Hatena::ブログ(Diary)

さめたパスタとぬるいコーラ

2017-09-17 ブログを引っ越しました このエントリーを含むブックマーク

引越し先:シン・さめたパスタとぬるいコーラ

 

ブログを引っ越します。こちらのブログを削除する予定は特にないですが、今後新しい記事は新しいブログで書いていくことになります。

更新のひとつのモチベーションになっていたアクセスカウンター「はてなカウンター」がサービス終了になったので、この際思い切りました。このブログも気がつけば2010年4月から7年以上もの間、細々と続いていました。最初は1日に1桁や数十人程度だったアクセスも、最後は合計で200万以上に達していてなかなか感無量でした。続けてこれたのも、ひとえに読んでくれる人たちのおかげです。ありがとうございます。

というわけで、「続、そして終。非、そして反。」への期待を胸に。今後ともよろしくお願いします。

2017-07-09

『メアリと魔女の花』感想 本当に“いらない”のか? 大きな主語に違和感を覚えたという話

| 17:33 | 『メアリと魔女の花』感想 本当に“いらない”のか? 大きな主語に違和感を覚えたという話を含むブックマーク


 「大丈夫。“ここ”ではあなたは、もともとそういう顔なのです。あなたの声やスタイル、それから細かいことを言えば指紋などもおそらくほんの少しだけ変化している。しかし“ここ”は、もともとあなたがそういう特徴をもつ人間だった世界なのです。厳密に言えば、あなたが変身したのではなく、ほんの少しだけ違うあなたが生きている世界に、あなたの心を移しかえたのですよ。これまでの自分にこだわりをもたない冒険心に祝福あれ」

 そして男は、小さなプレートを差し出した。

 「今夜の“遊び”の記念です。あなたが違う世界に来た、その勇気の証ですよ。みなさんは制服の胸に飾っておられるようですが」

 そのようにA子は“他人”になったのだった。


―― 榎戸洋司『少年王』より

f:id:samepa:20170709170302j:image:w500

D


 一部で中だるみを感じるシーンはあったものの、基本的には水準以上の作品になっていておおむね楽しめていた……だけに、最後に「そりゃないだろう」となりました。ネタバレしてますので本編未見の方はご注意ください。


 だいたい楽しく観れていただけに、最後の「魔法なんていらない」には大変がっくりきた。

 スリリングでわくわくするアバンから始まり(『アリエッティ』でも思ったけど、米林監督は普通の冒険活劇をやらせると本当に上手い)、退屈な日常からガチャガチャした魔法大学へ行くところも素直なわくわくがあった(サンリオの『ユニコ 魔法の島へ』とか大好きなのでああいうガチャガチャした異空間に弱い)。大学内を見回るシーケンスについては一昔前の三文RPGかよというくらい段取りくさく退屈極まりなかったものの、動物実験など「魔法」が秘める負の側面もチラ見せさせ、不穏さの仕込みとしては悪くなかった。

 メアリの嘘がバレて大学側に拘束されてからは、魔法の極意が詰まったチート本を持っているわりにホウキに乗って飛ぶか「魔法無効化」の魔法しか使わないという地味さはあったものの、愉快な動物たちの活躍もあり退屈はしなかった。無効化魔法にしても発動時にギュルギュル回転する見た目はこれまであまり見たことがなく、なかなか新鮮だったし。それだけに、最後の人体実験をめぐるメアリと大学側の対立構造には納得がいかない。

 実験失敗時にメルトダウンを連想させる描写や、ひとの手に余るエネルギーへの警鐘が突然始まり(そういえばわざわざ「電気も魔法」というセリフまであった)、あれれ、そっちに行くの? と不安を煽られたところで畳み掛けられる「魔法なんていらない」というメアリのセリフ。いやちょっと待ってくださいよと。


 作中でメアリは自分のドジな性格や、周囲から奇異の目で見られがちな「赤毛」をコンプレックスにしており、これを手っ取り早く解決する装置として「魔法(≒変身魔法)」のモチーフが据えられている。しかし魔法界でおだてられ、増長しまくっていた描写を見れば明らかなように、実が伴わない魔法ではメアリの成長には繋がらない。つまり、安易な魔法には頼らないという意味で「いらない」というのであれば納得もいっていたのです。しかしこれまで魔法についてなんら学んでこなかった彼女に、突然クソデカ主語で「魔法」を全否定しほしくなかった。

 魔法大学側には一応それまで研究を積み重ねてきた歴史や、魔法によって大きなエネルギーを得ようという理想がある。こうした価値観ごと否定するには、作中での描写は一面的にすぎるように感じました。大学側の倫理観や実験プロセスは明らかに狂っていたので、順を追って、まずはそちらに対する批判をやってくれていれば納得しやすかったのかもしれません。ですが、運営を改善させようというアプローチも特に見られずいきなりの全否定。

 この辺は安易な反原発要素にしか見えなかったのですが、3.11を経た後で作られたとは思えない雑さを感じました。どうせやるならより共感が得られる描き方があったのでは。そもそもスタジオポノックではジブリからの技術継承をひとつのテーマにしているにもかかわらず、同じ技術の結晶である「魔法」をそんな無神経に否定してしまって良いんですかと。漫画版の『ナウシカ』は言うに及ばず、『風立ちぬ』でも「美しい飛行機が作りたいから」と自己矛盾しまくりなサイコパスをさらりと描いてみせた宮崎駿の偉大さをあらためて噛みしめてしまいます。

SYUSYU 2017/08/23 20:59 はじめまして。いつも拝見しております。

本作は絵は素晴らしいし、冒頭の掴みも素晴らしいし
メアリは可愛いしで僕も楽しめてたんですが、その台詞にはコケましたね…。
「想像力の魔法」であるアニメーションの作り手が、簡単に魔法全否定してしまって良いの?と

驚いたのは、こないだ放送が終わった「リトルウィッチアカデミア」とモチーフが似通ってて、

・大手スタジオから独立した新スタジオの第一回作品で、監督がアニメーター出身
・「赤毛の魔女」と「変身魔法」が話のカギ
・魔法学校が登場
・魔法でエネルギーを得るために道を踏み外した先生が悪役
・主人公が何の取り柄も無い女の子(ホウキでカエル飛びするシーンまである!)

これだけ共通点があるのに、最後の結末も主人公の目指す方向も正反対というのには
苦笑させられました。

2017-05-21

『夜明け告げるルーのうた』ネタバレ感想 情緒不安定の裏側

| 23:20 | 『夜明け告げるルーのうた』ネタバレ感想 情緒不安定の裏側を含むブックマーク

 2回観てきました。オープニングとラストのクライマックスがあまりに素晴らしい。

 作品内容がそうであるように主人公・カイが情緒不安定気味ですが、2回目でやっと感情の流れが多少整理できた気がします。「みんな - わたし - あなた」の距離感を、裏主人公ともいうべき遊歩の存在と合わせて考えると把握しやすいです。

f:id:samepa:20170521224124j:image:w500


 遊歩はバンドで「みんな」から注目を浴びたい女の子で、YouTubeで話題になったカイに憧憬のまなざしを送ります。一方カイは「みんな」からの注目にはあまり興味がないようで、どちらかというと特定個人(=「あなた」)からの愛情を欲している様子。また、カイは遊歩とは違い「好き」と素直に伝えることができない性格です。これは遊歩に「音楽が好きなんだよ」と言われても「ただの暇つぶし」と答える登校シーンや、「ルーのこと好き?」と聞かれて言いよどむ夜のブランコのシーンなどで分かる通りです。

f:id:samepa:20170521230338j:image:w500


 ただしカイは内向的な性格のわりに感情の起伏が激しく、鑑賞中に「『なぜ』気分が上向いた/落ち込んだのか」を見落とすと振り落とされやすくなります。作中で心情変化の大きなポイントとなるのは、ルーと二人きりで夜街を散策するシーンと、漁港でルーがライブに「参加したい」とバンドメンバーに伝えるシーン。

 既に指摘した通り、カイが一番ほしいのは特定個人(※作中の分かりやすい相手は「ルー」と「母親」。母親については後述)からの愛情なので、夜の街で過ごしたルーとの二人きりの時間は、彼に取ってかけがえのないものとなります。おかげで翌日、国夫のお寺に遊びにいったときはテンションが異様にアッパー気味となってました。逆に落ち込むシーンも露骨で、それはルーが「みんな」に見てもらえるライブに自分も出たいと、セイレーンのメンバーに伝える場面。カイはここで、「みんな」に対しある種の嫉妬を覚え、ルーに裏切られたような気持ちになったように見えました。カイがスマホを海に捨てるのは、またルーに届けてもらいたい、という気持ちの裏返しのようにも見えて、ちょっぴり微笑ましかったです。

 カイが精神的にふさぎがちになるのと平行して、遊歩のルーに対する嫉妬も描かれます。ルーはたちまち「みんな」の人気者になってしまうため、脚光を奪われた形の遊歩は面白くありません。遊歩が構ってちゃん的なツイートと共にスマホを捨てたことが発端となり、クライマックスに向けたルーをめぐる騒動が勃発します。

f:id:samepa:20170521230339j:image:w500


 ルーは一貫して「カイ」も「遊歩」も「みんな大好き」なので、最終的にカイと遊歩はルーに謝り、仲直りをします。そしてカイはクライマックスの歌を歌いきり、ルーの元に駆け寄りながら「みんなルーのことが大好きだよ」と前置いた上で、「自分がルーのことを好き」であることを、今度こそちゃんと伝えるのです。また、カイが歌を歌うシーンでは、ルーの顔がカイの母親とダブるカットがあります。母親はダンサーとしての人生を選び「出ていった」とされており、カイにしてみればルー同様、カイ個人よりも「みんな」に認められることを優先したんだという思いがあったのかもしれません。

 カイはルーとの交流を通して「みんな - わたし - あなた」の関係が共存できるものと受け止められたので、最後に母親に返信の手紙が書けたのではないかと思います。カイの母親をめぐる葛藤については、作品冒頭で未開封の手紙を大量に保管しているシーンを見過ごしてしまうと、一気に分かりづらくなるので要注意ポイントです。


 と、2回目の鑑賞はそんなところを意識しながら見てましたが、結局一番好きなのはメタモルな絵だったり、おじいちゃんが傘を持って駆け付けるぐうカッコ良くて泣けるシーンだったりします。最後におじいちゃんの遺影が出てきますが、海に飛び込んで、タコ婆同様人魚になってしまったんですかね。その他気になった点では、主要登場人物の母親が一切出てこないところとかでしょうか。あとオープニングが音楽含めて本当に最高なので、はやくサントラが欲しいです。

2017-02-26

『龍の歯医者』前後編感想 龍と歯医者って感じじゃなくて

| 01:39 | 『龍の歯医者』前後編感想 龍と歯医者って感じじゃなくてを含むブックマーク

 BSプレミアムで放送された『龍の歯医者』。人間の力ではどうにもならないように見える超自然現象を前に、それでもやりたいこととやるべきことをやろうともがく登場人物たちに胸打たれました。舞城王太郎原案ですが、共同脚本の榎戸洋司作品の「いつか訪れるであろう死。それまでにやるべきことをやる。その想いの強さが力になる(『キャプテン・アース』25話)」というテーマからの直系という印象を持ちました。しかしそれ以前に、クライマックスが単純に映像として美しすぎた。

f:id:samepa:20170226233324j:image:w500

 柴名の言葉に、「生きている以上、いつも何事かを決めるんだよ。食うのか食わないのか。戦うか。それとも死んじまうか」というものがありました。ベルは最後にはっきりと、「龍の歯医者にはならない」という決断をして、自分の足でブランコのもとに向かいます。ベルは結果的に“親知らず”の盗難を防ぎ、龍と龍の歯医者たちを守ったことになりますが、本人にその自覚はないようでした。龍がベルを“黄泉帰り”として選んだ理由は、“親知らず”を守ってもらうためだったかもしれない。でもベルはそんな龍の都合とはまったく関係なく、もう一度生かされた理由に納得し、野ノ子への感謝の言葉を胸に死んでいきました。

 そしてベルの死とは無関係に、虫歯菌の暴走も止まる。ベルの「血液とは違う何かが僕の胸を満たしていく」というモノローグに乗せて、肺の毛細血管のように広がった虫歯菌が白く変化していく映像がただただ美しいと感じました。個人の関与の有無にかかわらず世界には輝くものが存在していて、世界の都合とは関係なく個人の幸せも存在している。そんな映像を見せられているような気がしました。

 

f:id:samepa:20170226233325j:image:w500

 榎戸作品では『トップ2』の宇宙怪獣(幼児的万能感を持ったまま成長してしまった者)、『スタードライバー』のヘッド(楽しかった過去を永遠に繰り返したい人)、『キャプテン・アース』の遊星歯車装置(永遠の命を求めるあまりエゴが肥大した人たち)と、際限なく膨張する欲望批判的(必ずしもすべてを悪と断ずるわけではない)な視点で描かれてきた経緯があります。他方で、懸命に生きる日々の一瞬にこそ「永遠」が宿ることも描かれてきた。“キタルキワ”を受け入れ、その上で今日を生きようとする龍の歯医者は、過去作で描かれた「限られた生の中でやるべきことをやる」という生き方をあらかじめ体現した人たちだと言えます。

 ベルは死の間際、野ノ子に、かつて見た気高く美しかった馬の姿を重ねます。ベルは作中で、ほぼ一貫して「野ノ子を助ける」ことを行動原理としていました。それに対し、野ノ子はひたすら龍の事を第一に考えていた。前編のクライマックスシーンでも、ベルは野ノ子の“手”を掴もうとしますが、野ノ子は龍の歯をつなぎとめるため“縄”をベルに渡そうとしていました。

f:id:samepa:20170226233326j:image:w500

f:id:samepa:20170226233327j:image:w500

 こうした野ノ子の奉仕の姿勢は、龍との主従から来るものというよりも、龍を拡張された自己の一部と認識していることから来るもののように見えました。龍と歯医者って感じじゃなくて、両方揃ってて龍の歯医者なんです。ベルは野ノ子に対して、 “キタルキワ”を回避しようとしないことに対する憤りはともかく、誠実に今を生きる姿を美しいと感じたのだと思います。

 

f:id:samepa:20170403003558j:image:w500

「例えば、自分の右手を見て『自分と右手』とは考えない。

右手は自分の一部で、あって当たり前。僕と銃って感じじゃなくて、僕と銃は両方揃ってて僕なんだ」(『キャプテン・アース』23話)

 

 ところで、『龍の歯医者』はベルの拳銃をめぐる物語でもあります。ベルは初めて死んだ際にブランコに銃を奪われ、それがブランコの死後に階段を転がり、ベルの手元に戻ってきます。最後に歯から出てきた遺品の山からベルの拳銃が見つかるのは、ベルが歯の中に還ったことを示唆した演出でしょうか。拳銃が有栖川にポイっと捨てられてしまうのは儚くもあり、しかしベルの生きた証がしっかりと世界に記憶されているような感じもして、なんだか嬉しかったり。それにカヲル君の「魂が消えても、願いと呪いはこの世界に残る。意志は情報として世界を伝い、変えていく。いつか自分自身の事も書き換えていくんだ」という言葉を思い出したりもしました。

f:id:samepa:20170226235039j:image:w500

 実は後編のアバンで登場する女性は、卓上の資料から“花垣ヤヅカ王ペトワムサ(龍の歯医者の住処)”の調査をしていることが示されていて、そこにベルの拳銃の写真も確認できます。あの拳銃がその後どのような運命を辿ったのかについても、想像を掻き立てられます。調査をしている女性が野ノ子とベルの外見的特徴を併せ持った造形になっているのもにくい演出ですね。

f:id:samepa:20170226235105j:image:w500

 

 この他にもスローモーションで走る野ノ子の姿は、スローでジャンプしていた馬のシーンと意図的に重ねた演出だったのだろうか? とか、走る野ノ子が『I Can Friday By Day!』のスローモーションで走る少女と重なって見えたとか。柴名姉さんが歯に侵入するポーズが『ヱヴァ破』でシンジが綾波を救い出すため使徒のコアに侵入しようとするシーンに似ていたり*1。野ノ子が歯を射し込むシーンは、彼女が歯の中から出てきたシーンと対のようになっていたり。一秒も気の抜けない映像が90分間続くことがただただ素晴らしかったです。考えてみれば、鶴巻さんによるオリジナル新作で90分尺の単独監督作品は今回が初ですし、そこも新鮮でした。

f:id:samepa:20170226235106j:image:w500

f:id:samepa:20170226235107j:image:w500

 放送前にいろいろあった清水富美加も、蓋を開けてみると大変にはまり役で、仮に何らかの形で続編が作られる際にはぜひ再度野ノ子役を演じてほしいと思えるお芝居でした。騒動があってからは宣伝で大きく名前が取り上げられることは無かったようですが、本編放送中にスタジオカラー公式Twitterが清水さんに対する好意的なツイートをしていたのも嬉しかった。また、3月後半には解説番組「同トレス」も放送される予定のよう。裏話がばんばん明かされることに期待したいところです。

 

【追記】解説ニコ生「同トレス」は3月29日に放送されました。鶴巻監督や、脚本の榎戸さんなどが出演。作品に込められたテーマや裏設定、庵野さんの裏話など期待以上の内容でした。5月7日までニコ生タイムシフトで見ることができます。

 → ニコニコ生放送 『龍の歯医者』同トレス タイムシフト

 4月2日現在、一部環境で途中の映像がチラつく不具合が出ていますが、問題解消に向けて番組側がニコニコ運営に問い合わせ中。 →復旧済みです。

*1私的な理由で周囲に破滅的被害をもたらすという点でも共通してますね。『Q』でのシンジと違い、その後、柴名姉さんが比較的暖かく迎えられているのは興味深い。

ようよう 2017/02/28 21:33 バックグラウンドも含めた素晴らしい感想・考察でした。なるほどーと思ってしまった。

通りすがりさん通りすがりさん 2017/03/05 13:02 こんなに深く感想を書かれている方がいて驚きです。
参考になります。ありがとうございます。
凄い映像美でしたよね。後半は今見ても泣けてきます。

野ノ子のキタルキワに出てくる金髪の少年。
最期助かったシーンではその時出来たばかりの顔のキズみたいだったから、野ノ子のキタルキワはもう少し先のお話になるのか、いやベルの行動が龍や人々の運命を変えたのか。結末まで描かれていない故、想像力をかき立てます。

とても魅力的なキャラクターがいっぱいで、個人的に超鈍感な有栖川が良かった。見つけた銃を無造作に放り投げるのは彼女にしか出来ない役かと。

どういう経緯で歯抜けになったか知りませんが、ブランコが龍に対して抱く感情は自分の歯に対するコンプレックスだったりとかな、もう想像してるだけで。

龍のディティールもいいしあの重量感描写がたまらない。NHK出版から設定集とか出ないのかなぁ。

まちやまちや 2017/03/20 23:47 素晴らしい感想、考察ありがとうございました。そうしたページをいくつか拝見しましたが、貴方様のが一番しっくり来ました。響きました。

taida5656taida5656 2017/03/30 21:14 榎戸洋司作品の文脈で書かれた考察は自分に無い視点でとても楽しめました。「キャプテンアース」は途中で視聴を止めてしまいましたが、さめぱさんの記事を読んで興味を持ったので今度見てみたいと思います。「龍の歯医者」はブランコに奪われたベルの拳銃がブランコの死後にベルの手元に戻るという拳銃を巡る話の他にも、虫歯菌から得られた石が虫歯菌を退治する薬になる事や、兵士の殺意が育てた殺戮虫が兵士を殺して新たな殺意を生む事などあらゆるものが循環する世界観が印象に残りました。

ひらっぺひらっぺ 2017/05/13 02:20 はじめまして。深い考察とても参考になります。エヴァに似た謎の多い作品で、一度見ただけでは難解で理解できないところが多いのですが、私が気になったのは野ノ子とベル、悟堂と柴名、ブランコと歯医者たちの対比であり、特にブランコの存在が気になります。
野ノ子を初めとする歯医者たちは、自らの運命を受け入れることが出来る者であるゆえに黄泉帰り、時が来るまで生かされる存在です。一方でブランコも死ぬときは死ぬのだと自分の運命を受け入れているからこそ戦場であれほど大胆に振る舞う事が出来る者。両者は同じ様に死を受け入れるけれど、歯医者たちは平凡な人生に喜びと使命を見出していくのに対し、ブランコは自我をさらけ出し、ある意味で己の命を限りなく燃焼させようとする。この対比は悟堂と柴名、野ノ子とベルの関係にも共通しています。そしてどちらが正しいのかという点については作者は何も語っていない。歯医者たちに使命があるというなら、ブランコにも使命があったのでは無いでしょうか。もちろん他人の命を奪ってでも、というのは許せないことですが。
 どのようにお感じになりましたか?

samepasamepa 2017/05/14 00:21 ひらっぺさん

はじめまして。ブランコは松尾さんの声の力もあって、とても魅力的なキャラクターですよね。ブランコは歯医者たちと同様、生命に対して達観した見方を持っていて、歯医者の対存在として配置されている印象が強いです。他方で、彼が作中で死ぬときのうろたえようは歯医者とは大違いでした。

>死ぬときは死ぬのだと自分の運命を受け入れている
実は初見時に、僕もこのように感じていたのですが、繰り返し観るうちに考えが変わってきまして。ブランコは「ここでは死なない」という思考が肥大化してしまい、いつしか「自分は死なない=不死身である」と、どこか本気で信じ込んでいたのではないかと。
先日まで視聴可能だったスタッフニコ生にて、脚本の榎戸さんがお気に入りキャラとしてブランコを挙げておりまして。そこでのキャラ解説で、「ブランコは自分が一番死なないラッキーな人間であるところにアイデンティティを持っていて、死んで生き返ったベルは自分以上に幸運なので憎しみの対象となっている」と説明していました。
「飛びぬけた幸運」という才能を持っていたとして、それを活かして「何をするか」が大切だと思うのですが、ブランコにはそれが見えておらず、幸運そのものをアイデンティティにしてしまっている。そういう点で榎戸作品に頻出する「残念な大人」(鳳暁生、ツナシトキオ等々)の系譜のキャラという気がして、なかなか愛おしいです。

Twitterでも指摘している人が数名いますが、ブランコのキャラ造形を考える上で「Comic 新現実 Vol.3」(https://www.amazon.co.jp/dp/4048538071)に収録されている榎戸さんのインタビュー(p.217部分)が大変参考になるので、ご興味があればぜひ読んでみてください。2005年のインタビューですが、「世界で一番足が速いことをアイデンティティにしてしまった人」の例が語られていて、ブランコ像の雛型がこの時点で存在していたのかと驚きます。

ひらっぺひらっぺ 2017/05/15 01:25 samepaさま
 丁寧なご回答ありがとうございます。なるほど、榎戸さんの解説やインタビューでそのあたりが明らかになるのですね。「自分が死なないラッキーな人間であるところにアイデンティティを持つ」、そんな人間が実在するとしたら驚きではありますが、自分は死なないと思える傲慢さが、自らの死期を知っている歯医者たちとの対比で描かれているという気もしてきます。
 私には歯医者たちは幸せな人生を送る可能性の高い人たちだと思える一方で、「与えられた人生を送る人たちである」という印象も抱きます。それが柴名などにとってはとても歯がゆいことであり、歯医者たちを裏切り非難を浴びようとも、自分の思い人に今一度会うための行動に走らせます。そのような行き方を評して悟堂は「勇敢だ」と言っており、それは相いれない者への皮肉ではありますが。否定する言葉ではありません。その柴名と類似点を持つ生き方をする者としてブランコが描かれているとすれば、彼の生き方もまた否定しきれないものだと考えられないでしょうか。何よりも彼は「親不知」を金に換えようとはしなかった訳であり、そこに何がしかの彼なりの生き方を感じてしまう事は果たして間違いなのかな、と思えてきます。
 あくまでも私の第一印象に過ぎないので、samepaさんのご紹介のインタビューなども拝見したうえで、物語をもう一度見直して見たいと思っています。有難うございました。

2016-09-25

『レッドタートル』の安直な感想 人生という冒険は続く

| 03:16 | 『レッドタートル』の安直な感想 人生という冒険は続くを含むブックマーク

 『レッドタートル ある島の物語』を見てきました。予告編がネタバレに配慮した内容となっているので、作中のある出来事にとても驚きました。そこを起点にストーリーが一気に把握できた気がして、アハ体験的な気持ちよさがあった。あと蟹が可愛かった。

 以下ネタバレ感想になります。

D

 

 上で「ある出来事」に驚いたと書きましたが、正確には2つありました。まず「赤い亀」が人間の女性に姿を変えたこと。次に主人公に子供ができたことです。

 序盤で主人公が作るイカダがことごとく海の藻屑となるシーンで、あまりの理不尽さにイライラしました。しかし後に、それが赤い亀の仕業だったことがわかります*1。この段階で、「赤い亀」は「社会」を象徴したものだと解釈しました。

 やっとの思いで作った船を容赦なく破壊する憎たらしい赤い亀。しかし亀は、その後世話をされる内になぜか人間の女性へと変貌します。そして二人の間に子供が生まれます。ここまで見て、「赤い亀」が「社会」ではなく「他者」の比喩だったのだと、解釈を改めました。「社会」はむしろ「海」の方だった。

f:id:samepa:20160926022453j:image:w500

 

f:id:samepa:20160926022454j:image:w500

「ザメク本体が放つ王の柱に自ら飛び込んでくるとは、愚かな若者よ……

一面の青い闇の中で 自分の居場所も 進む方向も分からぬまま砕け散るがいい!」←要は『スタードライバー輝きのタクト』最終話にあったこれですね。思えば『スタドラ』も島に流れ着いた主人公のお話だった。

 

レッドタートル』が実質『スタドラ』であることを裏付ける証拠の数々

f:id:samepa:20160926024231j:image:w500

 

f:id:samepa:20160926024232j:image:w500

 

f:id:samepa:20160926024230j:image:w500

 

D

※『スタドラ』は現在dアニメストアにてテレビ版と劇場版が共に配信中。手軽に見れるので見てない人は是非見ましょう。

 

 つまり、映画の最初で主人公がボートに乗っていたのは、彼の人生において学校を卒業して会社に就職したあたり。しかし就職した先(あの島)は夢抱いていた仕事とは程遠く、孤独な日々を過ごすことになります。そして「もっと良い場所があるはずだ!」と、大したイカダも作れないのに、現実を直視できずに旅立とうとしてしまう。もしかしたらイカダは赤い亀が壊していたのではなく、主人公が認知できない社会の荒波に潰されていただけかもしれません*2。あるいは本当に赤い亀が壊していたのだとしても、「俺、会社をやめてHIPHOPで食っていこうと思うんだ!」と、ボロボロのイカダで無謀な旅に出ようとする主人公を、憎まれ役になる覚悟で止めてくれただけだったのかも。

f:id:samepa:20160926022455j:image:w500

 

 赤い亀の優しさが分からず、主人公は木片で赤い亀の頭を思い切り殴ってしまいます。ハリネズミのジレンマ、つまりATフィールドということです。ちなみに本作と同時期に触れた『怒り』や『聲の形』もATフィールドの話だったので、世の中の物語はだいたいエヴァンゲリオンに分類できます。……閑話休題

 結局主人公は海の向こうへの夢に見切りをつけて、あの島で生涯を終える道を選びます。家族と暮らす日々に幸せも感じていたようですが、死ぬ間際に水平線の向こうを見ていたのは、息子のことを案じたのか、あるいは自分にあり得たかもしれない他の人生に思いを馳せていたのか……。個人的には半々くらいだったのではと思います。

 

 赤い亀には「泳ぎが得意」という特技がありました。特技は子供に引き継がれ、子供はそれを活かして島の外へと旅立っていきました。「泳ぎが得意」というのは「専門職の資格」「絵や音楽の才能」「語学力」など、適当に解釈するとしっくりきます。つまり、「海=社会」を渡り歩く武器です。赤い亀だった女性は、最後に亀の姿に戻り、海へと帰っていきます。あれは結婚したことで家族のサポートや専業主婦の道を選んだ女性が、夫との死別をきっかけに再就職先を探しにいく姿……と考えるとあまり夢が無いですね。じゃあ、例え主人公が死んでも、いつの時代も社会には「他者」は存在していて、同時に様々な可能性も広がっている。とかそんな意味でしょうか。あのラストを見て、そんなことを感じました。

*1:本当に亀が壊していたのか? という疑問は残りましたが。

*2:10月6日追記:先日再度観てきましたが、やはりイカダに直接的に攻撃を加えるカットはひとつもありませんでした。赤い亀はただ主人公を見つめていただけ。 赤い亀が明確にイカダに体当たりする描写ってありましたっけ?

Connection: close