『アリフレロ キス・神話・Good by』(中村九郎/集英社SD文庫)

 この世に存在するあらゆる小説は、大きく分類して二つの系譜に属しているという考え方に魅かれる。ひとつは私小説を頂点とする「リアリズムの小説」、もうひとつは「神話の系譜」である。
島田荘司本格ミステリー宣言』より

 中村九郎が神話の系譜に属する物語を書いたらこんな感じになりました、というお話です(笑)。前2作、『黒白キューピッド(プチ書評)』『ロクメンダイス、(プチ書評)』も相当にファンタジックな物語ですが、今作はタイトルどおりに中村九郎的に神話チックなお話です。本書に比べれば、その前2作はまだ地に足のついた物語だったと言わざるを得ません(笑)。
 とにかく和洋中の神話の要素がごちゃ混ぜで、作者の気分によって選ばれたとしか思えません。物語の舞台となってる灰江区は、おそらく理性主義批判で知られるハイエクWikipedia:フリードリヒ・ハイエク)から採ったのでしょうが、中村九郎の物語にはもう少し理性が必要じゃないでしょうか(もっとも、そこが個性だとも言えるので難しいところではありますが)。言葉のセンスも相変わらずで、意味がまったく分かりません。感じることを許容(あるいは強要)するのが中村九郎の作風じゃないかと思います。
 一応、バトルものとして読めるのですが、それにしたって理解不能です。命の危機に対して敏感かと思ったらあっという間に適当になって(それはギャグのつもりか?)、そしたら突然自分から戦うようになって、敵とか味方もよく分からなくなって、気が付いたら恋愛話も混じってて、そしたら意味不明に終わって始まって終わるわけですよ。いや、タイトルどおりと言えばそのとおりなのですが……。普通じゃありませんが、普通って素晴らしいですよね。担当さんが編集部を去ることになったのも納得です(笑)。
 『黒白キューピッド』では、主人公は微熱空間を生きていました。『ロクメンダイス、』では、ぼくは時々、別の世界を覗きこむようにしてしか、自分自身の状況を確認できなくなる(『ロクメンダイス、』p13より)とあるように、やはり主人公は世界と自分との間に違和感を覚えていました。ところが本書では、主人公を三井川という、見られることに喜びを感じるという危ない性癖の持ち主を選びつつ、語り手には、千里眼というすべてを見通す力を有する神話的アイテムを選びます。そして、物語が進むと、三井川と千里眼は文字通り一体となって、語り手と語られる側が同一となります。そこに世界との違和感が入り込む余地はありません。世界との違和感は、おそらく著者と作品との違和感にも置き換えることができると思います。そういう意味では、作者なりに新しいことにチャレンジした作品だと言えるでしょう。
 さらに、上述の見る・見られるという関係が、人と神との関係、崇める者・崇められるものという関係と対比されているのはそれなりに面白いと思います。思いますが、普通だったらもうちょっと煮詰めそうなところを、本書はイメージ重視でポンと放り込んであるだけです。そういうところは嫌いじゃないです。しかしまあ、こんな物語がありふれるようなことは絶対無いと思いますよ(笑)。
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