ばななの話
昭和最後の年1989年は、ばななの年だった。彼女の著作は、この年の売り上げランキングトップ10のうち4作を占めた。前年刊行のデビュー作「キッチン」、「哀しい予感」、「TUGUMI」、「白河夜船」。中でも「TUGUMI」の初版は30万部(分かる人には分かるでしょうがとんでもない数字です)、現在は240万部を超える。
と、例によって見てきたようにいうが、もちろん記憶はないし、長らく興味がなかった。一頃いくつか読んで、訳がわからずほっぽりだした。が、今年、突如としてブームがやってきた。何度かここでも書いたように、久しぶりに読んでみたら、とってもよかったのです。ついでにいうと、偶然同じような経緯をたどり、ハマっている友人を2,3人知っている。いずれも男性というのが興味深い。
一文一文をとりだして眺めれば、一見小学生みたいな文がまじっていることもある。展開にしたって、大した事件が起こるわけでもない。でもそれらがつなぎあわさってひとつの作品になった時、思いもよらなかった輝きを見せる。何気ない文章に混じって、とんでもない一節があったりする。こっちは油断させられてるから、なおさらずーんと心に迫る。
そう、人は自分が自分に刷り込んだそのものになってゆくのだと思う。
昨年のちょうど今時分、つまりは就活の足音が聞こえていたころ、いわゆる「自己分析」の話になってこの旨の発言をしたら、相手の心証をたいそう害した。「自己分析」を語る相手に、「それは君自身の分析というより、君がどうなりたいのかという意思であり、そこに近づこうという努力だろう。そしてそれは、まさしく自己分析として妥当なのかもしれない」、たぶんこんなようなことを言ったんだと思う。相手の能力や適正を否定したつもりは毛頭なく、むしろエールをおくりたかったはずなのだが、…届かなかった。
「王国」を読んでこの一節を見つけたとき、何とも言えない気持ちだった。もうひとつ、「王国」からひこう。
少し前は失ったものを嘆いてばかりいたが、今となってはなにも失ってなんかいなかったことがなんとなくわかる。
自分の体と心と魂、それを持ってさえいれば、欠けるものはいつでもなにひとつなくて、どこにいようと同じ分量の何かがちゃんと目の前にあるようなしくみになっているのだ。もしそう感じられないのであれば、それは本人の問題に過ぎない。
ばななを読んで、どれだけ救われたか分からない。
小説は、消費したり消化するものでもない。ただ、大事にしていきたいと思う。
王国、体は全部知っている、アルゼンチンババアなど
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「言わせとけ。俺が、幸せなら、なんでもいいんだよ」
父はちょっとだけ上のほうを見て、そう言った。
そこにはしみだらけの暗い天井しかなかったが、そうか、お父さんにとって幸せという感じはちょっと上の方にあるのか、と私は変なところにじんときてしまった。
懐かしさって、全てが変わってしまってからはじめて芽生えるものなんだ、と私は思った。
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