高等教育改革 その後の10年(高等教育研究 第18集)

高等教育改革 その後の10年(高等教育研究 第18集)

濱中淳子「大学院改革の隘路―批判の背後にある企業人の未経験」69-87頁

社会の側の大学院を見る目は妥当なのか。本稿では、このような思い切った問いを立て、採用面接に携わってきた者の経験と意識を分析してきた。結論としてみえてきたのは、事業のグローバル展開のなかで学歴格差に直面する経験、大学院生の面接経験、あるいは評価者本人の大学時代における学習経験が乏しければ、人材としての大学院生の価値に気づくことは難しく、さらに日本においてそのような経験を有している者は少ないという実態である。結局のところ、人というのは、自分自身の経験をベースにすることでしか他人を判断することができない。だからこそ、大学院生は評価されない。大学院生の採用市場が機能していないのは、「経験」という情報の蓄積があまりにも不足しているからである。
そして、以上の知見を出発点に改革への示唆を議論するとなれば、すでに言及されてきたものとは若干違うものが提示されることになろう。(略)本稿からは、もし仮にこうした提案によって大学院教育が充実したとしても、大学院生をめぐる情報が流布しなければ、現在の隘路から脱することは難しいのではないかという別次元の問いが示される。
81-82頁

企業の方のお話しを伺っていると、あまり合理的ではない経営行動があるように思えることが度々ある。たとえば、新卒採用に関する何らかの慣行についてご意見を頂戴したとしても、必ずしも当方が期待していたような整合的な理由が明らかになるわけではない*1。なんとなく、ふつうは、そういうものである、考えたこともない、弊社の伝統だから、その程度の会話に陥ってしまうことがある。
上記文献の結論は、採用面接を担当したことのある方約2,500名を対象とした質問紙調査から得られたものである。この結論もまた、合理的にはみえないことがらの理由の一部を解明したものであるだろう。とりわけ文系修士を採用しない理由として、「視野が狭い」、「専門性に固執している」、「コミュ力を欠く勉強おたく」、「『ロンダリング』は信用できない」といった証明されていない俗説がよく披露されるのだけれども(本文献はその俗説を否定するわけではないが)、それ以外に、採用担当者が文系大学院教育や文系大学院生のことをよく知らないだけであることも挙げられるのだ。あまり知らない文系修士について、強力な俗説が重なって採用を躊躇ってしまうのだろう。同時に、文系修士としてはエントリーシートや面接でサークル、バイトといった学部生と同じ種類の話題ばかりを選択するのも妙なことであるから、採用担当者が忌避したくなるような研究に触れざるを得ないという問題が生じてしまう。
私が最も興味深いと感じたデータの一つが、文系の採用面接担当者自身の学生時代の学習達成感が高いほど、文系修士を採用したいと回答するというものである。このことは、もしかしたら学部生の採用にもあてはまるのかもしれない。すなわち、面接担当者が学生時代に勉強に打ち込んだほど、勉強した学部生の採用意欲が高いのだ、と。今後の調査課題である。




追記:ところで、20世紀後半において「海外人材」とは現地事情に詳しい駐在の専門家として活躍するという印象があった。21世紀の「グローバル人材」も同じだろうか。そうではなくて日本、いや、東京の経営陣に出世するという含意があるか。だとすると、20世紀後半のその似た概念はどこへ消えたのか。

*1:もちろん、組織行動の「ゴミ缶モデル」発祥の地である大学を棚上げしてはいけない。