瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(52)現代民話考

 私は体験談が苦手なので『現代民話考』の中でも、学校や乗物の怪異に関する巻はよく手にしているが、個人的な体験の多い次の巻などは敬遠していた。
ちくま文庫『現代民話考[5] 死の知らせ・あの世へ行った話』二〇〇三年八月六日第一刷発行・定価1400円・筑摩書房・540頁

 しかしこの夏、8月17日付「淡谷のり子「私の幽霊ブルース」考証(2)」に述べたように淡谷のり子の体験や平野威馬雄『お化けについてのマジメな話』に注意したことで、平野氏の本に載っている体験談の数々が『現代民話考』に採録されていまいか、と久し振りに借りて見たのである。
 すると、181〜505頁「第二章 死の話」の、10節に分かれるうち、336頁2行め〜340頁13行め「五 うらみ」、さらに336頁3行め「本妻の思い」と、338頁3行め「のろって死ぬ」に分かれているが、後者の例話に続く338頁9行め「分布」に、例話も含めて3話挙がるうちの1話め(338頁10行め〜339頁16行め)に、

*東京都八丈島中之郷の東の位置に、南端に小岩戸岬をもっている東山が横たわっ/ている。むかし*1島流しされた七人の坊主が中之郷あずかりとなった。ところが誰も/相手にしないで、食べ物もあたえず追い出してしまった。七人の坊主は東山の頂上/近くに行って住み、*2ほそぼそと命をつないでいたが、とうとう七人とも餓死してし/まった。それから毎日のように、中之郷の民家の附近を夜になると、白衣のコロモ/を着た亡霊が歩き廻り住民は悩まされた。それとともに農作物の不作とか、家畜が/【338頁】死ぬとか不吉な事ばかりが続いたので、ミコを頼んで拝ませてみたら七人の坊主の/たたりだという事がわかった。そこで村民は東山の頂上、神木(今も七本の椎の古木がうっそうと不気味なほど繁っている)の下に七つの石地蔵を建てて坊主の霊をな/ぐさめた。しかし*3この東山の頂上附近で、七人の坊主の*4悪口を言うと、怪我*5や災難/が起きた。終戦後、*6この東山の頂上に五、六家族住みついたが、これらの人達は一/*7もたたないうちにさっさと里に逃げ帰って来た。聞くところによると、夜にな/ってから「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と低い悲しいお経の声が聞こえたり、水/汲みに行くとボロボロの衣を着た坊さんが、その泉のほとりに立っていたりしたか/らだそうである。昭和二十七年に東山を横断して潮間*8へ通じる林道工事が進められ/た。そのとき工事に働いていた村民が、頂上近くでタコツキをやりながら、七人の/坊主の悪口を歌の文句にしたそうだ。それがたたってかそのあくる日、十一月十九/日に現場で働いていた七人の村民が、山くずれで生埋めになってしまった。全島大/騒ぎになり二日がかりで皆な遺体は掘り出されたが、坊主の悪口を言った人ほどそ/の姿は変りはてていたそうだ。この生埋めになった人数がちょうど坊主と同数の七/人であったから、その当時非常に不思議がられた。
 出典・浅沼良次著『流人の島』八丈風土記(日本週報社)。

と、七人坊主の話が出ていた。
 これには少なからず驚かされた。――しかし、文庫版での追加もあるので、単行本を確認することにした。もしこれが、昭和の末年に『現代民話考』に採られていたのだとすれば、余りに随分な見落しである*9
 しかしながら、以前は大きな図書館に行けば大抵単行本があったのだが、平成15年(2003)4月から平成16年(2004)3月までの文庫版刊行(毎月1巻ずつ)から10年余を経て、今やどの市区の図書館でも棚にあるのは文庫版で、単行本は滅多に見られなくなってしまった。(以下続稿)

*1:『流人の島』に「罪名はわからないが、」とあるのを省略。この辺りの原文は2011年11月26日付(23)に引用した。

*2:『流人の島』に「民家に近附くことは出来ず、食物は野草とか、海岸に下ってアワビなどをとって食べて、」とあるのを省略。

*3:『流人の島』に「これだけのことをしても、この坊主達はうらみが晴れないのか、」とあるのを省略。この辺りの原文は2011年11月27日付(24)に引用した。

*4:『流人の島』初版にはここに「話や」とあった。これをわざわざ省略したとは思えないので、本書が拠っているのは『流人の島』改訂版と思われる。

*5:ルビ「けが」。『流人の島』にはルビなし。

*6:『流人の島』に「外地から引揚げた者が、」とあるのを省略。この辺りの原文は2011年11月28日付(25)に引用した。

*7:『流人の島』は「一カ月」。

*8:ルビ「しおま」。『流人の島』初版のルビは「しずま」と誤る。この辺りの原文は2011年11月29日付(26)に引用した。

*9:この感想は何ヶ月か前に文庫版『現代民話考』に出ていることに気付いたときのもので、この記事も10月17日付「亡魂船(1)」よりも前に準備していたものである。