瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『都電往来』(3)

 4月15日付(2)の続き。
 背表紙は角背だが初版・再版とも文字は刷られていないようだ*1
 表紙見返し、絹目を刷り出した白地の紙に、見開きで右上に横組みで「[ 都電・荒川線 ]」と題する路線図があって、初版・再版で一致する。
 右下に、崩した「4」と「+」を組み合わせた記号で北が上であることが示されており、その上に手書きとゴシック体で「−−−○−−−○−−−都 電」と唯一の判例*2があり、荒川線の線路が赤の破線、停留所が赤丸で示されていることが分かる。文字は全てゴシック体で、停留所名は「三ノ輪橋」「町屋駅前」「熊野前」「荒川車庫前」「王子駅前」「庚申塚」「大塚駅前」「東池袋四丁目」「学習院下」「早稲田」の10箇所が記入されている。
 その他、細い枠に囲われて小さく[ 荒 川 区 ]、[ 北  区 ]、[ 豊 島 区 ]、[ 新 宿 区 ]、[ 文 京 区 ]の区名が示されるが、区域の全体が表示されるのは荒川区・豊島区・文京区、北区は北が、新宿区は南が切れている。区の境界は実線で示され、境界の内側が色の帯(0.5cmほど)で、荒川区は橙色、北区は青、文京区は桃色、豊島区は黄緑色で示されるが、新宿区は無色である。但し文京区には荒川線は走っていない。
 他に白と黒の縞模様の線で国鉄の線路を示し、実線に横線を細かく||||||の如くに加えた線で私鉄を示す。北から国鉄線は赤羽の分岐(赤羽駅は示されない)から南、京浜東北線は「王子」駅、「上中里」駅、「田端」駅、「西日暮里」駅、それから先は線路自体は神田駅附近まで書いてあるが駅名はない。赤羽線は「十條」駅と「板橋」駅で省略はない。山手線は既述の「西日暮里」駅、「田端」駅、そして「駒込」駅、「巣鴨」駅、大塚駅は都電の停留所名のみが示されており、次いで赤羽線の分岐する「池袋」駅、「目白」駅、「高田馬場」駅、「新大久保」駅、線路は新宿駅近くまで描かれており、駒込〜田端間の線路の北側に「国電」とある。――私は平成2年(1990)春、高校卒業後に上京したから既に民営化されてJRになって3年、だからどうも「国電」と云う呼称が未だにピンと来ない。上京当時は専ら路線名で「山手線」と呼んでいた*3。平成3年(1991)春に大学に入学した私の同輩たちも東京出身者は皆無だったから、やはり「国電」と言う者はいなかった。例の「E電のりば」と云う表示が、しばらく残っていたのは覚えている。
 私鉄は池袋駅から分岐する「東武東上線」と「西武池袋線」の線路を示すが駅の記入はない。(以下続稿)

*1:標題を刷った紙を上部に、分類票を下部に貼付してある。【2018年8月31日追記】背表紙最上部に油性インクで直接標題を書き入れた初版を見た。やはり文字は入っていない。

*2:【2019年7月16日追記】「判例」と入力を誤っていたのを訂正した。

*3:「山手線」以外の路線も「国電」だったらしいが、当時乗る機会がなかったのでいよいよ意識に上らないのである。私にとって、定着しなかった「E電」とは「山手線」のことなのであった。