瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(05)

 ウォルター・ウェストンWalter Weston(1861〜1940)は、1896年(明治29年)に刊行した『日本アルプスの登山と探検(Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps)』によって「日本アルプス」を有名にしたが、その第11章を「日本アルプス北部の最高峰」の「オオレンゲ(大きな蓮の花の峰)」登山に当てている。この「大蓮華」は越後・越中での呼称で、現在通行している「白馬岳」は信濃での呼称であった(実は、呼称の問題はそう単純ではない)。蓮華温泉もこの「蓮華」に由来している。
 また、英国山岳会Alpine Clubにウェストン手書きのフィールド・ノート4冊が所蔵されている。そのうちの1冊「ホリデイ・ツアーHoliday Tour」が、この明治27年(1894)7月から8月の日記で、『日本アルプスの登山と探検』の第11〜13章に当たる。かれこれ参照することでウェストンの行程を辿ることができる。
 以下、引用は青木枝朗訳『日本アルプスの登山と探検(岩波文庫33-474-1)』(1997年6月16日第1刷発行・定価660円・岩波書店・381頁)により、フィールド・ノートは特に「日記」と注記して、三井嘉雄訳『日本アルプス登攀日記(東洋文庫586)』(1995年2月10日初版第1刷発行・平凡社・318頁*1)から引用する。ウェストンが日本語をローマ字表記している箇所を、これらの本では漢字に片仮名で振り仮名を附して示すなどしているが、ここでは片仮名で示し漢字を【 】内に示した。

日本アルプスの登山と探検 (岩波文庫)

日本アルプスの登山と探検 (岩波文庫)

日本アルプス登攀日記 (東洋文庫)

日本アルプス登攀日記 (東洋文庫)

 さて、明治27年7月18日、東京(上野)からH.J.ハミルトン(岐阜の宣教師)・同志社英学校学生浦口文治(1872〜1944)とともに鉄道で直江津に出たウェストンは、19日、日本海を船で糸魚川に行き、20日に姫川沿いを遡って山之坊の小滝村村長宅に泊まり、21日、姫川支流のオオドコロガワ【大所川】の峡谷を遡って蓮華温泉に到着、23日にオオレンゲ【大蓮華】に登頂、24日に蓮華温泉を後にして山之坊に戻り、姫川沿いに遡って信濃のクダリセ【下里瀬】に宿泊している。
 この『日本アルプスの登山と探検』には、ハミルトンの撮影した蓮華温泉の写真(241頁)が掲載されており、当時の様子を偲ぶことができる*2
 7月下旬で「三十人あまり」滞在していた湯治客たちの、夜中の馬鹿騒ぎについての記述が多く、主人一家については「温泉の管理人」とのみで済ませている。また、ユバ【湯場】の様子や「もとのユバ【湯場】は別なところにあったのだが、数年前にガスが爆発して山腹の一部を吹き飛ばし、湯小屋を破壊した上、数人の命を奪ったということである」などという事故についても記述している。「日記」には「今は三十五人の客がいる」また「夏の間、六月初旬から九月末にかけて、三百人ほどが浴場にやってくる」とあり、爆発の記述も多少異なっている。
 オオレンゲ【大蓮華】登頂は病気のハミルトンを蓮華温泉に残し、ウェストンと浦口、ヤマザキジュンサ【山崎巡査】と案内役の人夫の4人で果された。この山崎巡査とは、20日から24日まで行をともにしている。その出会いは、糸魚川から山之坊に向かう途中であった。

 ここまで来るあいだに、この地区を担当するヤマザキ【山崎】というジュンサ【巡査】と道づれになった。彼をたずねるように糸魚川で言われてきたが、運よく道ばたの家で見かけたのだ。彼はただちに私たちの計画に賛成して、いろいろの情報を集めるのに力を貸してくれたばかりでなく、私たちが四、五日その地方を歩くあいだ、ぜひとも同行したいと申し出た。彼はどんなときにもおだやかで親切だった。偶然その夜、私がハンモックから落ちて、ぐっすり眠っていたこの人の上に墜落したときも、彼は自分の迷惑はおくびにも出さず、自分が邪魔なところにいたことを丁寧に、謙虚にわびるだけだった(「オジャマ ヲ イタシマシタ」)。


「日記」によれば、19日夜、糸魚川の宿にウェストン一行を訪ねた巡査2人のうちの1名が、山崎巡査を紹介したことが分かる。

糸魚川の)サトウジュンサ【佐藤巡査】から私たちを手助けするよう申しつけられた警察官のヤマザキ【山崎】に会った。彼はたいへん礼儀正しく、親切だった。


 山崎巡査が、蓮華温泉をも含む小滝村「地区を担当する」らしいことは、「日記」の23日夜の「(山崎の友人、スズキ【鈴木】)が私たちの部屋に泊りにやってきた」との記事からも察せられる。ウェストン一行は、この「小柄で親切な山崎巡査」に、24日午後、山之坊にて「心をこめて別れを告げた」とある。
 さて、明治30年の「蓮華温泉の怪話」の「S巡査」と、明治27年ウェストン一行に同行した「山崎巡査」、時期的には同一人と見たいところである。しかしながら「S」氏だとすれば山崎では有り得ず、別人とせざるを得ない。「山崎の友人、鈴木」は巡査ではなさそうだし、糸魚川の巡査が蓮華温泉までも管轄にしているとは思えないから「佐藤巡査」の可能性を考えても仕方がない*3。取り敢えず、山崎巡査の後任のS巡査というふうに考えておくのが穏当だろう。もし「ウェストンの案内人=蓮華温泉の怪話のS巡査」という式が成立したら面白い、と思って漁って見たのだが、これは空振りだったようである。

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 ところで、従来「蓮華温泉」と明示しない文献も含め、この話の現場を全て「長野県」としている。深山の一軒家の所属など、意識に上らなかったということか*4。すなわち、白馬岳は信濃越中・越後に跨って(頂上は信濃越中国境)おり、その北北東に位置する蓮華温泉越後国頸城郡、当時は新潟県西頸城郡、現在の新潟県糸魚川市である。越中富山県)で女を殺した男が越後(新潟県)の蓮華温泉で捕まり、それが信濃(長野県)の話として流布しているわけだ。

*1:2019年10月24日追記】第2刷(1995年2月10日 初版第1刷発行/1995年12月20日 初版第2刷発行)を見た。

*2:黒岩健『日本アルプスの登山と探検』(一九八二年六月五日初版第一刷発行・一九八二年十月十日再版第一刷発行・大江出版社(大阪)・327頁)の口絵に掲載されるものが最も鮮明である。

*3:「佐藤巡査」が転任してきたのだとかいう想像も出来なくはないが、そんなことを言い出すともう何でもありになってしまうだろう、例えば山崎巡査が「S」と呼ばれていたとか。

*4:もちろん『信州百物語』に「蓮華温泉の怪話」が載ったからだが。