■北国西街道シリーズ



先週は北国西街道の稲荷山宿に足をのばしたが、よく調べるとなんのことはない私が住んでいる村井も、
同じ北国西街道-別名善光寺街道の宿場であった。そうそう、駅前通りを本屋の角で左折すると街道のにおいが結構残っている。
北国西街道は中山道洗馬(せば)の宿に追分の分岐点があり、郷原−村井−岡田と善光寺まで続いている。
これはひとつ歩いて見るかな・・・なんて無謀な気持ちになったところで、今日は洗馬へ行ってみた。
洗馬-せば-は最近熊がよくでるとニュースになっている。いきつけの散髪屋のおじさんは(松本弁まるだしの、私にとっては言語学の先生であるが、)この間、用事で洗馬に行ったところ、警察や猟友会が大挙出動して熊が出没していた辺りを探していたという。
「あのあたりじゃああ、よく出るだじぃ」  なるほど・・・では出動である。
とは言っても、洗馬は隣の塩尻市内、塩尻駅の結構近くである。そんなところに熊が出るかねえ。
せっかくであるから、国道19号線を広丘駅近くで右折し、北国西街道に入り郷原を通り洗馬に向かった。郷原も昨年自転車で訪問したが切妻部分を街道に向けた本棟造りが並ぶ有名な宿場町である。郷原を過ぎるとまもなく、洗馬の追分に出た。

右が中仙道、左が北国西街道、善光寺への道だ。こういう分岐点を「追分(おいわけ)」といい、日本中いたるところにある。こんな処の茶屋で出したのが追分だんごという具合である。洗馬駅前に駐車し、一時間ばかり付近を探索した。宿場町のニオイはかすかに残っている。(TOPの写真は街道沿いの万福寺山門)

街道の西側は奈良井川にむかってかなりの急勾配であった。降りていくとここにもいい田舎が隠れていた。成る程、熊はこのあたりに出没するのか・・・
川は美しくしばしこの空気を楽しむ。途中、頭上を影が通過し、ハッとしたが、低空飛行のトンビであった。

遠回りして街道のある高台に登ると、追分より随分北に出てしまった。これもまたよしと駅に向かい出すと、木曾義仲の伝説がある「あふたの清水」入口の標識があった。この水で馬の足を洗ったところ、馬の病が癒えて、挙兵に参加出来たらしい。洗馬の地名もそこからついたらしい。

喉が渇いていたこともあり、水はとてもおいしかった。

駅に戻り、疲れもあることからこのまま帰ろうかとも思ったが、付録にと本山まで足を延ばした。本山は洗馬のひとつ京都寄りの中仙道宿場であり、そば切り発祥の地と伝えられている地だ。
19号をわずかに走っただけで、本山に出ることが出来た。道は洗馬同様に広く、洗馬以上に宿場町の雰囲気を残している。そうした残滓は時とともに減少してきたのだろうし、これからも減っていくことだろうが、なくなることはないだろう。

奈良井宿にくらべると物足りないが、観光客がほとんどいないというプラスもある。本山そばの里で盛り800円を食して帰路についた。