ゾンビ、カンフー、ロックンロール このページをアンテナに追加

2018-03-24

入院中に観たDVD 入院中に観たDVDを含むブックマーク

大病に罹り入院するハメになった。

しばらくは寝たきりになるのは解っていたのでポータブルDVDプレイヤーを購入。持って行くDVDは過去に買ったはイイけど観ていない“積DVD”。強制的な退屈の中で、イヤでも“積”を消化しようという目論見だ。

あてがわれたベッドは窓際で針葉樹の木立に小鳥が休んでいるような好立地。そんな光景が広がる中、痛み止めを注入してもらい、ベッドに横たわって古い映画を観ていると、一足飛びに老後へ突入したような感覚になった。

たぶん、多くの宗教信者想像する「天国」とはこういう場所・状況なのだろう。だったら私は地獄へ行きたい。まぁ、最初から天国は迎え入れてくれないだろうけど。しかし、地獄へ行くとなると信心しているスパゲティモンスター教の地獄になるワケだが。

大いなる幻影

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1949年制作のジャン・ルノワール監督作。第一次大戦中、収容所から脱走しスイスへ逃げたフランス人と、彼を助ける戦争未亡人の交流。

黒沢清監督自作タイトル引用しているので、どれほど深遠なものなのかと思っていたのだが、ささやかな生命賛歌のような作品だった。近年の作家で言うとラッセ・ハルストレムみたいな、ちょっとした日常機微テーマにしている感じ。

ゲームの規則

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1939年制作の、これもジャン・ルノワール監督作。飛行機での単独大西洋横断を成し遂げた冒険家上流階級女性に恋をして、彼女の出席する社交界パーティに参加したことから巻き起こる艶笑話。

こっちは、ほぼドリフ。どれほど深刻な状況でも鷹揚にやりすごすのがルノワールっぽい。人々がウワサ話をしながら個々の客間へ入っていく様子を廊下から撮ったり、嫉妬に狂った森番がパーティ会場で猟銃を振り回すなど、ドタバタ喜劇の原型のような場面が見られる。

脱出

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1944年ハワード・ホークス監督作の方。カリブ海マルティニーク島を舞台に、はすっぱな女性マッチョな男のメロドラマが描かれる。『カサブランカ』的な舞台設定は当時の流行りだったのだろうか? ハンフリー・ボガートローレン・バコールの華やかさの間持ちの良さよ。

『ギルダ』

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1946年映画。アルゼンチン、ブエノスアイレスを舞台にはすっぱな女性マッチョな男のメロドラマ、というコレもまた『カサブランカ』的な設定。なんだけど「好き」だという感情ストレート表現しない者同士の歪な恋愛模様として見るのが正しいだろう。好き合っているのに意地の悪いことしかしない2人。

ショーシャンクの空に原作タイトル刑務所のリタ・ヘイワース」は本作のリタ・ヘイワースのこと。壁の穴を隠すポスターが『ギルダ』のリタ・ヘイワースから恐竜100万年』のラクウェル・ウェルチになっていたと描写して1946年から1966年まで穴を掘っていたことを表している。

ビッグ・コンボ

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家人提供1955年制作。ギャングボス逮捕しようと躍起になる刑事が、ボス情婦に惹かれてしまう、いわゆるフィルム・ノワール。このジャンルはほとんど観ていなかったので、馴染みの無い文法で進むのが自分にとって新鮮だった。飛行場倉庫での場面がアレックス・コックス『レポマン』の、とある場面の元ネタだそうな。

口紅殺人事件』

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家人提供1956年制作のフリッツ・ラング監督作。殺害現場口紅で「ママに聞いてくれ!」のメッセージを残すマザコン連続強姦殺人魔をめぐり、新聞社内の権力争いが行われる。

メインになるのは権力闘争劇なのだが、それにしては強姦殺人魔のネットリとしたキャラが立ちすぎなのが異彩を放つ。

『泳ぐひと』

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家人提供。高級住宅街、庭にあるプールを泳ぎ繋いで自宅まで帰る、というバカバカしい計画を実行する男を描く。最初のうちこそバカバカしい計画のバカバカしい楽しさがあるが、途中で出会う人々の反応の変化に、次第に寒々しい気持ちになっていく。凋落していく人をじっとり眺めるような気持ち

妖刀 斬首剣』

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家人提供1985年制作。『チャイニーズ・ゴーストストーリー』『レディ・ウェポン』のチン・シウトン監督作品中国武術vsニッポン武士道の対決。とはいえ、武術を極める2人と彼らの強さを利用しようとする周囲という対立構造でいわゆる抗日作品にはなっていない。なますに切られた忍者最後はとうとう首だけになりつつも「キサマにトドメを刺させるものか!」と爆発する場面で爆笑

チャウ・シンチーの熱血弁護士』

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家人提供1992年制作。今は無きシアターNでのDVD化記念上映のチケット瞬殺で見れなかったのは悔しい思い出。ジョニー・トーチャウ・シンチーがタッグを組んだ作品。弁護士として口のうまさで成り上がったものの、奥さんの勧めで引退を決意する。しかし、決意させた当の奥さんがお茶屋でワケあり女性を助けたことで、復帰を余儀なくされる。

コメディに振った時のジョニー・トー作品らしい問答無用の楽しさに加え、チャウ・シンチーのスカし芸が光る。奥さん役がアニタ・ムイなので、マッチの顔が浮かんでしまう。

死刑執行おだぶつTV

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ナマニクさんのお見舞い品。死刑囚に死を賭けたゲームをさせて失敗したらその場で死刑執行するTV番組のホストと、人権団体代表共闘せざるをえなくなる。という設定70点、出来55点くらいな赤点ギリで免れた感なB級作品

ナマニクさんはこのお見舞い品を新宿ビデオマーケットさんで購入。経済のサイクルの輪が半径1メートル以内に収まっている! 

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2017-12-26

神話の終わり、民話の始まりスター・ウォーズ 最後ジェダイ神話の終わり、民話の始まり『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』を含むブックマーク

ネタバレが多いので、まだ未見なら以下は読まずに、まずは劇場で何があったのか確かめて欲しい。

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スター・ウォーズ 最後ジェダイ映画が始まってすぐ。基地から撤退途中の反乱軍ファーストオーダーに強襲される。ポーダメロンの機転により攻撃空母ドレッドノート主要砲台はツブされ上から攻撃には対応出来なくなる。ここでレイア将軍から撤退の令が出るがポーは無視し、爆撃機を出動させる。しかし、ファーストオーダーも大量のタイファイター迎撃に出る。

反乱軍爆撃機パイロットペイジティコは、迎撃手も爆弾投下係も死んで、爆撃機にたった一人残されてしまう。ペイジ自分自身爆弾投下ボタンを押し、ドレッドノートを沈めるのだが自身もその爆炎を受けて死んでいく。

いままでのスター・ウォーズ(以下SW)でも一兵卒の死は描かれてはいたが、ここまで叙情豊かに描いたのはep6でのイウォークの死を慈しむ仲間の描写以来か。しかも今回はスローモーションまで使い観客に彼女の死を強く印象付けている。ここまでの「一兵卒の死」描写はSW映画史においては初だと言って良いだろう。

これは妹であるローズティコが脱出ポッド前で見せる感情に観客を共感させるためとポーの無謀さを印象付ける演出だが、このペイジの死に紐付けられた描写が「最後ジェダイ」全体の方向性を決定付けている。

神話時代

そもそもSWは古い連続劇映画の再興であることは、良く知られているところ。「エピソード(以下ep)」表記も、実は連続モノのパロディのような意味あいだった(初公開時にはep表記は無かった)。しかし、歴史的な特大ヒットを飛ばしたことにより続編制作にGOサインが出され、晴れてep表記がつくことになる。

ダースベイダーの正体。ルーク双子の妹の存在。ベイダーとオビ=ワンの関係などなど。それまでは単なる設定だったバックボーンが作り込まれ、SWシリーズは「連続活劇もののパロディ」からスカイウォーカーの血族の「英雄叙事詩」、つまり神話」へと変貌する。

ダースベイダーアナキン・スカイウォーカーを描くプリクエル3部作もそういった「神話」としてのSWをさらに補強する形となった。

ep5、ep6の2作が、それなりに毀誉褒貶はありながらも観客には大いに受け入れられた一方、プリクエル3作は大いなる不評を買うことになった。人気者とはいえ悪役が生まれるまでの暗い物語であったこと。現場から長く離れたジョージ・ルーカスの自閉症的な作劇と演出。などなど要因は様々だが、批評家を始め、多くのオリジナル3部作のファン(しかもそれなりに熱狂的なファン)まで、否定側に回すこととなる。

その、プリクエル3部作から十余年。新たなサーガが作られる。

ep7「フォース覚醒」だ。シリーズものの立て直しばかりがフィルモグラフィに並ぶJJエイブラムス監督はSWの新作を、オリジナル3部作のパロディのような作品に仕立てた。

レイ、フィン、ポーBB-8、カイロ・レン、キャプテンファズマ、スノークなどの新しいキャラクターを投入しつつ、その実やっていることはep4とほぼ同じだった。

しかし、この新作はそれなりに好意的に受け入れられた。それは本作にただよう「オープン戦感」と言えば解りやすいだろう。つまり、“リーグ戦”とは関係無いけど“開幕”を喜ぶお祭りとして、である

斯くして、最新作ep8「最後ジェダイ」は本筋の“リーグ戦”としての最初の1本と言えるスタンスになってしまった。ところがep8は、ep7の「オープン戦」路線を引き継ぐ。つまりパロディのような続編だ。

実際に、解りやすい「パロディ」描写もある(帝国軍高官がヒドい目に合うギャグはep5みたいだし、レイカイロ・レンと共にスノークに会う場面はep6でのルークダースベイダー、パルパタインの場面そっくりだ)。しかし、ここで言いたいのはオリジナル3部作のep4からep5、ep6へ移行した際の改変具合のパロディだ。

●「革新」か? 「原点回帰」か?

未来予知」や「人を操る」などの、物理法則は守った描写だったep4での「フォース」が(物を浮かせるタイプの)「念力」まで使えるようになったのはep5からだ。

プリクエル3部作でフォースは「ミディクロリアン」なる物質遺伝的に継承したもののみに扱える「貴族制」のようなスタンスになったが、これが不評を買う。

そこでep7ではハン・ソロにノールックでトルーパーを打ち殺させたり、『ローグ・ワン』でド兄ィさんに十字砲火の中を歩かせたり、ep4レベルの「フォース」なら、それなりに気合いの入った人であれば使える。という設定にシフトさせていた。

ep8ではさらに踏み込み、念力が使える方の「フォース」も、鍛錬次第(もしくは純粋子供なら)使える。という設定へ更新されている。さらに、ルークのようなジェダイマスターなら、遠い星に幻影を現すことも出来るし、ヨーダのようなスーパージェダイマスターなら天候を操ることすら可能になった。

これはep4からep5へのフォースの扱いのアップデート加減のパロディだ。

ファミリーツリー」の改変もしかり。ダースベイダールーク父親になったのはep5からレイアルーク双子になったのはep6からだ。

ルーカス最初から、そう設定していた!」というのは聖書原理主義ダーウィン進化論否定のようなもので、いかにルーカスが「最初からサーガ構想だった!」と言っても、ep4ではオビ=ワンの「ベイダーがお前の父親を殺した」の台詞や、レイアルークキスシーンがあった。ep5でもハン・ソロへの当てつけとはいえ、やはり双子で交わされるものにしては情熱的なキスシーンがあった。これらはもちろん最初から計画していなかったから描写だ。

ep8では、ep7でのレイをめぐるもったいぶった描写(宇宙へ飛んでいく船=両親を見守る子供時代レイ)がありながら、レイの両親はジャクーの片隅で死んだことになった。

まり、前回までの設定を反故にしてでも「革新」するのがオリジナル3部作ep5、ep6への「原点回帰」と言える。

まり、「革新」であり「原点回帰」だ。

神話の終わり

SWが「独自の神話を持たないアメリカ国民への、最初国産神話だ。」という言説はオリジナル3部作の時点でよく言われていた。つまり普通の人」の世界に、超常的な力を操る「神様」のような人たちが現れて、目をみはるような戦いをする。

そのSW神話が終了したのがep6だ。パルパタインの死でシスは滅び、レイアルーク双子フォースにバランスをもたらして終わった。

なので、神話が終了した後の世界を描かざるをえなかったのがep7、ep8だったのだがep7は上記した通り「神話」の最後っ屁のような作品になった。そして、改めて「神話が終わった後の世界」に対して真摯に向き合ったのがep8である

ジェダイシス時代は終わり、特別だと思われていた力“フォース”は多くの人々に共有されてしまう。英雄的な死よりも、生き残ることこそが美徳とされる。平凡な“自分/観客”とは関係の無い神々の戦いは終わり、惨めで悲惨で地に足のついた“自分/観客”の世界と地続きの世界物語

まり民話」だ。

一兵卒ペイジティコの悲壮たっぷりの死の描写。ぶちゃむくれな妹ローズと、元は十把一絡げのストームトルーパーの、さらに落ちこぼれのフィン=普通の人々による「ヒロイックな特攻」への否定である

この「神話から民話」への移行が(主に批評家の)絶賛と、(主にSWファンの)拒絶を引き起こした、大きな要因の一つだと言えるだろう。

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ちなみに。SWを貶す常套句に「結局、スカイウォーカー一家家族同士のケンカじゃん!」というのがあるが、神話だという頭で見れば、いかにセンス教養も無い戯言なのかは推して知るべし神話とは家族同士の大ケンカだったりするものだ。

指輪が無くなった中つ国の物語

ここで、わかり易いたとえ話をしよう。

先に、「4、5、6」が作られ、後に「1、2、3」が作られた映画といえば『ロード・オブ・ザ・リング』『ホビット』のシリーズが挙げられる(原作は順序良く出版されているけど)。

ロード・オブ・ザ・リング』3作目「王の帰還ラストフロドにより「ひとつ指輪」が破壊されたことにより、中つ国からエルフガンダルフ代表される「魔法」が消える。つまり神話の終わり」だ。

もしも「王の帰還」の後の、トールキンによる原作の無い中つ国を描いた映画が作られたとしたら。1本くらいならお祭り感覚で受け入れられるかもしれないが、2本、3本と続けば、いかに映画としての出来が良くても、やはり「映画としての評価」と「トールキンファン評価」は別れるだろう。

ルーカスが関わっていないep7やep8のように。

ルーク・スカイウォーカーキャリー・フィッシャー

SWファンにとってep8が不安掻き立てる作品になったのには、さらに別の、大きな要因がある。主要登場人物2人の「死」だ。

反乱軍を助けるために決死の術でカイロ・レンを欺いたルークは、力尽きて死ぬ。しかし、ジェダイは、やりきった感を持ちながら死んだ場合ネオン光彩を放つ霊体として復活できる。なので、ルークはep9へも出演はするだろう。しかしシリーズを通して「スカイウォーカー」の名前を持つ“生きた”登場人物は絶えたことになる。

もう一人は、キャリー・フィッシャーの「死」だ。

ファーストオーダーの襲撃を受けよもや!? と思われたが、レイア姫シリーズで初めてフォースを使い無事生き延びる。しかし、当の演じるキャリー・フィッシャーがep8公開前に逝去してしまった。

製作から「『ローグ・ワン』でのピーター・カッシングや、若い頃のレイアキャリーのようなCGIでの出演は無い」と発表がされているので、現存するフッテージのみか、オープニングの説明で死んでしまうのか、いずれにせよ映画としては唐突な退場になるだろう。

キャリー逝去2016年12月26日。なまじ公開まで1年もあったことで、ep8は現状の展開では無く、もっと自然に退場し、残されたルーク最後希望(もしくは最後希望を紡ぐマスター)として「スカイウォーカー」の「神話」の続きが描かれるのだろうと、多くのファンは思い込んでいた。ep8はこの多くの予想を裏切りルークを殺し、過去の「神話」の象徴レイア独りに託してしまった。しかも託された「神話」は放棄せざるをえない状況でだ。

●ep8の毀誉褒貶のワケ

現在、ep8はシリーズ史上かつてない、振り幅の大きな毀誉褒貶のネタになっている。上記した中でもやはり「スカイウォーカー神話」を終わらせてしまったのは大きな理由だろう。

そして、市井の人々へフォースを与え「神話から民話」へとシフトした「革新的原点回帰」。

キャリー・フィッシャーの死に対して、あまり無頓着に見える「おい! それ続きどうすんだよ!」という展開。

などなど。

加えて様々な立場の人々が、それぞれの捨て置けない要因について、憤り、支持し、と、入り組んだ思惑の複合的な理由がある。数千字程度の文章では言い表せないのだ。

私?

私はスター・ウォーズを愛している。

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2017-10-31

ハロウィン記念 マイ・ベストホラー映画 Best 20 ハロウィン記念 マイ・ベスト・ホラー映画 Best 20を含むブックマーク

リストしてみたけどベストというと語弊があるなぁ。好きなホラー、思いついたまま挙げた最初の20本。

1)『遊星からの物体X

2)『ミザリー

3)『エルム街の悪夢

4)『スペース・バンパイア

5)『ゲット・アウト

6)『デビルズ・リジェクト』

7)『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最恐の劇場版

8)『死霊のはらわた

9)『クリープショー

10)『悪魔のいけにえ2』

11)『ビデオドローム

12)『狼男アメリカン

13)『エイリアン2』

14)『ドラキュリアン』

15)『デスプルーフ

16)『ブレイン・デッド』

17)『ピラニア3D』

18)『ダークマン

19)『バスケットケース3』

20)『ファイナル・ディスティネーション

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2017-10-27

ウォーペイントはマックスファクター ウォーペイントはマックスファクターを含むブックマーク

アトミック・ブロンド』と『女神の見えざる手』をハシゴして観た。

両作共に女性主人公で、男どもの跋扈する世界に飛び込み、時に暴力的手段で活路を切り開く、痛快な娯楽作品だ。

続けて鑑賞したことで気づいたのだが、両作共に主人公の化粧から映画が始まる。

男にとって習慣がない「化粧」だが、両作品主人公が男であったら、少なくとも『アトミック・ブロンド』は拳銃の手入れや予備のマガジンのチェックをする場面に替わるだろう。

タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』で、家族を殺されたショシャナ自分映画館ナチ国威高揚映画の上映をさせる直前、実際には行っていない心象風景として顔にインディアンのウォーペイントをする場面がある。

いみじくも、『イングロリアス・バスターズ』当該場面と『アトミック・ブロンド』オープニングはデヴィッド・ボウイによる『キャット・ピープル』のテーマ曲使用されている。

女性の化粧とは、対社会/世界との戦いに赴くためのウォーペイントなのだろう。

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2017-06-19

史実に忍び寄るマヌケパトリオット・デイ史実に忍び寄るマヌケ『パトリオット・デイ』を含むブックマーク

私たち日常をそのまま切り取り映画にしてみたとする。すると特に気にも留めていないどうでも良い事柄が、実はマヌケであったと気づくだろう。

街を走る右翼がノビノビになったカセットでビロビロとした奇妙な軍歌を流していたり。軍歌だと思っていたらジャイアントロボテーマ曲だったり。

ハンズフリー携帯電話で話ながら歩いている人も耳にささったイヤホンが見えなければ(見えるまでは)狂人にしか見えない。

身なりは変では無いのに周囲の人を怒鳴りつけながら歩く女性

道を横断するゴキブリ気づき変に甲高い声を出してしまサラリーマン

目の前をブンブンと飛び回る小蝿をはらっている人や、クモの糸がフワッと顔にかかった人も遠目からは突然オカシナ行動をしている人にしか見えない。

映画パトリオット・デイ』は2013年にボストンマラソンを襲った爆弾テロの事件発生から犯人逮捕までを描く、サスペンス映画だと言えるだろう。

しかし、実際に起こった史実をそのまま映画化しているのか、妙なリアリティを持つ人物がふと現れて消えていく。

「ここはアタシの場所からね! 動く気は無いよ!」という、限りなくオッサンに見えるオバさん。

激しい銃撃戦になんとか加勢しようとトンカチを投げる人。

監督ピーター・バーグの本作における勝利は、これら普段生活に紛れ込むマヌケ面白さを発見したことであろう。

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