信頼であるといっています。このことを知っていて、アメリカのオバマ大統領は、自らの大統領就任演説で、世界の宗教を羅列した時、仏教を入れていないのはその事をしって居たのではないかと岸井成格さんは勘ぐっています。面白いお話です。
仏教では、万物が流転し、自然から生まれたものは、自然に帰るといわれています。お墓は、亡くなった人を供養する、人が亡くなって魂の宿る白骨を大自然の大地に帰す大切な役割りを果たします。
2年ほど前に、住んで居る所から10分位歩いた小高い丘の上に分譲墓地を購入いたしました。インド原産の墓石を購入し、墓石の建立スタイルを決め、墓標文字も【感謝】という言葉を選びました。私の両親のお墓は鳥取県米子市にあり、墓石前方に美しい伯耆大山がみえる場所です。
おとうさんとおかあさん、二人で手を繋いで《千の風になって》こちらにおでかけになってください。私の子どもも、この近くに住んでいます。生前まだうまれていない孫達も一緒にいますから、お逢いになってください。いずれ年をとった方から、現世と別れを告げる時がきます。既にお墓の準備がされていますから何も慌てる必要がありません。孫達がお墓にお参りし、手を合わせ、おじいちやんとおばあちゃんの悪口をいったとしても誰も咎めません。
この世に生まれたことが100%ですから、亡くなるまでに100%以上の数字になっている生きた人生の記録があります。
その人の記録を思い返すには、時々お墓においでになってください。もしかしたら、鳥取県米子の方に出かけて留守にしているかもしれません。
千の風に、千の風になって、あの大きな空を吹き渡って、飛んでいる最中かもしれません。