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2017-01-23

沈黙サイレンスー』の愛 『沈黙 ーサイレンスー』の愛を含むブックマーク

沈黙サイレンスー』鑑賞。

劇中で何度も繰り返される「愛」は私達が恋人家族、伴侶に対して思う「愛」と全く同じものだ。妻や夫、パートナー恋人自分の子供や両親、親戚へ向ける愛情楽しいデートに晴れやかでウキウキとした気持ちになり、家族の死には涙を流す「愛」を宗教信者自分の信じる神へと寄せる。

と、考えれば「布教」という行為自体傲慢に思えてくる。

たとえば。「オマエも私が愛する恋人を私が愛するように愛せ!」と迫ってくるのはスワッピング目的セックス愛好家くらいなものだろう。

では、映画好きが他人自分の好きな映画自分が愛するように愛せ、と迫るのはどうだろう?

セックス愛好家ほどでは無いが、本質的には同じ、傲慢愛情表現に思える。

私も過去にそういう傲慢愛情強要をした。あれは傲慢だった。ハハハ

私の傲慢さは、拒絶され続け「もういいや……」という境地に辿り着いた。しかし、それでも愛の発露は止められない。その結果、こうしてブログなぞという1円にもなりゃしない場所で、仕事をサボって愛を溢れさせているワケである

で、あれば。『沈黙サイレンスー』のアンドリュー・ガーフィールドや、先んじてリアム・ニーソンがたどり着いた境地は、私よりもさらに先にある幸せではないだろうか?

から他人に愛が伝わるとは思っていない。もはや諦めの境地にはいるが、自分の愛は止められない。しかし、自分けが自分の中だけで愛を育み、愛に生きる。誰にも伝えず「沈黙」したままで。

私がついブログにこうして映画への愛をしたためてしまう、その先に『沈黙サイレンスー』の“黙する愛”があるのかもしれない。

今はまだ、そこに到達したくないけど。

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