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2008-12-06

[][]『3月のライオン』が描く3つの孤独

羽海野チカ『3月のライオン』2巻を読了。

1巻を読んだときに抱いた感想がより濃くなりました。

『3月のライオン』は『ハチワンダイバー』とは真逆のマンガかもしれない - 三軒茶屋 別館

2巻ではますます、主人公・桐山の「孤独」が丹念に描かれているなぁ、という印象を受けましたので、フジモリなりにこの漫画から感じた「孤独」をまとめてみました。

「何も無い」孤独

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主人公・桐山零は幼い頃交通事故で両親と妹を失っています。いわば、最初から「天涯孤独」の身です。

その後父親の友人である幸田に引き取られましたが、「将棋」を通じてしか愛情が与えられず、また幸田の実の子供たちから受ける怨嫉から、常に「自身が幸田家にいる違和感」を感じ、やがて幸田家を飛び出し一人暮らしを始めます。

その後、桐山は川本3姉妹と知り合い、擬似家族のような関係を経て「孤独」を癒す、というのがおおまかな主軸になっていくと思われます。

最初から「何も無い」、つまり「ゼロ」の孤独です。

喧騒の中の孤独

川本家にお世話になっているときの桐山も、元来持つコミュニケーションの不器用さからか心を開くことは少ないです。2巻では徐々に打ち解ける様子が描かれていますが、逆に

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という「賑やかな中にいるからこその疎外感(=孤独)」を感じる描写が見受けられます。

前作『ハチミツとクローバー』でも使われた手法ですが、川本家の描写は、3匹の猫をはじめ1コマの喧騒度が非常に高いです。

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そしてこの喧騒は自身が部外者であると意識した瞬間に強烈にその疎外感を際立たせます。

作者・羽海野チカがファンであるミステリ作家、森博嗣も孤独についてこう書いています。

海の上でただ独り、小舟で浮かんでいたとしても。孤独が味わえるかどうか疑わしい。

たとえば私の場合、孤独の信号を感じるときというのは、身近に大勢の人間たちがいる、そんな状況がほとんどなのだ。

(森博嗣『恋恋蓮歩の演習』p11)

「与えて」「奪われる」孤独

『3月のライオン』の名バイプレイヤーといえば二海堂晴信です。

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その容姿、暑苦しいまでのキャラ、そして他者との接触を苦手とする桐山に「必要以上に」接してきます。2巻では自作の絵本を使って将棋入門をするなど大活躍でしたが、このキャラ、以前アイヨシも言っているように棋士の村山聖九段がモデルであると思われます。

難病を患い29歳の若さで夭折した天才棋士。

なぜ、羽海野チカがこの棋士を桐山の友人のモデルにしたのか。

ここからはフジモリの邪推にしか過ぎませんが、この二階堂というキャラ、桐山のパーソナルスペースに土足で入り込み、心の壁をこじあけ乗り込んでくるこのキャラを、桐山が心を開いた後に「退場させる」ことで桐山をさらなる「孤独」にする、という役割を担っているのではないかと思います。

ただ、退場させるといっても「死」だけがその方法ではないと思いますので、羽海野チカの手腕に(勝手に)期待しているところでもあります。


以上、「孤独」という切り口から『3月のライオン』を語ってみました。

「ハチクロ」では「片思い」という現象を通じて他人とのコミュニケーションを描きました。しかしながらハチクロの舞台は美大であり、「美術」は基本的に個人でクローズするジャンルです。

一方、『3月のライオン』は「将棋」という「強制的に他人と接する」ジャンルです。他者とのコミュニケーションを厭う主人公。しかしながら、2巻で描いたように盤を介して他人の人生に影響を与え、ときには「死刑の執行」を行なうという「将棋」という世界に身を置く矛盾。他人との接触を避け将棋の世界に逃げ込み、それでも「その中の世界」でも入り込むことができない主人公を丹念に描くことで、彼の孤独を読者は最大限に味わい、そして桐山零の孤独が癒されたとき、読者も同時に大きなカタルシスを受けるのだと思います。

かなり先になるでしょうが、3巻も楽しみに待ちたいと思います。

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