瑣事加減

2019-01-12

森於菟『父親としての森鴎外』(3)

 文庫版の長沼行太郎解説 一つの鴎外論」の最後「書誌的なデータ」を述べた箇所の前半、1月8日付(2)に引いた続きを見て置こう。434頁14行め〜435頁9行め、

 これより前、昭和三〇年四月一〇日に、本書と同題の『父親としての森鴎外』が大雅書/店より新書判で出ている。その内容は、写真九葉、観潮楼の図、「はしがき」の後に、「鴎/外の健康と死」「観潮楼始末記」「鴎外の母」「鴎外と女性」「鴎外の隠し妻」「父親として【434】の森鴎外」の六編を配し、巻末に森富貴の「おぢいさまとしての鴎外」を附した簡素なも/のである。昭和八年発表の「時時の父鴎外」をこのとき「父親としての森鴎外」に改題・/改訂した。その他の諸編についても、「多くの加筆をしたために、すべて殆ど書き下した/と同様」で、「漸く晩年の心境に達した私は、無用の暴露はこれを避けるけれどもできる/だけ気がねを捨てて、私の眼に映り心に感じたありのままの父を書き残したいと思」った/のだと著者は「はしがき」で言っている。筑摩版本書の文章末尾に昭和三〇年二、三月頃/の改筆のことわりのあるのは大雅書房版への収録に際してのものである。したがって大雅/書房版はひとつの原型ではあるけれども、編集主体も収録編数も異なる点から、この筑摩/版とは別と見た方がよい。巻頭の写真にも入れ換えがある。


 新書判の版元名が1箇所「大雅書店」と2箇所「大雅書房」と出ているが、これは前者が正しい*1

 今、新書判の初版と再版が手元にある。1月4日付(1)に貼付した書影はカバーらしい。もちろん帯も保存されていない。

 表紙は再版の方が厚く黄土色、初版の表紙は黄味を帯びてやや薄い。上部左寄りに明朝体横組みでやや大きく標題、その下に中央揃えで「森 於菟著」とあるのと右下隅に虎の顔を図案化し下に弓なりに「TAIGA」と添えたロゴがあるのは一致。裏表紙には文字はない。私の見た再版は製本されているのは背表紙が見えないが、初版は割れているものの表紙と同じ大きさの明朝体で上部に「父親としての森鴎外 森 於菟著」とある*2

 表紙をめくると扉、本文共紙で初版は茶色っぽくなっているが再版は白い。保存状態の違いもあろうが用紙の質を良くしたようにも見える。また、印刷も再版の方が(本文の方も含め)濃くはっきりしている。上部、表紙と同じ高さでさらに左寄りに標題、その下にやや右寄りに「森 於 菟」とある。下右、著者名と同じ大きさの明朝体横組みで「大雅新書 2」とあって、その分、表紙下右と同じロゴが上に移動している。

 次いでアート紙の口絵が6頁(3枚)あり、キャプションは全て明朝体横組みで下に添える。1頁めは「鴎 外 の 正 面 の 写 真/  (大正2年2月14日) 」胸より上。2頁めは「森於菟の母 赤松登志子(明治22年3月)」全身像。3頁め、上左「鴎外の父森静男/(明治28年頃)」上右「 鴎外の母森峰 /(明治30年頃)」下「鴎外の妻森茂子(大正7年2月9日)」いずれも胸より上、上の2つは楕円。4頁め左上「鴎外の胸像と於菟/(大正8年11月)」右下「おせきさんと於菟/(明治27年5月)」左上の写真に左上隅が重なる。5頁め上「大正4年3月鴎外が於菟に書き与へた処世訓」下「在りし日の観潮楼(昭和8年3月)」。6頁め「観潮楼の宅地及び建物平面図」これについては他の版と比較しつつ別に述べることにする。叢書版と文庫版に同じ写真・図が引き継がれたのは(但し全くそのままではない)2〜3頁めと6頁めだけで他は差し替えられている。これも詳細は叢書版と文庫版を比較しながら別に述べることとしたい。

 次に「はしがき」が2頁(前付。頁付あり)、1頁、1行めに1字下げでやや大きく「はしがき」として5行分空白。

 これは叢書版・文庫版には引き継がれていないからここに全文を抜いて置こう。

 私が父の事を随筆に書き出したのは昭和七年頃からである。それからのながい年月の間にか/なりの数となり、単行本もそのほかの文をも加へたのを入れれば四種、いづれも今は絶版とな/つた。今度大雅書店に頼まれて上梓するのはその中の主なる数篇に、近頃書いた若干の分を添/へたものである。

 題して「父親としての森鴎外」といふのはその中の一篇の名を仮にとつたので、その文章は/もと「時時の父鴎外」と題して「中央公論」に発表し、最初の随筆集に収めたのを今度改訂し/たのであるが、その他の諸篇も多くの加筆をしたために、すべて殆ど書き下したと同様で、全/体としては「家庭人としての父鴎外」を書いたといへよう。

 昔発表したものも前と大分変つて見えるのは年月の経過のためと、その間に知り得た新事実/を附け加へたといふばかりではなく、これらの記事をつくる私の態度に変化を生じたからであ【1】る。もとから偽つたり飾つたりしないやうにつとめたのであるが、漸く晩年の心境に達した私/は、無用の暴露はこれを避けるけれどもできるだけ気がねを捨てて、私の眼に映り心に感じた/ありのままの父を書き残したいと思ひ、同時に私自身がどこまでも父とその周囲に対して愛情/を以て終始すれば父とその遺業を冒瀆することにはなるまいと考へたのである。

 なほ読者への御注意までに申し上げるが、初めて私の書いたものを手にする方は、最も古い/執筆であるが系統的に父の生涯を述べた「父親としての森鴎外」を先にして、つぎに比較的新/しい他の諸篇に移つて頂きたい。また各篇いづれもその折々に雑誌に寄せたもので内容の重複/する点が所々に見出されることを諒とされたい。

 最後の一篇は私の妻が「鴎外全集」月報に寄せたものであるが、その立場としてほかの人に/書けないことを記し、父の一面も出てゐると思つたので巻末に附加したのである。


 2頁11行めは2行取り4字下げで「昭和三十年三月十二日」12行めは2行取り34字下げで「著   者」とある。(以下続稿)

*1:後者に釣られて1月4日付(1)に版元名を「大雅書房」と誤っていたのを訂正した。

*2:下部には文字はないようだが、或いは分類票の下に隠れているかも知れない。

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