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salmosax note

2017-01-01  新 年

みなさま、年が明けました。(喪が明けておらず失礼します。)


今年も淡々と冒険を続けていきます。

初のベトナムミャンマーでの初演奏を含む東南アジアツアー。

初のスカンジナビアツアーを含むヨーロッパツアー。

地元の田植え祭プロデュース。https://readyfor.jp/projects/tauematsuri

等、予定あるいは計画中です。


応援協力よろしくお願いします。


みなさまのご多幸をお祈りします。

2016-12-30  師 走

本年2016年の当ブログ更新は、年の初めと終わりだけに終わった。台湾ツアーも関西ツアーも新生サガインの活動にも触れなかった。

正直、1月の母の他界は影響していた。大きな悲しみと大きな喜び、そして自分なりに十分理解できた死の意味。その母に報いるためにも淡々と日々を過ごすことに専念してきた。死後の人間的社会的雑事の処理もありつつ、新しい生活の中での音楽を中心とした活動の安定と専心と拡大挑戦。そういう状況で文章を書く気にならなかった。

更に正直に言えば、もっと悲しみたかった。しかし物事にはタイミングがあり、それを失した感がある。だからなにかバランス的に心が満たされていない気がする。

父や母たちの死によって、死の理解は深まったとは思うのだが、結局は分かるわけもない。ただなんとなく最近思うのは、死は遠くもなく、悲しいものでもなく、もしかしたら行き来さえできるのかもしれないし、生き死に、つまり生まれることも死ぬことも自分の意思的なもので決められるのかもしれない、、、。


裏山の本宮山、霊山、宇曾山の山域すべての神社参りを夏に思い立ち、60か所ほどほぼすべてを巡り終えるなど、理屈ではない行動実践。それらは自分の直感と感性の確認でもあり、また開発でもあり、そんな訳の分からない行動をこれからも続けていく。

そもそも音楽も人も宇宙もそんな訳分からないものなのだろうし、分からないという視点で分かることがあるようにも思う。

そう、そんな視点で過ごしていたので、道理や合理の思考をする物書きが手につかなかったのも一因だったかもしれない。



みなさん、よい年をお迎えください。

2016-12-03  夜の森

〜闇に浮かび上がる物語〜


ぼくの住む家の七瀬川を挟んだすぐ背後には、大分市を守るように屏風然と、本宮山、霊山、宇曽山が連なる。長い年月それらに通う内に、そこにある小さな池を撮り続けて映画ハルリができたし、いくつもの曲ができた。

そこでこの秋に思いついたのは、この山域にある神社を全部廻るというものだった。現在4、50参拝し、それでもまだ少し残っている状況。それについてはここでは書かないが、その中で野津原の小さな栗灰神社に行った時のこと。

そこは何度か行ったことはあったのだけど、姉が存命だった両親を連れてドライブの折、なぜか必ず一休みしていたところで、それは月に2度ほどのペースだったという。

地図上で、栗灰神社の更に奥に神社マークを見つけてそこを目指した。そここそ栗灰の地だった。その途上、オープン直後の「森のごはんや」に出会った。

それから運命も感じ交流を続ける内に、北米ツアーから帰って11月に入ったある日突然にイベントを思いついた。栗灰の森で「ハルリ」を上映すること。更に博多コンテンポラリーダンスのハエちち(宮原一枝+徳永恭子)にハルリのスクリーンのごとく踊ってもらうこと。

すぐに宮原さんに打診。そして森のごはんやに行ってオーナーの小野さんの了承をもらい、その夜にはチラシやウェブのページも完成させたのだった。


晴れの続く中、イベントの11月27日前日から雨になり当日も雨の予報。でも考えてもしかたないし、開催に向けて準備に集中。そして当日は昼過ぎに雨は上がった。刻々の状況に対応するため準備に神経はつかったものの、何事も成るように成る。

こうして「夜の森」〜闇に浮かび上がる物語〜は始まった。

樹々の間に張ったスクリーンに「ハルリ」は映し出された。夜の森に水の映画ハルリが浮かび上がった。まさに幻想的な上映だった。以前より持っていたイメージが実現した瞬間だった。

続いて再度ハルリを上映。といっても今度は無音でスクリーンなし。そこにハエちちが舞うのだ。本当に予想どおり、いや予想以上に夜の森に彼女たちは浮かんだ。遠くの樹々はぼんやりと、しかし彼女たちの陰に隠れ、放り投げられた落ち葉や周りの樹々は雨に濡れたが故の鋭い輝きを放つ。白い衣装のかれら自身、ハルリにより色が変化しながら明滅を繰り返した。

次の1月に大分市でハルリのサントラを使ったダンス作品を披露するかれらの、この日初めてハルリを鑑賞した直後の幽玄な森の精の踊りだった。


ぼくは光を浴びないように木の陰でソプラニーノサックスを吹きながら、この様を見ていた。終わり方、背を向けて佇んだ彼女の背中にぼくの名前が刻まれていた。だれが字幕を写すなど演出できようか。天の采配はかくも素晴らしいものだった。すべてが栗灰の神と森に仕組まれたごとく進行し終了した。

若干の事故もありつつ、雨上がりの山の中に予想以上の人が参集したこともすごかったし嬉しかった。

2016-11-05  北米・北西海岸ツアー 3-3

(続き)


10/19. オリンピアは全部歩けるほどの小さな港街。ファーマーズマーケットでゆっくり過ごし、夜は地元でライブ。中心部にある Obsidian という広いレストランの奥にまた広がる秘密っぽい会場。

夫婦のバンド Hammer of Hathor。そしてアーリントンのバンド、ブラッドムーンラガ(タブラがよかった)。そしてぼくのソロ。アーリントンの声のパフォーマンスもいいなあ。

ぼくのソロの途中で近くの空調の音が大きく鳴り出して困ったが、この日のお客さんたちも集中して聴いてくれてCDも売れたので、やれやれ胸をなでおろすのだった。日本にいる親に勧められて来たというハーフのコが嬉しそうに話しかけてくれ、こちらも嬉しかった。

https://www.facebook.com/events/1792717220942537/



10/20. 昼食後、昨夜のHammerの2人の家の地下でセッション。普通の家ですから!

夕方、アーリントンとエレクトロニクスのネイサンの3人で、ネイサンの快適な車でポートランドへ。オリンピアから片道2時間。

演奏会場はレコードと雑貨とバーが一緒になった店、Turn Turn Turn。音楽シーンに重要な拠点のひとつらしい。聴衆も多く熱かった。こんな店がミュージシャンと音楽を支える。

ふたつのバンドが終わってぼくのソロ。次にアーリントンのバンドで、その一部に再び参加する4部構成のプログラム

開場前に食べた牛のテールのジャマイカ料理が腹に重くて心配したが、ソロ演奏は自分なりに高い水準でできたし、素晴らしいドラマーを有するアーリントンはエキサイトしていたし、コラボも完全だった。

深夜帰宅。

https://www.facebook.com/events/330327090644257/



10/21. オフ日。1人街を探索し、夜、再びネイサンのアパートで、チャイナを加えた4人でレコーディング。

なかなかにおもしろい録音も残せた。これらの音源、どうなるのかな。



10/22. ツアー最後のライブ。チャイナの車に5人乗り込み、再びシアトルを訪れた。

着いて驚いたが、会場のチャペルは2007年にも訪れていて、その時打ち上げに行ったという日本人と話していて記憶が蘇ってきた。Good Shepherd Center といい、もと学校でその中にある礼拝堂だったらしい。天井の高い響きの良い会場で気持ち良く演奏できた。一部はアーリントンのブラッドムーンラガで、二部はサックスソロ。三部全員によるセッションというプログラム

なにしろ最後だしで、ツアー中やらなかった曲を交えてゆったりと響きと間を最大限生かして演奏。

ソプラニーノサックスは小さく精密で、そのオクターブ用の穴を唾や水分が塞ぐ不甲斐ない事故が時折起きていた。そのためツアー直前にそのキーとの隙間を広げる修理を済ませていたのだが、最後の曲の最後でまた起きてしまった。冷や汗が出る暇も与えず、必死に口の圧力で1オクターブ落ちた音を上げてごまかす場面も。

それでも続くアルトサックス即興演奏も気持ち良くでき、なんとか納得の有終の美を飾れたと思う。聴衆の暖かい拍手が嬉しい。

今回のツアー全般に言えるが、ありがちなアメリカ人に対する先入観とは違い、こんな場所!というような所も含めて、みんなが静かに集中して音に耳を傾ける光景は素晴らしかった。やはり懐が大きいのだ。

ぼくの音楽を理解し、このツアーをアレンジしてくれたアーリントンに感謝。

https://www.facebook.com/events/341761649506874/



その後、バスでまたまたバンクーバーに戻って飛行機に搭乗。寒がりのぼくは2週間ずっと厚着で通したのだけど、福岡空港に降り立つと汗が吹き出し慌てて服を脱ぎ捨てた。九州はいい。



(演奏スケジュール)

10/12 バンクーバー

10/14 タコマ

10/15 シアトル

10/16 ビクトリア

10/17 バンクーバー

10/19 オリンピア

10/20 ポートランド

10/22 シアトル


(完)

2016-11-04  北米・北西海岸ツアー 3-2

(続き)


10/14. 本日から実質ツアーの始まりで、全部車で移動する。ヨーロッパにしろアジアにしろ基本公共交通機関の利用で、たまにスクーターとか、、。やはりアメリカだ。

日中のんびりとカフェに行ったりして過ごし、夜はマウント・レイニアが近い隣の市タコマのブックカフェ NPCC でライブ。木造の壁の一角に本棚があるが新刊ではなさそうで、むしろバーの雰囲気。

3組出演のラスト。まずソロ。ソプラニーノで新曲を交え数曲とアルト即興演奏。30分。そしてアーリントンとチャイナのソプラノサックスとの3人で3、40分。アーリントンの自作バスクラリネット(ブロミオフォン)はいい。

みんな静かに聴いてくれて好評。深夜帰宅。

https://www.facebook.com/events/1668571343455357/



10/15. シアトルに移動し、海岸沿いのパイク・プレイス・マーケットに連れて行ってくれた。そこが観光名所とは知らなかった。某カフェ1号店をチラ見。日本の食料や物品のマーケットもチャイナタウンも巨大大学もあるシアトルは大きな中核都市だろうか。

夜は郊外にあるブルームーン、、、カントリーを演奏すべきか悩むようなバーで公演。3組のラスト。アーリントンにチャイナのソプラノサックスとロリのチェロとの4人の演奏。嵐の警戒情報が出ている夜に集まった多くの聴衆は、失礼ながら静かに聴き入っていた。

米国に入ってから、数十年来の最恐と言われる嵐がつきまとうものの、微妙に我々を避けていく。

https://www.facebook.com/events/1784666318415804/



10/16. シアトルからカナダ国境を超え、大型フェリーでちょっとした船旅を楽しんでビクトリアへ。美しい風景の中、アザラシが潮を吹いて泳いでいた。

初のビクトリア公演の会場は Copper Owl という高級クラブ!? 海外では思いがけない会場が時折あり、ビックリやら楽しいやら。本当にここで自分の音楽やっていいの、と思ってしまうのが日本人かもしれない。アーリントンは燃えてたなあ。赤いライトを浴びて絨毯の上で、2人はソロとデュオを楽しんだ。

その後地元のパンクバンドにかれと乱入して爆発炎上を起こして感謝され、隣接するホテルの広いベッドでゆっくり休んだ。

https://www.facebook.com/events/1288671361150473/



10/17. 大きなトーテムポールが立ち並ぶ先住民博物館に寄って、大きいけれど静かなビクトリア市街を後にした。きのうのフェリーで後戻りして上陸後ひたすら北上。車のラジエターのパイプがはずれて水温が上がるトラブルがあったものの、エンジン音も快調で良く走る車ではある。せめて左のサイドミラーくらいは付けて欲しいが。拾ったクレヨンで車内に落書きしてデコレーションするアーリントン、、。

再びバンクーバー入りして、チョット物騒なチャイナタウンにある会場のセレクターズ・レコードに到着。カッコいい店だ。手際よく商品をのけたスペースに、質の高い聴衆が散々午後集まってくる。

40分位ソロをやって次にアーリントンのソロ。最後に日本に滞在中のレニック・ベルのコンピュータ音楽。pcの言語をリアルタイムに音に変換していた。

終演後、日本人の友人たちを交えてコリアンレストランへ。

https://www.facebook.com/events/174025099711028/



10/18. 3度目の国境超えでオリンピアのアーリントン宅に帰る。

オフ日で身体を休める間、まるで川のような細長い海峡の自然公園に連れて行ってくれた。静かな海面をたまに通るボートの起こす波が時間をかけて岸に到着する。その時の音と形に興奮する。この宇宙は全てが繋がっていて一体であることの実感は難しいが、それを易しく伝えてくれた。音の波は残念ながら見えないが、それは立体であり猛烈に優しくあらゆるものを巻き込み影響しあい変化し、そこに単独の動きはありえない。


(続く)