『扉は閉ざされたまま』(石持浅海/ノン・ノベル)

扉は閉ざされたまま (ノン・ノベル)

扉は閉ざされたまま (ノン・ノベル)

 2006年版「このミステリーがすごい!」で第2位に選ばれた作品です。
 本書は倒叙ミステリ、すなわち、犯人の視点から描かれるミステリです。これだけでも割合的には珍しいタイプの作品ではあるのですが、本書の特徴はタイトルにもあるとおり、殺人が行われた密室の扉が開かれることのないままに犯人と探偵とによる頭脳戦が行われるところにあります。まさに”扉は閉ざされたまま”なのです。
 普通のミステリでは、室内で誰かに何らかの異常があったと推測される状況が発生したら、すぐにマスターキーなり合鍵が使われるか、もしくは扉を叩き割るとかして密室は開かれたものとなります。しかし、扉が開かれるその瞬間までにはさまざまな可能性が並列して存在しています。事件・事故・殺人、もしくは単に寝ているだけなのか、などなど。扉が開かれるまでの何ともいえない空気。緊張と不安と戸惑いがせめぎあう嵐の前の静けさ。普通ならあっという間に過ぎてしまうその時間が本書ではとても大事な”勝負の場”となっています。また、扉が閉ざされたままなので、警察を呼んでいい状況なのかも分かりません。そのことが探偵と犯人との一対一の関係を自然に作り上げることにもつながっています。
 通常のミステリにおける”殺人”という定められた前提のない推理戦。前提が前提だけに心理戦の要素が強いのですが、しかしながらそれが決して直感とかに頼ったものではなくて、ちょっとした事実や会話・行動の齟齬を起点とした攻防が行われます。そこがとても面白いです。
 殺人を実行した犯人は、その犯行が明らかにならないようにする一方、一定時間密室が開けられることがないように、別荘内にいる人間と周囲の状況をコントロールしようとします。本書は倒叙ミステリではありますが、犯行の動機については読者にも伏せられていて、それとの関係で一定時間密室のままにしておかなければならない理由も謎のまま物語は進んでいきます。もちろん、初動捜査の遅れは犯人に有利なのは間違いないので、その意味でとりあえず納得はできるのですが、それにしても時間にこだわる犯人の姿は読者の興味を引く一方で、探偵役の人物にとってもそこが注目点となります。
 密室が密室のまま行われる頭脳戦というシチュエーション自体がそもそも変わっているのですが、それにしても本書の探偵役は変わっています。まず事実を見抜き、それからその事実についての評価をコントロールしようとします。それはある意味、事実を誤認させようとした犯人役のさらに上をいく探偵役らしいあくどいやり取りであるといえますが、一方で犯人と探偵という関係がメタなレベルでは共依存の関係であることの縮図であるともいえます。って、未読の方には何のことやらサッパリでしょうが(笑)、この辺りが石持作品がときに”気持ち悪い”との評価をされつつも(私のような)固定客を引き付けてやまない理由でもあるでしょう。法令順守という価値観を視野に入れながらも、それとは違った価値観に沿った解決がなされることで残る何ともいえない読後感がたまりません(笑)。頭脳戦としてのゲームにはきちんとした解答が示されるのに、その一方で生まれる倫理的あるいは社会的な問題は放り投げられたりスルーされたままだったりします。その辺りのモヤモヤ感も間違いなく石持作品の魅力だと思います。オススメです。

 ちなみに、今なら新書版でなく文庫版が手に入ります。安くてコンパクトなので普段ならそっちをオススメするのですが、にもかかわらず今回文庫版ではなくて新書版を紹介しているのには、私が持っているのが新書版だからという以外に理由があります。というのも、文庫版に収録されているボーナストラックが私は気に入らないのです。好みはあるでしょうが、私はあれはない方がよい、というかあるべきではないと思います。なので新書版を紹介しましたが、今からの購入をお考えでしたら普通に文庫の棚をお探しくださいませ(笑)。
【関連】プチ書評 石持浅海『君の望む死に方』

『君の望む死に方』(石持浅海/ノン・ノベル)

君の望む死に方 (ノン・ノベル)

君の望む死に方 (ノン・ノベル)

自然な仮説ではあるけれど、確実にそうだと自信が持てるレベルのものでもはない。それでも当ててみせた。あのような思考法をなんというんだっけ。そうだ、推理だ。
(本書p75より)

 倒叙ミステリといえば、犯人役の視点から語られるミステリのことですが、本書の場合、犯人役だけでなく被害者役の視点からも語られます。その点で通常の倒叙ものとは大きく異なりますが、本来語られることのない視点という意味では犯人役も被害者役も同じことですから、本書を倒叙ミステリと呼んでも差し当たり間違いとはいえないでしょう。
 さらに、本書ではその被害者役が実に変わっています。余命半年を宣告された被害者役は、その命を自分に恨みを持っている犯人役に殺されることで全うしようとします。つまり、タイトルのとおり”君の望む死に方”で死のうとするのです。そのために、被害者役は犯人役にとっておあつらえ向きのシチュエーションを用意します。被害者と犯人とが近づきやすく、それでいて外部からの進入も十分考えられて、凶器にも事欠かない絶好の機会を自ら用意するのです。
 一方、犯人役はそうとは知らずに殺人の機会を伺います。犯人役は殺人を決意してはいるものの、警察に逮捕されることは望んでいません。つまり完全犯罪を狙っているのですが、しかしながら密室とかアリバイとか凝った工作をしようとは考えていません。誰にも見つからないように、ばれないように、そして外部犯の可能性を残すように。ただそれだけです。
 被害者役が殺されることを望み、犯人役が殺すことを望み、両者の思いが交錯したまま物語が進んでいくのですが、殺される側にも殺す側にも事情があります。死んだらどうなるのか。あるいは、殺したらどうなるのか。通常のミステリは、死んだからこうなった、つまり、まず「死」があってそこから因果の流れが問題になるのですが、本書では被害者役や犯人役の苦労といったいささか倒錯的なかたちで「死」というものが語られます。
 『ダ・ヴィンチ』2008年4月号のインタビューで著者は本書の特徴について次のように述べています。

「1作目では犯人がいかに他の人間の動きを制御するかを描きましたが、今回は、殺す側も殺される側も、他人がどう動いても大丈夫なように迂回路を作る発想なんですね。人を動かすのではなく、ひたすら迂回しよう、という考え方です」
(『ダ・ヴィンチ』2008年4月号p47より)

 こういう発想なだけに、二人の行動のノイズとしてさりげなくも存在感タップリに登場する探偵役がとても恐ろしいです(笑)。
 被害者役と犯人役の二人が敵に回すことになるのが前作『扉は閉ざされたまま』でも登場した探偵役・碓氷優佳です。本書は被害者役と犯人役の二つの視点からしか語られませんので優佳が考えていることというのはよく分からないのですが、しかしながら、要所要所で被害者役と犯人役の行動を妨害してきます。果たして彼女は二人の意図に気付いているのか。探偵役というのは、ときに死屍累々の屍を築く死神のような存在として揶揄されることがあります。それは、ひとつの事件の中での死者の数を投球回数になぞらえて「防御率」と表現されたりもします。国内では金田一耕助、国外ではファイロ・ヴァンスが防御率の低さで有名*1だったりしますが(笑)、確かに死人が出なければそれにこしたことはないわけですから、本書のようなシチュエーションでの探偵役の登場というのも目論見としてとても面白いと思います*2
 三者の緊張関係は複雑な様相を呈してきますが、それはあくまでも水面下のものにすぎません。ってか、表向きは会社の幹部候補生が集められた”お見合い研修”で起きたトラブルの方がよっぽど劇的で小説向きなお話でして、そうした捩れ現象がとても面白いです。
 ここまで被害者役・犯人役という言葉を使ってきましたが、常識的には確かにそのとおりではあるのでしょうが、しかしながらミステリ的には必ずしもそうだとはいえません。犯人役は犯人役足らんとしていますが、被害者役は犯人役をコントロールすることで被害者になろうとしています。これは刑法的にはともかくミステリ的には”操り”と呼ばれるもので、つまり厳密には被害者役ではなく真犯人役(黒幕)とでもいうべき存在です*3。だからこそ、物語の最後で交わされる被害者役と探偵役の対峙と、探偵役が最後にとった行動とが意味を持つことになります。いや、これには読んでてニヤニヤせずにはいられませんでした。悪趣味と思われても構いませんが本当に最高でした。というわけで心の底からオススメします。
【関連】プチ書評 石持浅海『扉は閉ざされたまま』

*1:『僧正の積木唄』(山田正紀/文春文庫)巻末の法月綸太郎の解説参照。

*2:もっとも、前作で明らかになった探偵役・碓氷優佳の性格、ひいては作者の性格からして、必ずしも殺人を否定するとは限らないので読者として予断は許されませんけどね(笑)。

*3:なので、本書は被害者役の視点というよりは、やはり犯人役の視点から語られている倒叙ミステリといってよいと思います。