瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

連続テレビ小説「あさが来た」(2)

 第11週「九転び十起き」の12月11日(金曜日)放映の第65回を見るに、冒頭に前回の最後に描かれていた坑内にいた親方(山崎銀之丞)が巻き込まれる爆発が、今度は坑口近くの事務所(?)にいる亀助が爆音と振動に驚くという風に描写される。
 事故の知らせは早速大阪の加野屋にももたらされるのだが、それは「今、九州から早馬飛ばして来た使いやぁ言うお人が」知らせに来るのである。誰が来たのかと云うと納屋頭の1人福太郎(北原雅樹)である。
 主人公あさ(波瑠)は娘の千代を夫の新次郎(玉木宏)に託して「馬を用意しとくなはれ。人の命にかかわることだす、ちょっとでもはよ行かな」と出掛けようとして大番頭の雁助(山内圭哉)に「夜通し走って山賊にでも襲われたらどないしはるおつもりだす」と反対されているところに都合良く五代友厚ディーン・フジオカ)が現れて同行を申し出るのである。早朝やって来た理由は「福岡にいてる店の者から、加野炭坑の山上空に煙が立ちのぼってる云うて、報告が来たんです」という次第*1で、「今から向かうとこで」と言うあさに「私も行きましょう。私も山によう関わってる者です。何かお役に立てるかも分かりません」となるのである。それで「馬」に乗るのではなく「表道に馬車が用意出来ました」との台詞があるから、五代が仕立てた馬車で出発するのである*2
 まだ坑口から煙が立ちのぼっている「九州 加野炭坑」に着いた主人公は、支配人の宮部源吉(梶原善)から「火が残っとるんが、穴の奥の奥の方やけん、なかなか消されんとです」「事故が起こったとき、どこの組の者もおらんかったけぇ、怪我人おりましぇん。やけど、治郎作親分が見付からんとです」との報告を受ける。
 そして最後、坑口の方から「おーい、おったぞぉ」「おい誰かぁ、誰か手ぇ貸してくれぇ」と叫ぶ声が聞こえて終わるのであるが、12月12日(土曜日)放映の第66回を見るに、治郎作親分は重傷を負いながらも「側道に逃げ込んで助かった」ということになっていたのであった。
 おかしいだろう。
 赤穂事件の際、江戸と赤穂の距離が600km以上(直線距離で約500km)あったところを、早駕籠で4日半で赤穂に到着している。当時の道路事情を勘案すると早馬は若干早く(もちろん乗り継ぐのである)馬車は若干遅くなったのではないか。大阪から筑豊まで600km弱(直線距離で450km)あり、やはり5日か6日(もっと掛かったかも知れないが)は掛かったであろう。そうすると、事故が起こって福太郎が大阪に知らせ、主人公たちが炭坑に到着するまで少なくとも10日は掛かったろうと思われる。
 鎮火していないのはともかく、助かっていたにしても主人公たちが到着するまで救助されずにいたなどということは有り得ない。2014年10月1日付「浅間山の昭和22年噴火(2)」で突っ込んだ「72時間の壁」ではないが、仮に10日も掛からなかったにしても事故から主人公が炭坑に来るまで「72時間」で済んだとは思えない。自力で脱出出来ないほどの重傷を負い、食料もない状態で生きているなんて、8月8日付「楳図かずお『洗礼』(1)」の主人公上原さくらの母(若草いずみ)みたいだ。『洗礼』の方は土に埋まった状態で、……今度、埋まっていたのが何日になるのか、勘定して見ようと思っている。
 それはともかく、このドラマの地理感覚のおかしさについては、12月21日付(1)にまとめた。実は、姉の逼塞先に「気が向いた折々に草履履きでふらふら立ち寄」る場面を見ては距離感がおかしいと感じていたのだけれども、大阪平野は狭いから生駒山の麓であれば不可能とは言えない。だから突っ込むのを控えて来た。主人公が大阪と炭坑を頻繁に往復するのもおかしいと思っていた。支配人の宮部が信用出来ないなら加野屋から信頼できる人物を派遣して常駐させて置けば良いので*3、何故主人公が何度も何度も炭坑に出掛けて行くのかと不審に思っていた。しかしながら、この炭鉱事故の描き方を見たことで安心して突っ込めるようになった。
 単に、距離感がないのである。通信手段の発達と所要時間の短縮も、身なりや暦などと同じく、文明開化による大きな変化の1つである。しかしそこはいともあっさりとすっ飛ばしている。脚本家がそういう発想なく書いているのは仕方がないとしても、時代考証の人はいくら炭坑事業に関わった時期がモデルとは異なる=炭坑の件がフィクションであるにしても、突っ込まないといけないのではないか、「新幹線も飛行機もありません」くらいには。
 しかし、モデルのやっていないこと、やったとしても時期の違うことを脚本家が入れ事にすると碌なことにならない。破綻のもとになるだけなのだから、モデルの事績をしっかり書くか、どうしても架空の挿話を加えたいのであれば、小説(非常に優秀な編集者が着いていれば別だけれども)と違って一流のスタッフを揃えている(はずな)のだから、違和感がないかスタッフとよくよく吟味した上で無理のない挿入するべきだろう。
 尤も、この手のドラマに距離感がなくなったのは、今に始まったことではない。大河ドラマ龍馬伝」でも、岩崎彌太郎香川照之)が土佐国安藝郡井ノ口村(現在の高知県安芸市)の自宅と高知の城下の間を簡単に行き来していたが、10里(約40km)ほど離れているので、あんな荷物を背負っていなくとも、まず日帰りは無理である。(以下続稿)

*1:五代は当時整備が進んでいた電信を利用して報告を受けたのであろう。

*2:瀬戸内海は船に乗るのだろうと思うのだが、雁助の台詞からしても陸路を移動するという発想になっているようだ。

*3:主人公の妊娠以降、漸く中番頭の亀助、次いで大番頭の雁助を常駐させるようになったが。