『子ひつじは迷わない うつるひつじが4ひき』(玩具堂/角川スニーカー文庫)

「ひょっとして、吸血鬼は怪物だから鏡に映らないんじゃなくて、鏡に映らないから怪物になってしまったんじゃないでしょうか。
 自分を知ることのできない人はたぶん、どんな自分にもなることができてしまうと思います。狼でも、コウモリでも、煙でも――なんだって自分の姿だと思い込める……だって、自分が人間だという証拠がなければ、自分が獣でないという革新も得られませんから」

(本書p153〜154より)

 短編が本編で長編が盤外もとい番外というのも珍しい気がしますが、本書はシリーズ初の長編です。学校を飛び出しての番外編ということで、議事録というシリーズ独特の語りの形式も本書では採用されていません。個人的には好きな形式なので、このままうやむやになって普通の語りに戻らないよう強く希望します。
 「第一章.ねじの回転」*1「第二章.閉じた本」*2「第三章.ずっとお城で暮らしてる」*3とありますが、これらはあとがきによれば本編とは関係ないものの、いずれも狭い舞台の中で展開する主人公の奇妙な心理を描いた小説ということで選ばれたとのことです。どれも面白いものばかりですので、興味のある方は是非。
 とはいえ、まったくの無関係というわけでもありません。例えば、本書は鏡がひとつもない館「墨鏡館」、別名「万鏡館」が舞台となっています。鏡がまったくない空間に置かれることによって、中で暮らす人間は自らの姿かたちというものを改めて気にすることになります。それは今の時代は鏡が当たり前のものとなっているからこそ抱く心理だといえます。ですが、時代によっては必ずしもそうだとは限りません。『ねじの回転』では、大きな屋敷に暮らすことになった家庭教師が大きな姿見によって初めて自らの全身像を見て感動する様子が描かれています。恐怖や迷いといったものは、外界にではなく自らの心のうちにあるのだといえます。
 「うつるひつじ」という副題ですが、「うつる」というのは舞台設定からして「映る」という漢字を当てるのが第一感でしょう。ですが、自らの姿を見ることができないことによる心理的不安定さから「鬱る」という字を当てたくもなってきます。不安定さ、というのは、それだけ揺れたりぶれたりということでもあります。特に、動揺とはもっとも無縁と思われるようなキャラクタが予想外に動揺する姿を見るとニヤニヤせずにはいられないわけで、つまりは青春しているということです。
 「万鏡館」は「ばんきょうかん」と読みますが、この言葉の響きから「万能感」を想起するのはおそらく私だけではないはずです。古典部シリーズなどの青春ミステリで知られる米澤穂信が、青春について全能感と無能感の観点から次のようなことを述べています*4

 私が書くときに意識していたのは、「全能感と無能感」ということです。例えば「全能感」から「無能感」におちいる、あるいは「無能感」から「全能感」に引き戻ってくる。「手が届くと思ったんだけれども届きませんでした」とか、「見えると思ったんだけれども見えませんでした」みたいなことを書きたいと思っていました。この「揺らぎ」が成長の過程ではないかと思っていて、
(中略)
 探偵を書くときに完全な名探偵にしてしまうと、話づくりとしては面白くないし、それに青春の桎梏を絡めることができない。
(『小説トリッパー』2008年春季号所収、米澤穂信インタビュー「フェアな言葉の感触」p38〜39より)

 自分は何者なのか?このままでいてよいのか? 自分は何になれるのか?何になりたいのか? 鏡のない空間で試されるのは自己認識と自己認知と、他者からの認識と関係性です。そうした揺らぎが描かれている本書はまさに青春小説です。
 一方で、本シリーズはミステリとしての面白さも欠かせないわけですが、本書はその点でいまいちです。第一章の白雪姫の謎解きは小ネタとしては面白かったですが、本書全体についていえば、そもそも章題として選ばれているのが心理的恐怖が描かれたホラー色の強い作品ばかりなことからも推察されるように、心理的興味が主体となっています。それについて、ひとつの答えがそれなりに論理的に導き出されているという意味で、ミステリとして評価できなくもないです。しかし、作中でも述べられているとおり、それはやはり茫洋としたものでミステリとしての筋はあまりよくありません。館である以上、それなりに大掛かりなトリックが欲しかったというのが一ミステリ読みとしての本音です(苦笑)。
 とはいえ、考えようによっては、トリックの大きさとしてこれはこれでかなりのものです。それに、ここで完全な名探偵の活躍で完全な結末が導き出されてしまったら、青春小説としての妙味が失われてしまいます。個性的なキャラクタの絡みがあればこその本書の結末は本シリーズらしいものです。
 番外編で見られた心境の変化と揺らぎが本編にてどのように現れることになるのか、続きがとても楽しみです。
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