日本での情報流通の分散化というのは、どうなんだろう(下)

昨日の続きだ。

昨日は、どちらかというと「発信者の人数が少ないのではないか」という問題提起をした。今日は、「発信されるネタの集中度が高いのではないか」という話だ。

件の化粧品クチコミサイトでは商品別にクチコミ投稿がされるのだが、クチコミ投稿数の多い上位10%の商品で、全体投稿数の75%が占められている。集中度は投稿者と投稿件数のそれよりも高い。しかも時系列で分析してみると、この数字は一貫してこの3年間上昇している。

つまり、マスコミの議題設定機能というのがおそらく働いていて、テレビや雑誌で宣伝されていたり、その結果店頭で大量に陳列されている商品のみにクチコミが集中する傾向がある。クチコミ件数がすでに沢山ある、しかも誰もが知っているような商品であっても、クチコミはかまわず蓄積されていく。

クチコミ投稿をなぜするのか?ということでこれも調査をしてみた。12ある選択肢のうち「クチコミしようとする商品が良かったから」というのが1位で、「クチコミしようとする商品が悪かったから」というのも4位なので、商品には良い評価のものと悪い評価のものが混在していることが多そうだ。

ただし、「クチコミしようとする商品のクチコミ内容に共感・同感するから」の方が、「クチコミしようとする商品のクチコミ内容に違和感・異論があるから」を上回っており、どうやら多様な意見というのは相対的に生まれにくい構造になっているようだ。

ちなみに、投稿内容についての賛否を明示的に表明できるような機能はこのクチコミサイトには存在しない。一方で、投稿内容に賛否を表明できるようになっているサイトもある。このサイトの場合、投稿者と投稿件数の集中度を表すジニ係数が0.282と低い。相互チェック機能というのが働くとより民主的な発言集中度になるのかもしれない。もちろん、商材の違いなどあるので、単純には言えないが。

で、本日の論点に話を戻すと、「人とは違うテーマ(商品)であっても発言すること」「同一テーマであっても人とは違う意見であれば発言すること」ということが、「ネットメディアでの多様な情報発信」には必要なのだが、前者がマスメディアなどの影響で著しく困難であるため、結果的に「ネットメディアでの多様な情報発信」は難しいと考えるわけだ。

したがって

  1. マス、ネットを問わずメディアで発信される情報を読み解く力を備えた市民がいて(メディアリテラシー
  2. その市民の一部が今以上にネットメディアで発信し、現状のマスメディア中心で世論が形成される仕組みから、もう少し広い層により世論が形成される仕組み(メディアの仕組み)

へと変わるといいな、変えたい、というシナリオ

は実は、やや中途半端であって、本当に必要なのは「何が考えるべきテーマ」なのかについて発言できる人間なのだ。これをメディアリテラシーを備えた人間と拡大解釈することも可能だが、個人的な経験からすると「何が考えるべきテーマ」であるかということに、仮に間違っているにしても(間違っていることがほとんどだが)、たどり着くには、1に個人的な原体験、2に同士とのオフラインでの議論、3に本、なのである。そこに1万人以上を相手にしたメディアは存在しない。一応その次にWebでの個人による情報発信というのがくるので、ネットで発信される情報を読み解く力は確かに必要なのだが・・・。

すると、昨日の2800人というのもあながち悪い数字ではなくなるな。ただ、自ずとこういう人間は専門家に近いことになるのだが、それを普通の言葉で適度な知性を持った人たちに語りかけられる人は本当に少ない。実はここが問題ということになるのだろうか。

まあ、Blogなのでここら辺でやめておく。少なくともイベントのための良い準備とはなった。