細田守『アッコちゃん』14話感想+『ウテナ』&『ホスト部』っぽい演出について

1998年に制作された『ひみつのアッコちゃん(第3期)』の14話がテレビで放送されていたので観た。
皆大好き細田守の演出回である。

備考:自作を語る『ひみつのアッコちゃん』 「わたしの好きなアッコ」細田守
  WEBアニメスタイル_特別企画
 
■本編は105円で配信されてるので気になった方は是非
  http://shop.anime-bb.com/anime/_item/item023608_0000.htm



チカ子は噂話が大好きで、「皆が聞いてくれる話をなんとかして仕入れてこなくっちゃ」と言って徹夜でネタ探しをしてしまうような女の子。言わば凄いかまってちゃん。
とにかく皆に自分の話を聞いてもらいたいという欲求に突き動かされている。その際話のネタとなるのは、基本的には誰かの噂話で、噂話の当事者からしてみれば迷惑この上ない。劇中では事実誤認の噂話により、当事者が不利益を被る場面が何度か登場する。結果、周囲の人々は「チカ子の話は一切聞かないようにしよう」と結託し、チカ子を遠ざけようとする。
主人公のアッコは魔法を駆使してチカ子を孤立させまいと奮闘する。しかし彼女の行動は果たして本当にチカ子のためになっているのか。皆をチカ子の話に振り向かせるため、アッコはチカ子の姿に変身し、周囲に「良い噂話」(例:◯◯君が困っているおばあちゃんを助けていた)を広めようとする。チカ子が「良い噂話」=皆の利益に繋がるような話をする女の子だと周囲に印象づけることで、彼女を孤立から救おうとするのだ。
しかしこれでは問題の根本的解決にはならない。どう考えても問題は周囲にではなく、なりふり構わぬかまってちゃんなチカ子にあるためだ。皆の考えを改めようとする前に、チカ子の行動を正そうとするのが自然な流れのはずだ。
 
だがアッコの努力の甲斐あり、最終的にチカ子は考えを改め、成長する。ところがそこで斬新に感じたのが、アッコが最後まで上記のような自身のトンチンカンな行動に気づいていない点だ。さらに印象的だったのが、ラストカットとして映し出されるのがチカ子の成長した姿ではなく、チカ子が周囲に受け入れられたのを見届けて感動の涙を流すアッコだった点だ。

■感動の涙を流すアッコ


※ワニに変身したアッコ

それも、「チカ子の成長」を見て流された涙ではない。単純に当初の目的通り、「チカ子が周囲と和解した」ため、涙しているのだ。
本来、チカ子にとって本当に重要なのはこれからのはずである。もしも彼女の成長が本物であれば、これからは皆の役に立つようなネタを率先して探すようになる……かは分からないが、少なくともこれまでよりは自己満足(話を聞いてもらうこと)に走りすぎず、もっと他者との関係性を考えた行動を心がけるようになるはずだ。そうした人間性を獲得できたのだと確信して涙を流すのであれば、なるほどそれは素直に感動的だ。しかしアッコがそのような確信を得るためには、前提として「チカ子の考えを改めさせようとしていた」というアプローチが不可欠だ。そして、本編のアッコにはこの部分が見事に欠落している。
ではアッコが問題の本質に気付いていなかったからといって、物語のラストが感動的でなかったかというと、そんなことはない。アッコのボタンの掛け違いのような行動は終始一貫しているが、しかしチカ子が結果として成長してしまったことは事実だ。少なくともそれは、視聴者にだけはハッキリと分かる形で描かれている。

■チカ子の笑顔

※チカ子の「アッコの家に巨大なワニがいる」という根拠が曖昧な噂話が、アッコの魔法により現実になり、チカ子は周囲から「おかげで良いものが見れた」と感謝される。それまでは「自分の話を聞いてもらうため」という自己満足が目的だったのに、ここではじめて皆の役に立つ喜びを知る。

アッコは最後までチカ子の笑顔に気づくことはないが、あの笑顔は、紛れもなくアッコの善意がきっかけで生み出されたものだ。アホの子アッコのいじらしさは(結果的には)実を結び、チカ子の成長に繋がった。このコンボにやられて、最後についニンマリとしてしまった。
 
アッコの空回りを「ボタンの掛け違い」と表現したが、思うに細田演出はすれ違う人間関係を描かせたら天下一だ。これはこの前観た『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』でも感じたことだが、細田の人間観に由来しているのではないかと思う。相手と100%分かり合うことはできないけれど、それをことさらネガティブには描かないというスタンス。分かり合えない部分をコミカルに描きつつ、それが結果的に良い化学反応を生むというポジティブな感じ。

こないだ書いた感想
『おおかみこども』に備えて先月観た『ウォーゲーム』感想 - さめたパスタとぬるいコーラ

 
昨晩、『アッコちゃん』細田回が放送される前に、細田監督のミニインタビューが流れた。本エントリーの最初に挙げたアニメスタイルの記事や、昨晩のインタビューを見るに、作中のアッコちゃんのどこかズレた行動は計算の上で描写されていたものであることが分かる。

昨晩のインタビューでは、細田監督はこのエピソードをキャリアのターニングポイントだったと振り返っており、はじめて主人公の行動力というかバイタリティを物語の面白さと重ねることができた気がする。空回りしても、行動しちゃって後で失敗しても、ガムシャラに行動する。それがバカかもしれないけど、結果的に遠い所で誰かの役に立ってるかもしれない。そういう人物をはじめて掴んだ時に、後々になって映画を作る際にとても活かされた。表現を工夫してきたことの発展系というのが今の作品『おおかみこどもの雨と雪』に繋がってるんじゃないかな。と語っていた。

「所詮他人とは分かり合えない」というクールな部分と、「他者との関わりあいの中で結果的には良い結果が生まれるのではないか」というポジティブな部分。細田守にはこうした一見相反するような二つの要素が混在する変な作家だという印象がますます強くなった。
 
 
こっから少し余談。
のっけから花がくるくる回っていて笑った。反射的に『ウテナ』の薔薇を連想してしまうのだが。


『アッコちゃん』の劇中で何度か回転する花が登場したが、出現するタイミングは主にチカ子が噂に使えそうなネタを発見したとき。
たまたま前日に『桜蘭高校ホスト部』の1話を観ていたので、そちらの「電球の演出」も連想せずにはいられなかった。あちらはホスト部の部員がハルヒが男であると気づく度に電球が一つずつ灯されて行くという演出だった。

 
……というか、多分電球の前に、『ウテナ』の30話なんだな。
ウテナが鳳暁生にたぶらかされて恋心が芽生えるシーン。

こちらではウテナの心がグラっと来る度にロウソクが一本ずつ吹き消されて行く。この演出にもさらに何か直接の元ネタとなるような作品があるのだろうか。
ちなみにこの話ではちゃんと(?)薔薇が画面端でくるくる回っている場面もある。

 
ウテナ』30話と『ホスト部』1話の共通項はコンテが五十嵐卓哉である点。
作品を発表された時系列順に並べると「『ウテナ』(1997)→『アッコちゃん』(1998)→『ホスト部』(2006)」となる。
ウテナ』の演出陣が相互に影響し合っていたというのは有名な話だが、そこで培われたであろうものが後の作品で活かされていったのをこうして改めて並べてみるとなんだか嬉しくなる。
 
ちなみに『アッコちゃん』14話冒頭はOP明けからいきなりこのような一連のカットで構成されている。







この時点で「うあ、なんか始まった」という気にさせられた。
やはり細田コンテの飛び道具っぷりはやばい。