『泣き声は聞こえない』(シーリア・フレムリン/創元推理文庫)

泣き声は聞こえない (創元推理文庫)

泣き声は聞こえない (創元推理文庫)

 東京創元社文庫創刊50周年記念フェア桜庭一樹の推薦で復刊された作品です(上記はてなの表紙画像は古い表紙絵のままです。現在刊行されているものとは異なりますのでご注意を)。

品切れと知って本棚に大切に保管し続けた”青春の一冊”です。

というのが桜庭一樹の推薦文ですが、実際読んでみるとさもありなんといったところです。本書で主人公のミランダが辿ることになる数奇な運命の軌跡は『推定少女』を彷彿とさせるものがあります。また、ミランダの兄サムのポジションは『砂糖菓子の弾丸は弾丸は撃ちぬけない』と被るものがあります。なので、桜庭一樹のファンであれば読んで損はないでしょう。
 15歳の少女ミランダが迎えた夏。マタニティウェアを着てふくれたお腹を見せている彼女。だけど、そのお腹の中には赤ん坊の姿はなく詰め物がしているだけで……。
 まだあどけない少女が直面した妊娠。宗教上の問題は本書ではあっけなく排除されていますが、それでも、結婚承諾年齢(本書の場合には16歳)に満たない年齢での妊娠という辛い現実、母親による共感と軋轢、そして中絶までの苦悩といったものが描かれて……いないわけではありませんが、しかしながら、あらすじから想像されるほどに丹念に描かれているわけでもなくて、比較的淡々と通り過ぎていきます。こうしたお話ですと、まずは中絶すべきか否かが最大の論点になって、その次に、産むことを選択した場合における子供を育てる苦労や母親であることの大変さなどがクローズアップされるのが常道だと思います。そうした意味で、本書の展開は極めて現実的でありながらも意外なものだといえます。
 中絶によって彼女が抱えることになる恥辱と絶望。若さゆえの偏狭的な価値観といってしまえばそれまでかもしれません。自分がついた嘘によって現実ががんじがらめになってしまって、そこから抜け出すためにまた嘘をつかなくてはならなくて。そんな思春期の少女の心の動きを笑うことはできませんし、そこには確かに平凡な家庭のなかで起きるかも知れない恐怖というものが描かれています。
 作品の半ばで述べられているのですが、本書は決定的なまでに悲惨な結末を迎えることはありません(本書p112より)。そのことが地の文によって明示されているのが実に巧妙だと思いますが、悲惨な結末というものを仄めかしておきながらそれがあえて描かれていないため読者の想像力が否応なしに喚起させられます。それでいて、本書の展開もそれなりに悲惨なものだと思いますが(苦笑)、本書よりも不幸な展開を想像されることによって作中の登場人物が行なっている不幸比べを読者にも感得させる効果もあるものと思います。
 そうはいっても、本書の展開は確かにそこそこ救いのあるものです。決定的な破滅までに陥らない微妙な展開だからこそ描くことのできる人間の心のひだというものが本書では簡明に描かれています。人の心の嫌な部分を読み解く暗い悦びがそこにはあります。
 妊娠中絶という本来ならあまり読む気がすすまない題材ではありますが、中盤からは赤ん坊の誘拐事件も絡んでサスペンス的な面白さで読者を引っ張ります。さらにはちょっとしたケレン味のある結末が待ち構えています。少々悪趣味ではありますが、一人の少女が大人へと成長する過程を描いた青春小説としても読めますし、題材の割には間口の広い作品だと思います。