salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

山内二名(ふたな)

2023年12月16日土曜日5:25、姉、山内二名(ふたな)は永眠した。
母が別府より松山に帰省して産まれたので二名じま(=四国。古事記より)から二名と命名

今年5月に癌が発症して7月に手術成功。でも再び急速に肉腫は進行し、在宅〜在宅医療〜再入院〜緩和ケアと進み、再入院からは2週間足らずの命だった。約3ヶ月間嘔吐感と医師に「白旗千本揚げる」と言うほどの痛みによくがんばった。

学生時代にオーストラリア留学したり、アメリカには長年住みグリーンカードを取得していた。帰国後は福岡で英会話教室を開催していた。その後の半生はトラブルを抱えてしまい、それが病気の一因だと思う。でも病気のおかげか吹っ切れていき、殊に最後の1か月は急速な変化を見せた。ぼくとは諸々ぶつかり合う残念な関係だったけど、両親が他界してからは2人助け合ってきた仲間でもあった。亡くなる10日程前に姉に謝罪と感謝を伝え、彼女もわがままを詫び、和解することができた。

ぼくは最後まで可能性を捨てずに、淡々とすべきことできることを続け最善を尽くし、世界一の介護だと褒められた。また抗がん剤治療ではなく様々な方法を試み、彼女もそれに挑戦した。多くの人が支えもしてくれたし何人もがヒーリングしてくれた。亡くなる3日前には病院内でKの好意で姉へのコンサートを開催してくれぼくも演奏した。その翌日から会話も食も難しくなったが最後まで奇跡を信じ願った。
そうして救急車で緩和ケア病院に転院した翌朝息を引きとった。奇跡は起きなかったが、2人の和解こそ奇跡だと言ってくれた人がいる。「優しさが人に広がっていく」と言うまでに穏やかできれいな魂になった姉も奇跡だった。

姉ひとりだけのための院内コンサート (12/12)
このために着替えと化粧をしピアスをつけた姉



フヅキ

先日誕生日を迎えた。
2015年の誕生日に生まれた曲「フヅキ」(ふみづき、七月)だけど、またもや変な挑戦をしたのだった。とりあえずはめでたいのに、出てきたフレーズはマイナー(短調)。でもなぜかこれはポジティブなんだと強行突破しようと現場演奏した。ついでにリズムも壊しながら。

以前から不思議だったのは、世界の民謡、殊に日本のそれを古老が歌うのを聴くと随分とマイナーなのだ。もちろん西洋音階に当てはまらないのだけどとにかく暗い。それはたまたま歌が下手なのか。西洋音階を知る以前の感覚を知りたかった(自分の即興演奏はそんな手探りも含んでいるのかもしれない)。
また現代歌謡や歌謡曲や童謡でも楽しい歌詞をマイナーで作られた曲は散見される。
更には和歌にも突き当たる。そうなると文学の世界にも越境するのだが、心の吐露の微細な表現を西洋音階にはめこむ無謀さも見えてくるし、そもそも日本に音階の概念もなかったように思える。
その意味でも思うのは、メジャー(長調)はこの世にあるスケール(音階)の中で特殊なものではないかと。

気分がどうしても挑戦する曲、そしていまだに答えを求めながら演奏する曲を聴いてください。最新CD「モリ」にも収録しています。どう聴こえるかしら。

https://www.youtube.com/watch?v=fpQq48ceifI

カツラの木(自分で山に植えた)

 

カテゴライズ

ぼくはなぜか自分であることにこだわってきて、即興を中心に閃いた音などを表現してきた。もはや個性を求めるのでもなく、正直であることによって繋がる音世界を求めて。当然それはカテゴライズされず、ジャンル分けもできない自分の表現を説明できずモゴモゴする。それでも興味を持ってくれる人は尊い

この世界は形が優位に立っており、内容より説明が重要のようだ。人は知らないものに怖れを持つらしく、新しいものを拒んでしまうようだ。でも実は知らないのではなく、この世界の価値観や洗脳によって拒絶しているか忘れていて心に蓋をしているのではないか。だとすれば必要なのは好奇心か勇気か。愛も優しさも勇気がなければ発動しない。
ぼくは人の最深部に原体験の記憶があると信じていて、波動としての音をそこに届ける。

目に見えないものがこの宇宙の大部分を占めているのなら、その意味でも形至上主義の時代は終わらねばならない。ものごと、できごとに名前を与えることで抜け落ちる大事なものを感じ味わいたい。それが今という現実を生きること。
ことばの力が語られる昨今だけど、それ自体がうわすべりしていないか。言霊もカテゴリーではないはずだ。
ぼくの場合はなぜかことばや文字から距離をとって音霊に軸足を置いてきた。左脳への悪影響を感じたのか、単に音楽が合っていただけなのか。

カテゴリーやジャンルで捉えられない音楽をやっているひとりとして、自分が音楽家なのかいまだに自問しながら、地方小都市大分に住み続けてそんなチャレンジや探検を40年以上続けてきた。その音を聴いて欲しい。

 

21歳頃(松山)

フリージャズトリオ「HOY」

中央は故井上敬三氏(1975年?フリージャズから即興演奏に移行中)

謹賀新年 2023

 明けまして

  おめでとうございます

 

昨年12月ソプラニーノサックスソロ作品CD「モリ」リリースを終え

コントラバスサックス / TUBAX を始動します

昨年8月到着以来初めて部屋から出して、霊山ハルリ池畔にて撮影と少し演奏

春頃の演奏公開を目指します

 

本年もよろしくお願いします

http://salmosax.com/

 

CD モリ

2022年2/20と2/22にソロ録音したソプラニーノサックスによるオリジナル曲集は、デンマークのJVTLANDTから直ちにCD化の快諾をもらった。作業は順調に進みいよいよ12/20リリース。12/19にはアトホールでレコ発ライブ(2023/1/14博多テトラ)。それに合わせた映像も作成中。

順調とは言っても、音編集に半年かけて、ジャケットデザイン等も自分ですることになって、写真撮影も続け、数日前に入稿を終えたばかり。音源マスタリングを依頼した佐竹氏は2日前の入稿だった。やっと〆切に間に合った。他の各演奏会の準備やチラシ作成・配布や情宣などと重なってけっこう大変な11月だったのだけど、納得できる作品にできたので満足。

CDタイトルは「モリ」。いつもの霊山で一歩づつ山と森を確かめ歩きながら吹いてできた曲名。20曲程を二日間でシュルッと録音し終えた後にCDのストーリーイメージが突如湧いてきて、「モリ」の別テイクを4曲配して全16曲44分とし、ジャケットの見開きにモリの写真を8枚挿れた。
混沌(迷い)の中を彷徨い森を抜ける、、、でも混沌自体悪いことではなくそれをも楽しむ。それはそのまま心のことでもあり、宇宙の全てを肯定し受け入れることによって光に至る。そんな組曲風でもあり物語風でもあり。

水の写真ばかり撮ってきたけれど、今回は森を中心に撮影してきた。個人的には今の時代を表している作品になったようにも思う。
すでに購入予約が入るという初めての経験も楽しい。
脱サラ20年で16枚(自費盤3、国内盤5、海外盤8)目のCDリリース。ソプラニーノ1本のみによる小品集は世界初かもしれないがどうだろう。

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Mori / Forest / モリ

01. Mori / モリ
02. Saine / サイネ
03. Seseragi / Stream / セセラギ
04. Ike / Pond / イケ

05. Mori / モリ
06. Kamisam / カミサン
07. Fuzuki / フヅキ
08. Rise / ライズ

09. Mori / モリ
10. Kihou / キホウ
11. Kigi / Woods / キギ
12. Salmo / サルモ

13. Mori / モリ
14. Arko / アーコ
15. Irrawaddy / イラワジ
16. Uzo / ウゾウ


Katsura Yamauchi (Salmosax) / 山内 桂 : sopranino sax

Recorded by Katsura Yamauchi on 20 & 22 02/2022
Mastering by Koichiro Satake / 佐竹綱一郎
Cover design & photos by Katsura Yamauchi
Jvtlandt (Denmark)  JVT0022

 

 

音楽観

西洋音楽の三要素は「メロディ」「ハーモニー」「リズム」。その音は倍音などを減らして作った12音の「楽音」が前提。音楽や数学は宇宙の究明として発展してきたのだけど、多分平均率により楽音間の音程(ピッチ)を均等にして数値が割り切れないことで破綻。
実はひとつの音の中にも三要素はあると思う。1音の中で周波数や倍音がぶつかり合い重なり合いメロディやリズムや和音が生まれる。でもその音を聴く耳を失わされた現代。

ぼくはエネルギーを加えた音楽の四要素を考えてきたがどうだろう。
振動・波動が宇宙を創っている大元でありエネルギーであり、そのひとつの表れが音、そして音楽。
それら「要素」以外に日本では「間」が重要であり、それは無音なだけでなくリズムだとも思うのだけど、「間」の無音はエネルギーに満ちていて無音ではないとさえ思っている。
また時空につながった身体が発する音は均一でなく、均一志向性は人間の可能性を制約する意図があると思っている。

二十歳の頃即興演奏に目覚めたのは反社会性がきっかけのひとつだったけれど、宇宙の探究への道筋だったからだろう。
そして音楽、単独山岳スキー、渓流釣りは、娯楽と共に常に冒険で探究だった。

最近周波数偏重の音楽もあるけど、楽音以外のすべての音を使って、自分の魂や精神やなによりも身体を通した音=直感と感性と波動(エネルギー)で宇宙につながる演奏を目指してきたんだと自覚してきている。
そうしてサックスの即興演奏では混沌の中の調和を観る音世界を楽しんでいる。そして更にそんな音楽観の上で三要素も「一要素」として取り込んで音作りをしている。

脱サラ20周年

10/20の脱サラ記念日をその数日前に思い出して、しかも20周年ということに少々驚き動揺している。
20年前のある日あるきっかけで思いついて翌日辞表を出した。かなり大きな出来事ではあった。松山4年、大分19年半、合計23年半もの長きサラリーマン生活を送った。なのにそれに匹敵する年月があっという間に過ぎていた。

退職日当日に美術家の故風倉匠氏の依頼で行った大分福岡のアーティスト10名程による記念すべきイベントは、大分市美術館の協力を得られず半端に終わったのだが、それにめげずに夢中で動いてきた。1か月単位のツアーをヨーロッパ11回アメリカ2回。近年は度々東南アジアや台湾に。国内ツアーはもちろん、経験のない映画制作もして、CDは15枚出ていて年内にソプラニーノサックスソロCDを出す予定。

さまざまな困難や窮乏や事件事故を経験し、人の助けもありつつ乗り越えて生きてこられた。そもそもすることが初めてのことだらけで呆然としたりストレスいっぱいだったり、特にpc関係は追いかける日々が今も続いている。
この2、3年はコロナのため演奏回数は半減。活動を続けてはいるが、マスクはしないので旅する気分は半減していて、今はリセット時期だと思っている次第。
そんな中、流れで注文してしまい2年かかって8月末に届いたコントラバスサックス(Tubax)は、今思えば脱サラ20周年記念の自分へのプレゼントなのかもしれない。

そういうふうに自分の預かりせぬところで流れたり流されてきて、おもしろい時代を迎えようとしている。
そしてあらためて足元の大分に目を向けているところ。
みなさん、豊かに生きることをしましょう。引き続き応援協力よろしくお願いします。

(写真はEU・USA ツアー初期中心。各左上に簡単な説明あり)

 

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EU・USAツアー1

EU・USAツアー2

EU・USAツアー3

EU・USAツアー4