『春期限定いちごタルト事件』(米澤穂信/創元推理文庫)

春期限定いちごタルト事件 (創元推理文庫)

春期限定いちごタルト事件 (創元推理文庫)

 ミステリの題材といえば昔から殺人事件が一般的ではありますが、他方で殺人事件以外の謎解きを主眼としたミステリというのも存在してきました。殺人以外の誘拐や窃盗といった犯罪の場合を扱ったミステリはもちろんのことですが、それ以外の犯罪とはいえないような日常の中に潜む不思議な事柄もまた見方によっては立派な謎だといえます。そうした類いの謎に特に着目した連作短編集として刊行されたのが北村薫のデビュー作である『空飛ぶ馬』(東京創元社)です。『空飛ぶ馬』以降、東京創元社からは若竹七海『ぼくのミステリな日常』や加納朋子の駒子シリーズといった殺人事件以外の日常に潜む謎をテーマとした傑作ミステリが刊行されるようになります。こうした流れを包括的に表現するカテゴリとして”日常の謎”というミステリ用語も生み出されました(参考:日常の謎 - Wikipedia)。
 本書『春期限定いちごタルト事件』も、そうした東京創元社発の”日常の謎”の流れに属する作品として理解することができます。小市民を目指す小鳩君と小佐内さんを主人公とした探偵物語。小市民シリーズとも称される本シリーズですが、加えて”日常の謎”となりますと、謎も解決もこじんまりとしたミステリと思われるかもしれませんが、さにあらず。確かに目先の問題として小鳩君の目の前にちらついてくるのは”日常の謎”ですが、その向こうには、古典的なミステリのフレームを大胆に活用(もしくは利用)した全能感と無能感の相克・思春期における自我の揺らぎといったシリアスなテーマが待ち構えています(本書の段階ではこじんまりとしたコミカルな探偵物語として普通に楽しんでもらえれば良いと思いますが)。
 冒頭から明かされる小鳩君と小佐内さんの奇妙な関係。すなわち恋愛関係でもなければ依存関係でもない互恵関係が意味するものとは一体なんでしょう。それこそが、シリーズの中における本書の最大のテーマにして謎です。もっとも、本書の語り手である小鳩君にとっての互恵というのは早い段階から明らかにされます。中学時代に探偵行為によって引き起こしたトラブルとトラウマ。自身が持つ探偵気質を忌避する小鳩君は、そうした資質を発揮する事態を回避するための逃げ道として小佐内さんを利用しています。……とかいいつつも、何だかんだで日頃の生活の中に謎を見い出しては口を出してしまうのが小鳩君にしてみれば自身の未熟さを感じずにはいられないところではありますが、本書の時点ではそれもまだ微笑ましいものとして読み進めることができます。一方、それでは、小佐内さんにとってこの互恵関係にはどのような意味があるのでしょうか?小市民になるべく自らの探偵気質を抑圧しようとしているのが小鳩君であるならば、小佐内さんが小市民になるべく抑圧しようとしているものは何なのでしょう?アンチ探偵である小鳩君の対になる存在とはいったい何なのか。それこそが本書のテーマです。
 本書のタイトルは『春期限定いちごタルト事件』ですが、以降も、季節限定のデザートを冠したタイトルが続いていきます。季節感のある甘いデザートからはふんわりとしたイメージが想起されますが、反面、季節限定という言葉には、人生においてその時点でしか味わうことのできない事柄、といったニュアンスが込められているようにも思います。
 いずれにしても、小鳩君と小佐内さんの高校生活は始まったばかりですし、シリーズもまだ春を迎えたばかりです。今後の展開にぜひ期待して欲しい一冊です。
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