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2009-07-07

[][][]『銀河英雄伝説外伝5 黄金の翼』(田中芳樹/創元SF文庫)

銀河英雄伝説外伝5 黄金の翼 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説外伝5 黄金の翼 (創元SF文庫)

 さて、本伝は完結しましたが、外伝のほうは今後、長編を二冊と短編をいくつか予定しています。これまで出た分とあわせて、外伝は全部で六冊分。それでおしまいにします。いわばこれが「別荘」ということになるでしょう。別荘が本宅より大きくなるのも奇妙なものですから。

『銀河英雄伝説10』徳間ノベルス版のあとがきp241より

 銀英伝の外伝は6巻まで出る。そんなふうに考えていた時期が私にもありました…。

 とはいえ、銀英伝はやはり特別な時期にしか書けない特別な作品だった、ということなのでしょう。本書には5本の短編と、銀英伝執筆に当たっての舞台裏を明かしたロングインタビューが収録されています。5本の短編中4本が帝国サイドのお話です。なので、構想としては、バランスをとる上でも、同盟側を舞台とした短編のアイデアがいくつかあったのではないかと推察されます。ファンとして名残りは尽きませんが、田中芳樹には他にも未完のまま放置されている作品がいくつもあることですから、それらに比べれば、本伝がきちんと完結している銀英伝は偉大な作品だといえるでしょう(笑)。

ダゴン星域会戦記

 初出:SFアドベンチャー1984年9月号

 銀河帝国と自由惑星同盟とがはじめて接触し、長きにわたる抗争の幕開けとなった”ダゴン星域の会戦”。総司令官リン・パオ、総参謀長ユースフ・トパロウル。同盟側からは”古き良き時代”として語られる黎明期の重要な戦闘が描かれています。銀英伝における戦争とは、特にヤンの側から見たときには、相手の裏を読み陥穽を突く心理戦の意味合いが強いのですが、本作でもそうした要素に焦点があてられています。相手の動きの意図を読み取ろうとする主観面を重視し過ぎるがあまり、客観的には失敗してしまっているのが面白いです。

白銀の谷

 初出:SFアドベンチャー1985年6月号

 ラインハルトとキルヒアイスともに15歳。二人の初陣は寒冷の惑星カプチェランカでの機動装甲車による敵状偵察でした。同盟だけでなく帝国の貴族たちとも戦わなければならない二人のこれからを象徴する戦いです。

黄金の翼

 初出:『夜への旅立ち』(徳間ノベルス)1995年

 第五次イゼルローン攻防戦。16歳のラインハルトは少佐としてイゼルローン要塞に駐留し、駆逐艦の艦長を務めています。その傍らにはもちろんキルヒアイスがいます。一方、同盟側ではヤンが少佐としてこの作戦に参加しています。「白銀の谷」の続編的意味合いもありますが、戦術と戦略の間のレベルというものが、短編ごとのラインハルトの昇進を通してさり気なく描かれています。

朝の夢、夜の歌

 初出:SFアドベンチャー1986年7月号

 ラインハルト17歳。大佐。有能にして生意気ながら皇帝の寵姫の弟ゆえに露骨に邪魔者扱いもできず。そんな微妙な図式が、帝都憲兵本部への出向というラインハルトにとって不本意極まりない人事として表れます。そこで経験することになるのが幼年学校での殺人事件です。有能すぎるワトソン役もいますので事件は速攻で解決しますが(笑)、無理やりにでも事件を戦争に当てはめて推理しようとするラインハルトの思考がそこはかとなく可笑しいです。

汚名

 初出:SFアドベンチャー1984年7月号

 キルヒアイス19歳。中佐。ローエングラム家を継ぐことでラインハルトに所用ができたため、キルヒアイスは三日ほど休暇をとることになります。そんな彼が巻き込まれることになるのが組織的な麻薬密売の事件です。本伝中ではあまり語られることのなかったアンネローゼへの想いが印象的です。

『銀河英雄伝説』の作り方 田中芳樹ロングインタビュー

 初出:徳間デュエル文庫版『銀河英雄伝説』正伝各偶数巻に連続掲載されていたものを再構成。

 『銀河英雄伝説』の舞台裏が著者自身の言葉によって存分に語られています。時代小説から歴史小説へ。キャラクターの作り方。対としての存在。名前の語感について。機能を決めてから生まれる個性。上司にするならラインハルトとヤンではどっちが楽か?政治的対立の図式としてのラインハルトとトリューニヒトの関係。国家は永遠ならず。史実の遠近感。田中芳樹作品に登場するカップルはすべて戦友関係である。などなど。銀英伝読了後に誰もが語りたくなるような話題が盛りだくさんです。

 創元SF文庫版『銀河英雄伝説』も本書を以って無事に完結しました。既に名作としての地位を確立していますが、これからも末永く読まれ続けて欲しい珠玉のシリーズです。

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プチ書評 銀英伝とライトノベル

2009-05-14

[][][]『銀河英雄伝説外伝4 螺旋迷宮』(田中芳樹/創元SF文庫)

銀河英雄伝説外伝4 螺旋迷宮 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説外伝4 螺旋迷宮 (創元SF文庫)

「そういう仮説はともかくとして、何十年も経過してから真相をあきらかにできるんでしょうか。生証人が健在ないまのうちでないとだめなのじゃないかなあ」

「いや、そいつはちょっとちがうような気がするんだ。同時代に生きて実際にその事件を見た人より、資料と遺物にたよるしかない後世の人のほうが、しばしば事件の本質を正しく把握できると思う。でなければ、そもそも歴史学の存在する意味がない」

(本書p255〜256より)

 外伝4巻の主人公はヤン・ウェンリーです。”エル・ファシルの英雄”として図らずも有名人となってしまった21歳の彼に与えられた任務は、43年前に戦死した同盟軍の勇将アッシュビーに関わる陰謀の疑惑を調べることでした。

 主人公とはいったものの、本書の主人公を本当にヤンと言ってしまってよいかは微妙な気もします。本編において”矛盾の人”と称されるヤン・ウェンリー。死地にありながらときに眼前の戦闘とは無縁の歴史上の事柄に思いを馳せつつも、それでも他の追随を許さない圧倒的な武勲を立て続けた”不敗の魔術師”。そんな彼が若き日に体験したつかの間の休暇とでもいうべき任務。歴史家を志しながらも軍人として栄達してしまった彼が、若き日に体験した歴史家の卵らしい探偵行。

 ですが、正直言って本書のヤンは特に何もしていません。まあ彼が積極的に動こうとしないのは特に珍しくもありませんが(笑)、手がかりどころか真相に近いと思われる仮説すらもほぼ他人によって与えられるがままです。物語としては実に奇妙な構成です。巻末の解説において石持浅海は本書を「謎解きに姿を借りた、若者の成長物語なのです。」(本書p279より)と評していますが、ちょっと褒めすぎな気がします(笑)。

 だからといって、本書が面白くないのかといえば、そんなことはありません。ヤンの探偵行を通じて語られるブルース・アッシュビーと彼を支えた仲間たちとの複雑な関係。そして、アッシュビーが名将として武勲を立てることができた本当の理由などは、なかなかに考えさせられるものがあります。架空歴史物語の中で登場人物の視点を通して歴史について語るという試みこそが本書の主眼でしょう。

 アッシュビーの死の真相は、銀英伝本編で語ることができなかった戦争のあり方・要素を提示しています。銀英伝は、帝国・同盟・フェザーンという三すくみの勢力関係を背景として物語が始まります。ですが、実際にはラインハルトとヤンの2人を軸とした分かりやすい対立の構図があります。そして、互いに宿敵に対して敬意を払っていたからこそ、そこには知らず知らずのうちに対抗手段を考える上で制約が働いていたかもしれません。ヤンの探偵行によって明かされるアッシュビーの真実は、これまで作られたアッシュビーのイメージを覆すものであることには違いないのですが、作中でヤンも述べている通り、それはアッシュビーの天才性を否定するものではありません。

 ヤンがアッシュビーのこうしたエピソードを知っていたということは、理屈としては帝国、あるいはラインハルトと対峙する場合にも同様の手を使うことを考えたとしてもおかしくはなかったはずです。実際に実行に移すか否かは別にして、ですが。それを彼が行なわなかったのは、ラインハルト相手にそうした策に実効性があるとは思えないという実際的な理由はもちろんですが、フェアでありたいという気持ちもあったと思います。それは、ラインハルトに対して、だけではなくて、おそらくは歴史に対して、ということではないでしょうか。

 ヤン自身も自覚しながらも迷わずにはいられない思考の螺旋迷宮。迷宮は迷うからこそです。迷えない迷宮など面白くもなんともありません。もっとも、出口がない迷宮が迷宮といえるのかどうかは疑問ですが(笑)、迷うことにこそ意義があるのだとすれば、出口の存在など些細なことかもしれませんね。

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プチ書評 銀英伝とライトノベル

2009-03-02

[][][]『銀河英雄伝説外伝3 千億の星、千億の光』(田中芳樹/創元SF文庫)

銀河英雄伝説外伝〈3〉千億の星、千億の光 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説外伝〈3〉千億の星、千億の光 (創元SF文庫)

「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」


ええ、どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく、何がまちがっているのかを決める必要がある人もいるのでしょうが、決めるのは時間か歴史ではないでしょうか。いかなる理由にせよ、壁の側に立って作品を書く小説家がいたとしたら、そんな仕事に何の価値があるのでしょう?

村上春樹: 常に卵の側により)

 2009年にエルサレム賞を受賞した村上春樹は、その授賞式で「卵と壁」の暗喩を用いたスピーチを残しました。暗喩はあくまで暗喩ですから、その解釈には多様性があります。また、卵と壁という存在が小説内に存在する場合において、片方の視点のみから小説が書かれているということもないでしょう。卵について書いているときには卵の側に立っているでしょうし、壁について書いているときには壁の側に立っていることでしょう。つまり、卵や壁といった観点からの立ち位置の表明はあくまで相対的なものに過ぎず絶対的なものになどなり得ない、ということです。

 そうした前提を踏まえた上であえて言わせていただきますと、『銀河英雄伝説』は、壁の側に立って書かれた作品です。何が正しくて何が間違っているのかを声高に訴えているわけではありませんが、銀河に生きた英雄たちの伝説を、神の視点と後世の歴史家の視点という時間と歴史の観点から描いています。そんな仕事に何の価値があるのかといえば、それはもう比類のない価値があるといえるでしょう。

 本書はラインハルトとキルヒアイスが18歳のときの物語です。ラインハルトの身分は准将。これは異例の出世ではあるのですが、艦隊を統率する権限のない中途半端な階級が、ラインハルトに中途半端な任務を要求します。同階級の同僚の下に配属され、功績を独占される意図を見抜きながらもなお与えられた任務について最善を尽くさずにはいられないラインハルトの性分。そうした生真面目さを内省し自嘲する一方で、やがては帝国における最高位につくことを志す不遜な野心家としての情熱を燃やしながら不安を覚える日々。ラインハルトは18歳の若さにしてすでに完成された天才ではありますが、それでも、これまであまり語られることのなかった彼の個性・人間性といったものが、本書では存分に語られています。それというのも、彼が打倒を目論んでいるゴールデンバウム王朝という老朽した「壁」の存在があってこそです。

 一方、同盟側で主に描かれているのは、シェーンコップを中心とした”薔薇の騎士連隊”ローゼンリッターです。帝国からの亡命者とその子孫で構成される最強の陸戦部隊。そして、歴代連隊長の過半数が帝国に亡命しているという不名誉な看板を背負った部隊。それがローゼンリッターです。同盟領の衛星ヴァンフリートへの偵察作戦に当たり、ラインハルトの上に立ってその指揮を執ることになった人物・リューネブルク准将は、ローゼンリッターの11代連隊長でしたが、帝国に亡命してその地位を得ました。そんなリューネブルクという人物を媒介とすることによって、帝国と同盟の微妙な関係が描かれています。

 そのことはラインハルトにとって、もしかしたらあり得たかもしれないもうひとつの人生の可能性について考えさせられることになります。それが、同盟への亡命です。ラインハルトは、幼少のころに姉を売られたことによって打倒帝国を、やがては銀河を手中にすることを人生における明確な目標として位置付けることになりました。しかしながら、姉の幸せを第一に考えるのであれば、同盟への亡命という選択肢は確かに有力です。もちろん、当時のラインハルトにそのようなことなどできようはずもありませんでしたが、それでも、その選択肢自体に彼は敬意を抱かずにはいられません。つまり、反体制派として生きていくか、それとも異なる体制のもとで生きていくかというのは、実のところ紙一重なのです*1

 帝国と同盟、絶対君主制と民主主義という異なる思想を背景とした国家同士の対立によって紡がれていく銀河の歴史。そうした抗うことのできない流れを描く立場にあるからこそ語ることのできる「卵」の姿というものは確かにあります。ラインハルトという稀有な天才でも所詮は一個の「卵」に過ぎない存在として描くことができるのも、『銀河英雄伝説』が「壁」の側に立って描かれている物語だからこそだといえるでしょう。千億の星と千億の光も、どこまでも拡がる闇があればこそなのです。

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プチ書評 銀英伝とライトノベル

*1:キルヒアイスの同級生マルティン・ブーフホルツの生き様がサラリと挿話されることによって、こうした人生の分岐がさり気なく強調されているのも巧みだと思います。

2008-12-24

[][][]『銀河英雄伝説外伝2 ユリアンのイゼルローン日記』

 銀英伝は、神の視点と後世の歴史家の視点という二つの視点からの三人称描写による架空歴史小説ですが、本書はその中にあって極めて例外的な存在です。なぜなら、副題のとおりユリアンの日記形式でつづられているからです。そこには神の視点や後世の歴史家の視点の入り込む余地は一切ありません。

 「望遠鏡で時間と空間の彼方を見つめている」(本書p55より)ヤン・ウェンリーの側に仕えるユリアンの筆によって語られる個人的記録ですが、本書ではアムリッツア戦役の終息からクーデター発生までが、ユリアンの目線と言葉で語られています。

 作中でも優等生で通っているユリアンの日記は14才とは思えない程に大人びていて、あまりにも良い子過ぎるので少しイラッとすることもありますし文才あり過ぎだろとも思いますが(笑)、この日記が後にどのようなものに変化していくのかを考えると感慨深いものがありますね。

「それはそうさ。その時代その場所にいあわせた者より、何十年も何百年ものちに歴史を研究した者のほうが、冷静に、客観的に、正確に、多面的に、事件の本質を把握できるものだ」

(本書p87より)

 これはユリアンを通して語られるヤンの言葉です。昨今の歴史認識問題などに触れますと必ずしもそうとはいえないようにも思うのですが(苦笑)、完結した物語である銀英伝にとって、その歴史を研究する者といえば他ならぬ私たち読者があるのみです。

「真実ってやつは、誕生日とおなじだよ。個人にひとつずつあるんだ。真実と一致しないからといって、嘘だとは言いきれないね」

(本書p36より)

 これもやはりヤンの言葉ですが*1、この言に倣えば、ユリアンの日記というのもまた真実のひとつということになるのでしょう。このように、日記という大胆な形式を採用することによって歴史の多面性というものが表現されています。架空歴史小説に厚みを加える一冊としてオススメです。

 ちなみに、本書の解説はSF作家の円城塔です。どんな解説をするかと思っていたら、成る程、こうきましたか。凝ったことをするな、と思いながらも考えてみれば、私自身がこうしてブログにて日記というか読書録みたいなことを語っているのも似たようなものですね。何だか不思議な感じがしますね(笑)。

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プチ書評 銀英伝とライトノベル

*1:ちなみに、この会話のキッカケとなる食事を作ったお店の名前が『電気羊亭』(いうまでもなくP・K・ディックの某作が元ネタ)というのも洒落てますね。また、この台詞に関連したブルース・アッシュビーのエピソードは外伝4巻にて詳細に語られています。

2008-11-28

[][][]原作の文学的表現をアニメ化する際の苦労と工夫

銀河英雄伝説〈6〉飛翔篇 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説〈6〉飛翔篇 (創元SF文庫)

あと、前々から思っていてんだけど、ラノベ独特の「造語」ってアニメになったら意味をあまりなさないんではないのだろうか。例えば、「とある魔術の禁書目録」でいうと「幻想殺し」(イマジンブレイカー)、「必要悪の教会」(ネセサリウス)、「魔女狩りの王」(イノケンティウス)等、文字媒体の時はインパクトのある魅力的な活字なんだけど、映像媒体(アニメ)では活字ではなく言葉として発せられるので、文字媒体の時のインパクトは薄れるのではないのかな。

アニメに向いてないライトノベル作品「とある魔術の禁書目録」 - あしもとに水色宇宙より

 漢字が持つ字面と外来語による語感の融合という手法は小説という文字媒体ならではの手法ではありますが、それをアニメ化して台詞として喋らせようとすると問題が発生します。語感を採れば字義が失われ、字義を採れば語感が失われてしまうのです。

 『とある魔術の禁書目録』は魔術サイドと科学サイドとが主人公の上条当麻を中心に交錯するお話ですが、魔術サイドではキリスト教的な要素がかなりの割合を占めています。キリスト教の言葉というのは漢字化(土着化?)がそれなりに進んでいます。なので、それと『とある魔術の〜』独特の単語とが相まって字義と語感の乖離の問題は他のアニメなどと比べると格段に厄介な問題になっているのでしょう。

 『とある魔術の〜』のアニメでは、語感の重視を優先してカタカナが台詞として喋られて、直後にその用語の意味(字義)を説明するという手法が用いられています*1。なので、それによってインパクトが薄れるというよりは、意味不明で頭の中にまで言葉が入ってこないという現象が起きているのではないかと思われます。

 こうした感想を読んで思い出したのが、田中芳樹銀河英雄伝説』の創元SF文庫版6巻巻末に収録されていた、アニメ『銀河英雄伝説』のプロデューサー・田原正利の解説です。これには『銀河英雄伝説』との出会いから始まって多くの興味深いエピソードが記されています。小説のアニメ化という事象に興味を持っている方には一読の価値があると思いますが、その中に、原作の文学的表現をアニメ化するに際しての苦労と工夫も述べられています。

 もうひとつ例を挙げるなら、アニメの『銀河英雄伝説』の特徴のひとつが大量のテロップだが、これも原作の文学的表現を映像で再現するための小道具のひとつとしての演出のつもりであった。

 例えば小説では「黒色槍騎兵」と書いて「シュワルツランツェンレイター」とルビが振ってある。これは漢字が持つ”字面”(あるいは”字義”)と外来語が持つ”語感”(あるいは”音感”)の双方の良さを両立させておりうまい表現だなと感心させられるのだが、アニメにするときハタと困った。台詞ではどちらを喋ればいいのか? 基本的には”読み”はルビに従うべきだろうが、そうすると漢字表現の”字面”や”字義”が失われてしまう。そこで考えたのがテロップの積極的活用だった。

『銀河英雄伝説 6』(田中芳樹/創元SF文庫)巻末所収の田原正利の解説p335〜336より

 というわけで、『銀英伝』のアニメを見たことがある方ならご存知のように大量のテロップが使われています。それも漢字の上にカタカナがルビとして振られているのではなくて、欧文でテロップが出て、その上に”日本語訳”として漢字が添えられる、というやり方です。実写の洋画を意識して採用された手法とのことですが、欧文になることによって語感重視のルビにも存在感が生まれるという、なかなかに良い手法ではないかと思います。

 もっとも雰囲気の問題もありますから、BGMにクラシックが流れているようなアニメと『とある魔術〜』を一緒にするわけにはいきませんし(笑)、実際に『とある魔術〜』でそうした手法が採用されたらどうなったのかは分かりません。ただ、そういう策もあるにはあったんじゃないかなぁ? というようなことを思ったりしました(オチなし)。

*1:私は1話しか視聴していないので、あんまりハッキリしたことはいえないのですが(汗)。