『中継ステーション』(クリフォード・D・シマック/ハヤカワ文庫)

中継ステーション (ハヤカワ文庫 SF 265)

中継ステーション (ハヤカワ文庫 SF 265)

 彼はいつでも望む時に、世界を棄て、人類を棄てることができるのだ。外へ出さえしなければ、ドアを開けさえしなければ、世界が何をしようと、世界でどんなことがおきようと彼には関係のないことである。彼には世界があったからだ。このステーションの外側の人たちが考えているよりは、はるかに偉大な世界があるのだ。彼にとっては、地球は必要でない。
(本書p134より)

 1964年ヒューゴー賞受賞作品です(参考:Wikipedia)。
 アメリカのウィスコンシン州の人里離れた山奥に一軒の家がある。何の変哲もない農家にしか見えないその建物は、実は銀河の星々を結ぶ中継ステーションだった。ステーションにただ一人住む男、イノック・ウォーレスは百年以上の間ステーションの維持管理を務めてきたが、地球に忍び寄る第三次世界大戦勃発の危機と銀河系の情勢の変化とがイノックにある決断を迫ることになる……というようなお話です。田舎SF、あるいは田園SF作家として知られるシマックらしい作品です(笑)。牧歌的な山奥の中にある人知の及ばぬ存在が集うステーション。そんな極端な対比は風景描写の上でも心象風景の上でも人間性というものを描き出すのに効果的な役割を果たしています。そういうのが好きな作家なのですね。
 イノックは紛れもない地球生まれ・アメリカ生まれの地球人です。しかしながら、中継ステーションの管理を任されるようになり、人間との接触を極力絶ち異星人たちとのコミュニケーションを頻繁にとるようになってから地球人という自己の認識は徐々に薄らいでいきます。銀河の中の一存在としての自分。
 銀河宇宙の様々な種族とのコミュニケーションを図るために、彼は様々な言語――身振り言語も含めて――を翻訳機の力を借りながらも使いこなすことができます。それだけのコミュニケーション能力を身に付けても、地球人である以上、宇宙人とはどこか分かり合えないところがあります。それでも彼は銀河宇宙から得られるもの・可能性に魅力を感じ、謙虚にそれを理解しようと務めます。
 その一方で、自らが地球人であるという認識がゼロになるということもありません。様々な異種族とのコミュニケーションを図ることが可能であるにもかかわらず、地球人と思い通りのコミュニケーションをとることができません。それは中継ステーションの管理人という役割上の制約というのもありますし、ときには地球人の無知と無理解とが障害となります。
 自分が得た知識を上手に使えば今の人類をより良い方向に導くことができるのではないだろうか。そんな彼の思いを他所に、世界は大戦の勃発へと動き始めてしまっています。知識のみならず精神面でも愚かな地球人ですが、それでもイノックは銀河宇宙との交渉の場においては地球人というスタンスでそれに臨みます。孤独でありながらも全人類の代表として人類と銀河宇宙の接点たらんとする彼。中継ステーションとは、単に建物のことだけではなく、彼自身のことをも指しているのです。彼にそうさせているものはいったい何なのか? それは、人間性とはいったい何なのか? という問い掛けでもあります。
 追い詰められた、というより、追い詰められることを選んだ彼が下した一つの決断。結局それが物語的にどのように位置づけられて、どのような価値を持つのか。それは分かりません。意地悪な見方をすれば無価値ということすらいえるでしょう。巻末の解説にもありますが、本書の結末を安易なものとする指摘は実のところよく分かります。でも、あんまり捻った結末も相応しくないように思いますし、まあいいんじゃないでしょうか。
 傑作だとも一般向けだとも思いませんが、静かで孤独ながらも滋味のある物語です。
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