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salmosax note

2017-05-03  新作映画 HuuA

山スキー日本中の山々を独り滑ってきて、フライフィッシング日本中の山々を釣り巡り、やがて九州山地の祝子川にフォーカスされていき、その水の写真集を添えたCD「祝子」(ほうり)に結実し、さらに祝子川をメインに水だけの映画「ホフネン」(40分)を作ったのが2012年。

すべては流れのままに、楽しく思いのまま導かれるように。映画の知識も作り方も何も知らずカメラもないところから出発した映画制作だった。

技術はなくともファインダーにはいつも思いがけない光景が映し出されていた。素直に、意図せず、感謝の気持ちでいればいいことを学んだ。

初映画「ホフネン」はハンガリーイラクの映画祭に入選した。

https://www.youtube.com/watch?v=75gPOQzvGl8



2作目「ハルリ」(25分)は2014年に完成。

家の裏にある霊山と本宮山と障子岳(宇曽岳)に囲まれた小さな自称ハルリ池(大分県民の森)を撮り続けた。

そしてイタリアコロンビアインド韓国、タイの映画祭に入選。

そこは大分市民県民の公園なのだけど、だれも見たことのない多くの光景の記録でもあると自負している。

そういえば祝子の映像も、撮影後に大型台風によって渓谷が破壊されたので貴重な記録なんだけど、風景描写ではないからなあ。

https://www.youtube.com/watch?v=MnstbTnLVfM&feature=youtu.be


そしてやっと2017年5月1日、3作目「フウア」(HuuA, 25分)が完成した。やはり水のみの映像。

ホフネン制作中に父が他界したので父に、本作制作中に母が他界したので母に、其々捧げた。

ホフネンは問題提起的作品で、ハルリは合一と祭。今回のテーマは循環。

なんとなく3部作になっていて、テーマの変遷はそのまま自分の成長なのかもしれない。

3作とも水の精が水を通して宇宙を映し出している「水の抒情詩」で、その解釈は各々に委ねたい。


気がつけば祝子はホオリノミコトに縁のある土地で、霊山一帯はウガヤフキアエズに縁の深い所らしい。だとすれば、ホオリノミコトの御子の土地に導かれていたことになる。

「フウア」は祝子川、ハルリ池に海を加え、山から海、そしてまた山へと鮭(サルモサックス)のように循環を描いていて、その海の撮影地は出雲鵜戸神宮、佐賀関、座間味、奈多神宮カナダヴィクトリアなのだけど、鵜戸神宮ウガヤフキアエズをお祀りし、佐賀関や奈多はその御子の神武天皇に所縁がある。

そういえば今年と2年前に鹿児島で演奏会に招かれた際に、2回とも自分の意思に反してナビに霧島神宮に連れていかれたのだが、そこの祭神ウガヤフキアエズの父のニニギノミコトで、そうすると四代に亘るご縁があることになる。こじつけによる見解だけど個人的におもしろがっている。

公開はまだ未定だけど、多くの人に観ていただきたい。



・山内 桂(監督、音楽、サックス、撮影)

・関 祥子(水の精)

安田敦美(ボーカル)

・サガイン(山内桂/サックス、ヒュー/ギター、米増博俊/ベース)


HP・映画)

http://salmosax.com/cnm.html

2017-04-26  アジア最終章・ハノイ公演

帰国前夜の3/18に上映と演奏を依頼していたハノイの主催者から返信はなく、フエ滞在中にたまたま来ていて知り合ったGiangにその事情を話して依頼、交渉を継続していた。

彼女はアーティストで、ハノイアートスペース ”Six Space” を運営。

最終OK後の準備期間は10日間程だったのに、フタを開けると若い女性を中心に若者が大勢来てくれ、しかも今回も主催者の知らない人たちが多かったらしい。フエもそうだったし、サイゴンSao Laもそうだった。日本ではもうこんなことは期待できない。

ベトナム戦争のせいで若者の人口比が高いとは聞いていた。でも絶対数の問題なので、あちらの若者が元気で好奇心があるとみるべきだろう。あるいは、日本では大人が若者の自由を抑えているか。

ところでぼくなどはベトナムと言えばベトナム戦争なのだが、若者たちにその影はない。日本は同じ位の戦後期、まだまだ尾を引いていた。彼らは戦勝国だからだろうか?


プログラムは「ハルリ上映+40分ソロ演奏+トーク」の3本立て。

広いスペースで心地よく音が響くのだが、天井が広さの割に高くはないせいか、音が遠くで鳴っているような不思議な感覚だった。私的な旅のあとゆえに演奏内容は良かったと思う。それに最後の演奏、最後の夜なのだ。人には解らないような、でも確かに何かが変わった演奏だった。アゴによる支障もなかった。

終演後、Giangの英語と彼女が用意した日本語通訳のベトナム語とぼくの片言英語を、みんな真面目に聞いて質疑応答もあり、充実した時間が流れた。


だれもツテのないところから準備と交渉を始め、最初は出演料も無理と言われ、でもこうしていくつも演奏して(儲かってはないけど)歓迎され大勢の観客も得てベトナムツアーが成就した。とても嬉しい。感謝。

それにしてもベトナム人はシャイながら、一方でかなりアグレッシブだった。しばらく日本の大分の地で心身を鎮めよう。

2017-04-25  アジア14・ベトナム再入国

サガインでナニかの鍵を開けたとしたら、次はドアを開けて入っていく、そんな私的ツアーが終わった。


翌日(3/16)は今回の旅でもっともストレスな日。

国境を越えて飛行機を乗り継ぐのだけど、両機は連絡してないのでナニか起きればアウト。そしてベトナム再入国のビザの件。


サガインからマンダレー空港、そして空路バンコクへ。あまりの乗客の多さに税関通過だけで1時間! 間に合うのかとドキドキする。やっと入国してフライトチェックインして出国して乗り換えてハノイ空港へ。そして問題のアライバルビザでドキドキするも、意外にすんなり成功して25ドル也。本当は海外経由の再入国は5ドルなんだけど、そんな交渉は無理だし無駄なので良しとする。


夜の雨の中、バス、タクシーでやっと3泊予約のホテルへ。ところが、なんと勝手にキャンセルされていて部屋がない。アリエナイ、 怒り度マックス!

ハノイ中満室状態らしく、他の割り増しのホテルに潜り込めたが、蚊に刺されても対応してくれない。翌朝、部屋が満室だから本日は泊まれないと宣告を受ける。ストレス度マックス。やっと更に割り増しなホテルで一室確保。


旅で起きる身体の故障も交通機関ストレスビザやホテルの問題も、全部お金があれば起きないんだろうな、とサバイバーはいつもチョット考えてしまう。

2017-04-24  アジア13・サガイン

(3/13-15)

サガイン訪問の主な目的は1年前すでに達成しているので、今回は気負いもなく、ある意味目的もなく、次に起こるだろう出来事を楽しみに呑気な気分で訪れた。それと各所に「サガイン」の音楽CDRをお礼に渡して回ること。


前回泊まったホテルに行くと、高名な僧がサガインヒルに来ていて誕生日祝いのため、小さな街の二つ三つしかないホテルは満杯だという。一部屋だけ空いていて助かった。

街に着いてなんとなく小綺麗で静かになった感じがしたのは、そのお坊さんのせいらしい。なんだ、やればできるではないか、と思いつつ、どこかはぐらかされた気分だった。多分、それが本質的な変化ではないからだろう。


さて、ここまで既にナニカに導かれている感じはあって、ヤンゴンの学生、サガインヒルのカップルなど、助けてくれる人がその時そこにいてくれる。

サガイン到着の夜、それはまた起きた。

まず、カフェを探そうと英語で尋ねた人がすぐに教えてくれた。ミャンマーで英語を話す人は決して多くはないのだ。で、カフェらしき所に着いたものの確信が持てず、そこに座っていたカップルに話しかけると即座に英語が返ってきて、それからかれらと話が盛り上がり、ぼくの滞在を助けてくれると言い出した。

翌日、父のいた事務所とサガイン駅を歩いてお礼参り。3時に約束通りカップルのエニウェイがバイクでホテルに迎えに来てくれ、父の隊長がいた建物に向かった。先の事務所に差し掛かった時、かれは指差してあそこがぼくの家だという。そこはなんとついさっき、父が住んでいたのではないかと歩きながら閃いた、事務所のすぐ裏手に数件ある家屋だった。そして交差点に事務所があるのだが、その角向かいで彼女のリリーが働いていて、隊長の家は現在リリーが勤める病院の看護婦の寮だった。

そこには寮長とか責任者などはおらず、誰にCDRを渡せばいいかの話になり、なぜか昨夜のカフェで彼らの英語の先生を紹介されることに。

その誰だか知らない人に何をして欲しいか、と言われて困りながら、サガインに来た理由やお礼をしたいとか昔の写真を見せながら説明している内に、彼が自分の父の話を始めた。サプライとも言っている。そう、父がいたのは貨物廠。そして彼の父もあの建物で働いていたと語るのだった。

70年前、父の元で働いていた青年の一人に間違いなかった。




サガイン3日目、翌日は去る日だ。近くのマーケットをぶらつく。相変わらず活気があっていい。みんながジロジロ見る。よほど目立って珍しいようだ。目を合わすと大抵ニコッと返してくる。日本ではこうならないだろな。


前日ぶらついていると駅長に見つかり、自転車を貸すというので駅へ。

暑い中を歩くのは本当に辛いので行ってみたら、結局1年前同様彼の運転手付きのバイクだったので、イラワジ河岸でゆっくりしたいのを諦めてまた例のカフェへ2人で。優しいおばちゃんはコーヒー代をとらなかった。


ホテルで一休みして5時にエニウェイが迎えに来た。例の英語の先生から家に招待があったのだ。若者も4、5人集まり、お礼に二曲演奏。エニウェイは彼の仕事でもある貴重なヒスイの数珠を、ぼくのために作ってプレゼントしてくれた。

その後若者たちと夕食会、そして4度目のあのカフェへ。最初の夜にミルク砂糖なしのコーヒーを注文して驚かせ、ぼくに淹れるよう言ったときよりは味がましになってきた。というか、前回今回と紅茶を注文するのにコーヒーが出てくるのだけど。

長らく彼らと談笑して再会を約して別れた。次回はコンサートを開いてくれるとも。

またおばちゃん、コーヒーをプレゼントしてくれた。

2017-04-23  アジア12・マンダレー〜サガイン

(3/11-12)

マンダレーに到着した夜、マリオネット(操り人形)観覧に出向いた。太鼓群をグルリ円形に置いてメロディ演奏するサインワインもあって興奮。でも公演自体、全体的にイマイチだったなあ。

2泊滞在した貴重な2日目の雨は夕方上がり、街を歩き回ったが疲れるだけで終わった感じ。


翌日(3/13)からが旅の核心。例のタクシードライバーに来てもらい、マンダレーヒル、サガインヒルをメインにざっと観光。

ただし今回は両ヒルのパゴダ群の中にある日本兵慰霊碑に参ることも目的にしていた。

サガインヒルのひとつの頂きに日本兵を祀ったパゴダがあり、付属した建物の中に祭壇が見えるが鍵がかかっている。なんとかしようと、近くにいたカップルに話しかけると辛うじて英語が通じ、ジェスチャー混じりで鍵の事を頼んで関係者に開けてもらうことができ、線香とお数珠でお詣りを済ますことができた。


1年程前に初めてサガインを訪れ、タクシードライバーの助けで2012年に死んだ父が戦時中にいた所などを見つけたばかりか、父の部下で友人のコミヤテンを探し出して会うという奇蹟が起こった。その彼の家を訪問するのが今回最後の目的だ。

二度目の訪問でもあり、ここまで全てが淡々と進み、かれの家族とも笑顔の再会をした。コミヤテンは死んでいた。なぜか驚かなかった。

2015年12月にサガインを訪れて、何かの鍵を開けたのだ。帰国して結成準備中だったバンドの名前をサガインに決め、年を越えた1月9日に母、サガが死に、その4月にコミヤテンが死んでいた。一度で最後の邂逅のチャンスだった。



(ブログ / サガイン 2015.12月を参照してください。)

http://d.hatena.ne.jp/salmosax/touch/20151230