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しんしんつもる、冬


 気がついたときには長い月日を経て積もり積もった雪が重なり、身動きが取れなくなった季節だった。春になって透明な悲しみは全部溶けて無くなった。
 多分もうこんなにひどい雪は降らないし積もらない。また4月がきたよなんて言う前に4月は終わった。


 この冬はいろんな人にいろんなことを言われた。「もう」とか「でも」とか「だって」とか、そんなのばっかりだ。みんな人の話を聞くふりをして、返事は全部自分のことを話している。人の話なんて聞いちゃいない。”悪口は自己紹介”なんて言うけど悪口じゃなくたって会話は全部自己紹介だ。使ってる言葉は普段考えてることだし、喋ってる内容は普段思ってることだ。人の話を人の話としてフラットに聞ける人は少ないのかもしれない。あわよくば何の観念も先入観も持たずに人の話を聞けたらいいと思う。
 3月の誕生日に、ひとりだけそういう人に出会った。おおらかに話を捉えて、マイナスの言葉がプラスの言葉で返ってくるようなひと。同じ意味でも全然考え方が違う。相変わらず自らのことを話すのは苦手だし、できることならばしたくないけど、この人ならば話しても大丈夫そうだと思える人。すごい。初対面なのにペラペラと喋ってしまいみっともなかった。多分こうやって自分の角って取れていく。

 半年くらい前まで、何かに取り憑かれたみたいに、あれやこれやと買っていた時期があった。自分にないものを埋めるかのように、これをするなあれが、あれならこれが、必要に迫られているような気がして物を買うことで解消していた。普段の私ならそんなことはまずしないし、ある物の中から足りないものを補うことをしていたはずだった。そうなる前に、階段が一段ずつ消えて、もうどこにも行けないし登れないし降りれないと錯覚して、だんだんと足の踏み場を無くしていった。あらゆる手立てを失ったように感じでただただ力が抜けていた。本当に、私は昔から自分で自分の首を締めるのが得意だ。よくやっている。10年ぶりくらいに自分の首を強く閉めてしまっていたと思う。17歳の頃と同じ虚無感と焦燥感で酸欠になっていた。あの頃のことをすっかり忘れた私は解決方法がわからずただただ買ったり食べたりを繰り返していたら心をどこかに失くしてしまった。

 そういえば、何かに憧れて髪を伸ばすことがなくなったとこに気がついた。髪をよく伸ばしていたのも10年くらい前だ。伸ばしたり切ったりを繰り返していたけど、ここ何年かはだいたいずっと短い。髪が長いと邪念が絡まる。いらないものは、いらない。あるものは全部持ってる。

 17のときに読んだ本、文章、人からもらった言葉の意味なんて当時てんでわからなかったけど、28になって突然降ってわいたように意味がわかるときがあって。最近、これまでの出来事の辻褄が合ったような瞬間に出会う。向こうからやってくる。「自信とか、勇気とかって人に貰うものじゃなくててめーの中でなんとかするもんじゃん。今それをやってる。」いつも急に思い出す言葉だ。今の私にだいぶ染みるようになった。

 人生なんて全部主観だ。世界は自分だし、自分は何者にも侵されない。

 あと今年は多分どこか遠くへ行く、予定。気分。