『尋問請負人』(マーク・アレン・スミス/ハヤカワ文庫)

尋問請負人 (ハヤカワ文庫 NV)

尋問請負人 (ハヤカワ文庫 NV)

「よろしい。おまえは相当の時間をそこにいる。身体を長時間動かせない状態は、精神に影響する。暗闇、閉所への恐怖は、知覚、時間の感覚、自意識に影響を及ぼす。それらが作り出す環境では、感情の境目があいまいになる。恐怖に比べれば痛みなどどうということはない。希望はしぼみ、絶望につきまとわれる。一度そうなると、おまえは自分の本当の姿を見ることになる――自らの強さの深奥と限界に直面するのだ」
(本書p17より)

 原題は「THE INQUISITOR」で辞書を引けば審問官や(昔の)宗教裁判官といった意味が出てきます(【参考】inquisitorの意味 - goo辞書 英和和英)。邦題はこれを「尋問請負人」と訳したわけですが、本書の主人公が作中にて行っている行為は拷問といったほうが妥当な例も多く、尋問と拷問の境目は実際には曖昧なものだといわざるをえません。「THE INQUISITOR」という原題はそんな両者の微妙さ・曖昧さを実に適切に表現したタイトルだといえますし、一方で邦題は邦題として、作中の同業者の手口との比較をすれば、その意味するところは十分に理解することができます。
 主人公ガイガーは自らの職業を「情報獲得業(IR:インフォメーション・リトリーバル)」と称しています。対象者(ジョーンズ)から正確な情報を引き出すことが彼に求められているもので、依頼者は民間組織や企業やもとより犯罪組織から政府機関まで多岐に渡ります。ガイガーの仕事の売りは、「血を流さずに真実を引き出す名人」。すなわち、十一年間の仕事の中でただひとりの死者も出していないという脅威の実績にあります。そこには、第一、子どもをジョーンズにした案件は受けない。第二、心筋梗塞などの既往症がある者も受けない。第三、七十二歳以上の者も受けない。という三つのルールや、尋問や拷問の歴史についての深い知識と、抑制された意志があります。
 拷問に良いも悪いもあったものではありませんが(苦笑)、それでもあえて良い拷問と悪い拷問とを区別しようとすれば、それはいったいどういうものになるでしょう。例えば、可愛い女の子たちが所属する拷問部の日常を描いた『ちょっとかわいいアイアンメイデン』(作:深見真 画:α・アルフライフ/カドカワコミックス・エースエクストラ)という作品では、SMと拷問の区別という観点から次のようなことが述べられています*1

「前にも言ったとおりSMには愛がなければいけない。だが拷問は違う。愛はいらない。目的だけだ。快楽はない。必要なのは鉄の意志だ」
「じゃあ拷問の暗黒面って?」
「拷問に快楽や欲望を持ちこむとそうなる。残酷な支配者により数多くの悲惨な拷問が行われた。…そういった拷問は憎むべきものだ。拷問する者は誰よりもまず自分自身に対して厳しくなければならない」
(『ちょっとかわいいアイアンメイデン』p109より)

 ガイガーの拷問には快楽はありませんし、誰よりも自分自身を厳しく律しています。とはいえ、欲望がまったく持ち込まれていないかといえば、必ずしもそうとはいえません。なぜなら、彼には過去の記憶を失っているという秘密があります。ガイガーは彼自身のプライバシーを秘したまま自身が見る夢を精神科医に相談しています。そんな彼が何ゆえ拷問を生業にしているのかといえば、恐らくはラジオやパソコンといった精密機器の仕組みを知るためにその中身を可能な限り修復可能なまま分解することでその仕組みを理解することができるように、他人の心をできるだけ壊さないように分解して「真実」を引き出すという過程を経ることによって自らの内面を理解することへの渇望があるように思います。
 物語はそんなガイガーという特異な「尋問請負人」が、図らずも子どもをジョーンズとした依頼を受け、これまた図らずもその子どもを保護することになってしまうという想定外の事態を背負い込むことで巨大な陰謀に巻き込まれていくという、いかにもアメリカの小説らしいサスペンスとアクションに満ちた展開となります。そんな中にあって徐々に存在感を強めていくのがガイガーの相棒ハリーです。依頼者とガイガーとの仲介役を務めるハリーは、コンピュータに滅法強いという特技があるものの、それ以外はいたって普通の人間です。そんな彼にはリリーという心を病んだ守るべき妹がいます。妹を守るためにハリーには金が必要で、妹を守るためには謎の組織と戦うことも厭いません。一見すると合理性が服を着ているようなガイガーと、精神病患者であるリリーとの対比とを考えると、両者の間を生きているハリーこそ本書の真の主人公であるといっても過言ではないでしょう。
 それにしても、「拷問請負人」といった人物を主人公とした作品など普通は考えられませんが、その背景にはイラク戦争における捕虜虐待事件(【参考】アブグレイブ刑務所における捕虜虐待 - Wikipedia)があります。「拷問」を必要悪とせざるを得ない社会的背景が、「拷問請負人」というダークヒーローを生み出したといえます。
 もっと拷問や尋問シーンや薀蓄が多くても良かったと思いますが、それでも、エンタメ性を損なうことなく拷問というテーマを正面から描ききった成果を高く評価したいです。オススメです。
【参考】まさに「ごうもん!」 α・アルフライラ『ちょっとかわいいアイアンメイデン』 - 三軒茶屋 別館

*1:「つまり後で問題になるような拷問はしないってこと♥」(『アイアンメイデン』p20より)という身も蓋もないものもあります(笑)。