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2010-05-31

[][]『よつばと!』に学ぶ「幸せの沸点」

よつばと! (1) (電撃コミックス)

よつばと! (1) (電撃コミックス)

大場つぐみ小畑健の描く漫画家マンガ『バクマン。』でこんな1コマがあります。

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「単なる日常生活を面白く描く」、これを現代のマンガでもっとも体現しているのはあずまきよひこ『よつばと!』だと思います。

以前放送された『BSマンガ夜話』で、夏目房之介が『よつばと!』についてこう語っていました。

日常生活っていうのは、普通そう思わないから「日常」になっている。

ところが、よつばっていうキャラクターが入ってきた途端に、ものすごく、例えば雨でさえあんなに嬉しいっていうことなんですよ。

『よつばと!』に描かれている「日常」について、改めてつらつらと考えてみました。

幸せの沸点

なぜ『よつばと!』に描かれている日常はあんなにも光輝いて見えるのか。

一つの要因として、「幸せの沸点」*2の低さが挙げられるのではないかと思います。

「幸せの沸点」とは、個々人が幸せに感じるラインのこと。美味しいご飯を食べただけで幸せになれる人もいれば、衣食住すべてが一流の物に囲まれても幸せだと思わない人もいます。

先ほど夏目房之介氏の発言を引用しましたが、「日常」とはそれが当たり前であるからこそ「日常」なのであって、日々の日常のレベルが高ければ高いほど幸せの沸点は高く、そうめったなことでは幸せを感じない、という状況に陥りがちになります。

「幸せの沸点」が高ければめったなことでは幸せを感じず、低ければ些細なことでも幸せに感じる。

『よつばと!』では、その幸せの沸点の設定を非常に巧みに描いていると思います。

『よつばと!』が描く「幸せの沸点」

よつばは日々、すべての現象を珍しがっています。

例えば第一話では初めて見たブランコに興味を示しましたし、

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雨が降っただけで喜んでいます。

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よつばが見るものはすべてが新鮮で、「楽しい」。

それはよつばの年齢が低いこと、この街に初めて引っ越したこと、よつばが「この国の人ではないこと」など様々な要素を巧みに盛り込んでいるからかもしれませんが、よつばという存在が「すべての出来事を豊かな感受性で受け止める存在」として描かれています。

当たり前の「日常」を当たり前にとらえないよつばは、「幸せの沸点」が低い存在であり、それゆえに当たり前の日常が「楽しく」、「幸せに」感じるのでしょう。

『よつばと!』を読むと当たり前の日々が輝いて感じられるのは、知らず知らずのうちに「幸せの沸点」を下げてもらえるからなのかもしれません。

『よつばと!』内で意図的に下げている「幸せの沸点」

また、『よつばと!』世界のなかで意図的に「幸せの沸点」を下げている環境もあります。

例えば、よつばが風邪を引いたときに、こんな情景がありました。

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とーちゃんのよつばに対する教育方針なのだと思いますが、「ご褒美」に対する考え方がやや特殊です。

カップラーメンは週一回まで、テレビの部屋で寝ない、おかしは1日1個など、「日常の閾値を下げる」ことで当たり前のことが「ご褒美」になっています。

これもまた、よつばが「幸せの沸点」を下げている理由でもあるのだと思います。

「幸せの沸点」への共感

一方、『よつばと!』の読者である我々は、そんなに日常が珍しく楽しいわけでもありません(笑)。

日常が「新鮮で楽しい」よつばと、日常が「当たり前で楽しくない」我々に溝があれば、読み手は作品に感情移入することはできません。

そのギャップを埋めるために、『よつばと!』は常に、「よつば以外の視点(カメラワーク)」で描かれています。

これについては作者も自覚的で、かつてインタビューでこう答えています。

たしかに、「よつば視点」を少なくするというのは意識的にやっています。カメラ位置で一番多いのは普通の大人の目の高さで、次によつばの目の高さ、でも「よつば視点」というのはまずないですね。それは、よつばのモノローグを使っていないのと同じ理由なんですよ。

(雑誌ユリイカ2006年1月号p111 あずまきよひこインタビューより)

幸せの沸点が低く、すべての出来事が新鮮で楽しい「よつば」の視線にいきなり入り感情移入するのではなく、すべての出来事を新鮮に感じ楽しんでいる「よつばという存在そのもの」を読者が楽しむことで自然に物語世界に入り込み、結果的によつばの目線で日常を楽しむことができる。

「日常を楽しむよつばを楽しむ」、この絶妙なクッションにより、読者もまた「幸せの沸点」を下げることができるのだと思います。

「幸せの沸点」を下げることによる「幸せ」

『よつばと!』の読み方、とらえ方は人それぞれですが、「新鮮な日常の再確認による幸せ」という受け止め方を否定する人はあまりいないと思います。

それはまた「幸せの沸点」を下げることであり、当たり前だと感じている日常に対する概念をリフレッシュする効果もあります。

同じくBSマンガ夜話で、いしかわじゅんはこう語っていました。

この物語はどういう物語かって言うと、「日常生活はなんて輝きの満ちた美しいものなのだろう」っていう話なんだよ。

それを読者がどう共感していくかって話なの。

(中略)

よつばは初めてこの街に来たんだよ。今日の風景は、初めての「今日」なんだよ。明日の風景は、初めての「明日」なんだよ。

オレたちの明日は、「去年も見た明日」なんだよ。でも、よつばにとっては「初めての明日」なんだよ。

そんなご大層に読むマンガではないと思いながらも、『よつばと!』を読むことで「幸せの沸点」とはなにか、ということに考えさせられますし、メッセージ性を極力廃しながらも読者にそういった考えを起こさせる『よつばと!』はすごいなー、と改めて感じています。

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がんばろう。

*1:7巻、p31

*2:「幸せの沸点」というネーミングは造語です。ナンシー関のコラムでしばしば書かれる「笑いの沸点」という表現を参考にしました。

*3:1巻、p21

*4:1巻、p220

*5:7巻、p70

*6:3巻、p93

zm_nouveauzm_nouveau 2010/05/31 21:27 面白いですね。
ただ語感的に、幸せだったら融点のような気がします。
笑いとか喜びとかだったら沸点のほうがいいんだと思いますが。

フジモリフジモリ 2010/05/31 23:17 >zm_nouveauさん、コメントありがとうございます。
元ネタは注釈にもあるとおり「笑いの沸点」から拝借したのですが、確かに、融点のほうが語感が良いかもです。
ただ、沸点により「ふわっ」と気化する方がイメージに合うかな、とも思っていますので、「幸せの沸点」という表現でお耳馴らし下さいませ。

M 2010/06/01 16:45 >カップラーメンは週一回まで、テレビの部屋で寝ない、おかしは1日1個など、「日常の閾値を下げる」ことで当たり前のことが「ご褒美」になっています。

え?これって比較的普通の教育方針では?
作者自身そういう感じで育ったんじゃないかなぁ?
最近の子供は違うかもしれませんが(テレビが一家に2台以上ある事などが当たり前になった)
少なくともあずまきよひこ氏やそれより少し下の年代まではごく当たり前な日常や教育方針だと思います。
だからそれなりの年齢の人でも「懐かしく」ホンワカした気持ちになれるのだと思います。
(いい歳の読者でも、とーちゃん視点よりよつば視点に持って行きやすい)
そういう読者誘導が本当に上手いですよねぇ。よつばと

M 2010/06/01 16:49 ↑の「よつば視点」というのは感性の視点です。
視覚の視点は書かれているように大人ですね。

フジモリフジモリ 2010/06/01 20:14 Mさん、初めまして。コメントありがとうございます。
>え?これって比較的普通の教育方針では?
>作者自身そういう感じで育ったんじゃないかなぁ?
確かに昔はそういう育て方をする家庭が多かったと思います。実際、フジモリ家もそうでした。もっとも、家があまり裕福ではないのでお菓子やテレビが贅沢品だったという事情もありますが(笑)。
『よつばと!』では物質面で恵まれている現代にあえて「ご褒美の閾値を下げている」ことが興味深いと思います。単なる昔の「あるある」ノスタルジーではないんですよね。

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