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salmosax note

2018-07-24  感情と音

若い頃、戦争や争いとかを避けるためには理性が大事だと思った。感情の悪循環・悪連鎖に陥らないために、物事の論理的な分析理解が必要だと。

そうしてぼくの音楽表現は矛盾だけど尖ったまま感情を避けたものになっていった。ジャズフリージャズ即興演奏や政治的音楽に多くの怒りの音を感じ、そんな暴力的な音を排除したかったのもあった。できるだけ音に情を乗せないようにしてきた。それは間違いでもなかった。中道中庸の立場から人間の深いところにあるナニカ、感情レベルではないものを表現したかった。音の波動を高めたかったのかもしれない。


自分の枠が大きくなってきた分、情愛的(怒りではない)な音が枠内に増えてきた。

例えば、サガインの音楽性は常識的でない色々な意味合いがあるのだけど、そのひとつが情愛的な音が多いこと。優しい音と言ってもいいかな。

そんな当たり前すぎると思われようが、ハーモニー(コード)に合った音を出せばいいと気づいたのが数年前という、人と微妙に違う人生を送ってきた人間だからしようがない。

でもそんな常識を常識と思ってなかった人の音にはまた違った重要性があるとも思う。それらを最初から疑わずにきていれば多分普通の音楽をやっていたろうし、とっくにやめていたかもしれない。

それに「情愛(優しさ)を表現した音」なんて嘘っぽい。


で、結果的に情愛音を封印してきたことに気づいたのだ。感情を否定していたようだ。自分を否定していた。

感情を大切にして感情に囚われないことが大事だった。

そんな変化が自分に起きていて、音に表れている。


ぼくの人生は人とずれていたり逆なことが多く、48歳で20歳でやるような音楽修行を始めたり、上述した音楽の常識を今更自覚したり、なかなかに面白く大事にしたい人生だ。

2018-07-16  霊山道

ハルリ池のカフェのあと、あまりの暑さにどこか涼しい神社で休もうかと車で山を下っていて、小沢を鋭角に横切る所で閃いてその道路上で涼をとることにした。何度もなんども通ってきた道だけど、そこでゆっくり過ごす発想はなかった。車の離合も難しい狭い山道で、そこもそんなに駐車スペースがある訳でもなく、気持ち良く好きな道ながら早く抜け出ることに集中していたから。でも神社でなくとも霊山(りょうぜん)中腹のそこは神の胎内だった。


日本中の山岳渓流を駆け巡ってきた。その時の出来事の記憶でなく感覚の記憶が一瞬に蘇った。言いようのないしみじみとした淡く寂しく嬉しく懐かしい感覚に涙がにじむような、木や草の匂い、水の音、蝉の声、沢筋を降る風、覆い被さる樹々、などなど。


あー、これこれ、いつもずーとこれに包まれていたんだ。なんてなんて心地よい。

あー、これが優しさだと気づいた。


人はこんなにも優しさに包まれていたんだなあ。それを壊してきて、そしてその結果はやって来る。それを嘆いたり怒ったりしている。

わざわざ優しい場所を壊して優しくない場所を造り住み幸せだと言い聞かせ優しさを補う消費財を買いでも優しさに程遠い環境を呪いあるいは気づかず。


高度経済成長終焉のおかげで開発されず取り残されたこの県道、数時間に車4台バイク1台人ひとりがぼくの足先を通り過ぎていった。

2018-07-01  西野流呼吸法とサルモサックス

今まであまり語らなかったが、実はぼくは西野流呼吸法を20年以上やっていて、2012年からは大分で西野流呼吸法 大分県塾生交友会を運営している。

http://salmo.hatenablog.com


西野流呼吸法は、気によって細胞レベルからパワーアップするというもので、およそ人間の動きに関するすべてにプラスし健康によい。身体のさばきも緩めることで現代人が忘れている本来の動きになっていく。もちろん楽器演奏にも大いに有効。脱サラしたことと音楽活動も呼吸法によるところが大きい。

もうひとつ重要なのは、あくまでも身体だけを対象にしていること。つまり「身体=物質物体=3次元=現実=今」を大事にし、霊的宗教的なことには触れず、今の自分の可能性を拡げることに主眼を置き、直感感性が磨かれる。


しかし呼吸法を続けていると世間一般からは奇跡に見えるようなことはよく起こる。また楽器の音もその音質から変化し、人の身体に浸透するような波動とパワーを生み出す。

これらのことから、呼吸法も自分の音楽表現も3次元と他次元の橋渡し(あるいは狭間)ではないかと思うようになった。

大多数の人にとって他次元のことはわからないし、わからないことが重要でもある。ならばそんな世界に気を取られ過ぎず、この世界と自分の人生に集中するべきだろう。そして橋渡しではあっても渡らずに大地にしっかり立ち、でも結果としての奇跡的恩恵はいただく態度がいいのかと思う。


ぼくの音楽や演奏は癒しを目的にしていない。自分の心(=直感感性=60兆の細胞=身体)の声に耳を傾けて素直に音を出すと呼吸法で培ったパワーに音が乗る。それが何かを壊したり疑問を呈することを含めて、人を元気付けるような音楽になればいい。それを癒しに感じてくれるのなら嬉しい。


そんなことを考えながら音楽活動を続けている。

2018-06-18  サガイン台湾ツアー

初めての1人ではない演奏ツアーだった。


山崎昭典とは数年来奈良京都、大分で即興演奏対バンや共演を重ねてきた。

1年半大分で活動したサガインのギターが抜けて半年ほどのちの昨年11月、京丹後でかれに演奏と映画上映を企画してもらった際、なんとなくサガインのギターをやってもらう流れになった。天の采配を感じた。

それから楽譜を送り、大分でリハとライブをする調整を始めたが、どうせならいきなり海外公演をしたいと台湾ツアーを提案。スムーズに事は進み、2日間の練習と5月6〜15日の大分・台湾ツアーが実現した。

台湾は3度目だったが諸事情で旧知の所での開催は2カ所だけで、新たに探しまわりなんとか6カ所が決まった。(+大分2公演=全10日間8公演)


脱サラして16年。1人がむしゃらに動いて演奏してきて今起きている変化、、、バンド演奏もそうだし人とツアーをすること自体初めてで、正直不安もあった。でもそもそも相性がいいからこその流れだし、天の采配は見事で何の問題もなかった。

彼はクラシックギターの先生だけでなく、即興演奏現代アート・音楽の理解者・演奏者であり、コンテンポラリーダンスなどの音楽制作者であり、ぼくと音楽観・宇宙観なども共有でき、サガインメンバーにうってつけだった。

その一見ジャズ風のサガインには40年以上探り拡げてきた要素がつまっていて、ぼくのサルモワールドの一部であり探検・冒険なのだ。


格安航空券、格安宿、長距離バスと楽しく2人旅は続き、各地で地元料理を食し、人々と出会い交流した。もちろんサガインの音楽は迎えられた。

彼は初の台湾の上ハードスケジュールだったようだが、音楽活動はサバイバルなのだ。それは「音(楽)の探求」を選択してしまったからなんだけど。

(敬称略)


*大分と京丹後の遠距離バンドもまたよきかな


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サガイン

・山内 桂(曲・サックス

・山崎昭典(ギター)

・米増博俊(ベース)*大分公演のみ


5/06 大分公演

5/07 台北公演

5/08 (台北・オフ)

5/09 台中公演

5/10 高雄公演

5/11 高雄公演

5/12 台南公演

5/13 新竹公演

5/14 (台北・オフ)

5/15 大分公演

2018-06-16  わからない

「わからない」

最近分かってきたのは宇宙のことはわからないということ。それは答えはない、あるいは答えに意味はなく、その答えを求める「行為」が大事ということ。


ぼくは40年以上即興演奏を中心に形のない音楽で答えを探してきた。そうして最近割と形のある音楽もやっていて、そのひとつがサガイン。

音の探求ということでは同じことを続けているのだけど、人に対する優しさの表現をひとつ増やした感じで、オリジナル曲をバンド形式で、より素直に演奏したいと思っている。もちろんそうしたら得という計算ではない。自分がやっとここまで来たということでもあるし、「サルモワールド」の広がりの結果でもある。そして多分「わかりやすい」音楽でもある。


そんなサガインの音楽でも「わからない」人はいる。いわく、いろんなパターンや速さやの曲を増やしジャズスタンダードも入れたらいいと。でもそうすれば多分更に2、3曲要求するだろう。そして次にはみんなの知ってる曲を要求するだろう。際限はない。つまり出来事を判じたいだけで、音は聴いてないのでは? 音を感じることを忘れているのでは?

「わかる」ってなに?


音に誠実でありたいと、正直に音を出すことに努めてきた。そして自分にしか経験できないことの積み重ねで今の音楽があり、それは自分にも人にも宝なのかもしれない。そんなことを音から感じて欲しい。


そうでない人たちのことは、考えなくていい、のかな。