PDCAサイクル、3つの誤読―サイクル過程でないコミュニケーション過程による評価活動の提案に向けて (シリーズ「大学評価を考える」)

PDCAサイクル、3つの誤読―サイクル過程でないコミュニケーション過程による評価活動の提案に向けて (シリーズ「大学評価を考える」)

現在のマネジメント一般、特に大学マネジメントに関してその必要性が主張されているPDCAサイクルについては、確かに指摘のように、(1)大学の質と製品の質の読み替えについての誤読、(2)品質管理論の理解不足、(3)目標管理論の理解不足がありそうだ。
(1)に関しては、この本の発行元であって広島の研究者のいない大学評価学会、教育政策の分析に際して教育的価値を前面に出す教育政策学会あたりで議論されることなので、特に繰り返しの必要を感じない。(2)に関しては、実はじぶんで調べたことがあって大まかにはその成立過程を掴んでいたのだが、あまり生産的な研究にすることができないと断念していた分野である。20世紀のほぼ100年間における、管理過程論(PDS)、品質管理論(PDCA)の展開の整理は勉強になる。こうした整理をこれまでの経営学の文献では見つけることができず、苦労した経験を思い出した―QCサークルについては、学部生の頃に様々な講義で頻出する「企業社会」論で、繰り返し学んだのだけれども(おそらく商学部の学生よりも詳しくなっていた)。しかしながら、品質管理論を正しく理解していないからといって、直ちに「PDCAサイクルをぐるぐる回すな」と言えるわけではないことが隔靴掻痒なのである。もはや、工学、統計学の分野における品質管理論は、大学行政論(?)に「再文脈化」されてしまっているのである。つまり、高校の物理の授業が物理学そのものではないのと同じようにというような、<教育>言説、教授言説、規制言説―とりわけ、規制言説の強さ―例の話しである。(3)に関しても同様で、ドラッカーの主張とは異なるからといって、必ずしも「目標管理は無効だ」などと言えるわけではない。「PDCAファシズム」を批判したいという意図はよく理解できるのだけれども、あまりにも迂遠な作業である。ともあれ、「PDCAサイクルをぐるぐる回す」ことを実践している大学関係者は、まさしくそのサイクルのCのために、ご覧になった方がいいだろう*1


質を第一とする人材育成―人の質、どう保証する (JSQC選書)

質を第一とする人材育成―人の質、どう保証する (JSQC選書)

合わせて読んだけれども、QCサークル初学者向けだった。ここにも、PDCAサイクルの誤解があるということになる。

*1:関連して、大学における quality を「品質」ではなく「質」と最初に訳した方は誰だったのかが気になっている。「品質」と訳すことの躊躇いの理由を聞いてみたい。