『学校を出よう!』シリーズとP・K・ディック作品の関連性についての私論

プチ書評 『学校を出よう! 1』
プチ書評 『学校を出よう! 2』
プチ書評 『学校を出よう! 3』
プチ書評 『学校を出よう! 4』
プチ書評 『学校を出よう! 5・6』



 以上の如く『学校を出よう!』シリーズについて長々と語ってきましたが、私が考える本シリーズとディック作品についての対応関係をまとめると以下のようになります。

学校を出よう! ディック作品
学校を出よう!―Escape from The School (電撃文庫) 学校を出よう! 1 流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫SF) 流れよわが涙、と警官は言った
学校を出よう!〈2〉I‐My‐Me (電撃文庫) 学校を出よう! 2 スキャナー・ダークリー (ハヤカワ文庫SF) スキャナー・ダークリー
学校を出よう!〈3〉The Laughing Bootleg (電撃文庫) 学校を出よう! 3 あなたをつくります (創元SF文庫) あなたをつくります
学校を出よう!〈4〉Final Destination (電撃文庫) 学校を出よう! 4 高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568) 高い城の男
学校を出よう!〈5〉NOT DEAD OR NOT ALIVE (電撃文庫)学校を出よう! (6) VAMPIRE SYNDROME 電撃文庫 (0996) 学校を出よう! 5・6  ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314) ユービック

 上記の対応関係は私のイメージで勝手に配したものですから、確証のあるものではないことを始めにお断りしておきます。また対応の度合いも一律ではありません。『スキャナー・ダークリー』は明々白々。『ユービック』もほぼ確実で『流れよ〜』もかなり関係していると思います。『あなたを〜』については、〈シム〉という名称に拘らなければテーマ的にむしろ『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(書評)』を押したいです。『高い城の男』はハッキリ言ってこじつけです(笑)。
 もっとも、谷川流がある程度ディックの作品の影響を受けていることは間違いないでしょうし、「イメージスクランブラ」というEMP能力名(本書2巻参照)からしてそのことを特に隠そうとしているとも思えません。そういう意味で、『学校を出よう!』シリーズはディック作品のオマージュであると言えるでしょう。
 ディックの作品は、どれもこれも「本物」と「贋物」の差異について偏執的なまでにこだわっているものばかりです。その疑いは 自分自身はもとより自分の属している社会、人間そのもの、ついには世界といったものまで、とにかくありとあらゆるものの真実性を疑っています。ともすればセルフパロディに陥りがちですが、にもかかわらずどの作品も個性的なものに仕上がっている点にディックの凄さを実感します。いくつかのディックの作品では、現実の虚構性が明らかになり崩壊します。しかし、その現実の外側にはまた虚構があります。世界を支える安定などありはしません。それがディックの作品で描かれる悪夢です。
 一方、谷川流も自らが懐疑主義者であることを自認しています(本書5巻あとがき参照)。そうした懐疑主義が、ディックのそれとしっくりきたために、自らが小説を執筆する上でもかなりの部分で参考になったものと思われます。しかしながら谷川流にとっての現実は、少なくともディックにとってのそれよりはしっかりしたものだと思われます(そうじゃないと困りますが・笑)。また、谷川流懐疑主義は作中人物だと高崎佳由季や宮野秀作などに投影されていると推測されますが、疑ってなお前を向く、かなり健康的な懐疑主義だと言えるでしょう。それよりも、その懐疑主義は操る側と操られる側、物語の紡ぎ手と紡がれる側といったメタ的な物語構造の方に屈折して投影されていると思います。邪推に邪推を重ねますが、小説を書くときの迷いや疑念、自分が書いてるはずのものがいつの間にやら登場人物たちが勝手に動き出して”書かされている”ような不思議な感覚とかがあって、そうした体感がこのシリーズの根幹に反映されているのではないでしょうか。ただ、それでも本シリーズはやはり前向きです。それは、”外に逃げる”のではなく”外を目指す”だからだと思います。まさに『学校を出よう!』(!マークが重要)なのです。
 なお、本シリーズは6巻が2004年10月に刊行された後、長らく沈黙を守っています。しかし、作者によれば続刊のストーリー構想はあるとのことなので(『ボクのセカイをまもるヒト』1巻あとがき参照)、個人的には続きが楽しみです。ただ、谷川流の人気シリーズであるハルヒの方も新刊の発売が発表されながら取り消されるという不自然な形で続刊が滞ってますし、ファンとしては不安な気持ちがなきにしもあらずですが……。
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