small music 閉店
東日本大震災で亡くなられた方々に心からお悔やみ
申し上げます。そして被災された方々にお見舞い
申し上げます。
とてもかなしいことがありました。
お店の立ち上げ時にお手伝いさせていただいて、その後もなにかと
お世話になっていた高円寺のsmall musicが閉店することになりました。
すでにレンタル営業は終了して、現在はコレクションとなっていた
在庫CDのセールが行われています。
今年になってからはほぼ毎週のように訪れ、最終日にはすこしお店に
たたせてもらいました。お店にいたころ知り合った常連さん何人かとも
顔をあわせることができ、久しぶりに話したりできました。
世界の色々な国のレコード屋さんに足を運びましたが、あの店舗面積で、
あれだけのコレクションを揃えたお店はそうないのではと思います
(しかもレンタルで)。
先日も休みの日に呼ばれて、セールのための作業をしながら、自分の
拠りどころとなる場所のひとつが永遠に失われることの意味をかみしめ
ながら、ぼんやり(でも手はものすごいスピードで動かしながら)
しました。
ひとつ分かったのは、場所が失われる、ということは時としてひとりの
人を失う、大切に思っていた誰かと永遠に会えなくなること以上に、
大きな意味をもつことがあるということです。
そこに集まっていた人たち、いろいろな音楽、試み、本、ライヴや
イベントのお知らせはその時々の自分の状況とかかわりながら、
一瞬感情を共有し、離れたあとまたくっついたりする。
そこでしか起きえなかっただろうこと、というのがいかに多かったか、
と思うのです。
まして、その場所が(TさんとKさんとの間の、ごく限定された領域ですが)、
自分のイデア=理想を含んだ形で構築されたのであれば、なおさらです。
small musicの店主で先輩であるTさんは、僕にとって常に最もきびしい
助言をくれる人であり、(ひょっとしたらご本人にはその意識はあまり
なかったのかもしれませんが)苦しいときに手をさしのべてくれる人
でした。
そのきびしさでお店のすべてのことにこだわり、常にハードワークし、
優しさで場と人を育てる。
今の状況であのような小さいお店を維持し、自分たちも生活していくこと
は並大抵のことではありません。
レンタル営業の最終日、閉店時間を1時間ちかくすぎてようやくすべて
のお客さんが帰り、お店を閉めて近くで皆で打ち上げをしました。
8年間は長かったですか?と尋ねてみたら、Tさんは長かったと。
(自分の)子供と遊んでいるとき以外は常にお店のことを考え続ける
のはハードだったと仰っていました。Kさんは短かかったと。まるで
昨日開店したみたいに感じると仰いました。どちらも誠実な答えに
違いありません。
Tさんがぽつりと「こんなお店があったら自分が(お客さんで)
通いたかったよね」と言ったとき、ああそうか、と思いました。
必ずしも意見が一致しなくても、ライフスタイルや考え方が同じで
なくても、常にコミットし続けることができたのは、根底にあるものが
一緒だからだったんだな、と。
はじまりならまだしも、終わりのときにそう思えるのは幸せなことだと
思いました。自分の理想(=イデア)を出発点に、現実社会(=リアル・
エコノミー)のなかでハードワークできた(る)、ということが。
「ロルフ・ユリウスも(2月に)死んじゃったしね。結果的に良い
タイミングだったね」とTさんは言いますが、それはさておき、今回、
お店がおわったのはセールス的な問題ではなかったことを強調して
おきます(このくらいは書いても良いですよね?)。
新しい挑戦のために、順調だったビジネスをたたむ、というのは
いかにもTさんらしいと、はじめてその話を聞いたときに思いました。
産業革命以来、常にそうだと思うのですが、街も人もものすごいスピード
で変わっていきます。僕へのTさんの助言は、たとえそれがあまり顔を
見せていなかった時期に(少ない情報だけで)されたものだとしても常に
ただしかったと思います。きっと今がタイミングなのでしょう。
だけどあの日、レンタル営業が終了したあとしばらくして、セールの準備を
手伝っていたときKさんがギャヴィン・ブライアーズの「イエスの血は決して
私を見捨てたことはない」をお客さんのいないお店でかけて、
それを作業しながら聴いたときに沸き起こったあの感情、それだけは
忘れないようにしようと思いました。