よしづきくみち『君と僕のアシアト』集英社

 実写映画化される『フレフレ少女』のコミカライズを担当している、よしづきくみちの短編集です。商業誌、同人誌に掲載された短編が収録されています。高橋しんに似た絵のタッチで、線が細いながらもぷにっとした皮膚の感覚がよく出てると思います。
 タイトルにもなっている「君と僕のアシアト」は擬似タイムトラベルものです。なぜ「擬似」かというと、「過去に戻れるし干渉できるけれど、決して未来が変わらない(タイムパラドックスが起きない)」という設定だからです。どうやって過去に戻るのかという説明については作品を読んでいただくとして(笑)、まずその設定がうまいなぁ、と思いました。悩みを抱えた人物が、戻った過去で真実を知ります。それは「知らなければ良かった」という内容だったのですが、実は・・・という流れで物語は進んでいきます。まあ、広義の「夢」かもしれませんが、本人たちにとっては真実であり、「変えられないかもしれないけど、戻りたい過去」に対する焦がれる気持ちが読むものの胸を打つお話だと思いました。
 そのほか、孤島の学校での交流を描いた「about me」や教室から行ける不思議な場所を描いた「彼女のせかい」、「つないだ手」をキーワードにした「てのひら」や「なつみ」といった短編など、線のタッチもあいまって繊細な心の機微を丁寧に描いている印象を受けました。
 原作者ですが、同じ作者のマンガ『フレフレ少女』も読みたくなりましたし、なによりオリジナルの長編が読みたいなぁ、と感じた1冊でした。
フレフレ少女 1 (ジャンプコミックス デラックス)

フレフレ少女 1 (ジャンプコミックス デラックス)

『老検死官シリ先生がゆく』(コリン・コッタリル/ヴィレッジブックス)

老検死官シリ先生がゆく (ヴィレッジブックス)

老検死官シリ先生がゆく (ヴィレッジブックス)

 本書の舞台はラオス(参考:Wikipedia)。しかも時代は1976年。ラオス共産主義政権ができた翌年から始まります。地理的にも時代的にも思想的にも、私たち日本人にとっては馴染みのない設定です。
 ミステリが栄える背景には民主主義の思想が欠かせない、とはよく言われます。

 古典的推理小説の読まれる社会的条件については、ハワード・ヘイクラフトの有名な説がある。彼は英高等法院主席判事の言葉――「犯罪物語と区別される探偵物語は、読者の共感が正義の手を逃れようとする犯人の側ではなく、法と秩序の側にある安定した社会でのみ栄える」――を引きつつ、「政府が我らの政府であれば我らの共感は我らの作った法に集まる。政府が奴らの政府であれば、我らの共感は、本能的に、奴らが狩り立てている一匹狼に集まる」として、民主主義こそが探偵小説を繁栄させる基本条件のひとつだと説いた。
『ミステリーの社会学』(高橋哲雄/中公新書)p112〜113より

 作者であるコッタリルはイギリス人ですが、オーストラリア在住時代に共産党政権から逃げてきた難民と家族と知り合いになり、様々な体験談を耳にすることでタイやラオスに興味を持ちました。ラオスは西側諸国に住む一般人の目からすれば”アジアの小さなおまけみたいな敵国”だが、別の視点から愛すべき住人の声を書いてもよいのではないか、というのが本書誕生の動機とのことです(本書巻末の訳者あとがきより)。
 そんなわけで、本書は西側の民主主義思想・資本主義思想の視点で東の小国の昔を眺めた物語、といえなくもないです。しかし、そのように言い切ってしまうのには躊躇いがあります。それというのも、本書の主人公であり物語の中心であるシリ先生のキャラクタがとても魅力的だからです。シリ先生の目を通して私たちに伝えられるラオスには、確かに共産主義国家としての問題がいくつも描かれています。しかし、それ以上に、そこに暮らす人々の日常と心情がとても大切に描かれています。共産主義国家成立のため医師として長年働いてきたシリ先生。革命後はゆっくり休めると思ってたら人手不足からラオスにただ一人の検死官としての任務を与えられてしまった彼。迷信・宗教・慣習といった文化は人の死によって顕在化します。その意味でも、検死官であるシリ先生は主役に相応しい人物です。
 共産主義国家を舞台にしたミステリであるがゆえに、本書は一般的なミステリにおける捜査のセオリーが通用しない点が多々あります。

 たしかに、一般的にいって政治警察や軍事政権の下で密告、盗聴、検問、拷問がふつうのことになっていて市民的自由が制限されているような国では、証拠にもとづく推理によって事件を解決しようといった精神は育たない。
『ミステリーの社会学』(高橋哲雄/中公新書)p114より

 こうした中で、シリ先生が証拠と推理によって事件を解決する探偵役のモチベーションをどのように維持しているのかといえば、ひとつには検死官という役目への誇りといいますか、理系的な探究心というものがあります。ラオスただ一人の検死官であるシリ先生は、たくさんの仕事を並列的に処理していかなくてはなりません。そうした事件の中に、ベトナムとの陰謀絡みの事件があります。両国は微妙な緊張関係にあるにもかかわらず、そのベトナムの検死官とシリ先生は含むところなく互いに協力し合います。それというのも、政治的な思惑より何よりも、まずは何があったのかという科学的な死因の特定こそが彼らにとっては第一だからです。それは科学者というよりは職人気質というべきかもしれません。設備も環境も不十分であるとはいえ、検死のシーンは科学的にとても力が入っています。いわゆる検死官もののミステリの中にあっても遜色ない出来栄えだといえるでしょう。
 それともうひとつ。シリ先生には死者の魂を感じ取ることができるという霊感が備わっています。霊感といっても、そのほとんどは寝ている間に見る夢、あるいは無意識下での思考作業といった解釈で片付けることができますが、事件の深い部分の真相を探るに当たってはこの霊感を基にした捜査が不可欠なものになってきます。こうした要素は、超常現象的な要素を嫌うミステリ読みの方にとっては毛嫌いされてしまうかもしれません。ただ、作中のラオスは、互いのことを同志と呼び合うような全体主義的国家です。そうした中にあっては、個人の尊厳や個性といったものはときに軽視されがちです。だからこそ、やりきれない無念の想いが魂となって現れるようなことがあっても、私はよいと思うのです。逆に言えば、シリ先生ほどのキャラクタであっても、共産主義の中で探偵役としての役割を全うするためには死者の声が必要だということがいえるでしょうか。死者には国家の主義思想など関係ないのです。
 以上、小難しいことを長々と述べてしまいましたが、一風変わったアジアン・ミステリーとして読んでいただくのが一番です。人手もなければ十分な設備もなく、おまけに分からずやの上官のおかげで仕事はやり難いことこの上なくて、それでも、一癖も二癖もある仲間たちの協力を得ながら次々と事件を解決していくシリ先生の姿は刺激的でありながらもどこか牧歌的です。ちょっとへそ曲がりだけと気骨のあるおじいちゃんの人情ミステリとしてもオススメです。
【関連】
ミステリと民主主義 - 三軒茶屋 別館
『三十三本の歯』(コリン・コッタリル/ヴィレッジブックス) - 三軒茶屋 別館

ミステリーの社会学―近代的「気晴らし」の条件 (中公新書)

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